第14話 いつか忘れるような月の夜

レノアとエクターの帰りも待たず、俺はその手紙を読んですぐに宿を飛び出した。

ぶんぶんと大きく振るその手にはクライスから送られてきたであろう手紙を握りしめている。

「はあっ……はあっ……!!」

全力で街の中心を駆ける俺が目指したのは、クライスの別荘だった。

昨日別れ側に別荘の場所を聞いておいて良かった。

あの時は絶対に行くもんかと思っていたけれど、まさかこんな事になるとは。

汗は風圧で宙に舞い、心臓は足から伝わる振動でぎゅっと締め付けられる、

それでも俺は足を止めずに走った。

オレンジ色に輝く光が俺の頬を照らす。さざなみの音が聞こえなくなるくらい、俺は全力で走り続けた。

「——ったぁ!はあ……はあ……はあ……っ」

路地を曲がり、人の波をかき分けそうしてたどり着いたのはクライスの別荘。

周りは塀で覆われ、大きな門が目の前に聳え立つ。

「何者だ、貴様!」

槍を向けてきたこの二人は恐らく門番なのだろう。

門番に名前を明かすと槍を下げ、何も言わずに屋敷の中へと通してくれた。

クライスの部屋は二階の突き当たりだった。

屋敷の中で働く侍女がそこまで俺を案内してくれた。その間、俺は侍女に今のクライスについて尋ねる。

「お屋敷にお戻りになられてから、様子がおかしいのです。部屋には誰も入るなとそう仰られたきり、もう三時間も籠っていて……。クライス様は普段からお部屋にいるような方では無いので、私達も心配しているのです。」

いつも外をほっつき歩いているのだから、その心配はもっともだ。

「大丈夫です、多分。俺が引きずり出してやりますから。」

「ニカル様は、クライス様の唯一の友人だと伺っております。私達も、そんなニカル様の事は信用しておりますから。……クライス様をどうぞ、よろしくお願いします。」

扉の前でぺこりと頭を下げた侍女はそのまま来た道をなぞるように背を向ける。


二メートルはある、大きな扉は静寂の中で威圧感を放っている。

クライスはずっと俺を友だと言ってくれた。俺はそれにどう答えるのだろう。

俺は、クライスを友だと思っているのだろうか。

そんな自問自答の答えを出すよりも先に、扉に向かって手は伸びていた。

ゆっくりと目の前の扉は開かれる。

カーテンで光を塞がれたその部屋は、明かりが一つも無く闇に包まれていた。

その中でベッドの上に縮こまる影を見つける。


「——クライス。」


天窓のベールで隠されているせいで、奴が今どんな顔をしているのかは分からない。

近付こうとした瞬間、クライスはただ一言俺に放った。

「……すまない、ニカル。」

その声は、今まで聞いたどんな声よりもか細くて、弱々しい声だった。

思わず心臓をぎゅっと掴まれたような気分になる。

「何で、あんな手紙を残したんだ?」

「君には背中を押してもらった。友として、あんなに応援してくれたのに僕はそれに答えられなかった。」

その後ろめたさから、こいつはあんな手紙を置いていったのか。

そんな事しなくても、面と向かって言えばいいじゃないかよ。

そう思ったけれど、そういえば俺はクライスが暗い顔をしている所を一回も見た事が無い。

クライスにとって、もしかしたら誰かに負の面を見せるというのは俺が思っている以上に苦しい事なのでは無いだろうか。

「相手は……なんて?」

「……付き合えないと。俺にはもっと相応しい相手がいるはずだと、そう言われてしまったよ。」

その話を聞いて、俺は何故だか無性に腹が立った。

——相応しい相手?

クライスは自分が持つ全てを捨ててまで、恋に全力になっていた。

たとえ身分が違くても、お腹の中に子供が居ようとも、それでもクライスは好きであり続けた。

そんなこいつの気持ちを、たった一言で破り捨てたのか?

そう考えるだけで、俺の手には力が入る。


……いや、冷静になれ俺!


サトラは心優しくて、分け隔てなく親切な奴だと聞いている。

そんな奴が簡単にクライスを振るか?もちろんこれまでにも貴族からの結婚の申し出を断っているのは知っている。

だが、クライスはサトラの為に全てを失う覚悟を持っていた。

そんな誠意を、簡単に無下にするような人間には思えない。

……ここでうじうじ悩んでも、答えは出ないよな。

ならやっぱり、試してみるしかない。


「——クライス!行くぞ!!」


俺はベッドまで近付き、クライスの腕をグッと引っ張った。

その時やっと俺はこいつの顔を見ることが出来た。

目の下は腫れ上がり、涙で布団は染みが出来ている。

——お前はそこまで好きだったんだな。

その心を、覚悟を無駄にさせたくない。

こんなに熱くなるような男じゃなかったはずなのに、今はまるで自分が自分じゃないかのように積極的な行動をみせる。

きょとんと目を丸くさせるクライスに、俺は告げた。

「確かめに行くんだよ。サトラが、本当はお前の事をどう思ってんのか!!」

色々頭の中で考えるのは性にあわねぇ。

気になったなら行動する、悪いが俺はそういう男なんだ!

「ニカル……どうしたのさ君らしくない……」

「それを言うならこっちのセリフだ、この大馬鹿野郎!お前は一度振られたくらいで、挫ける男だったのか!?」

そうだ。俺の知っているクライスは、いつも悠々自適に笑っていて、何があっても自分を忘れない男だった。

それこそがクライス・ダールトンであり、俺の腐れ縁だ。

だから、俺は何度だって言ってやる。


「——お前の気持ちはその程度だったのかよ!」


クライスは俺の大きな声に、はっと目を丸くさせる。

驚いたような、困惑したような、でも何処か吹っ切れたような。

そんな顔で、クライスはぶらんとぶら下がっていた右腕で自分の頬を叩いた。

パチン!と清々しい音が響く。

「……ああ、そうだった。僕は図太く生きる男だった。ありがとうニカル、君のおかげでやっと自分がやるべき事が分かった気がするよ。」

そうして、クライスはゆっくりと立ち上がった。

その顔に先程までの絶望は無い。

あるのは、昼間と同じ真っ直ぐな瞳を輝かせる男の姿だけ。

「ったく、世話の焼ける奴だ。今度この借りは十倍で返せよ。」

「もちろんだとも!本当に僕は君に助けられてばかりだね。」

そんなの、今に始まった事じゃねぇけどな。

なんて心の中でボヤきながら、俺とクライスは二人で足並みを揃えて扉へと向かう。

いつの間にかとっくに日は沈み、街は夜の賑わいが支配する。


「クライス、サトラの居る場所まで俺を案内しろ。」


ドアノブに手をかけたクライスに、俺はそう指示を出す。

その言葉に、クライスは首を傾げていた。

「それはいいけれど……どうしてだい?」

「お前が会いに行ったら、サトラの本音が聞けないかもしれないだろ。まずは俺がサトラと話をする。」

一度振った相手に、サトラが本心を語るとも限らない。まあ、だからと言って初対面の俺に話すとも分からないんだが。

とはいえこうして部屋に閉じこもっているだけでは何も変わらない。

行こう。二人で。


「よし。……行くぞ!」



そうして俺とクライスは、サトラのいる場所へと向かった。

サトラが居るのは、店では無く貧民街にあるボロい小屋のような場所だった。

クライス曰く、サトラは子供を身篭ってから店には顔を出していないらしい。

妊娠六ヶ月ほどらしく、家で大人しく過ごしているそうだ。

とは言っても妹の件もあり、貯めている貯金を切り崩してやり繰りしている。

俺の持つ、ランタンの明かりが行く先を灯す。

貧民街には様々な人が暮らしている。

サトラのように家があるのならいい方だ。雨風を凌ぐ為の家も無く、地べたに藁を敷いて寝ている者も多くいる。

そんな場所でサトラは暮らしているのだ。

「……おなか、すい、た……。」

子供は生まれる場所を選べない。

こうして今にも野垂れ死にそうになっていても、誰も助けてはくれない。

世界は誰にも優しくない。世界はいつでも俺たちを、突き放す。

「——着いたぞ、ニカル。」

クライスに案内されたサトラの家は、しーんと静まり返っていた。

人の気配すら感じない、まるで亡霊の住む街のような不気味さがある。

「クライス。お前はその辺に隠れてろ。俺がサトラを外に出してくる。だから大人しくしてろよ。」

「うむ、ニカルがそういうのなら従おう。」

こくんと頷いて、クライスは路地に隠れる。

クライスが視界から消えたのを見てから、サトラの家をノックしようとしたその時。


「——あ!やーっと見つけた!もう、こんな遅くに何をしてるのさ、ニカル!!」


聞き覚えのある声。

思わずくるりと振り返ると、そこに居たのは小さな身体を宙に浮かせている緑の髪の少女だった。

ランタンの灯火がぷくっと頬を淡く照らしている。如何にも不機嫌そうな顔をみせるその少女の名前を思わず口にする。

「え、エクター……!?何で此処に……」

「そりゃあニカルを探しに、だよ!昨日も今日も帰りが遅いんだから、気にもなるよ!!」

待ったく、もうと口を尖らせるエクター。

その周囲を見渡してから、俺はエクターに一つ質問を尋ねる。

「エクター、レノアは?」

「え、レノア?あの子なら寝ちゃったよ?今日は色々買い物もしたから疲れちゃって……って、話の論点をずらさないで!!」

じたばたと身体を大きく動かすエクターに、悪いと思わず謝ってしまう。

エクターの前だとデカい態度も取れない。妻の尻に敷かれる夫というのはこういう気分なのだろうか。

それに、別に話の論点をズラしたかった訳では無い。

レノアには目の毒になるものが此処には沢山ある。

だから出来れば、彼女を巻き込みたくは無かった。

「ところでニカルはこれから何をするの?」

「あ?ああ、それは……」

事のあらましを、エクターに伝えようと思ったその時だった。

背後の扉が軋む音聞こえてくる。

ゆっくりと古い木で作られた扉は開き、その中からコツンと靴の音が響いた。


「……あの、どちら様でしょうか?」


月の光が、眩く輝いた。

その真っ白な光に照らされた美しい長髪が、潮風にのって静かに靡く。

ホワイトブロンドの髪に、長いまつ毛。宝石のように輝く大きな瞳。

間違えなく、彼女こそがクライスが一目惚れしたというサトラだ。

彼女は、月の妖精かと疑いたくなるほど美しく、神々しく、そして空っぽに見えた。

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