第19話 準備

 空き教室に数十人の生徒が集まっていた。とっくに授業が終わった放課後なのに、教壇には講師が立ち、生徒は全員が全員、真面目に机にかじりついてペンを走らせている。


 俺とヘンリクは生徒なのに従者みたいな身振り手振りをする奴に案内され、最前列に座る男の前に連れて行かれた。


「兄さんから話は聞いているよ、ヘンリク先輩」


 見た目は優男もいいところなのに、えらく目付きの鋭い奴だった。臨時の授業は中断し、講師も生徒も押し黙って俺たちを観察してくる。


「どうせロクなことじゃないんだろ。今日はよろしく頼むな、イグナーツ後輩」


 こいつがセゲド・イグナーツか。ともすれば周りの人間全てを見下しているようにも見えるその表情は、自信が溢れ過ぎて爪先まで自信まみれでだらっだらになっている。


「それで用件は? あ、そうだ。先に言っておくと僕たちが手を貸すことはないけど、兄さんの頼みだから話だけは聞いてあげる。どうぞ」


 取り付く島もなさそうだ。交渉するのはヘンリクだけど、これをどう説得するのか。


「ザヒール家は分かるよな?」


「あの面汚し兄弟のことかな?」


 平然とイグナーツが言い放った。周りの奴らもその言い草には全くの無反応だ。普段から例の兄弟のことをそう呼んでいるんだろう。ヘンリクは辺りを観察するように首を動かしてから口を開いた。


「……面汚し?」


「朱に交われば赤くなる。家格こそ並んでいるけど、僕とあの兄弟とでは天と地ほども違うようになってしまった。正直言って、あの兄弟の話はしたくないな」


「つまり、良くは思ってないわけだ」


 イグナーツの眉が反応した。


「まあ……そういうことになるね」


「なら協力して──」

「──断る」


「悪い話じゃない。俺たちが求める協力ってのは、講師一人だけだ。それさえ貸してもらえればザヒール派を失脚させられる」


 イグナーツは俺たちの後ろにいる講師に目を向けて、ややあって鼻で笑った。


「弱みを見つけて大事にするから、その後ザヒール派を攻めてほしい、そういうことだろう? 浅はかなんだよ。腐ったとはいえあの兄弟がそんな隙を見せるとでも?」


「作るんだよ、派閥関係なく無視できないような弱みをな。で、それを講師に目撃させて問題にする。そこでセゲド派が攻め気を見せればあっという間。労力なんてごく僅かだ。な、悪い話じゃないだろ?」


 イグナーツはほとんど表情を変えずに笑った。


「良い悪いの話じゃない。何で僕が、わざわざ、下々の醜い争いに干渉しないといけない。第一ヘンリク先輩、なぜ貴方が別の学年の、しかも貴族の派閥争いに顔を出す?」


「ザヒール派の手口が酷いんだよ、平民も巻き込まれて被害が出てる。平民組合としては一刻も早くどうにかしたい。それでこうしてここに来たってわけだ」


 ふと、イグナーツが俺を一瞥した。


「それは誰だ」


「協力者のレヴェンテだ。俺よりよっぽど強いよ」


 また俺を見て、イグナーツはヘンリクに視線を戻した。


「協力者は貴方のほうだ、ヘンリク先輩。自ら僕に会いに来ないところだいたい素性は察するけど、当人は顔も見せずに人を寄越して協力してくれなんて、虫が良いにも程があると思わないか?」


 隠すようなことでもない。ヘンリクもあっさり白状した。


「糸引いてるのはオロシュハーザ・イレーンだ。知らないだろ?」


「まさか。貴族は全員把握している。陛下の信頼厚かった元近衛隊長の養女だろう? どんな人間かと思えば魔術も使えない屑だった」


 屑どころじゃないけどな。俺がいないと魔力暴走を起こして辺り一帯吹き飛ばすような奴だ。悪人よりも死んだ方がいいと断言できるのは、多分イレーンぐらいだろう。


「そう言われるだろうから連れてこなかった」


「理解はしよう。ただ、イジメられて我慢するしかできない屑に差し伸べる手はない。汚れるからね」


「今は反撃しようとしてる。それに貸してほしいのは手じゃなくて講師一人だ。その後どうするかも自由。はっきり言ってこんなの協力でも何でもない。バレたってしらを切る必要もないぐらいだ。それで目障りなザヒール派が大人しくなってくれるなら、安い買い物だと思わないか?」


「安物買いの銭失い、という言葉もある」


「安い勉強代と思えばいい」


 イグナーツは俺とヘンリクを見やり、しばし口をつぐんだ。


「……貴族に最も必要なものが何か、分かるか?」


 ヘンリクは肩を竦めた。


「平民に聞かれてもな」


「力だ」


 力か。ちょっとだけイグナーツに興味が沸いた。


「貴族とは尊い存在だ。では何を持って尊いとする。生まれか? だが何事にも始まりがあるように、少なくとも貴族になる前、貴族制が生まれる前は一人の人間でしかなかった。ならば貴族になりえた理由こそが尊さの根拠となる。ゆえに力だ。力こそが貴族に唯一求められる能力なんだよ」


 全くの同感だ。個人的な人付き合いはしたくないけど、同じ仕事をする分にはイグナーツと気が合うかもしれない。


「僕は弱いくせにイキがるザヒール兄弟が嫌いだ。単純に弱いオロシュハーザ・イレーンも嫌いだ。貴族の風上にも置けないゴミどもなんて滅びればいいと思っている。だがこの学院にいる平民は違う。生まれこそ下賤だが、確かな力は持っている」


 そこで、イグナーツが立ち上がった。一様に押し黙っていた他の生徒も一斉に起立する。


「お二人の力に敬意を表し、講師を一人貸し出そう」


 イグナーツが手を差し伸べ、生徒たちが寸分の狂いもなく一礼する。ヘンリクが握手に応えようとすると、イグナーツは思い出したように手を引っ込めた。


「やっぱり遠慮させてもらう。手が汚れる。それと講師を貸すといっても、手を汚させはしない。あくまでも必要な時に目撃者になる。それだけだ」


「十分だ。助かるよ」


 これで交渉成立だ。ヘンリクはイグナーツの兄に礼を言いに行くと別れ、俺は朗報を咥えてワンワンと鳴きながらイレーンを探した。


「どうだった?」


 校舎を出てすぐにイレーンと鉢合わせた。多分、近くで盗み見ていたんだろう。ともあれ歩きながら結果を報告する。


「ヘンリクが頑張ったからな、よゆーよゆー。」


「こっちも大まかな人選は終わった。細かい部分はドーラがしてる」


 ドーラか。ここまで蚊帳の外過ぎて聞けなかったけど、ずっと疑問に感じていたことがある。


「なんであいつを誘ったんだよ」


「最初はそんな気なかったけど、励ましている内にね」


「ハゲマシ!?」


 驚きすぎて変な声が出た。こいつにそんな人間らしい感情があるとは想像もしていなかった。そんな心中を見透かされたようにイレーンにじとっと睨まれる。


「一人じゃないって分かるだけでも随分変わるでしょう? それで向こうも思うところがあったらしくて、話している内に協力してくれることになったの」


 友達ってわけでもなさそうだけど、ついに俺以外にも話せる奴が、って俺もイレーンのこと悪く言えねーや。心の中で笑って黙っていよう。


 気配がした。


 頭上に魔力の気配。仰ぐ。石が降ってくる。イレーンに当たる。考えるよりも先に躰が動き、イレーンの首を掴んで引っ張った。


「きゃっ」

 というイレーンの声を掻き消して、目の前に石が激突した。落ちたのはさっきまでイレーンがいた場所だ。大きさも人間の頭ほどもある。当たれば間違いなくイレーンは死んでいた。


 四階建ての校舎の窓は、窓がない一、二階を除き全てが開いている。それに魔力の気配があったことから、そもそも犯人は石を備えていた場所にはいないだろう。どこか離れたところから魔術を使って石を落としたはずだ。仮にいてもとっくに逃げられている。


 ザヒール派の仕業か。


「過激な手に出てきたな」


「……そうね」


 反応は悪かったけど、すぐにイレーンは歩き出した。俺も着いていきながら一応辺りを確認する。


「良く気付いたわね」


「俺って魔力を撒き散らしてるだろ? その範囲内なら魔力の動きでいつ魔術を使うのか分かるんだよ。細かい場所までは分かんないけど。俺も最近知った。まーた強くなってしまったな」


「あっそ。それとありがと」


 素っ気ない対応なんて慣れているから気にしなかった。それより、自分自身の考えから違和感が拭えなかった。


 さっきはザヒール派の仕業かと無意識に思ったけど、本当にそうなのか。俺たちの動きを知るには早すぎるし、何よりいきなりイレーンを殺しに来るのは過激にもほどがある。


 ザヒール派以外の誰かが、イレーンを殺そうとしているのか?

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