散りゆく世界に咲く花よ

山戸

散りゆく世界に咲く花よ

 世界が終わろうとしていた。けれども、それは悲しむべきことではなく、むしろ喜んで迎えられるべき結末だった。


 生き物であればやがて死に、物であればやがて朽ちゆくように、形ある物が終に行き着く、避けられぬ結末。

 世界の老衰とも呼べるそれは、天寿を全うした、誇らしき最期だ。だから、生きとし生けるもの、いや物言わぬ無生物さえも散りゆくことを恐れることなく、穏やかに、心地よく受け入れる。

 正しき結末を、祝福するために。


 私は魔王だ。それは"肩書"であり、私の"名前"そのもの。生まれた時より魔族を統べ、世界を手中に収めんと野望を燃やす、そういう存在としての運命を決定づけられていた。

 私自身もそのことに誇りをもっていたし、我が目的を遂行すべく努力し続けた。だがしかし、結局それは叶わなかった。

 世界の終わりによって。


 世界の終焉が始まる時、私は全てを察した。 きっと私だけでは無いだろう。この世界に在るあらゆるものたちが、終わりを知り、それを祝福し、受け入れようとしている。

 その様はすぐに見ることができた。

 美しい光景だった。窓の外に見える草木が細かな光の粒子となって散っていく。

 まるで緑の星々が天に還っていくようで幻想的と言わざるを得ない。

 そう外を眺めていると、草木が、岩が、そして今まさに飛び跳ねた魚が、散っていった。


 私の終わりは当分先だと理解していた。

 どうやら魔力の少ないものから終わりを迎えるらしい。そういう摂理を、この世界に在るもの達は本能的とも言うべきか、察していた。

 ゆえに魔力の権化ともいえる私、魔王はずっと先に散ることになるようだ。


 そうして時間があることが分かった私は、真っ先にやりたいことがあった。側近も席を外しているし丁度いい。

 玉座を持って城をぶち破って飛び出すと、緑色の光たちに包まれた地面へとそれを置いた。そして玉座に腰掛けた。

 すると無数の鮮やかな緑の光が私を包むかのように昇っていく。

 筆舌に尽くしがたい情景だ。上を見ても青空は殆ど見えはしない。見えるのはこの世界に生きた命の、最期の輝きだ。


 光がなくなったころ、自分が玉座にもたれかかり、両手を広げ、笑顔で天を仰ぎ続けていることにようやく気づいた。

 

 ふと我に帰り辺りを見回すと、そこには草木はおろか岩すらなく、灰色の砂塵の積もった荒野となっていた。少し切なさは感じたが、絶望感や悲壮感は覚えなかった。


 ただ、流石に何も無い荒野に座り続けるのも退屈だ。

 そう思った私はすっと立ち上がり、後ろに聳える自分の城、魔王城を一瞥した。あの城も魔力を帯びているから、恐らく少しは保つだろう。

 あそこに従事している兵士たちも同じく時間はあるだろう。だからせめて最期は彼らの好きなようにさせてやるのが良いか、と思った。


「魔王の名において告ぐ。魔王軍は本日をもって解散する。ゆえに各自思い思いに最期を過ごすが良い。」

 大声で、城に向かって叫んだ。


 そうすると、大勢の兵士たちが鎧を脱ぎながら笑顔で城から駆け出していくのが見えた。

 正直、最後まで魔王様に忠誠を誓い抜きます、という返答を期待していたので少し寂しい気持ちになった。

 でもまあ、家族や恋人とかと過ごすほうが良いのだ、良いはずだと自分を言い聞かせ、胸を張って城を後にした。


 歩けども、歩けども荒野は広がっていた。青空を除けばまるで色という概念がなくなったような極めて単調で殺風景な世界と化していた。時々自分の紫がかった肌をみなければ、本当に色というものがわからなくなりそうなほどだ。 

 

 ふと、地面に無数に積もっている灰色の砂を掬い上げた。その砂をよく見ると、灰色は灰色であるのだが、どこか透明であるような気がした。

 観察してみた感想としては、特段汚くもなく、ましてや美しくもない、というよりこれに関してなんの感情も持てないのだ。恐らくこの砂塵は、散ったものたちの成れの果て、だと思われるが、だからといってそこに何かを思う余地はない。ただ事実を理解できるのみだ。

 

 そのようにして無意味な考察をしていると、手のひらの上の砂がふわりと舞った。風が吹いたのだ。風が吹いたということは、どうやらまだこの世界生きているところがあるようだ。全部終わってしまえば、風すら起きないだろうから。

 

 とりあえず、風が吹いてきた方に歩くことにした。もっとも私がもともと進んでいる方向と同じなのだが。

 

 そういえばここはどの辺りにあたるのだろうか。

 かつてのような、生い茂る森林も、過酷な山脈も、禍々しい毒沼も、今では見る影すらない。どこまで行っても平坦で何もない。なので距離感が全くわからない。

 ただ来た道は確実に戻れる。なぜなら私の足跡が、はっきりと残っているからだ。

 

 このままのんびり歩き続けるのも良いが、何かと出会いたいという気持ちが勝ってきた。ゆえに私の魔力を使い走ることにした。

 足に魔力を漲らせ、歩きから段々と速度を上げていく。変わり映えのしない風景のせいで速さを実感しづらかったが、後ろを振り返れば、新しい足跡が瞬く間に点未満になっていったので相当な速さがでているようだ。


 走り始めてそこそこ経ったころ、目の前に何かが見えてきた。魔力を抑え、速度を落としながら近づくと、それが人間であることが分かった。

 金と青を基調とした仰々しい鎧と兜、そして剣を身につけている。そんな装備と、未だ散らぬほどの魔力を持つ人間、私が心当たりがある者はただ一つ、勇者のほかにない。


 勇者は私の存在に気づくと、少しずつ近寄っていくこちらを見つめ続けていた。そこには、本来向けられるはずの敵意はなく、だが真剣な面持ちをしていた。


「ほかの魔族とは明らかに違うな。魔王か。」

 勇者は言った。

 

 この勇者、近くに立って見てみると、その豪奢な装備以外は、至って平凡な人間の青年のように見えた。

 顔立ちは他の人間と比べると、それなりに整っているようだが、体格や雰囲気はそれまで相対してきた冒険者と何ら変わらない。いやむしろそれよりも未熟なように感じられる。それは彼の若さ故だろうか。


「そういうお前は勇者だな。」

 勇者の問いかけに答えるべく、そう言葉を発した。

 

 しばし沈黙の時が流れた。それは宿敵同士の探り合いなどではなく、単にお互いどうすれば良いか困ってしまっていたからだ。

 

 先に口を開けたのは勇者だった。

「まあ、こんな時だし、どうだ一緒に話でもしないだろうか。」


 その言葉に面食らってしまった。なぜなら私も同じことを言おうとしていたから。


「くく。いいだろう。」

 思わず笑ってしまった。この世界で数少ない話し相手が見つかったので嬉しかったのだ。


「こんな場所で話すのもつまらないよな。ついてきてくれ。良いところに案内しよう。」

 勇者はそう言い駆け出した。私もそれについてゆく。

 

 やがてたどり着いたそこは、一面の花畑だった。それも花々の花弁が淡い青い光を放っていた。これらを私は知っていた。花でありながら極めて濃度の高い魔力を持ち、我ら魔族に重宝される希少な植物、"魔王花"だった。


「どうだ?綺麗だろう。とっても貴重な花で"勇者花"って言うんだ。」

 そういって誇らしげに紹介してきた。


「ほう勇者花。人間達の間ではそう言うのか。」

 私がそう呟くと、勇者は少し訝しげな表情を見せた。


「なんだ知ってたのか。」


「知っているとも。ただこっちでは魔王花と呼ぶがな。」

 そう淡々と言ってやった。


「ははははっ。魔王花か。そうかそうか。魔王花か。」

 勇者は唐突に笑い出した。何回もその響きを味わうように"魔王花"と繰り返した。


「人間も、魔族も、考えることは似たようなものだな。きっとこの花が貴重で、大切にされていたから名付けたんだろう。それぞれの、最も誇るべき存在の名前をな。」

 ひとしきり笑った後、勇者は微笑を残しながらそう言った。


「片方は自らをまとめる王の名を、もう片方は自分たちを脅威から守る者の名をつけたか。くくく、どちらも単純だな。」

 そういっては笑い合った。世界が終わる前でなければ決して有り得なかっただろう。争い続けてきた、魔族と人間、ましてやその代表が談笑するなど。


「どうだ。一緒に飲まないか。」

 勇者はそこにゆっくりと座り、魔法を使って瓢箪と杯を召喚した。


「酒か。いいだろう。」

 私も腰を下ろす。


「この酒は特別な代物でな。退魔酒という。聖なる力が込められていて、魔を滅するらしいぞ。」

 勇者はそれを注ぎながら説明してくれた。


「それを、お前、魔王が飲んだらどうなるか、試す勇気はあるか?」

 勇者は意地悪げに笑っている。


「どうせ最期だ。飲んでやるのも良かろう。」

 私はすんなりと受け入れ、それを少し飲んだ。その後、杯を地面に置いた。


「ぐっ。」

 そう唸り、後ろに倒れた。勇者はちらりとこちらを見た。まだ微笑を湛えている。


「おい、もう気は済んだか?俺は知っているんだぞ。これはただの酒ってことを。」

 勇者は前を向いて、酒を口に含みながらそう言っている。真顔だった。


「なんだ知ってたのか。」

 そう呟き、体勢を元に戻す。確かに普通のものと比べると強い酒だが、それの他には変わったところなど何もなかった。


「お前と飲む前に、他の魔族と一杯やった。そいつもうまそうに飲んでいたからな。」


「そうか。」


「それにしたって、退魔酒なんてよく言ったもんだ。敵の退治を口実に、皆ただ酒が飲みたいだけだったんだな。」

 勇者は、ニヤニヤしながら瓢箪を摘んで左右に揺らしていた。


「酒には肴が必要だろう。私からもくれてやる。」

 真っ赤で、紙のように薄い干物を召喚した。


「これは何の干物なんだ?」

 勇者は顔をしかめて言った。


「くくく。魔族名物の逸品だ、まあ食べてみろ。どうせすぐ散るのだから何の問題もあるまい。たとえ貴様ら人にとって"不味い"ものであっても咎める者はいないのだからな。」


 勇者はそう言われると、腕を組み、少しの間悩んでいた。しかし、覚悟を決めたようで、杯に注がれた酒を一気に飲み干し、私が差し出した干物を奪い、勢いよく噛みちぎった。その後よく噛んでいた。


「思った以上に美味いが、これは何なんだ。」


「くっくっく。これはな。」


 勇者は唾を飲んだ。きっと干物も一緒に。


「魚だ。魔族の間で長い間親しまれている、魚。その美味しさと手軽さから魔王魚と呼ばれているぞ。」


「はー。しょうもねえ。」

 勇者は安心したように、あるいは呆れたように肩を落として俯いた。


「魔族は何でもかんでも魔王ってつけるのかよ。単調な奴らだな。」


「人間共も同じだろう。」


 ここに来て、初めて敵対心が生まれた。そうだ、目の前にいるのは永い間我が魔族を殺し続け、世界征服を妨げてきた宿敵。だが今はそんなことはどうでもいい。ただ小馬鹿にされて腹が立ったのだ。


「やるか?」

 そんな私の敵意を察したのか、勇者は立ち上がり、背負っている剣に手をかけた。圧倒されるほどの気迫とともに。


「なっ。」


 驚く私を見下ろし、勇者はこう話す。

「最初に会った時、お前は俺を見くびっていただろう。冒険者の先輩方と比べたら、俺もまだ若いからな。だが、事実として俺は多くの魔族を屠っている。それと...悪い人間もな。」


 その語り口には、今までのような調子の良い青年の面影はなく、ただただ低く、鋭く、冷たい戦う者としての姿がそこにはあった。


「魔王。お前こそまだ歴が浅いだろう。きっとお前より、俺の方が人間を殺しているだろうな。」


 その通りだった。私は、先代の魔王から引き継いでから短い時しか経ていない。そう、目の前の勇者を未熟だと感じていたこと、それが何よりの証拠だったのだ。

 力量を見誤った私こそ、未熟者だった。


「とまあ、こんな日に争ったって何にもなりゃしないや。飲もうぜ。」

 勇者は、以前の口調に戻り、座った。


「時に勇者よ、名前は何という。」


 そう口を開いたと同時に、眼前の青い花が散り始めた。私と勇者、二人ともそれを眺めている。


「さあ。なんて名前だったっけ。」


「自分の名前だぞ。覚えていないのか。」


 一面の花畑から無数の青く輝く粒子が昇っていく。そして、青空に溶けるように、混じるように消えていく。


「小さい時は、名前で呼ばれてたっけなあ。何だったっけ。この聖剣が持てるのが分かって、勇者って呼ばれ始めてから、めっきり名前のことを忘れたんだ。」

 勇者は、少し切なそうに、散りゆく花々を見ながら言っている。


「魔王、お前はなんていうんだ。」


「私は魔王だ。それが名前だ。」


「そうか。」


 気づけばそれは散っていた。魔王花、あるいは勇者花は全て。


「さて、俺もそろそろかな。」

 勇者は微笑していた。


「最期に、この剣のことを話しておこう。」


「聖剣とやらか。」


「そうだ。これは本物だ。かつてこの剣は数多の魔族、いや魔王を打ち滅ぼしてきた本物の聖なる力が宿る剣だ。」

 勇者は真剣に語っている。


「私もこの剣に選ばれた人間だからこそ何とか持つことができている。」


 そうして右手を剣の取っ手にかけようとしたが、その手はもうなかった。光の粒子となり、散っていっていた。


「大層な剣だな。」


「ああ、本当に、そうだ。」


 勇者はしばしの沈黙の後こう続けた。

「この剣は、俺が消えた後もきっと残るだろう。だが、絶対持つな。聖なる力は、お前を蝕むだろうさ。」


 私は沈黙を貫いた。


 勇者の半身が消え、かろうじて顔と胸の一部が残っていた。彼は最期に笑顔でこう言った。

「どうせなら、お前だけの、お前の世界を、最後まで楽しみたいだろう?」


 勇者は散った。決して笑みを崩さずに。そして、剣は落ち、砂塵の大地に突き刺さった。


 だが、私は好奇心を止めることが出来なかった。


「勇者よ。悪いがそれは無理な願いだ。ここで持たねば、魔王ではない!」


 躊躇うことなく、立ち上がり、聖剣を掴み、引き抜こうと力を入れた。その瞬間から、これまで感じたことのない程の疲弊感と、手に激痛が襲う。


「ぐうっ。」

 唸り、その苦しみから思わず片膝をついてしまう。


 やがて疲弊感は熱さに変わり、体の内部が燃やされているようで、手の痛みは尋常ならざる痺れへと変わった。


 悶えた。悶え続けた。だがなお剣を離さず持ち続けた。魔王としての矜恃、というのは建前で、ただの私の意地だった。


 そうしていると突然、今までの熱さや痺れが嘘のように消え去った。死んでしまったのかと錯覚したが、依然、私は殺風景な荒野に片膝をついている。

 そこから難なく剣を引き抜き、立ち上がり横に振ってみた。すると凄まじい衝撃派が巻き起こり、辺りの砂塵を舞い散らす。


「くく...ふふふ...はっはっは!」

 余りの滑稽さに笑いが止まらない。


「なにが"聖剣"だ!」


 その剣は確かに普通の剣ではなかった。膨大な魔力を宿し、故にそれに耐えうる持ち主を必要とする。だが、決してそれは聖なる力などではなく、ただの力だった。そして、それだけの魔力があれば、魔王すら倒せるだろうということは容易に理解できる。

 とどのつまり、魔族だろうが人間だろうが、適正さえあれば"剣に選ばれる"ことができるのだ。


「まったく"勇者"だの"聖剣"だの...。」


 ため息がでた。


「"魔王"も、同じか...。」


 天を仰ぐと、驚くほど青い空だった。


 来た道を戻ることにした。もう城はないだろうが、それでも最期は故郷で迎えたかった。帰路は足跡が示している。ゆっくりと進み始めた。


 そこからはただひたすらに無表情な荒野を歩き続けた。一切の風が吹かず、整然とつけられた足跡だけが今この世界に刻まれている異変なのだろうと思った。いや、後一つ変化があった。勇者からの"餞別"を肩に担いでいることだ。

 魔王が聖剣を持つ、最大級の異変だろう。


 流石に変わり映えのしない荒野をひたすらに歩き続けるのには飽きが来ていた。だから、勇者の剣で遊んでみたくなった。


 とりあえず四方八方に剣を振りまくってみた。振るたびに強烈な衝撃的が発生し、砂が舞う。次は縦に振り下ろす。剣が接地したその瞬間、大地が裂け、それが遠い地平線の彼方まで伸びていくのが見えた。


「まったく恐ろしい剣だ。」


 その力に戦慄しながらも、陶酔していた。辺り一面は砂埃が舞い、灰色の霧がかかったようになっていた。


「さあ、本番といこうか。」


 剣に力を込め、仁王立ちしたまま、それを解放するように剣を地面に突き立てる。私はそのやり方をなぜか理解できていた。剣は鈍く輝き、私を中心に風が吹き始めた。それは竜巻となって吹き荒れ、轟音が鳴り、たちまち視界が巻き上げられた砂埃によって塞がれた。その壮絶さゆえに、恐らく規模は凄まじく、終わり際の世界でなければ大惨事となっていたに違いない。


「ははははは!」

 風音によってほとんどかき消されてはいたものの、私は笑い声を高らかにあげていた。

 

 こんな強烈で、刺激のある体験は久しぶりだった。そして、何より思い切り力を振りかざすことの出来る状況が、世界を掌握した様に思えてならなかった。そうして私はずっと剣を地に刺したまま、その力を堪能し続けた。


 どれほど経った後だろうか、強烈な体感により私の感覚が麻痺していたのか、短いのか長いのか分からないが、それは来た。

 剣と、楽しい刻の終わりである。


「流石にやりすぎたか。」


 剣を突き立てた地面から噴き出すように光の粒子が昇ってゆく。そこから刀身、鍔、柄と散っていった。そして私は、音一つない荒野の中で、空気を掴んでいた。


「戦ってもないのに、壮絶な最期だったな。」


 満足した。これまで生きてきた中で最も高揚する瞬間だったかもしれない。


「あ...。」


 改めて帰ろうとした時、やらかしてしまったことに気づいた。

 今まで夢中になりすぎて考えてもすらいなかったが、帰る道となっていた足跡をかき消してしまっている。

 遠くにまだ残っていないか目を凝らして見てみたが、見渡す限りの地平線は全方位、ただ風の跡が残るばかりである。


「やってしまったな。ははは。最期は家で過ごしたかったんだけどな。ははは。」

 たまらず乾いた笑いが出た。


「まあ、どうせ散るのだし。何処でも同じか。別にこだわる必要はないな。」


 必死に自分を言い聞かせながら、無理やり覚悟を決めた。ここで散るのだと。そう意を決して、座ろうとすると、何やら後ろから音がするのが聞こえた。


 それは足音だった。聞き慣れた砂を踏み締める音。次第にそれは大きくなり、音の主も見えてきた。


「やはり魔王様でしたか。」


 遠くから大声で呼びかける私に似た紫の肌をした彼女は、私の側近ゼラだった。


 私はゼラの方へと駆けていき、問いかけた。

「ゼラか。なぜここに?」


「家族との最後の時間を終えて、城の跡地に戻ったのですが、そこに足跡を見つけたのでもしかしたらと思い、辿ってきました。」


「そうか。もうほとんど終わってしまったのだな。」


 彼女は、私の次に魔力を持っていた。だからこそ側近に任じていた。


「はい。恐らくもう残っているものはいないかと。」


「では私たちもそろそろだな。急いで帰らねば。」


「ええ、こちらの方向です。」


 そうしてゼラの示した方向に、2人で歩き出した。


「どうだった。」


「何がです?」

 ゼラは私の問いかけに淡々と返した。


「家族とのひとときは。」


「穏やかな最期でしたよ。父も、母も、何も変わらず、そのまま散ってゆきました。」

 そう言う彼女の口角は上がっていた。


「そうだ。ゼラ、頼みがある。」


「なんですか?」


「もうどうせ世界が終わるのだ。単に"友"として接してくれないか。魔王と側近ではなくてな。」


 私がそう頼むと、ゼラは少し黙ったあと、軽いため息をしてこう言った。


「いいでしょう。いや、いいわ。」


「おお。ありが...」


 礼を言おうとした矢先、

「魔王様、いいえ、魔王。まずあなたは食べるのが早すぎるのよ。私が軽く窘めても、時間がないとか言い訳して、早食いを辞めようとしなかったわね。まったく、いくら"最強"の魔王といえどもよく噛まないのは体に毒なのよ。」


「えっ?え?」

 彼女が急に捲し立てるものだから驚きで頭の中が真っ白になってしまった。


「あとねー、お風呂とかも早いわね。魔王だからってそんなに何を急ぐことがあるのかしら。側近として今まで近くで見させてもらったけれど、そんなに急ぐべき場面はたいしてなかったと思うわ。もうちょっとリラックスしてもよかったんじゃないかしら。」


「す、すまん。」 


「それとね、変な物を見つけてきてはそれを試そうとするのも正直やめて欲しかったわ。聞いたこともないような名前のポーションをどっかから持ってきて飲んで、勝手に体壊したり、人間の持ってた杖を振りかざして遊んだり...。あっ、さてはさっきの暴風も同じ様なことをしたのね!」


「...あぁ。そうかもな。」

 凄い小声になってしまった。


「やっぱり!見ててヒヤヒヤするのよ。どんな効果か分かんないし。もうちょっと慎重になるべきだと思うわ。きっとあなたのお父様とお母様も───。」


 こんな感じの説教が延々と続いた。長い長い帰路を歩きながら。いや、途中から逃げたいと思っていつの間にか走っていた。もちろん彼女も余裕で並走していたが。


「───あと、水分補給も少なすぎよ。玉座に座っている間は全く飲まないのだもの。半日も飲まない時もあったから流石に心配したわ。見かねてさりげなく勧めても、表情一つ変えず、不要だ、ですって!いくら威厳が大切って言ってもねえ、...あら?」


 ゼラは散り始めていた。


「ここまでのようね。」


 私とゼラは走るのを止め、向かい合った。


「残念だな。ここで語らいは終わりか。」


 正直ちょっとほっとしてしまった。


「そうね、まだまだ言いたいことは沢山あったけれど、しょうがないわ。」


「まだあったのか...。」


「まあ、少しでも言いたいことを言えたのだから悔いはないわ。お友達としてね。」


「お前がそんな事を思っていたとはな。私ももう少し、自分に気を配るべきだったな。」


「本当にそうよ!そもそも魔王である前にあなたは...。」


 ゼラの体は既に首から下が無かった。それに気づいたのか、急いでこう告げた。


「ありがとうね!」


 そう言い残し、彼女は散っていった。今まで見たことのない満面の笑みで。


「ああ、こちらこそありがとう。我が友よ。」

 私は呟いた。

 一人荒野の中に佇んで。


 帰路への歩に戻り、私は己を恥じていた。かつて私は彼女を疑っていた。魔王の座を奪おうとしているのだと、裏切りの目論みを睨んでいた。


 落ち着いて食事するよう、進言されたことがあった。私はそれを毒を盛る機会を作り出そうとしているのではないかと疑った。


 風呂に入っている時、警備の者と彼女が何かを話しているのが耳に入ったことがあった。無防備な私を仕留める機会を探っているのではないかと疑った。


 けれど違った。私の身を案じ、ゆっくりと食事を、風呂を、行えるよう気にかけてくれていたのだ。


 ああ、私はなんと愚かで、醜い考えの持ち主なのだろうか。今冷静に考えれば、こじつけのような疑いばかりだ。もっと早く友として接するべきだったのかもしれない。魔王としての自分に固執したゆえの末路だ。


 その後、落ち込み続けながら足跡の終点、いや始点に向けて走りだした。ゼラが私の足跡を辿ったのだろう、2つのそれが横に並んでいた。それを見ると、落ち込みも安らいだ。

 私と彼女は友になることができたのだ。それで良かったのだ、と。


 そして、ようやく最初の足跡が目に入った。近くには玉座もまだ残っていた。


「代々使われてきたこの玉座、どうやら相当な魔力が込められているようだな。」


 私は、その玉座について思い返した。歴代の魔王は、代替りの時、"魔力込めの儀"を行う。

 これは文字通り、新しく魔王に就くにあたり、自らの魔力を玉座に込める儀式だ。私も、この儀式を堺に、魔王としての覚悟を固めたのだ。

 だから、玉座はいわば魔王の象徴であり、未だ残る玉座を見ると、先代の魔王たちが私を迎えているように思えてならなかった。

 最後の"魔王"を見届けるために。


 私はそこに再び座った。見渡す限り一面砂塵の荒野、そこに居るのはただ一人。魔王だけだ。

 きっと他に誰もいない世界で、私のみが君臨しているのならば、それは私が世界を掌握したと言っても過言ではないだろう。

 ついに魔王は、世界を手にすることが出来たのだ。青い、青い空の下、穏やかに笑顔をたたえる。


 そう長くない後、玉座が最期を迎えた。光となり天に昇るそれを見た。

 それには確かに思い出が込められていたはずなのだが、驚くほど何も感じることはなく、穏やかに受け入れた。

 全部消えてしまった後も、私はそのままの姿勢を空気椅子という形で頑張って保ち続けた。

 最後の世界に君臨する魔王として、たとえ空気でも、椅子にふんぞり返っていた方が威厳があると思ったのだ。


 直ぐに疲れて砂の大地にあぐらをかいた。私の視界に何かが映った。玉座の陰に隠れていたそれは小さく、白い、花だった。


 私はこの花の名前を知らなかった。これまで見たことがあったのかなかったのか、気に留めたことさえなかった。特段目を引くべき所のない、小さく、地味なその花が、今私の目を奪っている。


「くくく、はっはっは!まさか...まさかまだ居たとは。」


 とても愉快な気持ちになった。


「お前はどっちだ?世界に唯一となり、世界を手中に納めた新たな"魔王"か、あるいはこの魔王が世界の最期に君臨するのを阻止した"勇者"か...。」


 手が、足が、光り輝き散っていく。


「いいや、不粋なことを聞いてしまったな。お前は違う。」


 体の半分が散った。思った通り、とても穏やかで清々しい気持ちだ。


「なあ、散りゆく世界に咲く花よ。」


 笑顔で、散りゆく。

 ただ一輪、世界に咲く花を見つめながら。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

散りゆく世界に咲く花よ 山戸 @aaaautumn

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ