10
俺たちの前方——先程植物の顎に取り囲まれた場所の地面がひび割れ、盛り上がる。
その捕虫部中央に、魔法少女が座していた。
花萌葱色の髪を二又の三つ編みにして、うなじの辺りから垂らしている。同色の瞳は虚ろで、三時方向と十時方向に左右それぞれが向いている。
身に纏っている、薄緑色のフリルがあしらわれたロングスカートや編み上げビスチェも、両目があらぬ方向を向き口の端から涎を垂らした少女が着ていたら、不気味にしか見えない。
「こんにちは! こんにちは! こんにちは! こんにちは! こんにちは! こんにちは!」
壊れた音楽プレーヤーのように同じフレーズを繰り返しながら、覚束ない足取りで魔法少女が歩き出す。首が据わっていないみたいにガクガクと揺れ、ぎこちなく歩き、ハエトリグサから落下。重力をまるで感じさせずにふわりと着地する。
俺の隣で「これはどうも、こんにちは」と頭を下げ返している花乃は無視しておく。一応コイツなりの緊張との対峙方法だと解釈しておいてやるが、ツッコんではやらない。勝手に滑れ、巻き込むな。
操り主が不在の操り人形の様な魔法少女を見て、俺の脳裏に違和感が走る。それは些細で微小ではあったが、何故か振り切れない。かと言って言語化するのが難しく、得体の知れない悪寒だけが体を駆け抜けていく。
そして気付いた。MWA-アイアンメイデンの銃把を握る手のひらが、汗でぐっしょりと湿っている。更に冷や汗が額から流れ落ち、目に入る。いてぇ。
——緊張しているのは俺の方だったか。
自慢じゃ無いが、これまでも幾度も修羅場を潜って来ている。怪域内部での戦闘もこなして来たし、腕や足を吹き飛ばされようと生き残ってきた自負がある。
しかし……この異常なまでの嫌な予感はなんだ?
地面に座り込んでいる魔法少女が、伏せていた顔を焦らす様に時間をかけながら、上げた。
目が、合った。
瞬間、俺はレベル1魔法術式【煉製】を高速発動。銃身下部に、平行に刃渡り三十センチのチタン合金の刃を生成、反射のみで前方を逆袈裟に斬り上げる。
俺の足元に、植物の蔓が絡み合い形成された鋭利な円錐の矢が、両断されて落ちる。同時に、俺の額からも冷や汗が地面に落下する。
「珠緒くん、あれは——」
花乃が僅かに目を見開き、魔法少女を驚愕して凝視する。彼女の左手の指先は、内心の動揺や戦慄を表すように、俺の戦闘用短外套を摘んでいる。
俺たちの視線の先——地面にペタリと座り込んだ魔法少女は、病的なまでに色白の右手を俺たちに翳している。魔法で蔓の矢を生み出し、高速で射出したのだろう。
その目——ついさっきまで、意思が消失し発狂したようにあらぬ方向を向いていた瞳が、俺と花乃を射抜いていた。眼光に、見てわかるくらい明確に意思の光が宿っている。
「そっか。もっと強くしないと、防がれちゃうんだね」
魔法少女の、緑色の口紅が塗られた唇が半弧を描き、言葉を発した。
そんな筈は————、思考を緊急遮断。恒常術式を両脚に集中、全開。
間に合わない。花乃の腕を乱暴に掴み、地面を蹴り飛ばして横方向に飛ぶ。
破砕音。そして背中に衝撃と鈍痛。
無我夢中になり過ぎて、身体操作を誤った。横っ飛びに吹っ飛びながら花乃の頭を抱えて庇い、背中から校舎に激突してしまった。一瞬息が詰まるが、気合いで無理矢理酸素を吸い込む。
何の予備動作もなかった。魔法少女が翳した掌から魔法陣が展開、数百トンにも及ぶであろう尋常ならざる物量の植物の蔓が発生。それらが絡み合い、波濤となって迸った。
それは体育館棟に着弾、直径十メートル大の大穴を穿った。
ここまでが、一瞬で起きた。
床部と壁部を破砕された体育館が崩壊し始める。ウィルヘルムは、という思考を無理矢理振り払う。とっくに脱出して、無事だ。そうであってくれ。
「花乃、立てるか」
「……はい。反応が遅れました。庇ってくれてありがとうございます」
俺たちは一瞬たりとも魔法少女から目を離さず、立ち上がる。背中の鈍痛には構っていられない。恒常身体強化を脚部だけに回していた為、生身のまま全開の速度で激突してしまった。
壁面が臓器化し、多少軟質化していてくれたのが幸いした。昨日治してもらったばかりの肋がイったが、内臓にダメージは無い。
「あれ? すごく速い。どうやったの?」
顔だけをこちらに向け、魔法少女が唇を開く。強化された聴覚に届いた言葉を聞き、確信した。
魔法少女病。
未成年の少女のみが罹患する病。魔素が体を侵し、精神を蝕み、内に秘める欲望を歪んだ形で叶えさせる病。罹患者は発狂、狂乱し、ただ災厄を振り撒くだけの人型災害となる。
それが定説だったはずだが——
——この魔法少女には、明確な意識がある。
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