3-8 罪の重さ

 それぞれが自室に戻った後、トントは書棚から一冊のファイルを取り出した。

 自分のまとめた資料で、最後の日付は十年以上前になる。瞳が奪われてから、ファイルに増えた紙はない。

 見えないからではない。見ることに支障はない。気力が損なわれたからだ。

 箱にしまい込み、見えない場所へと追いやった資料にも思いを馳せる。怒りも感じたが、それを不甲斐なさが覆った。

 報告は全て済ませてある。最終手段としての許可も取ってある。『中』で瞳が暴走するのであれば、もうそうなる運命だったのだ。

 箱の中の資料にはトントのものではないサインが書かれている。

 子供の殴り書きのような字で、『クラーロ』、と。

 自分の見た目とちょうど正反対の性質を持つその姿を、トントは一度記憶の底から掘り出して、もう一度埋めた。



 ◆ ◆ ◆



 エラリオの提案に、エストは初め乗ってこなかった。さりとて、トントとここに留まることにも乗り気ではない。


「エラリオが行くなら一緒に行く」


 その意見は変える気がないようだった。


「中でできるだけ目立たないように暮らそうと思ったらさ、この目とその目、交換しちゃった方がいいと思うんだよね」


 言うことはわかる、という風にエストは黙って上目遣いにエラリオを見ていた。


「……一人でどこか行っちゃわない?」


 不安の一端なのだろう。度重なる誘いに、エストはそう訊いた。


「まだまだ心配だからね。そんなこと考えてないよ」


 笑って答えられても、エストはまだ頷かない。台所仕事をしているトントを手伝うふりで、彼にも探りを入れる。


「エラリオと取り換えても大丈夫? 痛かったりしない? エラリオが見えなくなっちゃったり」

「痛いことはないね。エストが嫌だと思わないなら、逆に見えるものが増えるかも」

「えっ? どういうこと?」

「エラリオは普通の人より少し見えるものが多い。危機回避のためだったりするのだろうけど、本質だったり、毒の有無とかが見えてる。それぞれの目はそれぞれを担当しているから、その力は元の持ち主に準拠するのだけど、『見える』というところの相性がいいから、お互いが見ているものを見ることができるようになるよ。特に、エストが望めばね」

「……えっと」

「難しいか。たとえば、エラリオが畑で水を撒いてるとする。エストはお昼寝してて、起きたらエラリオがいない。どこかなってエラリオの見ているものを見ようとしたら、水にぬれるトママやコーが見えてくる。そうしたら彼がどこにいるのかわかるだろう? でもこれは黒い瞳の力だから、元の持ち主のエストがそうしたいと思わなければならないだろうし、取り替えてしまった後に望んでも、うまくいかないかもしれない」


 ぱちぱちと瞬いたエストの瞳は好奇心に少しだけ輝いて、それから首を傾げた。


「そういえば、本当はトントの目なのよね? トントは……トントも見えてたの?」

「そうだよ。エストの見ているものは、私にも見える。だからといって君の人生に介入することは、本当は許されていない。あくまでも、エストの選んだようにしてやるのが精いっぱいだ。けれど、その瞳は君が命の危険を感じれば、それを回避するために力を放出することだろう。それは瞳を交換しても変わらない。その力にエラリオが耐えられるかは……また別の話になる。不用意に力を使うことにならないようにしなくてはいけないよ」

「そうならないように、俺が一緒にいて守ってやるんだろ」


 狩ってきたうさぎを手に、エラリオが台所に入ってきた。

 エストは彼に駆け寄って、本当に? というように見上げる。


「なんだ。そう言えば早かったのか。エストが無茶をしないように、その目を俺に預けてくれ」


 まだ頷きはしないものの、時間の問題だなとトントは苦笑した。

 瞳の力が彼を蝕むのは変わらない。早いか遅いか、エストにかかっていることは確かだ。あとは、瞳が彼を持ち主だとどの程度誤解したままでいてくれるのか。『中』ならあるいは、寿命が来るまでもつのかもしれない。賭けに勝てることをトントも願った。




 三度目の冬を迎える頃、エストはエラリオの提案を受け入れた。

 トントは子供から大人へと変化を始めたエストの体と、それに伴う精神の揺らぎが大きくなる前に交換を済ませるよう、迅速に施術を促す。

 手術台に乗せられるものと思っていたエラリオは、畳の上に並んで横になるよう言われて、少しだけ拍子抜けしてしまった。

 同じように緊張しているエストの手を握ってやると、エストはエラリオを向いて笑った。


「体に傷はつけないから、少し眠っているといい」


 トントはそう言ってエストの目に掌をかざす。それだけで、エストは深い眠りに落ちて行った。


「エラリオ。もうひとつ忠告がある」


 二人の頭側に膝をついた格好のトントは、そう切り出した。トントを見上げるエラリオの瞳に迷いはない。何を言っても彼の覚悟は変わらないと思ったから、トントは今まで言えずにきてしまった。


「私たちは罪人だ。罪を犯し、罰としてこの地に来た。何年か課せられたことをこなせば、帰れるはずだった。私が組んでいたもう一人は、そんなことお構いなしに自分の興味を優先し、さらに禁を犯した。私には監督責任も、連帯責任もある。わかっているけれど、彼に対する怒りは大きい。彼の姿を捉えたとき、冷静でいられるかわからない」

「……そうか。衝突を避けたいのなら、なるべく近づかないようにするよ。どこにいるとか……わかるのか?」

「詳しい場所は調べていない。私とは逆に白い髪に白い瞳だが、いくらでも変えられるから、あまり参考にはならないだろう。ただ、『中』に根付いている宗教に深く関わっていることは確かだ」

「なるほど……元々あまり縁がないから、大丈夫かな。田舎を渡り歩くつもりだしね。聞いてもいいかい? その人が犯したという罪を」

「進化の過程に介入して、本来発生しないはずの生命をつくり、特段の理由なく絶滅と繁栄を繰り返している。彼が孤独なものなら許されたのかもしれない。だが、我らの一員だ。我らの中では、許されない。彼を殺して終わるのならそうしてる。それが別の罪になるとしても。だが、私たちはこの地では死ねない。だから、私と彼が衝突したとして、被害を受けるのは、そこに生きる無関係の生き物たちだ」


 エラリオが息を飲んだまま何も言えずにいると、トントはエストを優しく撫でた。


「我らの中でも意見が割れている。全てクリーンにして引き上げるべきだと言う者と、発生してしまった命に罪はないと言う者と。どうなるかわからない。決まるのは、君たちの寿命のはるか先だろう。その前に、今のままごとに彼が飽きてしまう可能性もあるが」


 トントは、彼を見上げているエラリオの瞳も、片手で塞いだ。


「……心配しなくていい。『中』に入れば、『外』のことなどそう思い出すこともない。一日でも長く生きることだけ考えろ。それが、エストの幸せでもある」


 トントの声は徐々に遠くなり、エラリオも深い暗闇の中へと下りて行った。

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