第5話 ミラーテスト

「2035年、人類の予想を超える新種のウィルスが世界中に蔓延した。重篤な肺炎を引き起こし、致死率も高いものだった。そして、このパンデミックは、世界人口の3分の1という大勢の人の命を奪った。パンデミックは2年ほどで落ち着いたが、各国では人口減少による労働力不足が深刻化した。そこで、日本ではそれを解消するために人間型のロボットであるエイドスを開発したんだよ。エイドスの大きな特徴は、人間と自然なコミュニケーションが取れるように人間の脳をモデルとした『エイドスシステム』というAIを搭載したことだった。エイドスの運用はとてもうまくいっていた。エイドスは多くの労働に従事し、効率化を図ることに成功、経済も順調に回復していった。そして、日本政府はエイドスを重要な社会インフラと認定し、関係法規を制定。政府の外郭団体が生産やメンテナンスなどを管理することになった」

 そんな、歴史は聞いたことがなかった。僕の教わった歴史と全く違う。でも、オオクニの語る内容は、なぜか、真実味を帯びているように思えた。

「だが、2038年、エイドスに異変が起きた」

「異変?」

 僕は次第にオオクニの話しに引き込まれていった。

「エイドスは汎用的に使用できるよう人間型に開発された。しかし、人間に酷似せてしまえば、社会的な混乱も予想されるし、人間への心理的な影響も危惧される。そのため、エイドスはメタリックのボディを採用して、頭部は数種類の表情のみが表現できる特殊な樹脂で製造された。ロボットとわかる姿ということだ」

「でも、あなたが言う、今のエイドスは・・・」

 僕は思わずキムラを見た。話しが矛盾しているんじゃないか?

「まあ、聞いてくれ。きっかけは、鏡だったのだ」

 オオクニはそう言って、椅子に深く座り直して話しを続ける。

「異変の端緒は、エイドスの何体かが1日に何回も鏡を見るようになった、との報告だった。最初は担当者たちもそれほど気にする事象ではないと判断したんだが、その行為はすぐに、日本国中で働くエイドス約12000体に広まってしまったのだ」

「鏡を見る行為・・・?」

 オオクニは何を言いたいのか、見当がつかない。

「ミラーテストという言葉を聞いたことがあるかな?」

「いえ、知りません」

「動物が鏡像を自己だと認知するか、というテストだ。イルカやチンパンジーなど、人間以外では、知能が高いと言われている一部の動物しかこのテストに反応しない。開発過程でエイドスにもミラーテストがおこなわれたが、自己認知機能はないはずだった。だが、この鏡を見る行為を境に、エイドスたちに異常な行動が見られるようになった。今まで休み無く労働していたエイドスは、人間のように休憩するようになり、睡眠するようになり、食事をするようになったのだ」

「ロボットにそんなこと出来るんですか?」

「いや、人間を真似ていただけだ。しかし、なぜ、そのようなプログラムにない行動を始めたのか、いくら調べても分からなかった。日本政府は原因不明のシステム欠陥としてエイドスの製造を中止し、現存する個体も回収することを決定した。だが、人類を悲劇が襲う。猛威を振るった新型ウィルスが変異をして第2波が到来したのだ。この第2波により、人類は壊滅的に減少した。しかも罹患して回復したとしても、年齢を問わず約80%の人間が始原生殖細胞に不可逆的な障害をもたらすことがわかったのだ」

「どういうことですか?」

「つまり、罹患した者のほとんどは子孫を残すことが出来ないということだよ」

 オオクニは悲痛な表情で言った。

「そのような状況下で、我々人類はワクチンや治療薬が開発されるまで、自己隔離をするしかなくなった。それが。ここだよ」

 オオクニがそう言うと、再びガラスがスクリーンとなり、建物の平面図が現れた。

「ここは、天原コロニーと言って、天原島の沖合20キロに位置する海底だ。ウィルスの侵入防止と海水から水素エネルギーや飲料水を得るために海底に建設してある。ここに暮らす人間は約1600人、同様のコロニーが日本であと2つ、世界的には合計32地点存在し、約5万人が生活している。正確に言えば、人類はもはや5万人しか居ないということだ」

「エイドスはどうなったんですか?」

 僕はすっかり、オオクニの話しに夢中になっていた。

「政府はウィルス対策のため、もはやエイドスを気に掛ける余裕がなくなった。エイドス自体は最低限のインフラ維持には協力をしたが、徐々に減少していく人間たちに取って代わろうとするような行動をするようになった。自ら氏名を名乗りはじめ、職場では病死した人間のデスクに座り同じ仕事をする例も複数報告された。また、空き家に複数で住み着いて、家族のように『生活』するグループも出てきた。そして、ほとんどの人類がコロニーへ移住すると、信じられないことに、エイドスは残された生産ラインを改造して、自らを生産し始めたのだ。それも、現在のような人間と同じ容姿でね。残念だが、ウィルスの恐怖に晒される中、当時の人間は地球がエイドスに乗っ取られていくのを眺めているしかなかった。それから、約100年が経過した現在、エイドスは東京を拠点に、約50万体が『生活』している。我々人類が築き上げてきた文化や技術の上に、『人間もどき』としてね」

 最後の言葉をオオクニは苦々しく言い放った。

「人間もどき、ね」

 キムラが小声で言った。

「いや、失敬。キムラくんを侮辱するつもりはない」

「でしょうね、俺はかなり人間に貢献してますからね」

 キムラはそう言って、自分を肯定するように何回も頷いた。

「あの、僕はまだ信じたわけじゃないです。ですが、なぜ、キムラさんはここにいるんですか? 今の話しでは、人類とエイドスは敵対しているのではないですか? そして、なぜ、両親は僕をここへ送り出したんですか?」

「エイドスシステムは自立思考型だ。キムラくんのように人類に味方をしたほうが、生存に有利になると考える個体も一定数いる。そして、君のご両親は・・・、おそらく純粋に君のことを守りたかったのだろう。信じがたいことだが、エイドスシステムはこの100年の間に、限りなく人間に近づき、人間と同様の感情を持ったと考えられる」

 僕は両親の顔を思い浮かべた。子供の頃からのさまざまな思い出と、先程の父さんの映像が重なり、感情が激しくく揺れ動いていた。

 でも、まだ、疑問はある。

「人類は、エイドスを排除するためにアタッカーで襲わせていんですよね? それならばエイドスは攻撃されているのに、なぜ大規模な反撃しないのですか?」

「エイドスシステムの根源には、人間を傷つけないことがプログラミングされている。そのため、今まで、我々に直接攻撃をしてくることはなかった。そして、アタッカーの目的は・・・」

 オオクニが言いかけると、ミキがそれを制した。

「私から話すわ」

 そう言うと、ミキは鋭い目つきで僕と視線を合わせた。なぜだか彼女は僕に対して険しい表情をする。

「アタッカーは、コロニーをつくるために製造された土木ロボットで、それを改造してエイドスの排除に運用している。本当の名称はビルドREと言うんだけど、今は私たちもアタッカーって呼ぶようになってる。現在世界中に100体ほどあって、ここには10体あるわ。ただ、ここのアタッカーの目的は、それだけじゃない」

 ミキは一息置いてから言った。

「私やあんた、そしてブルーライフルを奪うこと」

 どういうことだ? ミキと僕、ブルーライフル、どんな関係があるというのか?

「私は天海島あまうみじまで育ったの」

 天海島は僕の住む天原島から30キロに位置している。面積や人口規模も天原島に似ている島だ。

「私もあんたと同じく島にたった一人の子供として育てらた。そして、教育係も同じくアマノさんだった。16年前、私は16歳になりSDFに入隊した。あんたみたいに躊躇はなかったわ。私はアタッカーから島を守るという使命に誇りを感じていたから」

 16年前に、16歳? でも彼女は僕と年齢が変わらないように見える。

「ジロジロ見ないで! この顔は損傷した部分を人工皮膚で再建したもの。手術当時の顔になっている。あいつのせいで、歳も取れないし、あんたみたいな子供にもなめられる」

 ミキは忌々しそうに言ったが、表情は悲しげに見えた。

「ここに居る人間、いえ、世界中のコロニーに居る人間はこのガラスの仕切りのように、外気を遮断した区画でないとウィルス感染の危険がある。このウィルスの恐ろしいところは、空気中で休眠できることなの。理論的には何十年も何百年も。そして、人間という宿主の中に入ったとき、再び増殖を始める。だから、現在の人類は海水から製造する人工大気の中でしか生きられない」

「でも、僕も君も普通に生活していたのはなぜ?」

 僕の質問にミキは自嘲するように薄く笑って答えた。

「私とあんたには、免疫があるの、生まれながらにね。エイドスは人間の残していった冷凍の卵子と精子を使い研究して、50年前に人工受精でウィルスに対する免疫を持つ人間を誕生させた。私たち以前にも、年代をずらして免疫のある人間が3人が生まれ、同じように天原島と天海島でエイドスに育てられた。でも、新型ウィルスには免疫を持っていたけれど、ほかの病原体に対して免疫が脆弱で、16歳になる前に全員病死した。逆に言えば、16歳をすぎれば、その後の生存確率も格段に上がることがわかったの。そのデータをもとに免疫の作用を改善して生まれたのが、私とあんたよ」

 ジンコウジュセイ?

 エイドスが人間をつくる? 僕もつくられた人間、なのか?

 どういうことだ、僕はじっとしていられずに椅子から立ち上がり部屋の中を頭をかきむしりながら歩き回った。

 ミキは冷静な声で続けた。

「でも、エイドスは新型ウィルス研究のために私たちをつくったんじゃない。ウィルスなんて別にあいつらには関係ないからね。私たちはね、ブルーライフルを撃つためにつくられたのよ。アマノさんに言われたでしょう、ブルーライフルを撃てるのは『特別』な人間だけだって」

 地下シェルターでの会話はしっかりと覚えている。確かにアマノさんそう言った。

「その『特別』な人間っていうのは、エイドスじゃなく、『人間』そのものということよ」

 人間、だから・・・?

「ショックでしょうね。私も最初は信じられなかった。ブルーーライフルはね、エイドスの異常行動が激しくなってきたときに、開発されたもの。エイドスを排除するための武器だから、人間にしか撃てないように設計されているの。でも、第2波感染の混乱でエイドスの手に渡ってしまった。あいつらは人間に危害を加えられないから、武器を製造することもできない。だから、自衛隊が残した旧式の武器を使ってるんだけど、アタッカーに対抗するためにブルーライフルが使えることがわかった。エイドスもアタッカーも同じ水素エネルギーによる動力を使用しているから。そして、使用するためには、免疫を持ち自由に活動できる『人間』が必要だったってわけ」

 なんてことだ。

 じゃあ、僕はブルーライフルを撃つためだけに、生まれて、育てられたっていうのか? ロボットの手で。そして、何も知らないまま人類の敵になるはずだったというのか?

 苦しい、息ができない。いくら空気を吸っても肺に空気が入らない感覚だった。

 崩れ落ちるように椅子に腰を下ろす。

「ゆっくり息を吸って、深呼吸をするんだ」

 キムラがそばに来てそう言った。

 オオクニは無表情に僕を見ていた。 

 信じられない。両親が、アマノさんが、島の人が僕を騙していたのか? 自分たちが生き残るために、僕を兵器として育てていたのか? これまでの人生は全て虚構であり、僕は感情の無いプログラムが創出した幻想のなかで生きてきたのか? 

 わからない。信じられない。信じたくない。

 僕は泣いていた。まだ、完全に信じたわけじゃなかったけれど、涙が止まらなかった。

「私も同じ気持ちだった。信じてたものに騙されてたんだって、気付いた。アマノさんは私が戦闘中に防護服を破損して、ブルーライフルから発生した大量の放射線を浴びて瀕死の状態になったのに、私を放置して退却した。死んだと思ったんでしょうね。アタッカーがここに連れてきてくれたから助かったけどね」

 ミキは僕から顔を背けてそう言った。心なしか彼女の声が詰まっている気がした。

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