第十九節 君の本当の勘違い(アイカナ視点)
わたしは兄ちゃの妹。
最初からそうだったわけじゃない。
兄ちゃがわたしを拾ってくれた。
何の得も無いのに。
苦労が増えるだけなのに。
ひとりぼっちのわたしを、兄ちゃが拾って家族にしてくれて、わたしはそれから、ひとりぼっちじゃなくなった。
兄ちゃがわたしの全て。
兄ちゃの幸せがわたしの幸せ。
兄ちゃの願いがわたしの願い。
世界より、人類より、兄ちゃのが大事。
兄ちゃがわたしの幸せを願ってくれてるから、わたしの願いも、わたしが幸せになること。わたしの幸せは兄ちゃとずっと一緒に居ること。
だから毎日、わたしの願いは叶い続けてる。
わたしはずっと幸せだ。
よく分からないまま、兄ちゃと一緒に学校に入った。兄ちゃの髪はいつの間にか二色になってた。
兄ちゃが夜の髪。
わたしが夕の髪。
どっちも空の色。
ちょっとだけおそろい。
なんだか嬉しい。
「兄ちゃ、おそろい、おそろいだよ」
「お揃いだねぇ。仲良し兄妹の証だ」
嬉しかった。
わたしは色んなことがよく分からなかったけど、兄ちゃの言いつけだけは全部憶えた。
兄ちゃの言ってることをちゃんと憶えて、ちゃんと考えて動いたら、それで上手く行けた。
わたしが頑張って、それが兄ちゃの役に立てたことが、嬉しかった。
「兄ちゃ、抱きしめていい?」
「いつでもおいで。大好きな妹のお願いを断るようじゃ、お兄ちゃん失格だからね」
兄ちゃが大好き。
兄ちゃを愛してる。
兄ちゃに全部の気持ちを向けてる。
そのくらい大好き。
わたしには兄ちゃさえ居ればいい。
でも本当は、兄ちゃを幸せにしたい。
想像しただけで泣きそうなくらい辛いけど、兄ちゃが幸せになれるなら、わたしと兄ちゃが離れ離れになったっていい。
兄ちゃが大好き。
だから幸せになってほしい。
わたしの幸せが兄ちゃの幸せだって言うけど、兄ちゃには色んな幸せを、たくさんの幸せを味わってもらって、世界で一番幸せな人になってほしい。
世界で一番好きな人だから、世界で一番幸せになってほしい。
それが、わたしの今の願い。
兄ちゃが大好き。ずっと大好き。
「兄ちゃは、わたしのこと好き?」
「ああ、大好きだよ! 家族なんだから。アイカナのことを愛してないわけないじゃないか」
「えへへ」
こんなやり取りをしてるだけで、わたしはずっと、ずっと幸せ。
兄ちゃが死んだ。
賭けに負けた兄ちゃが死んだ。
チニルって魔族に殺された。
準備が全然足りてなかった。
兄ちゃは全力を尽くしたけど足りなかった。
最後はわたしが人質にされて動けなくされて、わたしのせいで兄ちゃは殺された。
「逃げろ、アイカナ!」
わたしは兄ちゃの言いつけ通りに逃げたけど、兄ちゃが居ない世界でわたしはどう生きるんだろ。
わたしは今、何を考えてるんだろう。
何を思ってるんだろう。
何を感じてるんだろう。
何を?
何を?
何を?
わたし、空っぽだ。
兄ちゃが居ないと、わたし、空っぽだ。
何も思えない。
何もできない。
何も無い。
何も。
何も。
兄ちゃがわたしの全て。
兄ちゃが死んだら、わたしには何も無い。
兄ちゃの幸せがわたしの幸せだから、兄ちゃが居なくなったら、わたしは幸せになれない。
「おやおや、暗い顔をしたお嬢さんだねえ」
ぼーっとしていたら、知らないおじさんが居た。黒い髪と、金の髪の、二色のおじさん。
「ふむふむ? なるほどねぇ。こりゃあひどい……気まぐれにでも記憶の読み込みなんてするもんじゃぁないなぁ……放っておけなくなってしまった。どうかね、『朝焼』の
わたしは、希望と出会った。
一度きりの希望と。
わたしの髪は最初、外が橙、内が赤の『朝焼』だった。夜から昼に移り変わる瞬間を写した、空の化身のような髪。
兄ちゃが死んでしまってから、それは外が赤、内が橙の『夕焼』に変わった。
わたしはそれが嫌だった。
『もう終わってる』と告げられているようで嫌だった。
朝焼けの色は始まりの色でも、夕焼けの色は終わりの色だから、嫌だった。
でも本当は、それだけが希望だった。
「それは君だけの特権なのさ。
わたしだけの特権。
胸の奥が奮えた。
わたしだけが使える力が、兄ちゃの命を助けられる。兄ちゃを今からでも助けられる。
また、兄ちゃに会える。
嬉しくて、泣いて、泣いて、泣いてしまって、おじさんをずっと困らせてしまった。
「ようやく泣き止んでくれたかい。いやはや、泣くレディには敵わないものだ……っと、繰り返しになるけど、君が時間を遡行できるのは一度だけだ。遡行した後、時間の辻褄合わせによって、君は生まれた瞬間から『夕焼』の
だから、『朝焼』の
わたしも、そうなる。
「ただし、1つだけ問題がある。アイカナ嬢は時間を遡って、時間を変えて、時間を塗り潰して、兄を救うことになる。つまり君は、時間と力勝負をすることになるわけだね」
「うん」
「時間を遡る時、君は1つ、何か代償を捧げることができる。代償と言うと少し正しくないかな? 君の髪に宿る夕焼の炎に何かを焚べて、君自身のエネルギーを増やすことができるんだ」
「代償……」
「君が焚べたものが、君にとって大事なものであればあるほど、遡行する君の力は強くなる。君の兄が助かる可能性はより高くなり、君の魔法の力も高まって……たとえば全身の炎精霊化のような超高等魔法も使えるようになるかもしれない」
わたしは迷わなかった。
わたしにとって一番大切な人は決まっていた。
だからこそある大切な気持ちがあった。
それを天秤に乗せればいいだけだった。
「わたしは、兄ちゃが好き」
「微笑ましい家族愛だね」
「異性としても好き」
「……そう来たか」
「わたしは兄ちゃにこの本心を伝えにぁい。兄ちゃに想いを教えにぁい。わたしの本当の気持ちを兄ちゃには見せにぁい。だから兄ちゃとは結ばれにぁい。これがわたしの払う代償。わたしにとって、本当に重くて大きにゃ代償として、これを焚べる」
「……」
おじさんは、少しの間だけ黙っていた。
「その代償は、君が思っている以上に重いよ。しかも遅効性だ。君が兄と過ごす時間が長ければ長いほど、君が兄を好きでいればいるほど、苦痛は積み重なり、重く苦しくなっていくんだよ」
「分かってる。分かってるから、重い代償ににゃる。重い代償だから力ににゃる。そうしたら、兄ちゃを絶対助けられる力ににぁるはず」
「……」
「兄ちゃの幸せが、わたしの幸せだよ」
この世で一番大好きだ、って、胸を張って言える人が出来た。
それだけできっと、わたしは恵まれてる。
それ以上望んだら、きっとバチが当たる。
「君くらい若いと分からないだろうけどね、夕焼けとは『過去を振り返る』ことの象徴なんだよ。子供の頃を思い返して描く画に、古い時代を振り返って描く画に、夕焼けは『郷愁』の象徴として度々登場する。過去を振り返る瞬間、そこに夕焼けがあると、人は訳もなく泣きたくなるんだ……ワタシもなんだか、今は少し、泣きたい気分かな」
おじさんの言うことは、半分くらいは分かったけど、半分くらいは分からなかった。
「やっぱ分かんないかぁ。アイカナ嬢、君相当に幼く見えるけど何歳だい?」
「13」
「思ったより更に幼かった……こんな幼い子が友達も唯一の家族も皆殺されて、涙を流して心を壊しかけてるとか……それでこんな代償を支払って……あっちゃならないことだろう……だからこんな世界に関わるのは嫌なんだ……」
おじさんの言うことは半分くらい分からなかったけど、おじさんがわたしのことをずっと気遣ってくれてたのは、なんとなく分かってた。
「おじさんは、にぁんて人にぁの?」
「おじさんの名前なんか聞いてどうするのさ」
「時間を遡って、そこでおじさんを探して、時間を
「……ふふ。愉快で優しいお嬢さんだ」
おじさんは何回か気難しそうな顔をしてたけど、別れる前くらいからずっと笑ってた。
皆笑顔で居られたらいいよね。
兄ちゃもそう言ってた。
だからわたしは、兄ちゃを笑顔にしに行くよ。
「ワタシは二代目聖王、ノヴィアル・ヴォラピュク。人類が滅びようがどうでもいいし、世界が崩壊しようがどうでもいい。父は嫌いだし人間も嫌い、だけど可愛い女の子は大好き。そんなおじさんさ」
ありがと。おじさん。
「さあ、行きなさい。人類の未来なんてどうでもいいが、君の幸福な未来のために必要なら、まあ、しばらくは残っておくべきなんじゃないかな、人類も。ワタシは知っちゃこっちゃないけども」
おじさんは何か言ってたけども。
「一見転生に成功したように見えて転生に失敗した魔皇は、どうせもう正気には戻れないだろうしね……先の無い魔族よりは、人類が残った方が良い」
最後の方は、聞こえなかった。
二周目、わたしは、兄ちゃが初代聖王から身体を取り戻したところの少し後、3ヶ月ぶりに兄ちゃと再会した少し後くらいまで、時間を遡った。
3ヶ月のわたしの成長と、わたしが時間遡行したことで生まれたわたしの変化が混ざって、兄ちゃにバレることはなかった。
少しだけ大人っぽくなったと言われた。
ちょっとだけ、嬉しかった。
一周目、わたしは兄ちゃしか見てなかった。
だから兄ちゃしか憶えてない。
二周目、わたしは兄ちゃが見てるものを一緒に見ていこうと思った。
だから、兄ちゃと同じ景色を見て、同じ人を見て、同じ記憶を刻んでいける。
人生を二周してようやく、わたしは兄ちゃと並んで歩くことができるようになった。
一周目、どのくらい兄ちゃが周りを見ていたのか、どのくらい周りの人を気遣ってたのか、どのくらいわたしを見てくれていたのか、二周目になってようやく分かった。
一周目の私が、兄ちゃの役に立ってるつもりで、どれだけ兄ちゃにおんぶにだっこだったかも分かった。とってもとっても恥ずかしかった。
兄ちゃはいい人だ。
わたしなんかよりもずっと。
だからわたしを疑わない。
わたしが隠し事をしていると思わない。
わたしが嘘をついても気付かない。
わたしはずっと、兄ちゃを勘違いさせてる。
兄ちゃはいい子な妹だと勘違いしてる。
わたしはもういい子じゃない。
だってわたしは、兄ちゃが幸せになれるなら、そのためなら、兄ちゃだって否定できる。
もう、悪い子になっちゃってる。
兄ちゃが好きないい子じゃない。
いつか、どこかで、その選択のせいで兄ちゃに嫌われるとしても、その選択で兄ちゃの未来が幸福になるなら、わたしはその選択を選べる。
たとえ、兄ちゃの敵になっても。
わたしは兄ちゃを守りたいし、救いたい。
兄ちゃが地獄に落ちるなんて許さない。絶対。
兄ちゃを殺した運命の日、運命の相手、流星魔天チニルを突破した。
私が時間を遡った一番の理由を乗り越えた。
仲間も多い。
備えも多い。
わたしも一周目より強い。
ちょっとだけ、ほっとした。
だから1度だけ、ズルをしようと思った。
一周目、わたしのせいで兄ちゃは死んだ。
わたしが人質に取られたから。
だから確認したかった。
兄ちゃの心を。
あの時、どんな気持ちだったかを。
時間を遡って事実は消えた。
兄ちゃの死は無かったことになった。
でも事実は消えても記憶は消えない。
わたしはずっと記憶したまま。
憶えてる。
忘れない。
兄ちゃの流れる血。
飛び散る肉。
どんどん温度が無くなってく動かない顔。
大好きだった人。
大好きだった人だった死体。
全てが失われる絶望の苦しみ。
「兄ちゃ、兄ちゃ、わたしがわるーい人に人質に取られて降参しろって言われたら、兄ちゃはどうするにぉ? 降参しちゃう?」
「しちゃうなぁ」
うん。この人は、こういう人だ。
「わたしが降参しにゃいでって言っても? 私のお
「うーん……少し考えるかもしれないけど、悩まないかな。降参するよ。天秤の片方にアイカナが乗ってるなら、僕はきっと迷わないと思う」
ああ。
本当は、こういう答えが聞きたかったわけじゃなかったのに。
本当は、こういう答えしか返って来ないって、分かってて聞いてたのに。
泣いてしまいそう。
大好き。大好き。大好き。
わたしは兄ちゃが大好きだから、兄ちゃに見捨ててほしいのに、そう答えてほしかったのに、兄ちゃがこう答えると分かってたくせに、こんなことを聞いて、わたしは、わたしは、わたしは。
「兄ちゃは、無敵の聖王さまを演じて、世界を救わにぁくちゃいけにゃいのに……」
「ごめんね、アイカナ。僕は君が人質に取られたら、世界の未来なんて全部投げ捨てて、君を殺さないでくれと敵にすがりつくよ。君の願いを足蹴にしてでも、君を助けたい。だって……この世に2人きりの家族じゃないか」
本当に、好きで、好きで、好きだから。
だから。
ずっと傍に居て、この人を守りたい。
「わたしのせいで兄ちゃが死んじゃったら、わたしはやだよ……絶対やだよ……」
「アイカナのせいじゃない。アイカナのためだ。その2つの間には、とても広い距離があるんだよ。アイカナのために戦うことは、僕の願いなんだ。……それはそれとして、アイカナが悲しむから、絶対に死ねないなとは思ってるけどね?」
わたしの幸せを一番に願ってる、この人のその願いを足蹴にしてでも、この人を、幸せにしたい。
「アイカナが人質にならなければ僕もアイカナも犠牲にならない。いっちょこれでどうだろう?」
「うん。そうにゃらにゃいように、わたしももっと強くにゃるよ」
「僕も強くならないとなぁ」
「わたしが強くなって兄ちゃを守るから、大丈夫だよ!」
わたしはこの人が大好きだ。
わたしはこの人を愛してる。
この人が、わたしの全て。
だから願う。
わたしの兄ちゃが、幸せになれますように。
ずっとずっと、幸せでありますように。
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