深緑の魔法少女対魔砲使い:18
「…………ん、た……お……」
酒を飲みすぎてぶっ倒れた時の様にまず自意識が戻り、それに追従する様にゆるゆると思考が帰ってくる。視界が黒一色に染まっている事に驚き、そう言えば限界を迎えて失神したんだった、と思い出す。
やけに重たい瞼に力を込めて無理やりこじ開ける。赤黒い空を背景に、泣く寸前の様な表情をした花乃が俺に覆い被さっている。鳶色の瞳に涙が溜まり、今にも溢れそうになっていた。
「珠緒くん……?」
花乃の潤んだ視線と衝突する。未だ前後の記憶が判然としないので、正直「あれ? 遂にこいつとヤっちゃった?」と薄寒い感覚を覚えたが、花乃の顔の細かい傷跡を見る事で、魔法少女との戦闘中だったと思い出した。流石に十六のガキは対象外だし、普通に犯罪だ。
「まだ目を覚さないのならば仕方ありません。姫と王子の立場が逆なのは頂けませんが、私のちゅーでぐっもーにんさせるしか……いざ!」
「いざ、じゃねえよ意気込むな。今目ェ合っただろ。不同意性交は女にも適用されるんだよクソボケ」
しっかり目線がカチ合ったにも関わらず、目を閉じて唇を近づけてくる花乃。右手で花乃のこめかみを掴んで締め上げながら押しのける。
馬鹿の頭部を解放して、右手を地面に突いて状態を上げる。左手足は相変わらず動かない。目を落とすと俺の手足に穿たれた穴ボコは焦げていて、出血が止まっていた。
「出血が酷かったので、止血の為に傷口は灼いた。基地に戻ったら神経を繋げて治してもらってくれ」
「ああ、ありがとう」
俺の左隣にしゃがみ込んだウィルヘルムに礼を返しておく。神経ごと貫かれて使い物にならない手足も、あの女医の手に掛かればすっかり回復するだろう。するはずだ、多分。
「俺が失神してからどのくらい経った?」
「三分くらいでしょうか。私が珠緒くんを空中でキャッチして地上に降りてから、すぐにウィルヘルムさんが止血してくれたので」
花乃からの返答を受けて、俺は鉛の様に重たい身体で無理やり立ち上がる。よろけた所をウィルヘルムが支え、担ぐ様に肩を貸してくれた。俺は空を見上げて言う。
「怪域の外殻が崩壊し始めてる。魔法少女の殺害を確認して、ジェムを回収しよう」
背の高いウィルヘルムに引きずってもらう形で歩き出すと、右腕に熱。花乃が俺の腕を掴み、何か言いたげな表情でこちらを見上げている。
——ああ、そう言うことね。
俺は右手を伸ばして、花乃の肩を軽く叩く。
「助けてくれてありがとな。命拾いした」
「今欲しいのはそういうのじゃないです」
「うん……? あ、心配かけてごめん」
「あーもう! 美脚を喰らえ!」
真意が今一判然としない花乃にケツを軽く蹴り上げられながら、崩壊が始まった異常空間を歩いていく。
崩壊し、もはや見る影も無い瓦礫の山と化した体育館跡に、魔法少女はいた。両手を力無く広げて投げ出し、空間自体に亀裂が入り始めたグロテスクな色彩の空を仰向けに眺めている。
地に転がる彼女の下半身は腰の辺りから消失しており、断面は黒く炭化。鮮やかな紅の血溜まりの中に沈みながら、それでも顔だけは綺麗な状態に再生されている。そして、控えめな胸が呼吸で上下するのが見て取れた。
再びMWAを握り込み戦闘態勢を取ろうとする花乃を、俺は片手を上げることで制する。魔法少女の下半身の再生が始まっておらず、かつ怪域が崩れ始めている以上、もう彼女は死ぬ。継戦も不可能だろう。
「どこで……間違えたんだろう」
着実に死へ向かっている少女の口から、か細い声が漏れた。そこに僅かながら理性の気配を感じ取れた様な気がしたので、俺はウィルヘルムから離れて左足を引き摺りながら少女へと歩み寄っていく。
彼女の傍に立ち、見下ろす。花萌葱色の髪は劣化ウランの焼夷の余波に晒され、三つ編みが解けて地面に広がっていた。同色の瞳は何かを見つめている様で何も見ておらず、虚空へと向けられている。
「私は……別にみんな殺したかったわけじゃ無い。ただ、人を惹きつける『華』が欲しかった。私の事だけを見てくれる……私だけの価値を見出してくれる人に出会いたかった……」
特に俺に語りかけている訳でも無い、少女の独白が耳朶を打つ。立っているのもキツイので、俺は少女の隣に腰を下ろす事にした。地に零れ流れ行く彼女の血液で戦闘用スーツの尻の辺りが濡れていくが、そんな事はどうでもいい。
未だ警戒を解かず、ウィルヘルムと花乃が俺の背後に立つ。けれどそんな事にも構っていられない。死の淵に向かって歩く少女の、俺が殺した少女の最後の言葉は、他でも無い俺が聞いてやらなきゃならない。
「だけど今朝……頭の中にあの声が聞こえて……嫌な気持ちがいっぱいになった。家族も友達も知り合いも他人も、全員殺してやりたいって思ったの。そして愛に捕まって、池田くんの視線に気づいて……次に意識が戻ったら、みんな殺してた」
少女の回想は、俺には理解が出来ない。それでも彼女は、自らが犯してしまった大量虐殺という過ちを後悔している事だけはわかった。彼女の
脳内だけで整理しておくと——きっと、いるんだ。彼女の中に仄かに灯っていた後ろ暗い欲求や願望を煽り弄び、歪んだ大量殺人者へと変貌させた糞野郎が。
「私、最低だ……馬鹿だ。関係の無い人達まで巻き込んで、いっぱい殺して……挙げ句の果てに、望みなんて叶わなかった。荊の槍も植物の顎も、『花』なんかじゃ無い……。魔法をくれたなら、せめてお花を出させてよ……」
彼女の、『人目を惹きつけて離さない様な華々しさが欲しい』という切実な欲望は、『植物を操って人を殺すことが出来る』という歪んだ形で叶えられたのだ。
俺は、怒りに任せて右拳を強く握り込む。ミシミシと骨が軋み、爪が肌に食い込んで血が溢れるのがわかった。彼女に対するものじゃない、彼女を魔法少女へと堕とした者への怒りが沸騰し、怒号となって体外に飛び出したがっているのがわかった。
それでも、なんとか怒りを嚥下する。血の味がして不快。それでも出来るだけ、優しく聞こえる様に注意を払って口を開いた。
「やってみなよ」
「…………え?」
漸く俺の存在に気が付いたのか、少女が緩慢な動作で俺に顔を向けた。瞳の光は徐々に力を失い始めているのがわかった。彼女の命の火は、間も無く燃え尽きる事だろう。
彼女の心に囁き唆した奴は、今この状況も見ているのだろうか。自らの行いを悔い、絶望したまま死に行く少女の姿を、せせら笑っているのか。
——てめえの思い通りにさせるか。
俺は無理やり、皮肉っぽく微笑んで見せる。
「魔法で花、出してみなよ。やってみれば意外と出来るんじゃねえかな」
「あ……」
唇の端から一条の血を垂らしながら、少女が静かに目を閉じる。彼女の体の輪郭が弱々しく微かに発光し、極めて微少の魔素が凝集していく。それらは少女の左手に集まっていく。
そして魔素が、一輪の花を形作った。
「あっ……で、出来た……。ねえ、出来たよ」
血色を失い、蝋のように白くなった少女の顔が、仄かな笑顔となる。年相応、といった朗らかな顔で、掌に宿った花を俺に見せてくる。
それは、薄紫色の花弁が俯く様に下向きに咲く花。
「カタクリ……」
俺は思わず呟いてしまう。本当に出来た、という感動からでは無い。なんて皮肉なんだろう。こんな事、させるんじゃなかった。数瞬前の俺自身を殴り殺してやりたい気持ちに駆られた。
「このお花、カタクリっていうんだ……? どんな花言葉なんだろう。おにいさん、わかる……?」
口の端から少なく無い量の血液を零しながら、それでも少女は無邪気に問うて来た。もはや焦点も合わないだろう瞳が、切実な色彩を伴って俺に語りかけて来ている。
その問いには答えられない。答えてしまえばきっと、彼女は絶望と共に死ぬ事になる。
歯を食いしばり強張った俺の表情を見て、少女の瞳は不安そうに揺らいだ。カタクリの花言葉——真相には辿り着かずとも、それが決して望まぬ答えである事を悟るかのように。
考えろ。
考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ!
せめて最期だけは安らかな気持ちで、彼女を逝かせてやる方法を——。
ああ、そうだ。
俺は嘘つきだ。
今だけは、その事実に感謝すら覚える。
俺は右手を腰のホルスターに伸ばし、MWAを握る。痛む脳神経で演算を行い、残り滓の様な魔素を全て振り絞り、銃口を天に向け発砲する。
普段は頼もしいはずの銃声が、やけに虚しく響いた気がした。
「え……?」
少女の、色を失い始めた唇から、戸惑いの声が漏れる。自らの手のひらに収まるカタクリの薄紫の花弁が、銀白色へと変わったからだ。
俺が発動したのは、レベル1魔法術式【煉製】だ。金属で物体を精製する、基礎中の基礎の魔法。
俺は原子番号にして四十五番のロジウムで、少女のカタクリの花弁を銀白色に薄くコーティングしたのだ。
「……白いカタクリの花言葉は、『私は特別』って言われてる」
俺の声帯が絞り出す事が出来た答えは、それだけだった。残酷な真実よりも穏やかな欺瞞で送ってやりたいという、俺のエゴだ。
「あ……」
少女は俺と手の中の花を交互に見つめ、もう一度微笑んだ。聡いこの子の事だ、きっと俺の身勝手から来る欺瞞にも気づいていて、それでもなお笑ってくれたのだろう。彼女の目尻からは透明な涙が溢れる。炭化した腰の断面から量子分解が始まり、いよいよ彼女はこの世界から消えるのだろう。
「ありがとう。おにいさん、やさしいんだね」
胸元にカタクリを抱いた少女の指先が、淡い燐光となって宙に溶け出していく。花萌葱色の髪が煌めき、散り始める。
俺は、情けなさとか不甲斐なさで目元に込み上げ始めた熱い液体を振り払う様に、首を左右に振った。この子の為に涙を流す資格なんて、俺には存在しない。
「優しくなんか、ない。救ってやれなくてごめんな」
餞には極めて無粋だが、それでも謝罪せずにはいられなかった。俺はいたいけな少女を助ける方法を模索出来ず、圧倒的多数を生かし続ける為に彼女を殺す決断をしたのだから。銃把を強く握りしめる手が、カタカタと震えるのがわかった。
それでも少女は、最後に笑顔を向けてくれた。
「ううん。最期に、人間に戻してくれてありがとう」
耳をくすぐる様な優しい響きが届いて、そして少女の全てが燐光へと変換された。
それは俺の眼前の宙にゆっくりと集まり、鮮やかながらも深い緑色の宝石へと姿を変えた。
「……またな」
かつて少女だった宝石が、重力に引かれて地面に落ちると同時。
俺も誰ともなく呟いて、再び意識を手放した。
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