冬①
僕が手を取ると、湖凪さんは笑みを深めて、繋いだ手をブンブンと上下に揺らした。大層ご機嫌なようだ。
しばらくそうした後、なら早速どっかに出かけようかと湖凪さんが言い出した。着替えるからと追い出された廊下で独り言ちる。
「バカだな、僕は…」
一蓮托生の手を取った。これで、僕の余命も一年というわけだ。伸びたのか縮んだのかはわからないけれど、まさかこんな新手の自殺になるとは思わなかった。
だって、そうだろう。僕を殺すと言う女と生きることを、自殺以外のなんと言う。
入水から他殺に変わるだけだと物騒なことを考えて口の中でだけ笑っていると、足音が背後から近づいてきているのに気づいて、振り返る。
「やあ、天野くん。お話は終わったみたいだね」
「ええ。湖凪さんなら、ご機嫌で着替えてますよ」
「そうか。その分だと、上手くまとまったのかな」
「藤井先生は、僕らが何を話してたか知ってるんですか」
彼は壁に背中を預けるようにすると、目を瞑り、首を振る。
「いや、実のところ全く。ただ、二人で大事な話をするから出て行けと、そう言われただけさ」
「先生は…湖凪さんの、なんなんですか」
「主治医、だね。まあ、今のところ何も成果を挙げられていないから、そう名乗るのも心境的には微妙なんだけど」
藤井先生は、情けなさをに発散させるように、乾いた笑いを漏らす。
「そりゃそうなんだけど、死ぬと宣告されたクリスマスの日。佐藤くんは、受け止められなくて、病室から飛び出して行った。なのに、ほのかながらも笑顔を浮かべて帰ってきたときは驚いたよ」
藤井先生は、僕の顔をじっと見つめると「きっと、君のおかげなんだろうな」と言った。
確かに、僕は彼女の心を救っているのだろう。でも、決してこの人が思っているような、褒められたものじゃない。
「でもね、表面上は笑顔でも、佐藤くんはまだ十九歳の少女なんだ。死ぬのが怖いわけがない。だから、ゆめゆめそれを忘れないでやってくれ」
それだけ言うと、藤井先生は腕時計で時間を確認し「おっと、そろそろカルテを書かないといけないから、失礼するよ。あ、彼女が意識を失う一時間前には病室に戻っておくようにしてくれ」とだけ言い残し、去っていった。
「もう。心配性だね、藤井先生は」
先生が角を曲がり姿が見えなくなった頃、病室のドアが開いた。
「聞いてたんだ」
「最後の方だけね」
病室の中から物音が消えたなと思っていたら、やはりか。
「死はそりゃ怖いけど、奏がいてくれれば、大丈夫だよ」
「あの世に一緒に行く、道連れがいるからね」
「死ぬの怖くない人が、横にいるからね」
そんな会話をしながら、病院の外に出る。外の寒さに身を震わせながら、思い出す。今日こそは忘れないようにと持ってきた紙袋の中からマフラーを取り出し、湖凪さんの首に巻いた。
「生きる方への投票代わりのプレゼントってつもりだったんだけど」
「チクチクするので、苦手なんですよ。肌弱いので」
「じゃあ、今日は肌に優しい素材のマフラーを買いに行こうか」
そうやって、冬の街を歩いていく。肩を並べて、夜と人混みに紛れて、命の儚さを感じさせないように。
それからというもの、毎日湖凪さんが起きる時間に病院に行って、朝方に彼女を病院に送り届けるという生活が日常になった。
病室でダラダラ話すこともあれば、湖凪さんの思いつきで、どこかに出かけることもあった。
そうしているうちに、僕たちは共に新しい年を迎えた。初詣には、行かなかった。僕ら二人とも、神に何を願えばいいのかわからなかったから。
そうしているうちに、僕は高校生であることを思い出し、新学期を迎えても生活は変わらなかった。
最初の方は、湖凪さんと同じように辞めようかと思っていたのだが、なぜか湖凪さんがいい顔をしなかったので、そのまま通っている。
といっても、朝まで湖凪さんと遊び歩いては、ろくに寝ずに登校しているから授業中はほとんど寝ている。
僕には起こしてくれる友人どころか、話しかけてくる人間もいないので、特に問題はなかった。
教師はいい顔をしていないだろうが、残念ながら今更内申点など気にしても仕方ない。
そんな、いつもと同じ日中を過ごし、世界が夕暮れから夜に変化した頃、いつも通り彼女の病室に向かった。張り詰めた冬の冷気が身を刺すから、顔の半分を覆い隠すように、湖凪さんにプレゼントしてもらった紺色のマフラーの位置を直した。
大病院の別棟の奥の奥。僕の姿を見ても、またかとでも言うように、すぐさま元の作業に戻ってしまうようになった受付を通り過ぎて、真っ白な廊下を進む。
その突き当たりに、彼女はいる。ノックを二回すると、中から入室の許可を告げる明るい声が聞こえた。
「おはよう、奏」
「…おはよう、湖凪さん」
室内に入ると、暖房が暑いくらいに効いていて、僕は身につけていたマフラーとコートを脱いで、入り口のそばの小さな椅子に乱雑に置いた。
カーテンは開いていて、窓の外では、冬が今か今かと僕らを襲う時を待っている。そんな中で、湖凪さんと温もりを享受している自分がなんだか不思議に思える。
いつもみたいに丸椅子を持ち上げて、ベッドのそばに移動させ腰を下ろすと、ちょうど暖房の風が直撃する場所だったらしく、目を覆うような僕の前髪がふわりと揺れた。
「今日は何してるの?湖凪さん」
入室していた時から気になっていた。ベッドサイドテーブルがやたらと散らかっているのだ。
そこには、コピー用紙を等分にしたような小さな紙が散乱しており、その横にはなぜか数種類のカレンダーが積まれている。湖凪さんは手にマジックペンを握り、その紙に熱心に何かを書き込んでは四つ折りにしてという作業を繰り返していた。
「ちょうどいいところに来た。奏にも手伝って貰おうと思ってたんだ」
湖凪さんはそう言うと、散らばった紙切れの半分ほどを訝しげな僕の方に寄せると、僕にもマジックペンを渡した。
「アドベントカレンダーを作ろうと思うんだ」
「アドベントカレンダー?」
聞き覚えのない単語に僕は首をかしげる。
「あれ?ご存知ない?」
「生憎」
湖凪さんは、からかうような口調で「仕方ないなー」と呟くと、積まれたカレンダーの一番底に埋もれていたものを引っ張り出す。
大仰な仕草で僕に見せつけてきたのは、赤と緑のクリスマスカラーの装飾で彩られた、一枚の板状のとてもカレンダーとは言い難い代物だった。
「なにこれ?」
「これはね、クリスマスまでの二十五日間に、その日が描かれた窓を開けると、色々なものが入ってて楽しめるって代物なんだよ」
「要するに、クリスマスまでの十二月を目一杯楽しんでやろうって考えた人の犯行?」
「おそらくそうだろうねー。これはお菓子バージョン。最近はいろんなのがあるらしいよ」
湖凪さんは、言うが早いか十二月一日の窓を開けると中身のクッキーを口に放り込む。
「それで?なんでそれを作るの?残念ながらクリスマスには、まだ気が早いと思うけど」
「んー、そうだね」
もぐもぐとクッキーを咀嚼する湖凪さんに問いかける。口の端に付着したクッキーの破片を指で拭いながら、少し考えるように顎に手をやる。
「簡単に言うと、これの一年版を作りたいんだ」
「一年版?」
「そう、一年版。ほら、私ってちょうど今年のクリスマスに死ぬでしょ?」
さらりと告げられた言葉に苦笑する。湖凪さんは、たまに言い聞かせるように、自分の終わりを口にする。
「これも何かの縁かなって。クリスマスのカウントダウンを楽しむためのものがあるんだったらさ、それに乗っかろうって、それだけ」
誰もがクリスマスを待ち焦がれ、それを指折り数えるためにアドベントカレンダーなんてものが出来たのだろう。
「私、じゃなかったね。私達か」
そう。僕たちにとってのアドベントカレンダーは死へのカウントダウンだ。ならばそれに気づかないために、毎日に些細な楽しみを設けようという、彼女の発案も正しいのかもしれない。
「それで?どんな風に作ろうとしてるの?」
「月に分けて、毎日することを書いて、このボックスに入れていくの。それを、毎日引いてすることを決めよう」
「例えば一月なら、お餅を食べる。とかね」と、彼女は、手元に散乱している紙の中から一つを広げて、僕に見せる。
「夜にどこでお餅食べれるの?」
「…それを探す過程も、楽しいんだよ」
僕がそう問うと、湖凪さんは思いつかなかったらしい。誤魔化すように、僕も早く書くように命じた。
結局、風物詩を毎日分用意することは、流石の風流にあふれた日本といえど出来ず「何もなし」を半分ほど加えて、僕たちの死へ向かう一年版アドベントカレンダーは完成した。
ちなみに、じゃあ早速ということで、湖凪さんが今日の分を引くと、そこには「お餅を食べる」と書かれていた。
僕らは顔を見合わせて笑った後、色々と調べた末に、おでん屋さんに行って餅巾着を食べた。
一月の半ば。後十日ほどで、湖凪さんの時間は一時間削られる。彼女はそれに怯えなどないように、がんもどきを頬張っている。
彼女に怯えは見えない。僕は、そう思っていたんだ。
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