第16話 静かな闘争

 男女共同の授業より、女だけの授業の方がイジメは激しかった。


 従者の俺がいないのが理由だろうけど、イレーンを輪に囲っての突き飛ばし合いの何が楽しいのか。反応も人形並みなのによく笑えるもんだ。それに首謀者のギゼラの姿が教室にないのもわざとだろうか。


「きゃっ」


 女の短い悲鳴が上がり、何かがぶつかったような音が響いた。


「ご、ごめんなさい」


 どうやら背の低い生徒が机にでも足を引っかけて転んだらしい。不幸なのは転んだ先にイレーンを囲む輪があり、その内の一人を巻き添えにして倒れたことだ。


「退いて!」巻き添えになった生徒が背の低い女を押しのけて、服を払いながら立ち上がる。「モノル・ドーラ。で、合ってるわね?」


 いかにも怒り心頭って声だ。モノル・ドーラと呼ばれた生徒はまだ地面に尻を着けて立てないでいる。


「今のは事故かしら? それとも何か勘違いして、もしかして私たちと遊んでいたオロシュハーザさんを助けようとしたのかしら?」


 ドーラは答えられないでいる。蛇に睨まれた蛙、というには震えている分ちょっと違うか。


「どっち!?」


「あの、その、こ、こここ」


 怯えきっているせいか半端なくどもった。お上品なくすくす笑いが一斉に上がり、ドーラは服を握りしめて俯いた。


「あらあら、誰もニワトリの真似をしろなんて言っていませんよ、モノルさん」「でもお上手でしたよ、モノルさん」「是非とも別の場所で披露してください、モノルさん」


 嫌味ったらしい奴らだ。ドーラの視線が下がれば下がるほど、イジメている女たちの顎が上がっていく。


「それで、どっちなのかしら」一人が、ドーラの顎を人差し指で持ち上げた。「答えて」


「ち……ち、違います」


「何が? 何がどう違うのか、その可愛らしい口で答えてください」


 あの態勢では逃れられない。ここからじゃ見えないけど、目線だけは逃れようと必死に瞳が泳いでいるはずだ。それが分かっているから、ドーラの顎を持ち上げる女はだらしない笑みを浮かべている。


「わ、私は、け、決して邪魔を、し、していません。そ、その、イ」


「イ!?」


 ドーラの躰が弾かれたように跳ねた。でも、女はドーラの顎から指を離さない。


「あ、あ、遊びを、じゃ、邪魔していません」


「そう。つまりあなたはたまたま転んで、私たちにぶつかった、そういうことですね?」


 ドーラが力強く何度も頷いた。


「そうですか。そういう事情なら仕方ないですね。お怪我はありませんか?」

 言いながらも、ドーラの顎を掴む指に力が入っていく。

「それで先ほどの言葉なんですが、イ、と言いかけたのは何でしたの?」


 震えていた。ドーラの躰だけじゃなく、すっかり蚊帳の外になったイレーンの拳も小刻みに震えている。


「え……あ、あの」


「席に着きなさい」


 大人の女の声が響いた。女の講師に続き、ギゼラも教室に入ってくる。これでイジメは中断だ。ギゼラの姿がある時に派手なイジメは起こらない。


 やがて授業が終わると、珍しくイレーンが視線を俺に寄越して教室を出た。さすがに教室のすぐ傍でする話じゃないだろう。少し離れた人気のない場所でイレーンと落ち合った。


「手は出さないでよ」


「だからしないって。むしろ手出したいのはそっちだろ?」


 図星だからか軽く睨まれた。


「冗談。目立ちたくないのにそんなことするわけないでしょ」


 目立ちたくない、か。何度もその言葉を口にしているけど、何故そこまで目立つのを嫌がるのか。自分の出自を隠しているっていうのが理由にしては嫌がりすぎだ。


「あんなもの一発ぶん殴ったら終わるんだよ。とりあえず鼻殴ってみな? 蜘蛛の子散らして二度と近づいてこないぞ」


 イレーンが溜息をついた。


「呆れた。あれがただのイジメなわけないでしょ」


 イジメなんて可愛いものじゃない。ヘンリクの言葉が脳裏に蘇った。


「だったらなんだよ」


「あれは貴族の派閥争いよ」


 くだらねー。


 あまりにも下らなさすぎて声が出なかった。所詮十五、十六のなんの実績もない子供が、派閥争いだと。おままごとしてるのと変わらねーじゃねーか。


「ビハール家はこの国でも屈指の大貴族なの。派閥の中心は何歳か上の兄で、この学年にはビハール家の人間が二人いる。男女でそれぞれ動いて、女担当があのビハール・ギゼラってわけ」


 ようやくヘンリクの言葉やイレーンの我慢の意味が分かった。


「見せしめか」


「そういうこと。自分たちになびかない人間は見せしめにする。でも一度だけは寛大なところを見せて派閥に引き込もうとするけど、断られればさらに激しく見せしめにする。そうしてビハール兄弟は自分たちの派閥を大きくしてるってわけ」


 イレーンが我慢するわけだ。イジメなら相手が飽きれば終わる可能性があるけど、見せしめなら終わりはない。抵抗するだけ時間の無駄、そう考えるのも無理はない。


「でもお前、隠してるって言っても王族だろ?」


「隠してるから一般人。止めさせる力なんてない。それに今のところ見せしめにされてるのは私だけなんだから、私が我慢すればいいのよ」


 馬鹿だねー、とは言わなかった。俺がどう思うが、イレーンがそれが良いと思って行動している。わざわざ水を差す必要もないだろう。姉のアンドレアに助けを求めれば一発なんだろうけど、それをしないのも含めて、イレーンの好きにすればいい。


「ま、お前を死なせるなとは言われてないけど、死んでもいいなら俺の存在はないわけで。死ぬ手前で助けてやるよ」


「いらない」


「決めるのは俺だ」


 口惜しそうに俺を見てくる。結局、イレーンが弱いのがいけない。強ければ、魔力を制御できていれば、イレーンの傍に俺はいなかったし、王族として学院に入って自分の派閥を作り、望む生活を送れていた。それだけの話だ。力がないなら見せしめにされている時と同じように、黙っているしかない。


「あっ」


 ふと、イレーンが声を洩らした。その視線が俺の後方に向いている。気になって振り返ると、遠くに十人ほどの集まりがあった。一人の生徒が大勢に詰め寄られているみたいだ。


 その一人は、さっきのモノル・ドーラだった。


「目付けられたな、あれは」


 イレーンに眼を戻す。イレーンのその目が見開き、歯を食いしばり、両拳を握りこみ、全身がわなわなと震えている。まさしく溢れ出る感情を力づくで抑えていた。


「力が欲しいか?」


 好機だと思った。イレーンに魔力制御の練習をさせる隙がない。今までそう思っていたけど、なかなかどうして、イレーンは熱いものを持ってるじゃないか。


「結局、大事なのは力だ」


 俺はイレーンの隣に立った。


「貴族が貴族足りえるのは何故か。簡単だ。他の奴らより力があるからだよ。直接使うのが武力と呼ばれ、匂わせるのが権力と呼ばれる。それだけの違いで根っこは一緒。あいつらがしてるのは派閥争い、つまりは権力争いだ。そこに割り込みたいなら力を使えばいい。幸い、お前には人より優れたものがあるだろ?」


 イレーンの莫大な魔力量なら、ちょっと鍛えただけでこの学院に敵はいなくなる。もう少し鍛えれば、この国でも五本の指に入るというアルトゥールですら赤子の手を捻るように勝てるだろう。


「止めたいんだろ、あれを」


 囲まれているドーラを指差した。


「この国で一番強い俺が、鍛えてやるよ。この国の奴らなんて堕落しきってる。暇があればガキ同士でじゃれ合ってる連中だ、直ぐに追い越せる。どうだ?」


 横目でイレーンを流し見る。


「……そうね。そうしようかな」


 やっとだ。


 苦労したけどこれで肩の荷が下りる。早いところイレーンには自分の魔力を制御できるようになってもらい、俺は仲間のいる日の沈む地に帰らせてもらおう。心配はしていないけど、俺が前線に出るだけで被害は天地ほども変わるからな。


「レヴェンテ」


 イレーンが俺に向き直った。


「私に武芸を教えて」


 気付かない間に、俺の耳は腐り落ちたらしい。


「はい?」


「あいつらを懲らしめる為に、私に武芸を叩きこんで」


「……魔術は?」


「それだけは絶対に使わない」


 こいつは正気か? 目は澄み切っているし、胸も自信満々に張っている。多分、正気だ。それとも腐っているのは俺の耳じゃなく、こいつの性根かもしれない。


「断る!」


「なんで?」


「俺は男でも魔術を優先しろって考えだ。男に力で劣る女なんてなおさらだろ。バカ言ってないで魔術鍛えろ、魔術を」


 初めて、イレーンが俺から目を逸らした。


「……魔術だけは無理」


 溜息しか出なかった。


 オロシュハーザ・イレーンは一筋縄ではいかない。俺が日の沈む地に帰れるのは、しばらく先のことになりそうだ。

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