第7話

 シオンのたんこぶがよく腫れた日、空は快晴だった。パネラとライアンの婚約話はすぐに村中に広まり、鱗病の不穏な噂をかき消してくれた。村は祝いの席に何を持ち寄ろうかという話でもちきりだった。リリィの家もパネラへの贈り物について朝の食卓で話し合っていた。


「ミコの実だけじゃ芸がないよね。他に何が遅れるかなぁ」


 ミコの実で作ったジャムをパンに塗りながら、リリィが言った。


「去年に買った布が余っているから、それでスカートでも作りましょうか。ねえ、あなた?」


 母テスが尋ねると、隣に座っていた寡黙な父ルースが頷いた。ルースはテスより5つ年上で、身長はテスよりも頭二つ分ほど大きく、日々の農作業のせいで年中日焼けしていた。筋骨隆々のルースの姿は息子のシオンとは対照的だった。


「裏山に入ることができたら、僕がウサギでも捕ってくるんだけどなぁ」

「そもそもあの山に動物はほとんどいないでしょ。それにシオンは弓なんて使えないじゃない」とリリィ。

「僕だって練習すれば使えるよ」

「練習している間に来年がきちゃうわよ」

「それでも姉さんよりはセンスあると思うけど。昔父さんに弓を教えて貰ったら的に飛ばないどころか空高く打ちはなって、偶然近くにいたケインを射殺しそうになったんだろ?」

「――なんでそれを知ってるの!」

「ほらほら二人とも、早く食べちゃいなさい」


 いつの間にか朝食をとり終わったテスが二人を窘める。リリィとシオンは不服そうに口をとんがらせたが、無言で見つめてくる父ルースの圧に負けてパンにかじりついた。


 両親はリリィよりも早くに家を出ていった。シオンは学び舎へ行ってしまったので、畑仕事でも手伝おうかとリリィも家を出た。すると、村の雰囲気がいつもと違った。村長の息子ライアンとパネラの婚約を祝おうと、村人たちは蔦や花、布などで作った飾りを家の軒先につけていた。


「まあ気がはやいこと……」


 普段なら退屈そうに農作業をしている女たちも、今日ばかりは一つ所に固まって若い二人の噂話で盛り上がっている。最初はどっちが声をかけたとか、どこで逢瀬を交わしたとか、きっと子供は何人だろうとか、根も葉もないようなことまで話題に上がっていた。少しだけうんざりしながらその横を通って畑に向かう。母テスは畑にはおらず、すぐ近くの小屋で椅子に座ってミコの実を並べていた。


「乾燥させるの?」


 小屋に入りながらリリィは尋ねた。母は顔を上げると「そうよ。手伝ってくれる?」と言った。こくりと頷き、リリィは母の横の椅子に座る。二人は黙々とミコの実をザルに並べていった。


「いくつか塩漬けにしちゃいましょうか」とテス。

「今年も沢山とれたもんね」

「ここ数年はずっと豊作で安心だわ。これだけ採れれば冬も乗り越えられる」

「肉もあればねぇ」

「そんな贅沢は言ってられないわ。それに、父さんが今魚を捕りに行ってくれてるの。いくつか捕れたらそれも塩漬けにしておきましょう」

「魚って手が臭くなるんだよね」

「まあ、別にいいでしょう。恋人がいるわけでもないんだから」

「今、それ言う?」

「今だから言うの。母さん少し心配よ。あなたは本ばかり読んでいるから……」

「シオンだって似たようなものじゃない」

「シオンは男の子だからね。でもあなたは女の子でしょ。いつかお嫁にいくのだから恋人の一人でもそろそろ紹介してほしいわ」

「そのうちね」


 まだ何か言いたそうな母を残して立ち上がると、ミコの実を並べたザルを隣の小屋へ運ぼうとした。だが小屋を出たリリィは妙な気配を感じ取った。気配というと大げさだが、ほんの少しの違和感のようなもの。視界の隅に映った人影の妙な雰囲気に、思わず視線をそちらへ移さずにはいられなかった。


 彼女の目に入ったのは、なんてことはないイースの村人だった。数件の家を挟んだところに住んでいる老爺で、息子夫婦に農業を任せて昼からフラフラしている男だ。その男が何かをじっと見つめていた。どうせ猫の一匹でも見つけたんだろう。普段ならそう考えてさっさと通り過ぎるのだが、今日だけは異なっていた。


 老爺は数歩後ずさると、どすんと尻もちをついた。周囲にいた村人が助け起こそうと近寄ってきて、老爺と同じ方を見た。村人の顔はさっと青ざめ、老爺と同じように数歩後ろへ下がった。何かが起きている。


「リリィ、どうしたの?」


 出てこようとする母を押し込めるように小屋へ戻す。


「なんか変。ちょっと待ってて、様子見てくる」

「――なあに? なにがあったの? リリィ、危ないことはしないで」

「大丈夫、少し見てくるだけだから。母さんはここにいて」


 両手に持っていたザルを隣の小屋へ運ぶと、リリィは小走りに老爺の方へと向かっていった。その間にも異変を察知した村人が集まってきていた。彼女がそこへ着くころにはちょっとした人だかりになっていて、異変の原因を確認しようにも人が邪魔で見えなかった。


「姉さん!」


 人だかりの中から現れたのはシオンだった。シオンも他の村人と同じく青ざめた顔をしている。


「シオン、どうしたの? 大丈夫? 一体何があったの」

「いいから姉さん、こっちへ」


 シオンはリリィの手を取って、人ごみと反対の方へ引っ張っていった。


「――ちょっと、何、どうしたの?」

「あそこには近づかないで。姉さんも、母さんも」

「だから、何があったのよ」

「……鱗病だよ」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る