紫苑と人鳥の交わる先は


「今日は楽しかったわ。誘ってくれて、どうもありがとう」


 結局、あれから閉館時間ギリギリまで水族館を満喫し、適当に土産屋を物色してから、紫苑達は帰路についた。先程まで居た館内とは打って変わって、茹だるような暑さが二人を包んでいる。


「おう。まあ、たまにはいいかもな」


 千草への土産を片手の袋に収めた紫苑に対し、緋紅の腕には、彼女を覆い隠すほど大きなペンギンのぬいぐるみが抱かれていた。


『冷泉くん』


 紫苑がそう呼び止められたのは、土産屋でのことだ。緋紅の視線を辿れば、そこにはぬいぐるみが入れられたUFOキャッチャーが設置してあった。


『欲しいなら、やって来たらどうだ?』


 紫苑がそう言うや否や、かなり大きいこのペンギンのぬいぐるみを、彼女はたった数回で取ってきたのだ。


「明日は午後からしか、旧校舎は使えないわ」


「そうか。じゃあ、また明日な」


「あ、待ってちょうだい」


 明日の予定を確認する緋紅にひらりと手を振れば、そう不意に呼び止められた。進みかけた足を止め、再び彼女に向き合えば、突然目の前にぬいぐるみを差し出される。


「ほら、冷泉くん」


「……は?」


「千草さんへのお土産に、渡しておいてくれるかしら」


 開いた口が塞がらない紫苑を他所に、私はなかなかお会いできないから、と付け加えつつ、緋紅は半ば無理やりぬいぐるみを紫苑に握らせてきた。ペンギンは、のほほんと幸せそうな顔でこちらを見ていた。


 紫苑は思考を動かす。ここから自宅まで、急いでも十分はかかるのだ。都会の真ん中で人通りも多い。そんな中、これを抱えて持って帰れ、と?


 ふと、ペンギンを取った直後、店員に声を掛けられていた時の彼女の言葉が思い返される。


『いえ、袋は大丈夫です』


 あとは帰るだけだし、邪魔になることもないだろうと、特に咎めはしなかったが、こうなるなら別だ。というか、もともと緋紅は紫苑に渡すつもりだったのではないか。こんなに可愛らしいぬいぐるみを抱いて帰れるような紫苑では無いことを、分かっているのかもしれない。


 だとしたら、これはわざとなのか。どうしてまた、そんなことを。そこまで考えた時、緋紅の怒ったような顔が頭に浮かんだ。


 もしかしてこいつ、あのとき押したことを根に持ってんじゃねえか?


 そう思うも、すぐさま心の中で首を横に振る。いやいや、まさか。彼女に限ってそんなことは。


「……緋紅」


 恐る恐る呼びかけてみれば、どこか楽しげな表情を浮かべた彼女がこちらを見た。そのまま、緋紅は紫苑に背を向ける。


「じゃあね、冷泉くん」


 前言撤回。絶対に確信犯だ。


「あ、おい、ちょっと待て!」


 焦ったような紫苑の呼び掛けも虚しく、その背中は人混みに消えていってしまう。


「あいつ……!」


 とは言え、発端は他でも無い紫苑である。燻る感情をどうすることも出来ずに、残された紫苑はそのふわふわの塊をありったけの力で握りしめた。


 その後、周囲に見られながら早足で行く一人きりの帰り道から、運悪く玄関で鉢合わせた母親たる冷泉桔梗に爆笑されるまで、紫苑の腕の中、ペンギンのぬいぐるみはのんびりと笑っていたのだった。

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