緋紅と幻想の交わる先は

 とある、夢を見ていた。幸せな、夢を。


 幸せだったからこそ、これは夢だと思った。


 姉が、抱えていた大きなキャンバスをこちらに見せてくる。よく描けてるでしょう?そう嬉しそうに笑うから、素直に頷いた。お世辞でも何でもなく、本当に素敵な絵だと思ったから。


『こっちは、お父さんとお母さん。真ん中がわたしで、その横が、〇〇だよ!』


 一部だけ、ノイズがかかって聞こえないところがある。けれど、そこに何という言葉が入るのか、私は知っている。


 仲睦まじい家族が描かれたその絵は、幼い少女が描いたものらしく拙い絵だったけれど、暖かくて、幸せに溢れていた。


 彼女の想いが込められているのがよく分かるから、お姉ちゃんの絵が好きだった。彼女に包み込まれるように抱きしめられ、幸せで仕方がなかった。


 ___だからこそ、これは夢だった。


 気付けば、姉はいなくなっていた。何かが足を這う感覚に下を向けば、こちらを見上げる小さな影があった。


『どうして〇〇だけ生きてるのよ』


 生きたいわけじゃない。生きたかったわけじゃない。逆に、問い詰めたかった。どうしてあのとき、私を庇ってくれたのか。


『わたしと交わした約束、もう忘れちゃったの?』


 そんなわけない。忘れるはずがない。彼女から何もかも奪ってしまってから、己の罪を償うためだけに生きてきた。お姉ちゃんとの約束を果たすためだけに、嫌いな絵だって描いてきた。


『〇〇なんて、いなければよかったのに。〇〇さえいなければ、お父さんもお母さんも、わたしのことだけ見てくれて、幸せだったのに』


 呼吸が、止まった。俯いていた顔を上げると、黒髪と紅眼が特徴的な少女が視界に入る。勝手に早まる鼓動が煩くて、いっそのこと止まってくれればいいのにと思った。


『素敵な人ね。〇〇のこと、信じてくれてる。〇〇の絵で救われたって、〇〇のことが好きだって、言ってくれてる。なのに、〇〇は嘘ばっかり』


『本当のことも話せないなら、恋人になんてなれないのに。私達のこと見捨てて、王子様の優しさを利用して。……ねえ、一人だけ幸せになんて、そんなことしないわよね?』


 耳を塞ぐ。違う、彼女はそんなこと言わない。分かってる、分かってるのに、きっと誰よりも私自身が思ってる言葉だから、止まってくれやしないのだ。そんな権利、あるわけがないから。


『__ああ、本当に酷いな。〇〇』


 それは、普段の彼からは想像できないほど冷徹で、嫌悪感を顕にした声だった。


『俺に、そんなことを隠してたのか。お前のことを信じていたのに、本当は裏切ってたんだな』


 違う、違う!裏切ってなんかない!私は、ずっと貴方を……あれ、でも、隠してたのは本当だ。騙してた。なら私は、裏切っていたのか。


『愛してたのに。ずっと、俺を利用してたんだな』


 やめて。愛していただなんて、そんな、過去だったかのような言葉、聞きたくない。なのに、耳を塞いでも、大好きな声が私を責め立ててやまない。


『〇〇、見ろ』


 身体が勝手に従って、顔を上げた。ヒュっと引き攣った音が喉から零れる。身体から大量の水を滴らせながら、寒さに凍えた彼が、そこにいた。


『酷いだろ?お前がやったんだよ。ああ、寒い。寒くてたまらない。風邪を引いて、コンクールが台無しになったらどうしよう。指が凍って動かなくなったら、もうピアノを弾くことさえできねえな。__全部、お前のせいだ』


 苦痛に歪む、端正な顔。紛れもなく、私が苦しめた。私が傷つけた。私を見てくれた彼を、私を認めてくれた彼を。


 ああ__私に幸せになる権利なんてないじゃないか。そもそもそんな価値なんて無いけれど。意識が朧気になっていく。暗くなる視界に映ったのは、こちらを見下ろす冷たい彼だった。

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