第9話 腐った縁

——クライス・ダールトン。


そいつと出会ったのは、今から六年前。

俺がまだ、あの夜の事を引きずっていた時の事だ。行くあてもなく、ただエクターと二人でいきあたりばったりの旅をしている途中。

……俺は、盗賊に襲われた。

「ぐっ……!!」

「はははっ!そこで大人しくしてるんだなガキ共!」

しかも馬車で拉致られ、身ぐるみは全部剥がされた。

どうやらこの盗賊達は若い男女を拉致して、裏オークションで売るらしい。

つまるところ、俺は商売道具にされた訳だ。

手足は拘束され、身動き一つままならない。

「ニカル……大丈夫……?」

元はと言えば、俺のせいだ。

旅の途中で出会った大人が、「稼げる場所がある」と俺に提案してきた。

エクターは危ないと俺を止めようとしたが、当時の俺は全てに絶望して、エクターの声を聞こうとしなかった。

そうして俺は、まんまとその罠にハマりこうして馬車に乗せられている。

エクターは神術を使って、俺を追いかけてきてくれた。

「くそっ……俺を騙しやがって……ぜってえ殺してやる……!」

嫉妬、憎しみ、嫉み、妬み、怒り。

そんな感情に呑み込まれていた十二歳の俺は、誰かを憎んで、神を殺すという目的の為でしか生きられなかった。

それ以外に生きる意味を見い出せなかった。

「はっはっはっ!殺すなんて、中々物騒な事を言うね、キミ!」

月の光が、馬車の中を差し込む。

目の前には、美しい顔立ちの少年がいた。上等な布で出来た服に身を包んだ彼は、俺と同じ状況だと言うのに、余裕のある笑顔を見せる。

ドブの中で生きている俺とは、正反対の男。

——それが、クライス・ダールトンとの出会いだった。


「……誰だ、お前。」


ギロリと鋭い刃物のような瞳で睨みつける俺に、クライスは楽しそうに笑う。

「僕?僕はクライス。歳は十四。君は?」

「…………」

「おいおい、人に尋ねておいて自分は答えない気か?ふーん、君ってそういうタイプ?自分じゃ名前も名乗れないんだ?」

「何!?てめぇ、今なんつった!?」

「しー。あんまり大声を出したら大人にバレてしまう。」

クライスの第一印象は、気に食わないやつ。

服装から察するに、どこかの貴族の坊ちゃんだろう。きっと、俺みたいな汚いガキを馬鹿にしているに決まっている。

「……ニカル。歳は……十二。」

「ニカル、か。よろしく、ニカル。君の方が年下なんだから、少しは僕を敬ってくれた前!」

クライスはいつもこんな調子だった。

いつも自信に満ち溢れていて、余裕ぶって。

でもそのくせ、何も出来ないただのおぼっちゃま。

初対面の時も散々な目に合ったものだ。

「で、ニカル。君がさっきから喋りかけているその熊のぬいぐるみはなんだい?さっきは喋っているように見えたけど。」

「こいつはエクター。俺の幼なじみだ。」

「幼なじみ?ぬいぐるみが?随分面白い事を言うんだね、君。」

「お前がどう思おうと勝手だ。」

ぷいっと、目の前のクライスから目を逸らす。

当時、エクターの魂を入れられる人形を買う程のお金は手に入らなかった。

まだ身体も成長しきっていない子供に出来る事など限られているせいで、稼ぎも少ない。

野宿や野営は、日常茶飯事だった。

だけど、俺はエクターをもう一度、あの頃と同じように人間の姿にしてやりたい。例えそれが偽物だったとしても。

大人の企みにハマってしまったのも、そのせいだった。エクターにちゃんとした身体を与えてやりたい。

その為にも金が必要だった。

そのせいで、またエクターに心配をかけさせている。本当に不甲斐ないこんな自分を、呪いたくなる。


「ふーん。まあいいや。ねぇ、話をしようニカル!どうせまだ道のりは長いんだ。君の話を聞かせてくれよ。君は見たところ、かなり薄汚れているね。一体どうして?」


クライスはずかずかと人の心に踏み込んでくる男だった。

人の気も知らないで、自分が思った事を口にする。そういう所もいけ好かない。

「お前に話す義理は無い。」

「それはそうだけどさぁ〜。だって暇だろ?こうして馬車に揺られているだけなんて。僕なんて君よりも早くに拘束されてしまっているからおしりが痛くて仕方ない!」

いい所のを坊ちゃんなら、木の板の上に座り慣れていないのも当然か。

血色のいい肌。俺と違って、光に満ちた瞳。

生まれた場所が違うだけで、こんなにも差がはっきりしている。

俺は闇の中で生き、アイツは光の中で生きる。

ならきっとコイツに、俺の気持ちなど一生理解出来るわけも無い。

車輪が整備されていない山道を通る。その度に振動が直に伝わってきた。

俺達を拉致した奴らと言えば、俺らか子供なのをいい事に馬車を走らせながら談笑している。

正直これ以上、こんな茶番に付き合っている暇は無い。

大人しく捕まったのは、他の町にたどり着くまでの時間を削減したかったからだ。

それまでは従順なガキを演じてやろうと思ったが、目の前にいるコイツを見ているだけで腸が煮えくり返りそうになる。


——もう十分我慢しただろ。


「エクター、俺の手足を縛っている縄を切れるか?」

「お易い御用だけど……あれ?もう行くの?予定と違くない??」

「こんな場所にずっといる方が、気持ち悪くなる。」

「……うん、ニカルがそう言うなら良いよ。ちょっと待っててね。」

俺はエクターに頼んで、神術で縄を切ってもらった。

かなりキツめに縛られていたせいで、手首にはくっきりと縄のあとが残っている。

「うっそ!何それ!?なんでぬいぐるみが神術を使えるの!?」

「お前に教える義理はないと言ったはずだ。」

世間知らずのお坊ちゃんには、分からない話だろう。

俺の横に置いてある木箱の中から、自分の持ち物を取り出して、俺は脱走する準備を始める。

ついでだ。何か金目になるものも持っていこう。

ガサゴソと木箱の中を漁っている俺をぽかんと口を開けて見ているクライス。

「え、何、もしかしてだけど僕を置いて逃げる気!?」

「そのつもりだが、何か問題あるのか?」

「いやぁ、僕も助けてくれたり……」

「する理由が何処にある?お前は俺の仲間でも何でも無い。赤の他人を助けて、何の得がある。」

良さそうな指輪を見つけた。売ればそこそこの金になるかもしれないし、拝借しておこう。

あと他に金になりそうなものは……。

特に無いようだ。俺みたいな親無しの子供を拉致する事が多いせいか、木箱の中に入っているのはボロボロの服や子供用のおもちゃばかりだった。

「エクター、そろそろ行くぞ。」

「はーい!」

と、俺達がさっさと退散しようとしたその時、「待ってくれ!!」

と、クライスが声を上げた。


「——取り引きをしよう、ニカル!」


その話を聞く程俺も暇では無かったが、ここで何も聞かずに出ていってこいつがどこぞで野垂れ死ぬのも、それはそれで後味が悪い。

はあ、とため息をつきつつ、「条件は?」と端的に尋ねた。

「僕を助けてくれたまえ!そうすれば君が望むものを何でもあげよう。」

「お前みたいなガキに何が用意出来る?」

「ニカルは知らないだろうけれど、これでも僕は伯爵家の嫡男なのさ!そんな僕を助けたという功績があれば……何でも手に入る。」

ニタリとクライスは笑った。

身なりからして貴族だとはわかっていたが、まさか伯爵家の者だったとは。

なら確かに、ここで恩を売っておくのはこちらとしても理にかなっている。

「お前、良い人形師を知っているか?」

「人形師?僕は知らないけれど、腕のいい者を探してあげることは出来る。」

「探すだけじゃ駄目だ。その人形師に頼む制作費も全額お前が負担しろ。」

「要求の多い事だね……まあ、良いだろう。それで命を救ってもらえるのなら、お易い御用さ!」

思いがけない所で、良い拾い物をした。

なんだ、たまにはこうして馬鹿げた誘拐に付き合ってやるのも、中々良いもんだ。

「エクター、あいつの縄も切ってやれ。」

「はいよー!」

エクターは、神術でクライスの縄を切る。

ゆっくりと立ち上がったクライスはニコッと笑って俺の目の前に手を差し出した。


「それじゃあ、取り引き成立って事で。」


そのキラキラスマイルが誰にでも通じると思っているのなら、それは大間違いだと声を大にして言いたかったが、ここはとりあえずグッと抑え彼の手を取る。

「約束は守れよ。」

「もっちろん!」

これが、俺とクライスの出会いだった。

もしかしたらこの時、この手をとったのが全ての間違いだったのかもしれないと後悔するのはそれから何年も経ってからの出来事。

この夜の話は、何年経っても苦い記憶として脳裏に焼き付いている。

この食えない男を助けたせいで、俺はこの先とんでもない目に遭うことになるのだから。

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