4-2 大蛇
現在地は国の南西、山間の小さな町だ。そこからまだ西側に地図に載らない集落がぽつぽつある。その町と集落を繋ぐ峠道で人が襲われるようになった。夜間の通行止め、くらいのうちはよかったのだが、最近では夕刻や早朝、北側の別の峠でも出没が確認され、生活に支障が出始めていた。
黒変のある
「辺境だと放っておかれがちなんだよな。集落一つ無くなっても、国は困らないのかもしれないけどさー」
レンドールたちは、より被害の多い集落へと向かっていた。
目撃の多い地点を聞きこみ、ピンポイントで片をつけようという算段だ。
山道とはいえ往来は多いのか、道は踏み固められていて歩きやすい。ただ、木々の奥を覗いても生き物の気配が希薄だった。本来ならば聞こえてくるはずの、鳥の声や虫の音がほとんどしない。
「……結構、ヤバい感じがすんな」
リンセも少し厳しい顔でそう言った。
「人の目の少ないところで何とかしたいよな」
頷き合って足を速めようとした、その時。
微かに声のようなものが聞こえた。レンドールは思わず足を止め、耳を澄ます。
鳥の声だったろうか。
「レン?」
「人の叫び声がしなかったか?」
「鳥かな、とは思ったが……」
「……そうか」
そう言って二、三歩進んでから、諦めたようにレンドールは首を振った。
「だめだ。悪ぃ。気になるから見てくる。リンセは先に集落に行っててもいいぞ」
リンセは笑って、レンドールの背を軽く叩いた。
「見つけやすいように話を聞くつもりだったんだろ? 何か起こってるかもしれないとこに直行した方が、話は早いじゃねぇか」
「そう言ってもらえると助かる」
「単独多いと、変なとこ気を使うよな。俺も直観は大事にしてる。気にすんな」
リンセに受けてもらえてよかったと、レンドールは胸を撫で下ろした。六年の間には、こういう感覚的なレンドールの動き方に眉を顰める者も多かったのだ。もちろん、無駄足も多くて、だから文句も言われるのだけれど。
二人はその場から道を外れ、山の中へと分け入っていく。草木生い茂る初夏の山は生命力に満ち溢れてはいるものの、薄暗く静まり返った様は不気味さも醸し出していた。
根元から折れている木や、大きなものが這いずって倒された草に行き当たるたび、気が引きしまる。だが、人はおろか、普通の蛇の一匹さえなかなか見つからなかった。
やはり鳥か何かだったのだろうかと、集落の方へ戻り始める。
あちこちにあった大蛇の痕跡が収穫と言えばそうだった。
「まあ、下見も出来たしよかったな。思ったより下草が多くて見通し悪いし」
「そうだな。だいぶ踏んだが、うっかりするとすぐ見失いそうだもんな」
「ねぐらでも見つかれば楽だったんだがなぁ」
「それは情報仕入れてから探……」
のんきに話していた二人は、そこで足を止めて剣に手をかけた。
前方から藪を掻き分け何かが近づいている。それも、結構な速度で。
それはすぐに姿を現し、二人に気付くと、脱げそうなフードを片手で押さえながら声を上げた。
「ちょ……逃げてぇ! ……って、護国士?!」
立ち止まる二人を行き過ぎてから、その人物は少しだけ振り返った。
こちらへ向かう、藪を揺らす音はまだ続いている。急いでいる様子はなく、リンセとレンドールが視線で会話する余裕もあった。
左右に分かれ、まずは藪から頭を出したところを狙う。あちらがどちらに狙いを定めるかは運だ。飛びつかれてもいいように構えて待つレンドールは、大蛇の頭を視認した瞬間、襲ってきた尾をかろうじて避けた。
頭はわき目もふらず先に行った人物を追っていく。
「なんだ、コイツ!」
リンセとレンドールを薙ぎ払おうとした尾に一太刀浴びせるも、黒々としたそれは硬質な音がしただけで傷もつかなかった。
「黒い部分は刃が通らないのー!」
叫ぶようにして届く声に、レンドールは「なるほどね」と頭の方を追い始めた。
全長は十メートくらいあるだろうか。太さはリンセと一緒に抱えれば手が届く程度。人など余裕で一飲みにできるだろう。体長の四分の一ほどが黒化しており、当たれば相当なダメージをくらいそうだった。
幸運だったのは、動きに精彩さを欠いていることだ。追いかけられている人物――声からして女性のようだ――も、どうにかして振り切ろうとしているように思える。
思い出したように攻撃してくる尾を避けつつ、隙を見て頭の付け根を斬りつける。弾かれることはなかったけれど、並走しながらでは浅い傷しか残らなくて、レンドールは舌打ちする。剣では突き刺したとしても、地面に縫い付けられるだけの長さもない。
「槍か銛でも持ってくりゃよかったな」
準備を怠ったわけではないが、万全とはいかないのが常だ。
リンセも機会を窺っているだろうから、どうにかして動きを止めたい。かといって逃げる彼女に止まれとも言い難かった。蛇がこちらに意識を向けてくれればいいのに、と、レンドールが思案しているうちに、前を行くマントが見えなくなった。とたん、蛇のスピードが上がる。
まずい、とレンドールも速度を上げ、鎌首をもたげ転んだ彼女に食らいつこうとする蛇の横面に体当たりした。わずかに狙いが逸れ、反対に体を捻った女性の横すれすれに巨大な頭が倒れ込む。
「行けっ!」
素早く体勢を立て直したレンドールが、彼女と蛇の間に体を割り込ませて言ったが、女性はすぐには動かなかった。腰でも抜けたかと、焦りも感じつつ、ようやくレンドールを見据えた巨大な黒い瞳に剣を一振りする。空気を震わすような音にならない叫び声を上げて、わずかに後退した蛇に背を向け、女性を抱え上げようと脇に手を入れた。
「待っ……て」
「は?」
待てるか、と、構わずに抱き起こす。抵抗する体は震えていて、それでも必死に荷物の中を掻きまわしている。訝しく思ったレンドールが思わず力を緩めれば、リンセの声が飛んできた。
「レン! 何してんだ!」
レンドールも女性も同時にハッとした。
「……レン?」
女性は呟いて、動きを止めかけ、ゆらゆらと狙いを定めつつある蛇の頭に気付くと、また探し物を再開する。
「やべ……」
レンドールもその場から移動するのを諦めて、蛇に相対した。
おそらく、蛇が頭を低くしたままではリンセの飛ばす斬撃の角度が悪い。レンドールと彼女がこの位置にいれば、なおのこと。
軽く突き出されるフェイントのような口先から、シュルシュルと細い舌が見え隠れする。レンドールはそれを慎重に迎え撃っていく。
緊張したやり取りがしばらく続いたところで、レンドールの後ろから声がかかった。
「しゃがんで!」
「……あ?」
「いいから、早く!」
士服の裾を引っ張られて、仕方なくレンドールは剣を構えたまま身を低くした。当然好機と蛇の頭が迫る。
「目を閉じて、息も止めて――!」
言い終わらないうちに、蛇の鼻面に何かが当たって弾ける。赤い粉がパッと散った。
蛇はもんどりうって首を持ち上げる。その瞬間をリンセは逃さなかった。瞬きの間にずるりと頭と胴がずれて、それぞれが地に落ちる。
忠告も忘れて一通りを見届けたレンドールは、散った赤い粉を吸い込んで、激しく咳き込むことになった。
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