第15話 助け

 教室に入った途端、イレーンが横から蹴られた。


 と言っても小突いたぐらいの威力だ。隠す気のない笑い声が上がり、よこしまなだけで子供っぽい視線が飛んでくる。当のイレーンはぴくりとも表情を変えず、定位置になっている最後列の席に着いた。


 守る気なんてねーからな。俺は面と向かってそうは言わないけど、そもそもイレーンは助けてもらおうとは思ってないだろう。今日も今日とて、授業中にも拘わらず講師の前で堂々と行なわれるイジメにも相変わらずの無反応を貫いている。


 立派なのか腑抜けなのか。やがて授業が終わり、次は男女別の授業が始まる。イレーンのいない授業に出ても仕方ないから、当然俺は自分の授業を抜けてイレーンのいる教室に向かった。窓枠にしがみついて外から教室の様子を覗き見る。


 時と場合に応じた服装、なんていう退屈な内容でも、イレーンは飛んでくるゴミに当たりながらもちゃんと聞いていた。ちょくちょく席を立って直接イレーンを殴ったり蹴ったりする女もいたけど、そんなことはお構いなしで淡々とペンを走らせる。


「いい加減になさい!」


 誰かの大声が聞こえ、俺は自分がうたた寝していたことに気が付いた。我ながら器用なもんだ。既に授業は終わり、講師の姿はない。生徒の視線は一番前の席にいる女に向いていた。


「あなた方は授業中、一体何をしているんですか!? 寄ってたかって一人の子をイジメて、恥ずかしいと思わないんですか!?」


 その女は辺りを見回すけど、誰もが眼を逸らした。女はもう一度視線を巡らせてイレーンに歩み寄る。


「安心して。私がいる限りもう大丈夫です。私はビハール・ギゼラ。あなたの名前は?」


 子供を安心させるような笑みを浮かべている。同じ制服を着ているのになぜか金持ちっぽい雰囲気がある女だ。伸ばした髪が宝石みたいな艶があるせいか、派手気味の化粧のせいか。


 なんにせよ、ここからじゃイレーンの顔は見えないけど、見なくても考えていることはなんとなく分かった。


「……オロシュハーザ・イレーン」


 いかにも余計なことをしてくれたなって声色だった。嫌そうな感じが全面に出ているのに、ギゼラとかいう女は笑みを崩さない。


「オロシュハーザさんね。どうかしら、この後私のお友達と一緒に昼食でも」


「さっきはありがとう。でも、昼は従者と話があるから」


 俺をだしに使うな。イレーンはにべもなく言い放って次の授業の準備をしている。


「まあそう言わず。従者というのは男の方でしょう? 今日ぐらいは主人は主人、従者は従者でお昼を過ごすのも良いと思いません?」


「次が忙しいので」


 言うが早いかイレーンは背を向けて教室を出ようとする。その腕を、ギゼラが掴んだ。


「あっ、つい」

 イレーンの腕を離す。

「ごめんなさい。咄嗟に手が」


「いえ」


「……もう一度お誘いしますが、参加できないということでよろしいですか?」


 不意に、ビハールの笑みが仮面のように見えた。表情にも声音にも変化はない。と思っているうちにも違和感は消え、優しいだけの女に戻った。


「残念ながら」


「そうですか。ではまた機会があればその時に」


 イレーンがそそくさと教室を出る。俺は先回りして移動するイレーンに合流した。

「いいのか、初めての友達ができるかもしれないのに」


 ちらと俺を見て、イレーンは溜息をついた。


「アレと話してるとき、他の声が聞こえた?」


 言われて思い返すと、イレーンとビハールが話している間、教室の生徒全員が貝よりも固く口を閉じていた、ような気がする。


「あの女が首謀者よ」


 ビハールへの態度がやけに冷たいと思っていたけど、そういうことか。首謀者自らがイレーンを食事に誘う。一か月放置された生ゴミよりぷんぷん臭う。


 次の授業はまた男女共同だ。教室に入り定位置に目を向けると、紙屑の山ができていた。一枚取ってみてみると、この紙屑の山は教科書をビリビリに破いたものだと分かった。


「……部屋に置いてたのに」


 イレーンが呟く。持ち運んでいたお蔭で無事だった教科書を持つその手が震えている。紙屑の山を見つめ、息を吐いた。静かに、長く。そして、黙って紙屑の山を片付け始めた。


「……余計なことしないでよ、レヴェンテ」


「しねーよー」

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