第5話 天才は対等な立場という言葉に弱い
「チェックメイト」
ルークを手に取り、キングを取れる位置へと移動させる。
「う、嘘だろ!?」
そこで相手の男は初めて気付く。キングは完全に囲まれており、他の駒で守りに行っても間に合わない事に。
「私の勝ちね」
「ぐぅ……!」
俺は淡々と勝利を告げる。それに男は暫く歯噛みして俯くも、スッキリした表情で顔を上げた。
「いやー参った参った! まさか嬢ちゃんがこんなに強いとは思わなかったわ」
完敗だと言って男は手を差し出す。それに応じて俺も手を出し、握手する。
「いい勝負だった」
「こちらこそ、存外楽しめたわ」
実力だけ考えたら親父の方が圧倒的に強かったが、親父以外と戦った事の無い俺にとって、ここでの戦いは新鮮だった。
「あんたみたいな凄腕のプレイヤーがまだこの街に居るなんてな。見ない顔だが別の街から来たのか?」
「まあ、そんな所よ」
本当はちょっと遠くに見えるデカい屋敷に住んでるのだが、勿論そんな事は言わない。
「それにしても若いな、いくつだ?」
「先月九歳になったわ」
「へー、いつからチェスを始めたんだ?」
「去年からね」
「マジか!? はえー、若き天才プレイヤーだな」
俺の問いに感心する彼は、少し気になる事を呟いた。
「……この腕なら、キングとも」
「キング?」
誰だそいつと思っていると、男は説明してくれた。
「此処では毎月大会があるんだけどよ、それで優勝するごとにチェスの駒にちなんだ称号を貰えるんだ」
一回勝ったならポーン、二回勝てばナイト、ってな感じでなと男は語る。
「つまり、六回優勝したらキングになれるという事?」
「いや、キングは六連勝しなきゃなれない」
キングになる条件厳しくないか?
「あまりにハードルが高いと思うだろ? ……だがな、去年初めてキングになった奴が居るんだよ」
……ほーん? それはなんとも気になる話だな。
「それは誰?」
「あそこに居る奴さ」
男が指差す先を見てみると、
「……子ども?」
「いやあんたも十分ガキだろ」
そこには一人でチェス盤を眺める少年が居た。
「あの子、いくつなの?」
「詳しくは知らないが、多分あんたと同い年ぐらいじゃねえかな?」
「同い年……」
「まあ、最近のキングは誰かと対戦しようとしねえからな。今も一人チェスに熱中だし……って、おい?」
此処のレベルを知らない俺でも、あの若さで大会に六連勝するなんて尋常じゃない事ぐらい分かる。だからこそ、なんだろう。
「ねえ」
少年が白のルークを動かした。すかさず俺は黒のクイーンを持ち上げ、そのルークの居る位置へと落とす。
「……君は」
急に駒を動かした俺に少年は不思議そうに見るが、
「チェック」
「? ……っ!」
俺の黒のクイーンが、白のキングに王手をかけた事に気付き目を見開かせる。
「あなた、キングと呼ばれてるらしいわね」
俺は対面の席へと座り、少年に向かい合って言う。
「私と勝負しましょう?」
表情筋が凝り固まってるせいで無表情のままだが……
「……僕はルメール、君の名前は?」
「アウラ」
俺は今、楽しみで仕方なかった。
▼▼▼
僕にとってチェスとは、終生を共にする相棒だ。未だ十年も生きてない身だけど、何故かそれだけは確信を持って言えた。
五歳の誕生日、両親からチェス盤をプレゼントされたのが僕のチェス人生の始まりだった。
チェスは凄い。六十四マスの盤面の中で繰り広げられる戦いは熱く、たった一手で何十手も先の事を考えられるほど奥深い。
僕は瞬く間にチェスにのめり込み、いつしかチェス仲間が集まる会場でキングと呼ばれるまでに至った。
……そう、至ったのだ。
張り合いが無い。キングになる直前も思ったけど、どうやら僕のチェスの実力は会場内でも上澄みらしい。チェスの才能があるのは嬉しい事だけど、その才能を引き出せる相手が居ない。それは悲しい事で、けど僕一人じゃどうにも出来ない問題だった。
いつしか僕は一人チェスをするようになった。まともに戦える相手が僕自身ぐらいしか居ないからだ。けど、一人でやるのも寂しいから会場内でやるようにしていた。
だからその日も会場でいつものように一人チェスをしていた。……彼女が現れるなんて、微塵も思っていなかった。
「チェック」
彼女は突然話しかけたと思えば駒を動かし、そう言った。
彼女が指した一手は正確無比な物だった。盤面を良く理解した一手……それを彼女は指したのだ。対戦相手でも無いのに。
「私と勝負しましょう?」
淡々と言ってくる彼女に僕は見惚れ、そして同時に燻っていた感情が燃え始めるのを感じた。
───面白い。
「僕はルメール、君の名前は?」
僕は今、どうしようもなく高揚している。
▼▼▼
ルメール君との対戦は静かに始まった。
「おい! キングが対戦するそうだぞ!」
「なにぃ!? あのキングがか!」
「対戦相手のあの子、誰だ?」
……訂正、ギャラリーが集まってワイワイ騒いでいた。
まあ彼らの事は無視しよう。それで戦局だが、序盤はお互い定石通りの戦い方をしていた。
いつの世も、どんな戦いでも、定石という物が存在する。戦いの分野によって定石が通用する程度は異なるが、少なくともチェスにおいて定石は実用レベルで使える。
互いが互いの動きを予知してるかのように、淀みなく駒が動き続ける。しかしたまに一方が予期せぬ駒運びをする時があると、その度に戦局は止まって分析が始まる。
分析、その対象はもちろん対戦相手だ。相手がなぜそのような手を打ったのか、定石から外れてもなお得られる利とは何か。それを考えていき、相手の行動パターンを推測するのだ。
(……不味いな)
なーんて玄人みたいな事を語っているが、その事に気付いたのはついさっきだ。
現在、戦局はルメール君が優勢だ。理由は色々あると思うが、一番の理由は対人経験の差だろう。
俺は親父というチェスの達人と何度も戦った事はあるが、それ以外の人と戦う事は数回しか無い。対してルメール君は、キングの称号を手にする程度には色んな人と戦っている。
強い奴と戦うだけではダメ。重要なのは色んな相手と戦う事。ルメール君と対戦する中で、俺はそれを学ばされた。
(やべえ)
にしても不味い。劣勢だ。さっきの戦術を気付くのが遅れてしまい、今ではもう取り返しの付かない所まで行っている。
「チェック」
そして、とうとうルメール君にチェックを掛けられた。
「……」
まだ逃れる手段は残っている。けど、このチェックから回避しても立て直す事はもはや不可能。
「……降参よ」
嗚呼、悔しい。悔しくて堪らない……そしてなにより、
(楽しい!)
そう、楽しいのだ。親父と戦った時以上に俺は楽しく、そして喜んでいた。
「対戦ありがとう。……良い戦いだった」
「こちらこそ、学ばせて貰ったわ」
差し出された手に応じ、俺は固く手を握る。
「学ばせて貰った……そうだね、確かに対戦の中で君の動きは劇的に良くなったよ」
「ええ、とても良く参考になったから、すぐに取り入れさせて貰ったわ」
その後、打ち合わせしたかのようにすぐ感想戦へと持ち込む。
「君の動きには一貫性があった。まるで誰か一人を狙い撃ちしてるようだったよ」
「確かにあなたの言う通りね。私は今までまともな対戦相手が一人しか居なかったから」
「……その人は、とても強いんだろうね」
「……ええ、私も最近になってようやく勝ち越せた所よ」
このまま終わるなんてもったいない。もっと、もっと語り合いたい。もっと実のある戦いにしたい。
今確信した。彼はチェスの天才だ。チェスに関しては俺のチートに並び立っている。
その後も俺達は言葉を交わした。同年代と話した事なんて数えるほどだけど、こうまで分かり合える相手は居ないだろうと思った。
そして、楽しい時間にも終わりが来た。
「……お嬢様、そろそろお時間です」
壁際で待機していたシエラが近づき、周りに聞こえないよう耳元でそう言う。
「あら残念……ルメール、今日の所はこれでおしまいよ」
「そっか、また此処に来てくれるかな?」
「ええ、その時はまた対戦しましょう」
いつもは無表情固定な俺の顔だが、この時ばかりは微笑みが出ていた。
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