1-5 刻印

 やらかした――と、レンドールは顔を覆った。

 侮っていてもらった方が、エラリオにもレンドールにも都合がよかった。

 

 子供時代、問題行動の多いレンドールと一見おとなしいエラリオでは、一緒に何かをした時にレンドールの方が目立ちがちだった。悪戯や悪ふざけなら、だいたい首謀はレンドールだ。怒られても仕方がない。ただ、エラリオがする、何気ない行動に付き合っていてレンドールが褒められるのは、むず痒いものがあった。エラリオが素知らぬふりで黙っているものだから、なおさら。

 だから、そんな時には「エラリオが」と、誇らしげに語る癖がついてしまっている。


 ひいき目はあるかもしれないが、エラリオが余力を残して試験を終えたのは間違いない。

 これで逃走の難易度が上がってしまったら少々申し訳ないなと思いつつ、それでもエラリオなら逃げ続けるだろうとレンドールは考えていた。

 問題なのはレンドールの方で、やはり逃走に手を貸すのではと疑われては、まずい。最悪なのは共犯と決めつけられて、このまま閉じ込められ続けたり、処刑されることだ。


 ひとつ息を吐いて、レンドールはベッドに横になる。

 目をつぶって、先ほどまで見ていた地図を頭の中で広げた。

 口から出た言葉は戻せない。なら、次の機会があるまで、できることは限られていた。



 ◇ ◇ ◇



 隔離部屋では三食など出ない。腹の虫が鳴き始めてからまだしばらくして早めの夜の食事が出る。前日に本の整理などしたものだから、何もできない時間は倍以上長く感じられ、レンドールは狭い部屋の中をうろうろと歩き回ったり、意味もなく逆立ちしたりした。

 おかげで無駄に腹が減っていた。看守の手が引っ込むかどうかのうちにパンを取り上げ、失笑を買う。味もわからぬくらい一気にスープを飲み干して、満たされなさを紛らわすように、消灯前に寝てしまった。


 ――夜中。


 人の気配を感じて、レンドールは目を覚ます。

 看守ではない。もっと、近く。暗闇の中に白い影が揺れた。


「……処分しにきたのかよ?」


 二ッと笑ったものの、相手には見えていないだろう。白い影は小さく息をついた。


「殺された相棒が出てきたとは思わないのですね」

「エラリオならそんなにもったいぶって出てこない。それに、まだ死ぬわけがない」

「……彼を追わせていた二人が身包み剥がれて、丸二日、山の中をさまよっていたことがわかりました」


 レンドールは思わず喉の奥で笑う。

 瞬間、目の前に明かりが出現した。眩しさにとっさに手をかざす。

 苛立たしげな声で、ラーロは地図を突き出した。


「どこだと思いますか」

「もうわかってんだろ? 夜中に人を叩き起こして聞くことじゃないんじゃ?」


 ラーロは無言で、地図はレンドールの目の前から動かない。

 ずっと頭の中で広げていたから、レンドールはほとんど迷わずに指差した。


「朝に話した町の南側の山。西寄りの峠道で追いつかれたように見せるために、いったん戻ったんじゃないか」


 まだ、ラーロは黙っていた。何とか言えよ、と、地図から彼に視線を移したものの、そこには白い布面があるだけ。エラリオが捕まったとか、斬られた訳でないのなら、特に興味もないと言わんばかりに、レンドールはわざとらしく寝返りを打って壁を向いた。


「それだけかよ。気が済んだら寝かせてくれませんかね?」

「あなたは本当に彼を殺せますか」


 ラーロの質問を反芻して、レンドールは壁に向かって答える。


「殺せる。エラリオが、本当に魔物に魅入られ、この国に害をなすのなら。その時は俺が殺してやらなきゃいけない」

「やや引っかかりのある言い方ですね」

「エラリオは全てを終わらせなどしない。魔物が手に負えないものならば、彼が始末をつける」


 ラーロは失笑した。


「『預言』は『予言』などとは違う。神の御言葉、神の意志。魔物は魔物。下々がどう足掻こうと、結末は変わらない。つまり、すでに彼は彼ではないのかも」

「エラリオは可能性を信じると言った。全てを終わらせるではなく、別のを。俺はエラリオを信じてる」

「神ではなく?」

「神様が全てを終わらせたいのなら、魔物など関係なく、もう滅んでるだろう?」

「神は終わらせないために助言してくれているにすぎません」

「では、終わらせない方法は一つではないかもしれない」


 大きな溜息が風となってレンドールの耳をくすぐった。

 ラーロの手が伸びて、レンドールの枕の下から法衣を回収していく。


「水掛け論ですね。私は神を信じてる。今のあなたの発言では、いつまでもここから出せないのですが」


 出られる可能性を耳にして、レンドールは少し考えた。


「……俺が信じていることと、俺の仕事は別物だ。俺は、エラリオを追い、魔物を止めなくちゃならない。それを彼が阻止しようとするなら、剣を交えるのは当然だ」


 レンドールの肩をラーロがぐいと掴んだ。


「二言はありませんね?」


 「ない」、と答えようとしたレンドールの肩から左腕に、雷が走ったかのような痛みが襲った。その肩はまだラーロが掴んだままだ。短い叫びと共に跳ねた体は完全に仰向き、風もないのにゆらりとめくれた布面の内側に視線が吸い寄せられる。

 暗闇の中、仄かに光っている瞳は銀で、冷たくレンドールを見下ろしていた。若いだろうとは思っていたが、レンドールとそう歳も違わないか、下手をすると下かもしれない。


「申し訳ありませんが、戒めとして刻印させていただきました。今の言葉と彼を殺す誓い、たがえれば、同じ痛みが走るでしょう」


 ゆっくりとまたその顔を隠していく白い面をレンドールが呆然と眺めているうちに、ラーロの手が離れ、明かりも消えた。

 瞼の裏に残る明かりの残像が、ラーロの姿を覆い隠す。目が再び闇に慣れる頃には、ラーロの姿はどこにもなかった。




 眠ったのか、眠らなかったのか、気付けば明かりがついていた。窓のないこの部屋では、明かりがつけば朝で、消えれば夜だ。

 昨夜のことが夢だったのか現実だったのか判らなくて、レンドールは左の袖をまくってみる。手首の内側に、火傷のような痣が出来ていた。ギザギザとした、稲光のような。

 レンドールは頭をぐしゃぐしゃとかき混ぜて、長く息を吐き出した。

 嘘を言ったつもりはないので、問題はないはずだった。これで本当に出してくれるんだろうな、と唯一のドアを睨みつける。

 そんなタイミングで看守の足音が近づいてきた。朝食かと、レンドールはベッドを下りてドアに近づく。

 小さなドアは少し揺れ、けれど結局開かなかった。代わりに、重々しく鍵の開く音がした。

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