緋紅と絵画の交わる先は
どうやら、緋紅はあの後、紫苑の家まで運び込まれたらしい。
先程までは気が付かなかったが、濡れた服を着せたままにするわけにはいかないと、緋紅に服を貸してくれていたようだ。血が滲んでいた手の甲も、きちんと手当がされている。
随分と短くなってしまった髪だけはどうすることも出来ないため、また今度、美容院にでも行くことにした。
紫苑の家へ帰ると、玄関で心配そうに眉を顰めていた紫苑の母親から説教を受けた。冷泉桔梗という名からして、どことなく気難しそうな先入観があったのだが、全くもってそんなことはなく、そこにはただ、息子の身を案じる優しき母の姿があった。
充分すぎるほど紫苑を叱り終わった後の桔梗は、緋紅へと視線を移す。
「はじめまして、緋紅ちゃん。息子から事情は伺っているわ。今回は、紫苑のせいで貴方を危険に晒すことになってしまって、本当にごめんなさい」
「い、いえ、冷泉くんは何も悪くないんです。もともと、あの人達は私のことを良く思っていませんでしたし……」
毅然とした態度で謝罪を繰り返す桔梗に、緋紅は萎縮する。
「それでも、以前までは被害が減っていたのでしょう?火に油を注いだことに変わりはないわ」
「母さんの言う通りだ。緋紅があいつらに巻き込まれていることに俺がもっと早く気が付いてたら、お前はこんな目に遭わなかった」
容赦のない桔梗の言葉に少し落ち込んだ様子を見せた紫苑だったが、今度は悔しそうに唇を噛みしめ、俯いてしまった。
「まずは、緋紅ちゃんのご家族にもきちんと謝罪しないといけないから、もしよければ、連絡先を……」
「だ、駄目です!」
家族、という単語を聞いた瞬間、緋紅が強い拒絶を示した。それを見た桔梗は、緋紅が親に責められるのを怖がっているのだと捉えたらしく、優しく諭すように声を掛ける。
「大丈夫、緋紅ちゃんは何も悪くないのよ。それに、これは貴方達だけの問題じゃないの。だから、安心して大人に任せてほしいの」
「それは分かってるんです、すみません。でも、本当にそれだけは無理なんです!」
そう言いながら、緋紅は二人の視線から逃れるように俯いて視線を逸らす。その様子を見た紫苑は、少し考えるような素振りを見せた後、スマホを片手に椅子から立ち上がる。
「母さん、ちょっと行ってくる」
「え、ええ。行ってらっしゃい……?」
突然のことに訝しむ桔梗に背を向け、紫苑は玄関へ向かう。少しすると、外から車のエンジンを掛ける音が聞こえてきたため、何か緋紅のためになるようなものでも買いに行ったのだろうか。
何かに怯えているように震える緋紅の背中を擦りながら、桔梗は熟考する。
この話が両親まで行くことを拒むのであれば、虐待という言葉が真っ先に浮かんだが、彼女の着替えや傷の手当てを行ったとき、打撲痕などの傷跡は一切見受けられなかった。
精神的なもの、という可能性も捨てきれないわけではないが、それは何となく違うような気がする。となると、緋紅はいったい何に怖がっているのだろうか。考えても、正解らしき結論にも辿り着くことが出来ない。ならば、今、桔梗に出来ることは__、
「ねえ、緋紅ちゃん。この絵、素敵だと思わない?」
部屋の奥に飾られていた絵画を壁から外す。確か、彼女は美術学科だと紫苑が言っていたはずだ。桔梗が数年前に購入したお気に入りの絵を、緋紅も気に入ってくれるかもしれない。
桔梗はそう思いながら、彼女の目の前に絵画を掲げた。途端、瞳紅の瞳が大きく見開かれる。その変化に気が付かない桔梗は、懐かしさを隠しきれないような様子で生き生きと話し始めた。
「この絵は、数年前にとある画家から購入したものなのよ。納品された直後に事故で亡くなってしまったのだけど、生きていれば、ちょうど貴方達と同じくらいの年齢だったと……」
「あ、あの……冷泉くんのお母様」
「ふふっ、桔梗でいいわよ」
「では、桔梗さん。その、とある画家の名前を覚えてらっしゃいますか?」
「名前?ああ、何だったかしら。ええっと……」
全体的に明色で描かれた絵画。花畑で二人の子供が花冠を作って遊んでいる様子が描かれている。顔立ちが少し似ているので、この女の子達は姉妹なのだろうか。構図としてはありふれた物だが、不思議と目が惹かれる。
桔梗は、その子供達の瞳の色に目が引き寄せられる。本当に、いつ見ても綺麗な色だ。妹のような子は、明るく澄んだ秋空のような蒼色。そして、姉のような子は、若干青みを含んで紫がかる濃く明るい紅色。
そう、それはまるで、緋紅色のような__、
「そうそう!確か、『緋紅』という名前だったわよ」
「……」
「あら、そういえば緋紅ちゃんと同じ名前ね?すごい偶然……」
「…お、ねえ……ちゃ……?」
「え、ちょっと、どうしたの!?」
絵画に夢中になっていた桔梗は緋紅の方へ視線を移し、彼女の頬を伝う涙を見るなり、慌てた声を上げる。緋紅が目を閉じると、その拍子に涙が一粒床を濡らす。
___ばたんっ!
静かに流れていた涙がやがて嗚咽に変わり始めた時、玄関からリビングへ繋がる扉が大きな音を立てて開かれた。そこにあったのは、紫苑と千草の姿だった。
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