秋晴れを見るとき

「…はじめっ」




ばばばばっ。

講師の合図に合わせて、生徒達が一斉に問題用紙を開いた。紙をる音が止んで、表紙のすぐ裏の評論から解く人が多い中、俺はページをめくり続け、漢文の問題までたどり着いた。


今更こんな時期から勉強を始めるんだから、正攻法で挑んでたって負けは見えている。それなら潔く”捨てる”っていうのもアリだと思う。

法則で国語を解くなら、漢文・古文が最適。句形や文法さえ覚えてしまえば、案外国語的要素は薄いと言える。

とりあえず漢文からだ。評論や小説なんかの現代文は、まだ勉強が追いついていない俺にとっては不利だし。


HBの鉛筆をぎゅうっと握りしめ、六角を押しつけて頭を覚醒させる。


”出来ない”かもしれないけど、出来るように”努力する”ことはできるだろ。


マークシートを引き寄せてスタンバイさせてから、問題を読みつつ文章に印をつけていく。それからあとは集中して、あんまり覚えていない。でも感じていた。


野球で、マウンドに立つときの緊張と期待がないまぜになった、あの気持ちを。

確かに足が震えるときもあるし、失敗を怖いと思うこともあるけれど、

あれ、やりきったときは、すごい爽快感なんだ。

それと似た何か、今日は感じれた…かもしれない。






昼休み、コンビニに行った帰りに、とりあえずカフェテリアに行ってみる。

そこは割と大きめの食事スペースになっていて、大小様々な大きさのテーブルと椅子が並べてあった。

でも、そこでご飯を食べなくてはいけないという決まりがあるわけではなくて、別に教室の机で食べる人もたくさんいるから、彼女がいる可能性は五分五分ってところだ。かく言う俺も、ちょっと前までは外のベンチで食事をとっていた。


だからいたらラッキーって具合でいるべき。だけど俺の目は、気づかない間に本気になって彼女を探している。


カフェテリアを端っこから眺めて、

集団で座っている大きなテーブル、

1人で黙々と参考書を見ている窓際の個別スペース、

2人用の小さな丸いテーブル…、

それらをひとつひとつ確かめていると、2人用のスペースの隅に、ほとんど観葉植物に隠れるような形で座っているその人が目に入った。


いた。


今現在、テストの出来自体は最悪なのに、少し晴れやかな気分になる。それでも、にこにこしていい時じゃないから、なるべく何も感じてない風を装って、俺は彼女に声をかけた。




「お疲れ様っす」

「お疲れ様です」


下を向いていた鈴野さんははっと顔を上げた。

窓際の席だということもあり、秋晴れに照らされて、その顔色は、以前より少し良くなったように見える。驚いた表情のあとに、少しだけ笑ってくれた。

珍しく参考書を見ることも無く、粛々とお弁当をつついていたみたいだ。

「一緒に食べてもいいですか?」

「はい」

そう言っていそいそと、椅子にのせていた自分のリュックを下に移動させる鈴野さんは、空気に紛れるくらいの小ささでそっと声を出した。




「調子、いいです。」




「へ?」

いきなりのことでびっくりした。鈴野さんから話しかけてくるなんて。

でも、その内容は、ここ最近聞いた中では一番ポジティブで、こっちも少し嬉しくなる。下を向いてはいるけど、ほんのり笑っているその姿は、どうしてか俺を安心させた。

鈴野さんが食事を再開したから、俺もコンビニの袋からサラダスパゲッティを取り出して、サラダチキンと一緒に食べる。

しばらく静かに食べていたけど、ふいに鈴野さんが顔を上げて俺を見た。



「この前…東くんがお話してくれてから、私、考えたんです。

自分が本当は、どんな道に進みたかったのか。」

「はい。」

「色々考えました。

学部学科・土地・制度・特色とか、全部の要素を考慮して…なんて考えていたんですけど、気づいたんです。

あの雨の日、東くんに啖呵を切ったけど、

私にも、あんまり希望がないことに。」



どういう反応をすればいいか分からなかった。鈴野さんが、そのことに対してどんな気持ちなのかが読めなかったから。

そのまま彼女の顔を伺う。


下を向いてるけど、その口角はほんの少し上がっていて、何かに納得するように、何度も頷いていた。

そして俺を見る。

その表情は晴れやかで、とても活力があったし、何より綺麗だった。


「だから、できるだけレベルの高いところを目指します。

私のやりたいことが決まったときに、それを手助けできるようなスキルを身につけておきたいから。」


めちゃくちゃいい。

お世辞抜きで、その考えはとてもいいと思った。

結局、志望校は変わらないということだろう。でも、心持ちが違う。

元々、弱い自分を変えようと思って大学を目指していたけど、もう鈴野さんは、弱い自分を抑え込むんじゃなくて、共存することを選んだんだ、きっと。

希望がない自分も受け止めて、ちゃんと消化して、”それでもいい”と、自分を認めたんだ。


「そう思って今日の模試、受けてたんです。

そうしたら、いつもより調子がよくて…。

結果が出るまで分からないですけど、もしかしたら、判定が上がってるかもしれないです。」




「そうですか…」

これが、悩み抜いた末の、鈴野さんなりの”選択”なんだろう。

考えてみれば、まだ18年しか生きてない俺達に選ばせるには、かなり難しい選択だ。

確かに今は、方向性が決まっていい気持ちかもしれないけど、将来、いや、たった1いちにち2ふつかで、その選択が自分の首を絞めることだってあるかもしれない。


だけど、俺達は高校生だから。

大人みたいに、合理的な判断ができるとは限らない。それでも、まだ限界を知らないから、がむしゃらに頑張ったって『損した』とは思わない。

やれるとこまでやろう。それからあとは、そのときに考えればいい。




「東くんは、どうするんですか?」






「俺は…

とりあえず、やれるとこまでします。

目標は…鈴野さん、です。」






「え?」

「鈴野さんと同じとこ受けられるように、今からじゃ遅いかもしれないけど、

とりあえず頑張ります。」


身を乗り出した仕草が面白くて、俺は肩をすくめて笑った。

「東くん、

だってこの前のテスト、貼り出されてたのって…」

「あれ見てたんですか?

そこをつつかれると痛いですけど…、


まぁ、結果的に無理でも、とりあえず上を目指しとけば、今より実力はつくんで。

でも初めっからそこを予測してやりはしませんよ。

目指すは鈴野さん、です。」




見切り発車と笑われてもいい。絶対無理だって、すでに親にも担任にも講師にも言われた。

でも目指すことだけはタダだし、自分にしか出来ない。誰にも制限できない。

それに、俺にはまだできていないことがある。




「合格した暁には、鈴野さんに言いたいことがあるんで、そのために頑張ります。」




この前…本当は”大切な人”じゃなくて、”好きな人”って言おうとした。だけど言えなかった。自分の中でストップがかかった。

多分、今はまだそのときじゃない。鈴野さんの隣に並べるような男になれていない。

だから、自分でも自分が”頑張った”と思えるくらい…鈴野さん以上に頑張ったと思えるくらいになったら、言おうと思う。

これは俺と俺に否定的な人達の賭けであると同時に、俺と俺の駆けでもある。

言えるか、言えないか?それは、今後の俺にかかってる。




「言いたいこと…?って何ですか?」

「それ今言っちゃったら意味ないですよ」

「そうか、…そうですね。」

こういうの告白フラグっていうんだっけ、気づかれたかな、なんて気を揉んでいたこっちが恥ずかしくなるくらい、気の抜けたことを言われた。

鈴野さん、意外に抜けてるところもあるんですね…。


「じゃあ、気になるので、絶対に合格してください。」

「はい。」


あーあ、はいって言っちゃった。これでもう逃げられない。これからは四六時中勉強に齧り付かないと。

それでも、どこか満足している自分がいた。本来の感覚、というか何というか。

ようやく居場所を見つけられた、そんな安心感かもしれない。






予鈴が鳴り響いて、次のテストまであと10分ということを知らせる。

俺達は荷物をまとめて立ち上がり、向き合った。

「じゃあ、また。」

「はい、また。」

そうして俺達は、真逆の教室へと歩き出す。

鈴野さんは最高レベルの、俺は最低レベルのクラスへ。

どこまでこの差を埋められるだろう。前はげんなりしていたこの成績順の制度が、今ではレベルアップのゲームに思える。






何もかもうまくいくなんて、そんな虫のいい話はない。

だけど、あの雨の日、ぶつかって本音を言い合って、

月の綺麗なあの日に、ちゃんと仲直りできたから、

またもう一回、同じように、難しいと思ってる何かを出来るかもしれないと思える。


弱い自分でも、立ち上がれる気がする。


その立ち向かい方を教えてくれたのは、紛れもない鈴野さんだ。

この出来事を通して、もっと好きになった。鈴野さんの、色んな”ありのまま”も、努力も本音も知れた。


今はまだ、心の中に葉月がいるかもしれない。

だけど、少しずつ、俺がいるスペースも増やせたら。俺のことを、少しでも好きになってくれたら。


そうなってもらえるように、今は、目の前のことを全力で頑張ろう。

頑張ってる姿は、鈴野さんがそうであるように、何よりも格好いいから。






机に着いたら、鉛筆の芯を確かめて、削り、消しゴムとともに置く。

今度は苦手教科の英語だ。

でも、1点でも、この前より稼げたら、伸びしろがあるってことだから。


5分前の予鈴が鳴って、問題用紙を持った講師が教室に入ってくる。その姿を見て、俺はそっと深呼吸した。






試合開始だ。

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【加筆修正版】夏のいなずま-the autumn rain- on @non-my-yell0914

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