第4話

 翌日リリィは長閑な日差しの下、緩やかな坂をのぼっていた。朝から畑仕事を手伝っていたが、飽きて眠そうにしている彼女を見かねて母はリリィにお使いを頼んだ。それは食べごろのミコの実を教会にいる神父に届けるというものだった。


 ミコの実が沢山入ったバスケットを腕に掛け、リリィは坂の上を見た。丘の向こうに教会の頭がひょっこり突き出ている。彼女が歩みを進めると、教会はその古びた姿を現した。リリィが生まれるよりもずっと昔からあるというその教会は、強風に煽られれば崩れてしまいそうに古かった。壁にはいくつかヒビが入り、それを支えるかのように蔦がはっている。窓には昔ガラスが張っていたそうだが、いつのまにかそれも風化し、今は木製の雨戸だけになっていた。


 教会の裏には荒れた山があり生命の息吹を感じないが、この教会はその山の不穏さを寄せ付けないようだった。確かに見た目は教会だが、なぜかこの教会の周りには色とりどりの花が咲いていた。イース村の属するイートリオ王国はそもそも土地に恵まれず、育てられる食物は限られる。だが、この教会だけはそんな制約を受けないとでもいわんばかりだった。


 それを神秘だ奇跡だともてはやす者も多い。だがリリィはなぜかそれが気に入らなくて、否定はしないが賛同もしなかった。そんなことをすれば母に打たれるのが分かっていたから、という理由もあるが。


「リリィ姉ちゃんだ! こんにちは!」


 リリィと入れ違う形で、五人くらいの幼い子供が教会から走ってやってきた。


「なにしてたの?」

「お掃除の手伝い!」


 先頭の男の子が言った。今年で十歳になる子で、まだ子供たちのリーダー的存在だ。


「そう。神父様、忙しそうだった?」

「うーん。わかんない。多分暇だよ!」

「ほんと~? ま、どうせ暇でしょうけど」

「暇だよねー!」


 そういって子供たちは笑い合った。


「あんた達はこれからどうするの?」

「遊ぶの!」

「そう。子供はいいわね。私も戻りたいような、戻りたくないような……」

「リリィ姉ちゃんも一緒に遊ぶ?」

「遊びたいけどお使いがあるから止めとくわ」

「なーんだ、残念。じゃあねー!」


 わあっと騒ぎながら走り去っていく子供達を見送って、リリィは再び歩き出す。

 丘を登り切ると現れた蔦のはった門。錆びて動きづらくなったその門を体で押しながら敷地に入る。教会の正門にむかって歩いていくと視界の隅に人影が見えた。そっちを振り向くと、草花の生い茂った庭に一人の男がしゃがみ込んでいた。


「――神父。ディアス神父!」


 一度目は気が付かなかったディアス神父も、二度目には呼ばれていることに気が付いた。袖を捲った腕で額をぬぐいながらこっちを向くと、リリィのことを見て優しそうに微笑んだ。


「ああ、来ていたんですね。すみません、気がつかなくて」


 ディアス神父は手に持っていた草を足元に放ると立ち上がった。

 彼はリリィよりも頭一つ分ほど背が高い男で、村人の噂によると四十半ばの歳になるらしい。真っ白になった髪の毛は櫛でとかされ整っており、薄く皺の入った額には汗がにじんでいる。目が悪いため、丸い眼鏡を掛けているのだがそれがディアス神父の知性をより高めているように思える。白いシャツのボタンは珍しく二つほど開けてあり、普段は一番上のボタンまでぴっちりと留めていた。黒いズボンの裾と革靴には湿った土がついていて、長い間土いじりをしていたことがうかがえる。


 彼は元々はこの村の生まれでは無かったが随分昔にこの村に来たらしい。彼がこの村に来る前には教会は空き家になったまま放置されていた。信心深い村人が多いイースにとって、きちんと大学に行って神学を学んだディアス神父の存在は大きなものとなった。


「これ、うちで作ったミコの実です。もし良かったら」

「ああ、ありがとうございます。もうミコの実の季節ですか。早いものだ」

「えっと――今は渡さないほうがいいですよね?」


 土で汚れたディアス神父の両手を見て、リリィは言った。ディアス神父は困ったように笑った。


「雑草を抜いていたのですが、タイミングが悪かったですね」

「そんなの、あの悪ガキ達にやらせればいいのに」

「彼らには講堂の掃除をお願いしましたから。庭くらいは私がやらないと」

「それなら山羊でも飼ったらいかがです?」

「うーん、山羊一頭もなかなか高いですからねぇ。山羊に働かせるくらいなら、私が働いたほうが安上りなんですよ。それに花まで食べられてしまっては、勿体ないですから」

「それは、そうかもしれませんね。じゃあこのミコの実は講堂に置いておきますから」

「ありがとう。それにしてもリリィと会うのは久しぶりな気がしますね」


 リリィは思わずこわばった笑みを浮かべた。


「ああ、いいんですよ。嫌味じゃないんです。元気な顔が見れて嬉しいのです。前にも言ったかもしれませんが、私にも昔あなたと同じくらいの娘がいたのでね。時々、姿が重なるんです。まああなたほど快活な子ではありませんでしたが――」


 ディアス神父がそこまで言ったとき、村の裏山からカラスの大群が声を上げながら飛び立った。と同時に冷たい風が一陣吹いて、ディアス神父が足元にまとめていた雑草を吹き飛ばしてしまった。ディアス神父は困ったように笑って、近くに落ちた雑草だけ手でかき集めた。


「神父はあの言い伝え、本当だと思いますか?」


 山の方を見ながらリリィが尋ねた。雑草を集める手を止めて、ディアス神父も山の方を見た。


「あの山に悪鬼が住んでいる、という話ですか?」

「そうです。だから木もほとんど育たないし獣も寄り付かない」

「私は見たことがありませんが、そういった存在もいるかもしれませんね。禁を破って山に入った者が不気味な人影を見た、と言っていたこともありますから」

「もし居るなら、どうして村に降りてこないんでしょうね」

「……ちょうど村との間にこの教会があるからでしょうか。神聖な場を避けようとするのかもしれません」

「それなら、いいけど」

「気になりますか?」

「少しだけ。でもこの村に害がないなら、なんでもいいんです」

「リリィは村想いですね」

「そんなこと、無いです。それじゃあ私はもう行きます。ミコの実、食べてくださいね。多かったら塩漬けにでもしてください。それじゃあ」


 太陽の光が差し込む講堂に入って一番前の席にバスケットを置くと、リリィは祭壇の方をちょっと見上げた。そこには豊穣の神を模した女神の像が祀られており、古びた像にはところどころ埃が積もっていた。

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