第19話 ある老人との出会い

♢


クライス・ダールトン。


失ってから初めて俺は、あいつに何度も救われていたのだと気付く。

意地を張って、最期まで俺はあいつに友達だとは言えなかったけれど、今ならはっきりと言える。

クライス。お前は俺の自慢の友達だよ。

そんな俺の本心は、固く胸の内に秘めたまま新たな旅が始まった。


「ひーまーでーすー!ひーま!!」


本来なら甲板にでも出て海を眺めながら、クライスとの思い出を振り返り涙を堪え、飛び去っていくカモメに思いを馳せる……のだろうが、生憎とそんなドラマチックな展開をこのお子ちゃまが許すはずもなかった。

感傷に浸る間もなく、俺達は次なる目的地を目指し船に乗っていた。

サートル・ベルから出航したこの客船は、様々な人を乗せ、十日間の船旅に出る。

五日間は、初めての船旅に目を輝かせていたレノアだったが、六日目にして年相応に駄々を捏ね始めた。

「ったあく!大人しくしてろ!!折角の高級船だぞ!?もっと記憶に焼き付けろ!脳裏に刻め!俺達一般庶民には、絶対に乗ることの出来ない船なんだぞ!!」

クライスは俺とレノア、エクターの為に二部屋も予約してくれていた。

が、レノアは退屈になったせいか、こうして俺の部屋に押し入りじたばたと足を動かしている。

このお子ちゃまには分かるまい。この客船がどれだけ豪華で高級でスペシャルな船なのかを!!

毎日三食、おやつ付き!ベッドはふかふかで寝心地最高。個室にはトイレとシャワー室完備。しかも揺れも少なく船酔いしない!!

なんて贅沢な旅なんだ……!!

記憶が無いからこそ言える、この我儘。

こちとら金が無い時は野宿も野営も当たり前だったんだぞ……!

レノアは俺のベッドの上で手足をバタバタと動かして暴れる。


「でも暇なんです!私は今、暇で死にそうなんです〜!エクターに言ったらニカルの所に行けと言われたんです〜!!」


あっのやろう!面倒事だからって俺に押し付けやがったな!!

エクターのにこやかな笑顔が頭に浮かぶ。

思えばレノアと出会ってからは何かと騒がしい事ばかりだった。

俺だって少しは休みたい。それはエクターも同じ気持ちなのだろう。

……と、なればだ。

俺とて子供を相手に出来るほど寛容な男では無い。

ここはエクターと同じ手を使おう。そう。

「よし、分かった。レノアに一つ、試練をやろう。」

「——試練、ですか?」

「そうだ。これはレノアにしか頼む事の出来ない大切な、たーいーせーつーな!試練だ。」

「むっ。私にしか頼めない……。いいでしょう!聞かせてもらいます、その試練を!!」

ベッドから飛び起きたレノアは自慢げに腕を組んで見せる。

ほんとにチョロいな、このお子ちゃま。

「実はこの船の二階には図書室があってだな?そこには魔法について書かれた特別な本があるそうなんだ。お前にはそれを見つけ出して欲しい。」

「と、特別な本……!なんと興味深いお話なんでしょう……!分かりました、それを見つけてくればいいんですね?」

「うむ。そういうことだ。」

勿論、ガセネタである。

とは言っても完全に嘘という訳でもない。この客船の中には歴史的価値のある本が数多く在るという都市伝説がある。

そしてその中には魔法について書かれたものも存在するとか。

まあ、レノアがそれを見つけ出せる訳ないと分かってはいるが、良い暇つぶしにはなるだろう。

それに、当の本人はやる気に満ち満ち溢れているご様子だし。

ふんす!と鼻息を荒らげ、目をギラつかせるレノアは本当に年相応の子供のようだった。

言ってみればこれは、レノアの宝探し。

レノアとしても、見つける気満々だ。


「それじゃあそう言うことで。よろしく頼むぞ、レノア!」

「はい!任せてください、ニカル!!」


そうして、スキップ混じりでレノアは俺の部屋から退室した。

レノアが居なくなった空間。ああ、なんて空気が澄んでいるのだろう!

と、俺は先程までレノアが転がっていたベッドにダイブする。

これまでの疲れがどばっと押し寄せてきたせいか、横になった途端に眠気が襲ってくる。

うとうとと、意識が朦朧としてきて思考が徐々に停止する。

そうして俺は一人、夢の中へと迷い込んだのだった。


♢


レノア。——レノア・ウィッチ。


その名前を初めて聞いた時、私の心の中で何かが動く音がしました。

目の前の赤い髪の青年は、途端に恥ずかしそうに顔を赤らめて「言ってみただけだ」と訂正していたけれど。

私はその響きを耳にした瞬間に、その名前が良いと直感したんです。

それから私はレノア・ウィッチになりました。

初めてくれた贈り物。大切な大切な、私の名前。


——レノア・ウィッチ。



ニカルに試練を貰った私は、この船の二階にあるという図書室に足を運びました。

そこには私の身長を軽々と超える棚が部屋いっぱいに配置されていて、沢山の本が所狭しと並んでいました。

この中に、ニカルが探している本がある……。

もしもそれを見つけて届けたら、ニカルは喜んでくれるでしょうか。

「……よし!私の本気をお見せしましょう!!」

まずは背表紙に書いてあるタイトルを順番に見て回ります。

するとどうやら、この部屋の本はそれぞれジャンル事に区分されている事が分かりました。

童話に文学小説。哲学や医学文書など、色々な種類の本が並んでいます。

不思議な事に、記憶は無くても文字を読む事が出来るのです。恐らくは書くことも。

それがどうしてなのかは自分でも分かりません。

でも、文字が読めるので最低限の常識を理解する事は出来ました。

「……魔法の本って、どこに分類されるんでしょう?」

この世界の人々は、魔法を否定します。

魔法は無いと口にします。

でも、それは嘘です。嘘なんです。

魔法はあります。皆が知らないだけで実在するんです。

どうしてそうはっきりと言えるのかは、分かりません。

でも私の脳内に魔法という存在が刻み込まれている。

そんな感覚があるんです。


「うっ……あー!全然みつからなーい!!」


本を探し始めてから二時間。

それらしい本は全く見当たらず、私は読書スペースの机に突っ伏していました。

「そもそも図書室が広すぎるんです!!船の中なのに、どうしてこんなにも本が沢山あるんですか〜!!」

一人でそんな不満が漏れ出ます。

このまま泣き寝入りする他ないのかと、半分位は諦めモード。

そもそも魔法関連について書かれている本すら見当たらず、二時間探し回ったせいで足も痛くなってしまいました。

折角のニカルからの頼まれ事なのに……。

むすっと不貞腐れていると、どこからとも無く声が聞こえてきました。


「それはのぉ、この船には数多くの学者が乗るからじゃよ。その学者達の暇つぶしの為に作られたこの部屋は、段々と本が増えていったのじゃ。」


ゆっくりと顔を上げると、向かいの席には白い髭を生やした老人が座っていました。

穏やかで優しい目元に、真っ白な髪。

その老人が纏う空気はとても柔らかくて、初めて会うはずなのに、どこか懐かしく感じます。

「貴方は良くこの船に乗るんですか?」

「そうさのぉ。老いぼれのやる事なんぞ、何も無いのじゃ。だからこうして行き当たりばったりで船に乗っておる。」

「あの、それなら一つ聞きたいことがあるんです!」

がたっと勢いよく立ち上がった私は、前のめりでそのおじいちゃんに尋ねました。

この船の事を知っているなら、魔法について書かれた本の存在を知っているかも!!


「——私、魔法について記載されている本を探しているんです!」


そう口にしたら、おじいちゃんの穏やかな目がぴくりと動いたような気がしました。

あ、そうでした。

この世界の人々は魔法を信じていない。魔法を否定している。

ならきっと、こんな話をしても冗談を言っているのだと思われてしまうのでしょうか。

そう考えていると、おじいちゃんは少し間を置いてから静かに私に尋ねました。

「おぬしは、魔法を信じておるのか?」

その答えは、考える間もないくらいするりと口から滑り落ちました。

だって記憶は無くても、どうしてか魔法の事だけは覚えていたんです。

——魔法は実在する。

そう私の本能は告げているんです。

だから正直に答えました。


「——はい。魔法はあります。必ず。」


私はおじいちゃんの目を真っ直ぐ見て答えました。

私の心が伝わるようにと、そう祈りながら。

するとおじいちゃんはふぉっふぉっと笑ってみせる。

「おぬしは中々に肝が据わっておるのぉ。この船におぬしの探している本があるから知らんが、代わりに一つ、童話を聞かせてやろう。」

「童話、ですか?」

むっ。それは私を子供扱いして……?とそう思いましたが、単純にこのおじいちゃんがどんな話をするのか気になって、私は再び席に座り直しました。

「それはのぉ、ずーっとずーっと昔の話じゃ。」

そうして、名前も知らないおじいちゃんは私に聞かせます。

名前もない、御伽噺を。

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