3-4 母の秘密

「こんな話をしているのは、君も無関係ではないからなんだが」


 男のさらりとした言葉に、エラリオは声もなくその顔を見つめた。

 自分と何の関係があるというのか、聞くのが怖い。

 もう少し正確に言うのなら、エラリオはレンドールに言えないことが増えるのが怖かった。

 自分を慕い、信頼を寄せる、それに恥じないようにやってきたつもりだったから。

 男はお構いなしに話を続ける。


「それで、少し話を戻すけれど、私の目玉をくりぬいた女は、その場でそれを飲み込んだんだ。無理やり取り返してもよかったんだが、すっかり面倒になってしまってね。目玉がここに無くたってどうということはない。私のできることが変わるわけじゃないからね。女が死んだら取り返せばいいと。追い出すまでもなく逃げ出した女は男の元へと向かった。どうやら、目玉が欲しかったのはその男だったらしい。だが、肝心なものは女の腹の中だ。どういうことになるか、想像がつくんじゃないか?」

「男は女の腹を裂いて取り出そうとした?」


 男は頷く。


「まあ、さすがにすぐではなかったな。しばらくはちやほやと夫婦のように過ごしてた。しかし、目玉に宿る力を引き出すことも出来ず、かといって目玉が女から排泄されることもない。焦れた男は女の腹を裂こうとした。さすがに女は逃げた。逃げて追いつかれて、谷へ落ちた」


 エラリオは、虚しい幕引きに思わず息をつく。

 外はそういうところだったと思い出す。

 だが、男は笑った。


「それで終わりなら、目玉は私の元に戻ってるはずじゃないか。谷に落ちた女は身ごもっていた。腹を裂こうとした男の子供だ。その子のためではなかったかもしれないが、女は死にたくないと願ったのだろう。そこで初めて目玉が反応した。女は谷の底に向かうのではなく、『中』へと入ることができた」


 少し話を中断して、男はエラリオの手の中の冷え切った茶と自分の空になった器を手に、新たに茶を淹れる。


「私は少々焦った。理由があってね。私は『中』に入れない。どうして目玉は入れたのか。他の器に収まっていたからかなとは思うのだけど。まあ、視る分には支障はなかったから、そのうち回収の機会も来るだろうとは。女は子供が生まれるまで生活に困ることはなかった。たとえ、村の畑で黒変した作物が増えようとも、家畜が憤死しようとも気にすることはなかった」


 エラリオの前に茶を置いて、男は自分の分を一口すする。

 話の内容と茶の香りがそぐわなくて、エラリオはそれを手にすることが出来なかった。


「子供が生まれてからは」

「赤子のうちはそう変わらなかった。だが、話し始めるようになると、女は始終イライラするようになっていた。ある日、子供の目をくりぬこうと襲い掛かって、気付けば自分の目をくりぬいていた。それからはもう、意味のある言葉は発しなくなり、数日で死んでしまった。残されたのは、真っ黒な瞳のエストだけ。村人たちは気味悪がって……まあ、あとはわかるだろう」

「……それのどこが俺に関係あるんだ」


 笑って茶を促されて、エラリオは仕方なく一口すする。

 少しだけ、不愉快な気持ちが薄れた気がした。


「女が最初に言ったことを思い出してほしい。「以前に助けた女に与えたように」そう言った。彼女が訪ねてくる……というか、執念で辿り着いたという感じだったけどね。そのしばらく前に、生贄として置いて行かれた女がいてね……」


 男はさもうんざりとした表情で頭を抱えた。


「なんだったかな……干ばつ? 異常発生? 怒りを鎮めてくれと言われても、こちらとしてはなんのことやら。必要ないものを置いていくなと、だいぶ不機嫌だったんだが、その若い女に追い出されても困ると懇願されて、しばらく置いてやったんだ。まめまめしく働く真面目な女で、頭も悪くない。どうして生贄なんかに選ばれたのかと不思議だった」


 男が茶に視線を落としたので、エラリオもつられたように器を持つ。今度の話はこの茶に合いそうだとなんとなく思った。


「彼女がよくこの茶を淹れていたんだ。することも多くない場所だ。ぽつぽつと話を聞けば、子供の頃の虐待で彼女の子宮は使い物にならなくなったらしい。それを知っているから、村での話し合いは早々に決着がついたと。バカらしい話だろう? 彼女は私の生活を邪魔することはなかったから、一年ほどはいただろうか。さすがに追い出さなければと機会を窺っていた時」


 変なところで間を空けられて、エラリオは思わず男を見た。男はじっとエラリオを見てから、茶を飲み干す。


「嫁にしてほしいと言われた。ずっとここにいたいと。それはできない相談だから。そう言うと、じゃあ、子供が欲しいと食い下がった。まあ、子の出来ない体だ。そういう行為を望んだのかもしれない。だが、言った通り、そもそも私とではどう頑張っても子などできないのだ。そう諭しても、そうすればおとなしく出て行くからと。どこか絆されていたのだろうね。私は私に許されるギリギリを行使することにした」

「抱いたのか? というか、ギリギリ?」

「彼女に子を与えることにした」

「……は?」


 エラリオは手にした器を落としそうになる。


「単為生殖という言葉を知っているだろうか。雌雄の片方の性のみで新しい個体をつくり出す生殖法のことだが、簡単に言えばそういうことだ。体の損傷を治すのはそう難しいことではないが、彼女はそちらは選ばなかったのでな。一度きりの仮り腹に子の素を植えた。だから、彼女の子は彼女の複製というのが正しい。しかしそれでは不自然だ。細胞分裂時のエラーを減らすためにも私は少し手を加えた。情報の一部を私の特徴に置き換えたのだ。もちろん、表に出ることがないよう潜性にしたとも。だから、君の瞳と髪は母親譲りだろう? ただ、その諦観にも似た性格と、見えすぎる瞳は私のせいかもしれないね」


 今度こそ、器は手から滑り落ちて、床に水たまりを作ることになった。

 はくはくと唇は動くけれど、言葉にならない。

 男は意に介さずに先を続ける。


「つまり、私の目玉は私の特徴を嗅ぎ分け、惹かれているというわけだ。まがい物ではあるし、本物が近くにあれば間違うことなどないと思うのだが、『中』ではそれも仕方のないこと。逆も然り。ここまで力が暴走していないのは、彼女が安定しているからだ。己の舵取りをする者が傍にいると勘違いしている。それだけの話。逆に言えば、君が傷つけられたら、どうなるかわからない」


 三杯目はただの水を注いで、男は飲み干した。

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