第9話

 窓の隙間から滑り込んでくる心地よい風の中で、リリィは眠りについていた。少し硬いベッドと使い古して薄くなった枕は相変わらず寝心地が悪かったが、それでも住み慣れた家と安心できる寝室のおかげで毎日熟睡できた。今朝も懐かしい夢をみながらぐっすり寝ていた彼女だが、珍しく早朝に目が覚めた。普段ならこんなに朝早く目が覚めることは無い。まだ夜なのか、もう朝になってしまったのかよく分からないまま体を起こす。小さなノックの音が聞こえた気がして窓の方を見ると、そこには目を腫らしたパネラが立っていた。


「――パネラ?」


 朝日を背負った彼女は笑っていたが、それでも彼女が今にでも泣き出しそうなことが見て取れた。リリィは髪もとかさないまま慌ててベットから滑り降りると、窓の方へと駆け寄った。


「どうしたの? こんなに朝早くに」

「……リリィ、今までありがとう」

「え?」


 まだ夢を見ているような心地で、頭がぼうっとしている。パネラの言葉が理解できない。


「私、生贄に選ばれたみたい」

「……ちょっと待って、言っている意味が分からないわ。朝から何? なんの冗談?」

「冗談だったら良かったんだけどね」


 そういったパネラの右目から、ぽろりと涙が零れる。


「生贄って、何?」

「昨日、鱗病の死人が出たでしょう? この村にはずっと鱗病の感染者は出なかった。それなのに鱗病が発生してしまったのは、山の悪鬼が怒っているからじゃないかって。ずっと村の会合で話し合っていたみたい」

「だからってどうしてパネラなの?」

「ライアンが」その言葉を口にしたとき、またパネラの目から涙がボロボロっと零れた。「生贄を選ぶ為にライアンが弓を射ったんだって。そうしたら、私の家に――」

「パネラ」


 ついにわっと泣き出したパネラの手を、窓越しに握った。それから彼女が泣き止むまで、その肩をさすっていた。空が白く染まり小鳥たちが囀り出すと、泣いていたパネラも少し落ち着きを取り戻した。


「帰らなきゃ。さよなら、リリィ」

「まって、行く必要なんてない。私が村長を説得するから」

「無理よ。だって村長が先頭を切ってこの祭儀を執り行っているんだから」

「それにしたってリリィが選ばれるなんて! ライアンは何も言ってないの?」

「……仕方ないって。決まりだから」

「馬鹿馬鹿しい! 絶対に変だよ!」

「仕方ないのよ、リリィ。決まってしまったことだから。ごめんね。私の代わりに、リリィ、幸せになって。さよなら」

「ちょっと待って、パネラ!」


 農業で乾燥したリリィの優しい手をパッと放すなり、パネラは逃げるように駆けていった。その後ろ姿を見ていることしかできなかった。だがパネラの姿が見えなくなると、腹の底から悲しみとも怒りとも分からないドロドロした感情が沸き上がってきて、いてもたってもいられなくなりリリィは自室を飛び出した。


 まだ静まり返っている家の中を走り、両親の部屋の扉を開けた。


「ちょっと、起きて!!」


 怒りのこもった声で叫ぶ。一つのベットで寝ていた両親は、目をしぱしぱさせながらゆっくりと体を起こした。


「――おはよう、リリィ。朝からどうしたの?」


 とテス。父のルースは不機嫌そうに目をこすっている。


「どうしたの? じゃないわよ。私に何か話すことあるでしょう? パネラのことで!」


 そういうと、両親の動きがピタリと止まった。テスとルースは顔を見合わせた。それから珍しくルースの方が口を開いた。


「村の決まりだ。平等に選んだ。このままでは村に危険が及ぶ」

「だから、悪鬼なんて退治しちゃえばいいじゃん!」

「そんなことをすれば村は飢饉に襲われる。俺の曾祖父の代に退治しようとした者がいたが、そのときは大飢饉に見舞われ口減らしすら行われたと聞いている」

「だからってパネラが――だって、婚約してたのよ!?」

「平等に選んだんだ。仕方ないんだよ、リリィ」

「仕方なくなんてない!!」

「――姉さん、朝からどうしたの?」


 騒ぎに気が付いたシオンが、寝ぼけ眼で部屋から出てきた。リリィは拳を強く握って両親の顔を睨みつけた。裏切られたような気分だった。自分の親友を、両親とこの村が奪おうとしている。これから幸せの絶頂になるはずだった、親友を。


「絶対おかしい! 私、反対だから!」


 そう叫んで、リリィは家を飛び出した。「姉さん!」と呼び止める声が後ろから聞こえたが、リリィには届かなかった。

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