2-15 したいこと

「どういうことです? ではなぜその場で追わなかったのですか」


 冷ややかな目は、そうしなかったレンドールを責めているのではなく、『ツカサ』として身を潜めていることにまだ懐疑的なのだ。


「法衣は体型を隠しやすいから、後ろ姿をちょっと見ただけじゃ確信が持てなかったんだよ。ティトを探してたから、そっちの情報に気を取られたっていうのもあるし。でも、それなら俺が何が気になって振り返ったのかも納得いくし、全部繋がるじゃねーか」

「あなたの道理はよくわかりませんが、ともかく全護国司に本人確認の照会をかけるよう、要請はします」

「あ、それなんだが、ちょっと待ってくれ」

「は?」


 あからさまに不機嫌な顔をして、アロはレンドールを睨みつけた。


「俺が見たのは角を曲がっていく背中だ。急いでいた様子もないし、まだこっちに気付いてないかもしれねぇ。なら、明日も現れるかも。急いで照会をかけられたら、バレたと気づかれて居場所を突き止める前に逃げられちまう」

「我々を見られていたら、すでに逃げの態勢に入ってるでしょう? また差をつけられますよ?」

「一日でいい。明日一日だけ待ってくれ」


 アロは腕を組んでしばらく沈黙した。それから、ようやく注文を終えたティトに顔を向ける。


「礼拝堂に置かれる食べ物はいつから続いているのです?」


 少年は――見た目年齢は二人ともあまり変わらないのだが、制服を着ているのと話し方でアロの方が少し年上に見える――首を傾げて天井を見上げるようにした。


「うーん。俺が知ったのはだいぶ後だったけど、それで冬を越せたって言ってたやつがいたから……そのくらいじゃないかな」

「で、あれば彼ではないのでは? その頃あなた方は一緒だったのでしょう?」

「べつに、始めたのは誰でもいいだろ。むしろ、バレないように引き継いでるだけだ」

「そんな個人的なことを? 止めたってきっと誰も不審に思わない」

「だから、俺への手がかりだよ。あいつ、自分が食うに困ったことがあるんだ。聞いたことはないけど。だから、何らかの理由でそういうことを知ったら、続けるのに疑問はない」


 アロはまだ納得のいかない顔をしていた。無駄だとは言わないし、やれることはやるとしても、直観的すぎるレンドールを全面的に信用はしていない。


「逃走中の人間が、足を止めてまでやることではないと言いたいのですが」

「じゃあ、連れが体調悪いか、悪くしそうだったんだろ。突然の逃亡生活はきつかろうよ。二、三日ゆっくりできそうなら、そうしたっておかしくないじゃねーか。ついでに今後の旅支度も整えられるぜ」

「魔物の体調を?」


 虚を突かれた顔をしたアロに、レンドールは小さく息をつく。


「何度も言ってるだろ。ただの子供に見えるって。それに、二人組を探してるんだから、安全な場所が見つかれば、一人で行動した方が見つかりにくいな。だろ?」


 エスタでもそうだった。今は捜索の指令が出されていて、あの時ほど無防備にはできないだろうけど。

 アロは「わかりました」と言ってから席を立った。


「通達はまだ出しませんが、この辺りの『司』の居住地を調べてもらいます」


 ティトは外に向かうアロの背中を不思議そうに目で追った。


「……俺の会った『司』、司じゃないの? どうして俺にあんなこと……」

「そりゃ、俺にガツンと叱られろってことだな」


 ティトは振り向いて、よくわからないという風に首を傾げた。


「安易に悪い道へ進むな。一度捕まっちまったら、悪いイメージを拭うのは簡単じゃない。もちろん、生きていくのだって簡単じゃないって気持ちは解る、つもりだが。『』を狙える度胸があるなら、もっと他にも出来ることはあるんじゃねーのか」

「どういうこと?」

「ティトはいくつだ?」

「十三」


 レンドールは頷く。


「もしも、「体力が余ってる。他のヤツよりちょっと丈夫かもしれない」なんて思うんなら、いっそ『士』を受けてみろよ。十四から受けられる。捕まるより捕まえる方を選べ。逆に獣が怖いっていうなら、ちょっとお勉強を頑張れば中央都市で内務に就けるかもしれねぇ」

「そんなこと言ったって、何を勉強すればいいのかも、どこで勉強するのかもわからないんだぞ!」

「だから、突撃するなら、持ち物じゃなくて、そういうとこだろ? 今は『士』もいろんなのが町を歩いてるじゃねーか。聞けよ。一人に断られたって、誰かは教えてくれるぞ。もしかしたら、自分が勉強した時のものを貸してくれる奴もいるかもしれない」

「そんな、都合よく……」

「いかねーかもな。でも、誰かを襲うより、助けられるやつに本当はなりたいんじゃねーの?」


 レンドールはポーチから新しい糧食を出してティトに差し出した。


「これは、不味いけどな」


 そっと受け取ったティトにニッと笑って、レンドールはちょっと視線を外した。


「俺もさ、何がしたいんだかわからなかった時に、親友が教えてくれたんだ。「レンは、誰かを助けられる人になりたいんじゃないの」って。あんまり考えたことなかったんだけど、そういうのもカッコいいかなって、確かに思うんだよな。アイツはそういうのスマートにやっちゃうんだけどさ」

「……あいつって、俺の会った人?」

「たぶん」

「どうして追いかけてるの? 捕まえるの? 悪いことしたの?」


 レンドールは珍しく少し考えて、言葉を選んだ。


「悪いことに見えることをしてる……のかな。俺たちは、ただ、助けたいだけなんだ。どうすれば正解なのか、誰も知らないものをね」


 注文したものが運ばれてきて、テーブルの上が賑やかになる。

 まだよくわからないという顔をしているティトに促して、レンドールもフォークを持ち上げた。


「さあ、食える時に食っとけよ? 気にすんな。お代は政務官様が出してくれる」


 酒を手に、黙って話を聞いていたリンセが、それを聞いてニヤついた。




 アロが戻ってきた時、増えている酒瓶に眉を顰めて、その分だけリンセに請求したのはご愛敬だろう。

 宿に戻り、次の日のために早々に消灯した暗い天井をレンドールは見上げていた。

 寝ようとしたものの、エラリオに追いついたかもしれないという思いは、レンドールの神経を昂らせているようだった。

 エラリオと対峙した時、冷静でいられるのか。捕まえてアロに引き渡してしまうのか、切り捨てるのか。魔物の少女にも同じことをするのか……どう考えても何も定まらない。

 寝返りを打とうとしたとき、すでに寝入っているはずのアロの方から高い鳥の声のようなものが小さく聞こえてきた。音が止むと同時にアロがゆっくりと身を起こす。

 気になって、そちらに身体を向けたレンドールの気配を感じたのか、アロが振り返った。


「起こしましたか?」

「いや。起きてた」


 そうですか、と平坦に呟いて、アロはしばし悩む様子を見せた。


「……まあ、いいですか。さすがにこれから飛び出す気はないですよね? ちょっと、別の仕事を片付けてきます」

「今から?」

「朝までには戻りますのでご心配なく」


 そう言って、アロはに消えていった。

 こういうことがあるから、一人部屋の方が気楽なのだろうか。レンドールはしばらくドアの方を見つめていたけれど、そのドアが再び開く前には眠りに落ちてしまっていた。


 翌朝、レンドールが目覚めたときには、アロもベッドに戻っていた。窓から通りを見下ろせば、すでに動き出している人もいる。レンドールはなるべく静かに支度をして、アロに昨日の孤児院を見張りに行く旨をメモに残した。

 一人で行ってもよかったが、自分の勝手でリンセが責められても可哀想だと、叩き起こすようにして一緒に向かうのだった。

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