第二節 迷惑聖王(主人公視点)
エスペラント・ヴォラピュク。
初代聖王。
月天の聖王。
夜と月の『
魔皇討滅者。
彼はそう呼ばれている。
「ええと、つまり……エスペラント様は前世で……本みたいなものでこの世界を見ていらしたところ、不慮の事故で死に至り、その後に気付くと初代聖王エスペラントとして転生していた。そして未来の……僕らの時代の、『本編』? にも力を貸すために転生法なるものを使って、魂だけになってこの地に千年留まり、転生したつもりで僕の身体に憑依して、好き勝手やっていたと?」
「そう、そゆことだね。千年ほど君達を見守りながら、この世にしがみついておったのだよ」
「2回死んでるせいでだいぶややこしいですね」
「それは我も思うわ」
「穏便の正反対の状況だ……」
僕は眉間を揉んだ。
情報量。情報量が多すぎる。
ここがどこかは分かった。ここは僕の精神世界だ。僕の心の内側にあり、本来は僕だけのものであるはずのここに、初代聖王様が入り込んでいるため、会話が成立しているんだ。
それは分かるんだけども、情報量が多すぎる。
「その……『本編』というのに、何故初代様の助力が必要だったんですか?」
「たぶんだけどね、世界滅ぶんよな」
「だいぶ大味な危機感を煽ってくる……!」
僕は頭を抱えた。
いけない。
これは確実に僕の手に負えない事態に巻き込まれてる。かなりヤバいぞ。
「何故、世界は滅ぶんですか……?」
「アルダくん、主人公ってのは分かる?」
「ええ、まあ。伝承や創作の書籍におけるエスペラント様みたいなものですよね。物語の中心であり牽引役である人間と解釈してます」
「オッホ、主人公扱いされるの我めっちゃ気持ち良……こほん。この世界にはさ、主人公が存在するわけよ。それも、プレイヤーが選べる……この言い方が伝わらないな……最初のページに目次があって、読む人が選んだ人間がその本の主人公になるようになってたんだね」
「えっすごっ……あ、あの、エスペラント様、一冊貰えませんか? そういうのあると妹が喜ぶと思うんです。このへん年頃の女の子を楽しませられる娯楽がなくて、そのへんどうにかしたくて……」
突然、エスペラント様が苦笑した。微笑ましいものを見るような目でこちらを見ている。なんだその目は。こちとらあんたの被害者だぞ。道徳的優位にあるんだぞ。
「……残念だけど我が知る限り、この世界に持ち込む方法はないんじゃないかって思うねえ」
「……そうですか」
「すまないね。我が君にしたことを思えば、本当はどんなお願いも聞いてあげるべきなんだろうけど、できないことはできないから」
「いやそんな謝るくらいなら最初からやんないでくださいよ。エスペラント様に身体乗っ取られてる時に誰かに嫌われてたら、そのツケを払うの僕なんですからね? 分かってますか?」
「それに関しては重ね重ね申し訳ないと思っており……ただ今の我はかなり未練解消成仏状態に近いので出来ることが少なく……はい」
「……僕の身体を使って、素の僕だと到底付き合えそうにない美人を捕まえて、伝説の聖王トークで彼女に作ったりとかはしてないんですか?」
「作ってるわけねえだろ」
「……そっかぁ……」
「露骨に残念そうにするじゃんアルダくん……」
してないですよ。
ただ希望を探してただけですよ。
この混迷の事態に少しくらい僕にプラスなことがあってほしいと思っただけですよ。
「我はこの土地の……地面の下辺りに埋まってる遺跡に魂を封印しておってね。約千年後の『本編』が始まる少し前くらいに、地中の有機物を使って蘇生できたらする予定だったのさ。でも流石に経年劣化が激しかったのかな……まさか遺跡の直上に住んでた子供の身体に憑依させてたなんて」
「えっこの土地の下に遺跡があるんですか!? 大変だ、隠蔽しなきゃ……! 文化的に重要な遺跡の発掘にあたってその上にある建物や農地は無条件でどかしていいっていう法案があるんですよ! 父さんと母さんの畑が更地にされてしまう!」
「心配するのそこなんだなぁ……」
それより大切なものがあるんですか?
言ってみろよ。
「それで少し話を戻すけども、我はそうして復活して、まずこの世界の主人公が誰か確認する予定だったわけさ。我がやり込んでたゲーム……読み込んでた物語だと、主人公に誰を選ぶかで、物語はガラッと進み方を変える、そういう仕組みになっていたわけなのさ」
「お話の中心が変わるならそうでしょうね。……もう既に、穏便じゃない気配はしますが」
「そうなのだよ。主人公は16人から選べるんだけど、強い主人公を選ぶとほぼ確実に世界は救われるし、弱い主人公を選ぶとエンディングまでに世界は十回は滅びるわけなんだ。で、転生したつもりの我が君に憑依して確認しに行ったら……まあまあ絶望してしまってどうしたものかと」
「絶望?」
やだなぁ。
会話中に話が不穏な方向に進むの本当嫌だ。
優しい話、猫の話とかだけしててほしい。
ダシが染みた大根の煮込みの話しない?
「一番弱い主人公だったんだよねえ。やり込み縛りプレイ用の奴。あれを主人公に選ぶと超高難易度になって、ゲーム進行が運任せになって、所々お祈りゲーになってしまうのさ。我、あの主人公で世界救えたことねえもの」
「つまり?」
「この世界はたぶんもうちょっとで滅びるよ。やべー奴らが攻め込んで来るからさ」
「穏便じゃねえなぁ! 勘弁してください」
え?
終わるんですかこの世界。
待ってくれ!
まだスイカも収穫してないのに!
「で、でも、エスペラント様が居るなら、初代聖王様の御力があれば……」
「だから我、今心残りが無くなって成仏して消え去る途中なんだってば」
「なんで滅びそうな世界ほっぽって満足気に消えようとしてるんですか? 聖王じゃないんですか? 責任感とか無いんですか? 消える時に『この世界の未来を……託したよ』みたいなセリフほざいていけば良いシーンになるとか思ってませんか?」
すげぇ。
僕こんな早口で舌回る人間だったんだ。
知らなかった。
「うお、被害者としての立場を利用して思いっきり言いたいこと言ってくるなこの少年……いやあ、ほらね。我、この作品のファンだったからさ」
「……?」
「本当はこの時代の方が好きな登場人物多かったんよね我。推しキャラも全部この時代の人間だし。我、魂だけになってかなり消えそうだったんだけど、魔皇が再来する『本編』が未来である以上、未来まで絶対に消えるわけにはいかないだろう?」
「そう、なりますね」
「なので『千年頑張れば推しキャラに会える』っていうモチベーションでなんとか自分を保ってたんだよねえ。そんで転生したと思い込んで君の身体を使ってた時、推してた原作キャラに軒並み会えて、なんか気が抜けて……ちょっと気が抜けただけで消滅するくらい、魂ボロボロだったみたいなのさ。ごめんね、本当に。君の身体勝手に使っておいて、有益な何かを残せたわけでもなくて……」
……。この人。
やっぱり、聖王なんだろうかな。
僕はエスペラント様に軽く頭を下げる。
「……お疲れ様です」
エスペラント様がきょとんとした。
この人、頑張ることに慣れすぎてて、自分がどのくらい頑張ってるのかもそれが他人にどう見えているのかも、分からなくなっているタイプの人だ。
「おいおい我を責めんでええのか」
「未来の平穏を想って千年頑張った人に、『なんでもっと頑張らなかったんだ』なんて言えませんよ。千年、本当にお疲れ様でした。僕はただの農民ですが、それでもエスペラント様の聖王伝説を知らないわけではありません」
しょうがない。
しょうがないんだ。
僕の身体を勝手に使ってたって話は、まあ全くもって釈然としないけども。
この人がこの人なりに死ぬ気で頑張って来たのは、理解できないでもない。
じゃあ僕が言うべきことは『もっと頑張れ』ではなくて。
「ありがとうございました、エスペラント様」
「───」
「伝承でエスペラント様の御活躍を見た時から、ずっと尊敬してます。貴方が大昔に頑張ってくださったおかげで、僕らの今があります。ずっと見守ってくださっていたことも、未来の僕らを助けようとしてくれたことも、嬉しく思います」
エスペラント様が、くしゃっとした顔をして、すぐに朗らかな笑みを浮かべた。
「……我、照れるな」
「まあ僕の身体を乗っ取って勝手に使ってたという話については別件で有罪だと思ってますが」
「それはそれでごめんて!」
それはそれこれはこれです。
義妹が世界一可愛くて無限に甘やかしたい気持ちがあっても、義妹がいけないことをしたら叱らないといけないのと同じ。
「僕も主人公……にあたる人物が弱すぎて世界が滅びる。それは分かりました。でも、そこからどうして僕が聖王の再来って言われることに……」
「勝てば勝つほど敵が強くなり報酬も増える難易度調節システム……って我が言っても分からんかな。つまりだね、我が君の身体で早めに原作キャラ達をボコボコにしておくと、『本編』が始まるまでに皆強くなるという仕様があるわけなのさ。これを利用して、将来人類生存圏を守る候補の原作キャラを鍛え上げていたんだよ」
「……? ええと、なんとなくの解釈ですが、負けた人が奮起して強くなるのを期待して、あらかじめ負かしてやるみたいな……?」
「やるねえ、アルダくん。君には理解できない単語も多いのに、その理解でバッチリ合ってるよ」
おお。
褒められた。
嬉しいな。
「ん? あの、エスペラント様が僕の身体を使ってその人達をボコボコにしたのなら、その人達の恨みの矛先が向くのってエスペラント様じゃなくて僕ですよね……?」
「そうとも言うね」
「そうとしか言わねえだろ」
ぐあっー!
嫌だっー!
人に恨まれたくないっー!
ましてや身に覚えのない行いでっー!
嫌われるのはギリ許容できるけど恨まれるのはギリ許容し難い!
「でも目当ての人物1人1人を訪ねて回って勝負を挑んで来たんですか? マメですね初代様って」
「いや、
「……ええ……えぇ……」
「戦闘担当の原作キャラは6割から7割くらいは原作より強くなってると思うよ。イベントで自分の命とボスの命を爆弾で諸共吹っ飛ばす科学者みたいなキャラは
「なにそれ……」
「あ。聖剣も抜いて来たぞ」
「なんで どうして そんなことするの」
田舎農家の僕ですら
力、機転、知恵、知識、勇気、慎重……出場者のありとあらゆる資質を試して頂点の1人を選ぶっていう、世界最大の『試練』の名前だ。
秘境に放り出したり、ダンジョンに放り込んだり、参加者同士で戦わせたり、未討伐の魔神の討伐を課したり、あの手この手でその時代の最も優れた1人を選抜し、その1人に『聖域の聖剣』を抜きに行かせる。
聖域の聖剣は人が滅びる危機の直前のみ、聖剣に相応しい人間に抜けるようになっている。
だから、聖剣が抜けた時点で各国は警戒を強め、聖剣を抜いた人がその時代の人類の代表になって、滅びの危機に立ち向う。
そういう話になってると聞いたことがある。
……なんか他人事みたいに想起してるけど、今その聖剣抜いたことになってるの僕なんだよな。
どうする?
いやどうしようもないだろ。
え?
どうしようもなくない?
僕が倒したことがある一番強い奴ってキャベツ齧ってたデカめのクソタヌキくらいなんだけど。
「どういうつもりでそんなことしたんですか!? いや聖剣……聖剣まで抜くな!」
「当時は我、憑依じゃなくて転生したつもりだったから、そのまま人類統率して世界救済するつもりだったから。主人公抜きで。聖剣は昔我が使ってた武器だったから回収したかったのもある」
「あっそうかそういう……うわぁ……事態の噛み合いが最悪だ……」
「我が君の身体使ってる時は、我の能力が使えたから今世代の強者全員蹴散らせたけども、我このまま消えちゃうからね。君の身体にちょっと力の残滓は残るだろうけども……たぶん君が
「タヌキまでなら倒せます。クマは無理です」
「農家の標準的戦闘力だ……」
当たり前だろ。
「え? じゃあこっからどうなるんですか?」
「我が消えて、最弱原作主人公が残って、まあ世界は滅ぶのではないかな。あんなに懸命に守った世界も終わる時は一瞬だなぁ……悲しい」
諦めが早い!
「悲しんでる場合じゃないでしょ!」
「あの子、アイカナちゃん、君がたまたま拾って人生がだいぶマシになったけども、原作の『本編』の結構序盤で死ぬ女の子だって我言ったっけ?」
「どんどん聞きたくない話が出てくる! そろそろ穏便な話が聞きたい!」
台風の日の崖を眺めてる気分だ!
「おお……そろそろマジで消える……聖剣台所に置いてあるからそれを国に返還しといて……あと我がちょいちょい稼いで来たお金がテーブルの上に置いてあるから……君の生活水準だとたぶん30年分くらいにはなるから……人類が完全に滅びるまでなんとか……それで……生き……」
「待て待て待て待て待て待て待て」
待って!?
「僕が世界を救って来ますよ! 妹に生きてほしい未来がある! 僕だってまだやりたいことがある! 座して滅びるなんて真っ平御免です!」
「……なぬ?」
「だから何か手がかりをください!」
エスペラント様が消えていく。いや消えるな! もうちょっとなんかヒントくれ! 石鹸だって消えて無くなってもいい匂いくらいは残すんですよ!
「世界を救う手がかり、か……まず、来年ディプル学園で『本編』が始まるね……あそこが……全ての渦中になる……」
「学園……ダメだ、僕だと筆記試験を突破できる気がしない。どうしたら……」
「いや……本気で入りたいなら、たぶん、手続きをすれば……無条件で入れるはず……あそこは実績があれば試験免除……だから……」
「!」
「それと……我が君の身体を使ってる時……我が強く意識した記憶なら……おそらく脳に引っかかって……アルダくんが思い出せる記憶になっている……かも……この夢から目覚めたら……記憶を探り、自分の記憶と、我の記憶を……確認……」
砂粒のように、人1人が散り消えていく。
「本当にすまなかった……それと、危ないことはするな……あと、原作通りなら冬に大雪に……なるから……お腹を……冷やさないように……」
……。エスペラント様……ああ、何か言っておきたいのに、言葉が選べない。
僕は知らない。人が死ぬ時って、どんな言葉を選べばいいんだ?
「まったく、波乱万丈でキツくて……楽しい日々だった……皆で沼を進んで、魔将と命懸けで戦って、誰も欠けないまま魔皇の城に辿り着けたことが……我は嬉しくて……」
エスペラント様が虚空に伸ばした手が、砂のように散って消えていく。
「……ああ……一回で良いから日本に帰りたかったな。お父さん、お母さん、元気にしてたかな。ああ……そうだ……先生に進路相談の用紙を……」
僕には分からない単語が混ざった言葉を言い残して、エスペラント様は散り消えた。
後には何も残らなかった。
その死を悲しむべきなのかもよく分からない。
やらかされたことに怒るべきかも分からない。
僕とエスペラント様の関係なんて、さっき顔を合わせたばかりで、大した交流さえも無い。
知らされたのは、僕が知らない僕の人生の一部と、これから先に起こる未来の知識だけ。
ただ、使命だけが、僕の手の中に残った。
「偉大な人だった。そして……普通の人だった」
やるしかない。
やらないといけない。
やらないなら死ぬだけだ。
げぇむ……っていうのはよく分からなかったけども、それに由来する未来の知識を持っていて、運命を変えられるかもしれないのは、僕だけだ。
誰よりも多くの情報を握っていたはずの初代聖王エスペラントが諦めたほどの状況。どうにかなるのか? 本当に? ……いや、やるしかない。
「やるか」
そうして、僕の意識は浮上した。
同時に、断片的な記憶が流れ込んでくる。
必要な記憶、要らん記憶、エスペラント様が僕の身体を使っていた時に強く意識した記憶が、繋がりを持たずに流れ込む。
少し、刺すような頭痛を覚えた。
「痛っ」
頭痛を堪えて顔を上げる、すると、そこに、視界を覆う何かが飛び込んで……いや、違う。
あれ?
これアイカナ?
なんかちょっとデカくなってない?
雰囲気ちょっとだけ大人っぽくなってない?
「ほんもの兄ちゃ、戻って来たぁぁぁぁぁ!!!!!」
思いっきり飛び込んできて抱きついて来たアイカナの柔らかさを感じながら、僕はアイカナが怪我をしないよう抱え込んで後ろに倒れ込み、そのまま僕は床に後頭部を打ち付け痛ぇっ!!!
「兄ちゃ!?」
ちょっと背が伸びたなぁ。
髪も肩の高さくらいまで伸びたのか。
服のセンスも変わったかな。
お兄ちゃん妹が成長してて嬉しいよ。
断片的な記憶とアイカナから聞いた話によると、僕が初代聖王エスペラントに身体を乗っ取られていたのは3ヶ月くらいだったらしい。
良かった、思ったほど長くなかった。
農作物は結構ダメになってた。
雑草ボーボー・虫食いだらけ・害獣祭り・収穫時期を逃して育ちすぎの落果まみれ。
良くねえ、許さんぞエスペラント!
「アイカナは美人さんになったねぇ」
「そんにぁ、それほどでもあるかも~」
その3ヶ月でアイカナはちょっと女の子らしくなってて、髪の毛も伸びて、身長も4cm伸びていた。家族の成長ってなんか嬉しいな。
家族の背が伸びるだけで、なんだか嬉しい。
父さんと母さんも、毎年僕の背が伸びる度に、柱に成長の証の線を刻んで微笑んでいたのを、ぼんやりと覚えてる。
父さんと母さんも、幸せだったんだろうか。
今の僕みたいに。
「兄ちゃ、もう変にぁのににゃらにゃいでね! 約束して! 指切り!」
「うん。約束するよ。もう1人にはしないから」
「ん!」
アイカナの心の底から訴えかけるような表情を見ていると、胸が痛む。
3ヶ月。
3ヶ月もの間、エスペラント様に憑依されていた僕は、アイカナを放置してしまっていた。
アイカナは僕が別人に変わったことに気付いていたようで、僕を元に戻そうと彼女なりに手を尽くしつつ、1人で生きていくために四苦八苦して頑張っていたのだそうだ。
なんていい子なんだ。
僕泣きそうだよ。
エスペラント様の頑張りを称えたい僕も居るし、アイカナに1人寂しい想いをさせたエスペラント様を許せない僕も居る。
どちらも僕だ。
でも仮に、ひとりぼっちになったアイカナに何か悪いことが起こっていたら、僕はエスペラント様を許さなかっただろう。
アイカナが立派な子でよかった。
できれば、エスペラント様は憎みたくない。
「兄ちゃが居ない間ににぇ、わたし
「そっかぁ。アイカナは偉いなぁ。とっても偉いぞ。色んなことを自分1人でできるようになると立派なレディになれるからね」
「えへへ」
さて。
アイカナに寂しい思いをさせた分、思いっきり甘やかすとして、それとは別に準備が要る。
世界を救う準備だ。
『本編』というのが始まるまで、あと数ヶ月といったところ。ディプル学園に『主人公』が入学するところから事態は大きく動き出す。はず。
僕にできるのか? 出来るわけがなさそうに思える。というかできるわけがない。僕に何ができる? いや、やらなきゃ明日が来ないって言うなら、全力でやってやる。やるしかない。
『やりたい』だなんてこれまでもこれからも絶対に思えないだろうけど、それでもやるんだ。
まずは鍛錬。それと道具とかの確保。下調べとか予想の検証もしないと。頼りになるのはエスペラント様由来の知識だけ、か。
忙しくなりそうだ。
相当にキツい気もする。
でも。
「兄ちゃ! もうどこにも行かにぁいでにぇ」
「行かないってば」
成し遂げられなければ、僕に残されたたった1人の家族にさえ、未来はない。
そして、あっという間に数ヶ月が経った。
僕らは学園の門を叩く。
エスペラント様の言っていたことは本当で、ディプル学園に連絡を取ってみたところ、次の入学期に僕とアイカナが入学する認可がすぐに貰えた。
もちろん試験は受けてない。
ちょっと本屋さんで過去問立ち読みしたけど一行も理解できませんでした。あれ何?
真面目に試験勉強してる貴族にバレたら殺されっだろ僕。
総受験勉強時間0だぞ僕。
あんな膨大な問題の答えを全て暗記してる他の受験生が怖いぞ僕。
この学園あの問題解けたやつばっかだってのがまず恐怖だぞ僕。
どうせ暗記するならあんな小難しい問題集じゃなくて恋のマニュアルとかがいいな僕。
あるといいな恋のマニュアル。暗記するだけで恋が上手く行きそうなやつ。あるんだろうか。無いよな。無いか。恋は難しいもんな……。いや受験問題も難しいんだよ。じゃああるか、恋のマニュアルもどこかに。
学校と言えば青春と恋愛だとか言うけども、僕も一回くらいそういう体験してみたいけども、おそらく世界を救うためにそんなことをしている暇は無い。諦めよう。今の内に決意を固めといた方が良さそうだな、たぶん。
「兄ちゃ、広いとこだにぇ。ディプル学園って
非常に多くの水路と、その合間に立つ背の高い木々と、それらが作る静謐な魔力の流れに、その魔力の流れに乗って舞う蝶々。学園を形作る基本の風景に、アイカナはどこか浮ついた気持ちを隠しきれず、にこにこと笑んでいる。可愛い。
僕が居ない3ヶ月で成長したアイカナは、どこか別人のようで、でもやっぱり同一人物っぽくって、アイカナはアイカナらしく成長してて、それが嬉しい。
「ああ、そうだ。我らはここに一年生として入学し、学び、四年後にまた卒業か進学かを選択する。それとだな、アイカナ……」
「兄ちゃは学園では格好付ける。わたしは兄ちゃの格好付けて
「……細部は違うが、それでいい。我は最低でも卒業までこう振る舞う。アイカナの適当な発言癖によって怪しまれることはあまりないだろうが、それでも迂闊な発言には気をつけるように」
「はーい!」
「往くぞ。我と貴様の新生活の始まりだ」
僕の方針の根本の根本に組み入れたルールはたった一つ。
僕は、『無敵の聖王』を演じる。
この選択がどう転がるかは分からない。
ただおそらく、これが長期的に効いてくるはずだ。戦闘力をまるで持たない僕が盤面を動かす影響力を持つには、おそらくこれが一番良い。
僕が無敵の聖王を演じる以上、演じていない時の僕を知る人物はアイカナだけになる。
ここが僕の急所になる、かもしれない。
まあでもたぶん大丈夫だろう。
たぶん。
大丈夫であってほしい。
いけるいける、アイカナはできる子だから。
ちょっと不安なところもあるけど、3ヶ月で成長したアイカナは本当に意外なところで理知的で、意外となんとかなるんじゃないかって思ってる。
アイカナは、学園で起こる『本編』に参加することを決めた僕から離れようとしなかった。山に置いてこうとしたけど猛烈に拒絶されてしまった。
ダメ元で僕と同年の入学を申請してみたけれど、
まあでも離れ離れにならないのは幸運だったのかもしれない。学園の教育を利用してアイカナを成長させていけば、アイカナは大体の状況を独力で乗り越えていけるはずだ。
───あの子、アイカナちゃん、君がたまたま拾って人生がだいぶマシになったけども、原作の『本編』の結構序盤で死ぬ女の子だって我言ったっけ?
エスペラント様が残していった言葉が、脳裏にこびりついて離れない。
アイカナの死因も聞いときゃよかった。
どうすればそういう結末を回避できるのか、今の時点だと見当もつきやしない。
アイカナにも強くなってもらわないと……いざという時、自分を守れないかもしれない。
「お待ちしておりました」
途中にあった建物の前で、1人の女性が僕らを待っていたようだ。
僕らはその女性に見覚えが無かったが、その女性は僕らが目当ての人物であると疑ってもいないようだった。
アイカナの外が赤、内が橙の『夕焼』。
エスペラント様の憑依で色が変わった僕の外が黒、内が金の『月天』。
これはどちらも珍しいので、初対面の女性でも僕らを見分けられたのは当然のことだった……のかもしれない。
「既に書類でお名前を拝見しておりますが、形式上の確認を行わせていただきます。お2人のお名前をお聞きしてもよろしいですか?」
僕は頷き、名乗った。
本名と、取ってつけた仮の名を。
通じる相手にだけ通じる、後の布石として使う予定の名前を。
「アルダ・ヴォラピュクだ。妹はアイカナ・ヴォラピュク。兄妹だ」
「きょーだいだ」
「はい。書類と相違ありませんね」
一般的には、初代聖王の名字は『ボラピク』と読む。
綴りの字は同じだけども、正しい読み方はヴォラピュクだ。
これを知ってるだけで大分違う。はず。
この名前を聞いて警戒するような相手なら、本気で対峙する必要がある。逆に何も思わないようなら比較的脅威じゃない。はず。たぶん。
女性は書類にペンを走らせ、僕とアイカナに顔写真が入っている手帳に似たものを渡してくれた。
「アルダ様、どうぞ。この学園の新入生であることを示す学生証です。入学式はそちらの通路を進んだ先の武芸館で行われます。良き学園生活を」
「ああ」
「ありがとう! 行こ、兄ちゃ」
妹につられて反射的に僕も『ありがとう』と言いそうになってしまった。
いかんいかん!
威厳だ威厳。
無愛想な方が強い人間に見える、をちゃんと徹底していかないと。
その方が『本編』の要所で交渉に有利だと思ったんだろ僕。しっかりしろ。威厳のある聖王は軽々しくありがとうとか言わないんだよ。
でも、お仕事お疲れ様です、お姉さん。学生証ありがとうございます。道案内も助かります。お礼言えなくてすみません。
「兄ちゃ、わたし入学式とか初めて!」
「ああ。我もそうだな」
ウキウキしてるアイカナは可愛いな。可愛いぞ。世界一可愛い。何が敵でも兄ちゃんが一生守ってやるからな。
「聞け」
ん?
なんだ?
入学式をやるっていう武芸館の前でデカい男が道を塞いでる。
空気がかなり穏便じゃないな。
デカい男の髪は外が赤、内が緑。
『燃森』の
「聞け、平民ども! 貴様らは幸運にも才能を認められ、貴族と同等の教育を受けていないにもかかわらずこの学園に入学を許された! 本来それは許されないことだ! 貴様らは無知であり、貴族のような努力を積み重ねて来なかった者であり、才能しか持たぬ者である! なればこそ一つ言っておく! 思い上がるな! 貴様らは才ある者であっても選ばれし者ではない! なればこそ……」
随分偉そうだな。腕ふっと。丸太か?
少し集中。
掘り出すように、頭の奥に意識を伸ばす。
……エスペラント様の記憶の断片に、それっぽい情報があるな。
そうか、あの男か。
「兄ちゃ、兄ちゃ、
「愚か者だ」
「おろかもにょかー。しらんかおだー」
クリーク・クムザール。
『燃森』の
僕の身体をエスペラント様が使って『初代聖王の再来』やってた時に、
エスペラント様の知識によれば、炎属性の攻撃が得意なタイプで、炎による継続ダメージで強敵と戦う時に頼りになるタイプだったはず。
しかし、邪魔だな。
なんで入学式前に通せんぼして平民に説教しとんじゃこいつは。平民皆困り顔だよ。僕も演技してなかったら困り顔してたよ。
エスペラント様の記憶によると、ディプル学園はマウント合戦が起こりやすいって話だったが、マジなんだな……実際見るまで信じられなかった。
まあ、いいか。
とりあえず試し打ちできる機会だと思おう。
へその下に力を入れて、ここ数ヶ月コントロールの特訓をしてきた『力の残滓』……かつての僕にはなかった、光り輝く魔力を解き放ち、同時に低く威圧するような声を出す。
「どけ」
光が奔る。
声が響く。
その場の全員がこちらを向く。
僕の言葉と魔力を受けたクリーク・クムザールが、驚き、後退り、躓いて、尻餅をついた。
「お、おい、あれって」
「髪が外は黒、内は金、あれは……」
「『月天』……初めて見た」
「
これは初代聖王エスペラントの置き土産。
魔力を持って生まれて来なかった僕に与えられた、あの御方の力の残骸だ。
この光の魔力は、どんな力よりも大きく見える。どんな力よりも強く見える。何故なら、この光の元々の持ち主はエスペラント様だからだ。エスペラント様は誰よりも大きく強い光を操ることができたから、僕の光を見た人間も、同じ印象を持つ。
だけど、それだけ。
印象だけだ。
僕のこの光は何も壊せないし、何も動かせない。よく見ると魔力自体の動きも光ほど速くはないし、練習しないと大雑把に位置を動かすことしかできない。
光で視界を塞ぐくらいはできなくもないけど、目を焼いたりもできない。
つまり、最強と伝承されるエスペラント様が周囲に持たれていた『印象』だけを僕に使わせる、そんなミソッカスみたいな力だ。
偽りの光。
虚ろな力。
ハリボテの強さ。
だけれども、ハッタリと組み合わせれば、案外使い途は多くある。
「お、お前は……」
「『また』叩き潰してやろうか? クリーク・クムザール。入学初日から土を舐めたいというのなら、その願い、聞いてやらんでもないが」
「……そ、そんなわけがなかろうが……もう話も終わったところだ。すぐに入学式だからな、さらばだ」
クリークはすたこらさっさと逃げて行った。
これに懲りたら二度と平民虐めんじゃないぞ。
……あ。
話のオチまでは聞いておきたかったな。
話中断して逃げて行きおった。
話のオチが気になる……『なればこそ』の続き何言うつもりだったんだろう……気になる……いやまあいいや気持ち切り替えるぞ。
「早く行け。全員これから入学式だろう」
「は、はい! ありがとうございます!」
ほら行きな平民共!
僕も偉そうにしてるけど平民だけどな。
ってか農民だけどね。
クソ、この平民ども都会暮らしのシティボーイだからか制服にちょっとオシャンティな小物付けてんな……あっアイカナが学校で浮かないためには僕がこういうの買ってやらないといけないのか? 可愛いやつを? いかんな勉強しないと。
「……あ、あの……貴方は……?」
む。
女の子が話しかけてきた。
僕とアイカナの同級生(仮)か。
平民出身でこの学園に特待入学する平民は、既にその才能を認められていてそれを育てる必要があると認定されている人間、つまり血統優位性を持たない天然の
髪は案の定二色。
外が薄桃、内が薄緑。『春桜』か。
……ん?
いや、今はいいか。
「アルダ・ヴォラピュクだ。貴様らと同じ新入生の1人に過ぎん。とっとと行け、式に遅れるぞ」
「ひゃ……ひゃい! そうします!」
駆けて行く女の子。
ふぅ、という感じだ。
とりあえず試運転は上手く行った。
誰にも疑問に思っている様子はなかった。
なら、行けるはずだ。
『聖王の再来』を演じ切ることはできるはず。
うむ? どうした我が義妹、そんなちょこんと僕の制服を引っ張って。
「どうした」
「妹は兄がかっこいいと誇らしいにょです」
「……そうか」
そうかぁ?
かっこいいかなぁ?
兄ちゃんは平民に説教してマウント取ろうとしてる貴族のガキも大概ダサいと思うが、強い力を見せつけて他人を脅す奴も格好良くはないと思うぞ。
できれば皆、穏便に優しく話し合いだけでなんでも解決できないもんかね。
そうできたら、エスペラント様が気張って何度も世界を救おうとしたりしないでも良かったと思うんだけどな。
入学式で僕の席は、最前列のアイカナとは離れた最後列で、隣の席は先程会った『春桜』の女の子だった。
『彼が最前列だと他の生徒の視界に入ってざわめきが収まらないかも』という考えは分かるし、『背が低い彼女は壇上が見やすいように一番前に座らせてあげよう』という考えも分かるけど、それはそれとしてこんな離れてるのは釈然としないぞ。
あっ、カーテンでっか!
なんだあのクソデカカーテン。
ああいうのテンション上がっちゃうんだよな。
あ、隣の女子がこそこそ話しかけて来そうだ。
なんか青春だねこういうの。
「ど、どもです。さっきぶりですね」
「式の最中に無駄口を叩くな」
「す、すみゃせんっ」
本当ごめんね。
僕今は威厳のある聖王様だから。
さて。
まず、手札を確認する。
僕が使える手札はおそらく4つ。
1つ目は、この身体。
農家だったから元々体力と筋肉はあったけども、エスペラント様はそれを戦闘向きに鍛え直してくれた上に、身体に基本的な動きを覚えさせてくれていたみたいだ。
エスペラント様が仕上げてくれた身体は、数ヶ月かけた鍛錬で使いこなせるようにはなった。
たぶん、普通の攻撃をちょっとかわすくらいならできなくもない……はず。
2つ目は、知識。
僕にとっては未来の知識。エスペラント様が言うところの……『原作知識』、だったか。
僕はこの先、何が起こるかを部分的に知っている。こういう状況でこの人物はこういうことを考える、といった情報も持っている。
僕が保有している知識は断片的だけれども、必ずこれが役立つ瞬間があるはず。
3つ目はこの月光の魔力。
他人には極めて巨大に、底無しに強大に見えるこれは、威圧に使うなら非常に優秀だ。
だけどそれ以外には何の役にも立たない。
僕はエスペラント様が残したこれがハリボテであると気付かせないように、これを上手いこと見せ札にして、全てを乗り切らないといけない。
そして最後に、『初代聖王の虚像』。
エスペラント様は僕の身体を使って並み居る強敵を一撃で倒し、まとめて蹴散らし、全ての能力を踏み越えて、圧倒的な力を見せつけた。
世界中の強者が観戦する
これを利用しない手はない。
この虚像を活かし切る。
誰もが僕のことを『最強』だと思い込んでいる内に、その思い込みを利用して、盤面を整えるんだ。僕が無力でも世界が救われる形になるように。
叶うなら、在学中の4年以内にそれを成す。
それが僕の最終目標だ。
全部終わったらまた山に戻って平和に農業する暮らしに戻ろう。スローライフ万歳。そのために世界は平和であってくれないと困る。第一、人がたくさん死ぬのを見過ごすのとか普通に気分悪いしね。地獄は見たくねえぜ。
ああ。
胃が痛い。
僕が何もしなくても勝手に平和であってくれる世界で在ってくれないもんかな。
無理か。
平和って難しいなぁ。
だけどやるしかない。
まず、一人目の『候補』に接触して仲間に入れる。ああ、くそ、できるのか? 本当に僕にできるのか? 不安だ。逃げ出したい。だけど逃げ出すわけにはいかない。アイカナの未来だってかかってるんだから。
まず、一人目としっかり向き合い、上手く仲間に引き込もう。
この学園の影の支配者であり、貴族社交界でも発言力を持つ、信用無くも溺れるほどの信頼を得る人間関係の大怪物、誰もが愛する魔性の生徒会長……魔霧の魔女、フリジア・フリウリを。
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