第26話 過去
「魔族ってなんなの?」
その日の陽が昇っている内に、女子寮のイレーンの部屋に呼ばれてそう問われた。あんなことがあった後だから授業は休んだらしい。学院ではまだ授業が行われているから寮は無人で、盗み聞きの心配はなかった。
「見ただろ? アレだよ」
俺は扉に背中を預けて廊下の気配を伺いつつ、椅子に座るイレーンに目をくれる。時間が経って平静を取り戻したイレーンは、いつもみたいに溜息をついた。
「……ちゃんと説明して。貴方たちはずっとあんな化け物と戦ってきたわけ?」
「化け物って、アレ弱い方だぞ。最弱じゃないけど雑兵の範疇だ」
「嘘でしょ……」
イレーンが息を飲むけど、魔力量を考えるとイレーンの方がよっぽど化け物だ。ちょっと訓練すればあの程度の魔族なんて、赤子の手を捻るぐらい簡単に倒せるようになる。
「ってそうだよ、魔術使えるんじゃねーか。なんで隠してたんだよ」
「隠してないし、嘘もついてない」
確かにその通りだ。勝手に魔術が使えないと勘違いしていたのは俺だ。
「……それがなんで、急に使う気になったんだよ」
「使わないとドーラが襲われてた。命より我儘を優先するほど堕ちたつもりはないわ」
貴族の派閥争いを止めようとした時といい、こういうところは立派なんだよな、イレーンって奴は。それなのに普段は卑屈にすら思えるほど受け身な姿勢を貫いている。
「あの雷を見る限り、昔は魔術の練習してたんだろ?」
微かに、イレーンは眉をひそめた。
「……そうね。誰だって子供の時は魔術の練習をするものよ」
「なんでやめたんだよ。自分の立場は分かってたはずだろ?」
イレーンが眼を瞑る。答えたくない話題なのは分かっているけど、俺だってイレーンに魔術の練習をしてもらわないと困る。イレーンを殺すのは最終手段であって、できれば自分の魔力を制御できるようになって俺をお守りから解放してほしい。
「いいわ」
イレーンが眼を開け、俺をしかと見据えた。
「レヴェンテ、あなたには感謝してる。あなたがいなければ、私はこうして学院に通っていられなかった。それなのに黙っているのは不義理ってものよ」
やっとか。イレーンが魔術を使いたくない理由が分かれば、それをどうかこうかして魔術の練習をするようもっていけるかもしれない。
「私は生まれた時から魔力暴走を起こしていた。最初に殺したのは母だったわ。それでも記憶はないから、小さい時は自分の魔力を制御しようとしてた。でも、王族の魔力暴走で甚大な被害が出れば批判どころか暴動にすら発展しかねない、そう考えた私の父である陛下は私のことを伏せ、それでも教育係を募った。その時に唯一、一人の女性が手を上げたの」
ふと、イレーンは昔を懐かしむように明後日の方向を見た。
「今でもあの人より素晴らしい人はいなかったと断言できる。上級魔術師たちが私の魔力暴走を抑えていたとはいえ、もし小規模でも暴走が起これば、一番近くにいるその人は死ぬかもしれない。それなのに王族としての心構えから実務まで、ありとあらゆることを教えてくれた」
イレーンの視線が落ち、心なしか俯いた。
「でも、やっぱり死んだ。私の魔力暴走でね。生まれた時に母を殺した私にとって、その人が母代わりだった。なのに、私は二人目の母も殺した。結局、私が動けばそれだけで私を疎む人間か怖がる人間が増える。それなら何もしないのが一番なのよ」
言い終わると、イレーンは俺を睨みつけるように、そこだけは自信満々に見つめてきた。
クソ真面目だな。
説得するのは骨が折れそうだ。というかイレーンの過去を聞く前より説得できる気がしなくなった。少なくとも今この場で説得する言葉は思いつかないし、変に否定すると逆効果になりそうだ。
それでも言葉に悩んでいると、廊下に気配を感じた。誰か近づいてくる。イレーンに目配せして様子をみていると、そいつはこの部屋の前で止まった。
「アンドレアです」
イレーンの姉貴か。従者の気配はないから一人きりだ。イレーンが頷いて立ち上がったので、俺が扉を開けて出迎えた。
「イレ」
言い掛けて俺を見たアンドレアが目を丸くした。
「あらあらあら」
少しだけ笑い、俺の横を通り過ぎてイレーンに歩み寄る。
「無事で良かったわ、イレーン」
手を取ろうと伸びてくるアンドレアの手を、イレーンは一歩下がって躱した。
「何故来たのですか、殿下」
「あなたが攫われたからよ、イレーン。怪我はない?」
「ありません。それにまだ授業中のはずですが」
「だから来たの。今なら誰の目もないからわたしたちの関係を怪しむ者もいないでしょう?」
アンドレアはイレーンだけでなく、俺を見やって子供みたいな笑みを浮かべる。イレーンは嫌な顔を隠さず、しかしすぐに表情を消した。
「どうぞ座ってください」
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