35. ファイヤー!!
城壁を超えると、太陽の光を浴びて黄金色に輝く広大な麦畑が広がっていた。風がそよぐたびに麦の穂は波のように揺れ、生き生きとしたウェーブを描き出している。その麦畑の上を気持ちよく飛ばしていけば、遠くに緑濃い森が現れ、その神秘的な姿が徐々にはっきりとしてきた。
「ふぁーあ、ようやく森ですよ。なんだかやることないですねぇ……」
クレアはすっかり慣れ、コーヒー片手に眠そうに言った。
「何言ってるの、これからが本番だよ。右手の高台に建物があるだろ? あれが辺境伯の拠点、ネビュラスピア城塞だと思うよ。つまりここから先は魔物の世界ってことさ」
「ふぅん、で、魔石はありそうなの?」
「うーん、まだほとんど魔力反応は無いんだよね……」
タケルは魔力反応画面を見ながら首をかしげる。
「じゃあしばらくこのまま真っすぐ?」
「そうだね、ただ、速度を二百ノットに上げて。魔物の世界でゆっくり飛んでたら怖いからね」
「二百ノット了解!」
クレアはスロットルのノッチをカチカチカチっとあげた。
ゴォォォという風きり音が激しさを増し、森の木々がどんどんと飛ぶように後ろへと消えていく。
川を渡り、湖を越え、そして丘をも軽々と越えて行く。その旅は、まるで空を翔る鳥のように、自由で、壮大で、息をのむほど美しいものだった。
「あぁ、綺麗な世界ねぇ……」
クレアはうっとりとその大自然のアートを眺める。
「人間が手を付けてない世界だからね……。お、何か反応があったぞ……」
タケルはモニター画面をにらみながら地図にペンを走らせた。
「鉱山? 引き返す?」
「いや、まだ何とも言えないんでこのまま直進」
「アイアイサー!」
その後、いくつかの反応をメモしながら直進し続けた。まるで魔王の支配地域とは思えない順調さに、二人は雑談をして時折笑い声を上げながら、淡々と進んでいく。
やがてあくびが出るころ航続距離の限界が近づいてきた。
「今日はこのくらいにして戻ろう。西南西へターン」
「西南西、了解! ふんふんふ~ん♪」
クレアはクッキーを頬張りながら鼻歌交じりに操縦
その時だった。何か遠くの方で影が動いた。
「ん? 何か飛んでる……?」
クレアは首をかしげる。
「えっ!? あっ! ワイバーンだ! 進路、南南東、全速! 急速離脱!」
「ワ、ワイバーン!? ひぃぃぃぃぃ!」
クレアはパニックに陥りながらも、彼女の手は必死にコントローラーを操り、危機からの脱出路を探し求めた。ワイバーンは、爬虫類を思わせる厚く堅い鱗で全身が覆われており、力強く巨大な翼からは圧倒的な存在感が放たれている。この恐怖の化身が冒険者たちからA級モンスターと、恐れられているのは、その強大な力もさることながら、恐ろしい口から放たれるファイヤーブレスだった。その一億度とも言われる灼熱のブレスを浴びれば灰も残らず焼き尽くされてしまうのだ。
「ダメだ! 見つかった!」
タケルはモニターの中で徐々に大きく見えてくるワイバーンを見て、冷汗を浮かべる。
「どどど、どうしよう!?」
真っ青になるクレア。
「くぅぅぅ……。高度を下げて速度を稼げ!」
「了解!」
クレアは一気に森の木々スレスレまで急降下し、速度を上げていった。
しかし、ワイバーンは巨大な翼をバサッバサッとはばたかせながら信じられない速度で猛追してくる。さすがA級モンスター。まるで恐竜のような鋭い牙に真っ赤に光る瞳。それはこの世のものとは思えない禍々しいオーラを放ちながら迫ってきた。
「マズいマズい! もっと速度上げて!」
タケルはゾッとして思わず叫ぶ。
「ダメよ! これで全開なの!」
どんどん迫ってくるワイバーン。追いつかれるのはもはや時間の問題だった。
くぅぅぅ……。
その時、ワイバーンがパカッと大きく口を開けた。
「ブレスが来る! 急速旋回!!」
ひぃぃぃぃぃ!
クレアは巧みに機体をよじらせ、バレルロールしながら斜め上に回避する。
刹那、激しい閃光が機体をかすめた。
うっひゃぁぁぁ! うひぃ!
一瞬画面が真っ白になり、二人は悲痛な叫びをあげる。
やがて回復する視界、しかし、そこには今まさに獲物を破壊せんと振り上げられた、巨大な脚の爪が光っていた。
「かーいひ!!」
タケルが叫ぶ。その瞬間、クレアには全てがスローモーションに見えるようになる。ゾーンに突入したのだ。
クレアは機首を上げ、間一髪かわすとグルリと機体をよじらせてワイバーンの翼のそばをすり抜けた。
その信じられない見事な技にタケルが見惚れた時だった。
ファイヤー!!
クレアが予想外の言葉を叫ぶ。
へっ……?
なんと、クレアは勇敢にも、巨大なワイバーンを目掛けてファイヤーボールを発射したのだった。翼の下部から射出された灼熱の火魔法は、激しい閃光を放ちながら一直線にワイバーンへとカッ飛んでいった。
36. 固い絆
至近距離から放たれたファイヤーボールはワイバーンの背中に命中し、大爆発を起こした。
激しい衝撃で画面がビリビリと乱れ、ドローンはクルクルと宙を舞い、ワイバーンの悲痛な叫びが森にこだまする。
しかし、ファイヤーボール一発で倒せるような敵ではない。
手負いになり、怒りに燃えるワイバーンは巨大な翼を激しくはばたかせ、クレアを追った。
体勢を立て直し、全力で青空を目指すクレアだったが、パワーではワイバーンには敵わない。ワイバーンが追い付き、巨大な翼でドローンを打ち落とそうとドローン目がけて翼を振り下ろそうとした時だった。
クレアは機体を無理によじらせて失速状態へと落とし込む。こうなるともう正常な飛行はできない。ゆらゆらと落ちてくる木の葉のように機体は不規則に揺らめいた。
ググッ!?
ワイバーンはその不規則な動きに翻弄され、狙いを絞りきれずに一瞬動きが止まってしまう。
その隙をクレアは見逃さなかった。
ファイヤー!!
鮮やかな閃光がワイバーンの翼を包み、ズン! という衝撃波が視界を揺らす。
うわぁ!
自らも爆風を受け、キリモミ落下していくドローン。
しかし、クレアはグルグル回る景色の中、冷静に体勢を立て直した。
ググっと機首を上げると、そこには片翼を失ったワイバーンが悲痛な叫びを上げながら墜落していくではないか。
ギュァァァァ!
徐々に小さくなっていく悲鳴。最後にはズーン! という腹の底に響くような重低音が森に響き渡った。
「うぉぉぉぉぉ! 撃墜!! 撃墜王クレア爆誕!!」
タケルは跳び上がると、クレアのところにまで走り、興奮気味にパンパンと背中を叩いた。
クレアはドヤ顔でタケルを見る。そこには令嬢ではなく、テトリス大会で優勝した時の王者のオーラが輝いていた。
クレアの【ゾーン】というスキルは戦闘職向けで、令嬢にはそれを生かすチャンスなどない。しかし、遠隔操縦であれば安全にその力を存分に発揮することができる。クレアは期せずして天職を手に入れた実感に、湧き上がる喜びを押さえきれない様子だった。
タケルもまた、クレアという頼もしいアタッカーを得たことに喜びが隠せない。タケルはクレアの手を握り、何度も
◇
無事、ワイバーンを撃墜はしたものの、魔力を散々使ってしまったため魔力は残り少なく、もはや帰還は不可能だった。
「くぅぅぅ……。無念だわ……。ダンボルちゃん一号はこのまま森の藻屑となってしまうんだわ……」
クレアは訳の分からないことを言いながら肩を落とす。
「帰還が無理ならこの際、探索に残りの魔力を使おう。南南東へ飛んで」
「あいあいさー」
クレアはやる気のない返事をして、ため息をついた。
「どうも魔力反応は直線状に分布しているんだよね。この先に二つの線が交わるところがあって、仮説が正しければ大きな魔力反応があると思うんだよ」
「へぇ、鉱山が見つかるといいですね」
「ただ、もう魔力の残りが少ないから経済速度でゆっくりお願い」
「ラジャー」
クレアはノッチを戻すと徐々に高度を下げていった。
森の木々のすぐ上空を飛んでいると鳥たちのさえずりが聞こえてくる。
「これを聞いているとのどかな森なんですけどねぇ……」
「ワイバーンが住んでるってだけで近寄りたくないんだよな」
タケルは肩をすくめた。
さらにしばらく飛んでいるといよいよ魔力切れになってくる。メーターはとっくにEMPTYを指しているのでいつ墜落してもおかしくない。
「タケルさん、まだですかぁ? もうダンボルちゃん一号はお
クレアが渋い顔をしてタケルの様子をうかがう。
「うーん、おかしいなぁ……そろそろ反応があってもおかしくないんだけど……」
その時だった、いきなり画面が激しく揺れ動いた。
「えっ……なにこれ!? 壊れた?」
クレアは慌てて操縦しようとするが全くコントロールが効かない。
照準用カメラで後ろを見ると、何かがいる。ピントの合わない中、何かの鋭いくちばしが段ボールをほじくっている。
「ワシだ! ワシに捕まってる! ヴァイパーウイング……かな?」
「えっ!? どう……するの……?」
もはやファイヤーボールを撃つ魔力も残っていない今となっては打つ手はない。タケルは無力感に肩を落とし、悲しげに首を振る。
ワイバーンさえ撃墜したドローン初号機が、今や魔物の餌食となり、無念の最期を迎えようとしている。クレアは深い悲しみに沈み、無念さにうなだれた。
37. 切り裂かれた空間
ヴァイパーウイングはドローンの機体をガッシリとつかむと飛び始めた。どうやら獲物を捕まえた気でいるらしい。
二人はどこに連れていかれるのかと、渋い顔をしながら揺れる画面映像を見て、コーヒーをすすった。
やがて見えてきたのは小高い岩山だった。森を突き抜けてそびえる岩肌には縦にいくつも亀裂が入り、荒々しい景観を誇っている。どうやらここに巣があるらしい。
と、その時だった。
ピーーーーッ!
タケルのモニターが真っ赤に輝き、耳をつんざく警告音を発した。
へ……?
タケルは何が起こったのか分からなかった。画面内でメーターが振り切れているのだ。
「何の……音?」
クレアがけげんそうにタケルの画面をのぞきこむ。
「魔力探知機が振り切れているんだよね。壊れちゃったのかな?」
タケルは首をかしげ、キーボードをカタカタ叩きながらその原因を探す。
クレアはドローンの映像を食い入るように見つめ、その岩肌の様子を探った。
「あっ! 違うわよ! これが魔石鉱山なのよ!」
その岩肌にキラキラ光る魔石特有の輝きを見つけたクレアは、思わず両手を突き上げ、叫んだ。
「え? 魔石……? でもこの数値はこの岩山全部が魔石でもないと出ない数値なんだよ?」
「だったら、これ全部魔石なのよ!」
クレアは両手のこぶしをグッと握り、パァッと明るい顔で笑った。
「え? これ……全部……?」
タケルは信じられずに静かに首を振る。一般に鉱山というのは地層の割れ目に沿って魔石の薄い層があるくらいなのだ。山全部が魔石なんてことがあったら、とんでもない発見である。
「そう! 全部!」
クレアは呆然としているタケルの手をギュッとつかみ、嬉しそうにタケルの顔をのぞきこむ。
「や、やった……」
大発見の実感がようやくタケルに湧き上がる。
「そう! やったのよ! きゃははは!」
クレアはタケルの胸に飛び込み、ギュッと抱き着いた。
お、おい……。
タケルは混乱の中、空虚な眼差しで宙を仰ぎ見ながら、クレアの美しく輝く金髪を無意識のうちに優しく撫でる。彼女から漂う芳香が、タケルを少しだけ穏やかにした。
◇
タケルは『ダンボルちゃん一号』の
しかし、どうやって採掘したらいいのだろうか? あるのは分かっていてもどうやって掘り、どうやって回収するか……? とても人間が行けない所だけに難問だった。タケルは月の石を持って帰るかのような困難さに頭を抱える。
「もう、魔物に掘って持ってきてもらうしかないわね!」
クレアはクッキーを頬張りながら楽しそうに笑った。
「もう!
この時、タケルの脳裏に召喚系の魔法が思い浮かんだ。
「呼び出して掘ってもらう……? 何にどうやって……?」
タケルは腕を組んで必死に考える。人間が行けないのならクレアの言うように魔物に頼るしかないのだ。しかし、魔物に採掘を頼んだとしてやってくれるものなのだろうか?
「絵本にゴーレムに荷物を運ばせるお話があったわよ」
クレアはクッキーを食べ終わると幸せそうに紅茶をすすった。ゴーレムというのは岩でできた魔物で、その巨体から繰り出されるパワーは超ド級、A級モンスターに分類されている。
「ゴーレムかぁ……。いいかも知れないけどどうやって言うことを聞かすんだろう? そもそも呼び出し方も分からんなぁ……」
「あら、ネヴィアちゃんに聞いたら? 彼女ならゴーレムくらい持ってそうよ?」
クレアは少しつまらなそうに言ってまた紅茶を一口すする。
「あはっ! 違いない」
タケルは早速フォンゲートを取り出すと電話した。
『んん……? うぃーす。タケちゃん、なんかあったか? ふぁ~あ』
寝起きの声がする。
「もう夕方なんだけど、寝てたの……?」
『朝までアニメ見ちまってのぉ! 今期は凄いぞ! くははは!』
「はいはい、で、相談があるんだけど……」
『あ、そう? 今から行こうか? 社長室?』
「そ、そうだけど、いつ頃つく……予定?」
すると空中にいきなりパリパリと乾いた音をたてながら亀裂が走る。その初めて見る面妖な事態に、タケルもクレアも息をのみ、身震いした。
38. 翼牛亭
「へっ!?」「キャァッ!」
驚く二人の前で、その空間の亀裂からニョキニョキっとかわいらしい指が湧きだしてきた。そしてその指が亀裂をガバっと押し広げる。
「今、到着! きゃははは!」
なんと出てきたのはネヴィア。ボタンを掛け違えたままのだらしない、もふもふパジャマ姿で、嬉しそうにシュタッと床に着地した。
「お、お前、そんなこと……できたの?」
「くははは、どう? 凄いじゃろ? でもこれは我のスキルだから解析しても無駄じゃがな!」
ネヴィアはドヤ顔でタケルを見つめた。ただ、緩いパジャマの隙間から胸が見えそうで、タケルはほほを赤らめながら目をそらす。
「ちょ、ちょっとネヴィアちゃん! そんな恰好、ダメよ!」
クレアはネヴィアの腕をガシッとつかむと隣の部屋へと引っ張った。
「えっ? な、何がダメなんじゃ?」
「ダメったらダメなの!」
クレアはピシャリと言い放った。
◇
しばらくしてクレアの服に着替えてきたネヴィアは、タケルの説明を聞いて嬉しそうに笑った。
「ほほう、お主、凄いものを見つけたのう! これは実に愉快じゃ。カッカッカ」
「で、これの回収方法を相談したいんだけど……」
「まぁ、ゴーレムに掘らせればよかろう」
ネヴィアはテーブルのバスケットからクッキーをつまむとポリポリと食べ始める。
「じゃあ、ゴーレムの召喚の方法、教えてくれる?」
「千枚じゃ」
ネヴィアはニヤッと笑って手を出した。
「千枚……って?」
「察し悪いのう、金貨千枚で教えてやろうって言っておるんじゃ」
タケルにとっては、この日本円にして一億円相当の金などもはやはした金ではあったが、このまま払うのも癪に障る。
「あぁそう! 金取るならいいよ、もう頼まない!」
タケルは腕を組み、プイっとそっぽを向いた。
「えっ……、いいのか? 困るぞ?」
「友達から大金を取ろうという人はもう知りません!」
「あー、悪かった……。しかし、そのぉ……」
ネヴィアは口をとがらせ、言いよどむ。
「百枚出す。それでいいだろ?」
タケルはニヤッと笑ってネヴィアの瞳を見つめた。
「まぁ、ええじゃろ……」
ネヴィアは渋い顔でタケルをジト目で見あげる。
「何言ってるんだ、金貨百枚もあったらしばらく遊んで暮らせるだろ?」
「千枚ならその十倍遊べるんじゃぁ!」
ネヴィアは両手を突き上げて喚く。
「贅沢言わない! じゃあ、教えて」
「はいはい、後でちゃんと払うんじゃぞ!」
ネヴィアは空間に指先でツーっと亀裂を作ると、中から大きなトパーズでできた黄色に輝くアミュレットを取り出した。その円形のトパーズの表面には精緻な魔法陣が描かれている。
「おぉぉぉ……、こ、これが……」
「ほれ、これを貸してやるから研究せい」
「おぉ! サンキュー! やったぁ!」
タケルはアミュレットを受け取ると、目を輝かせながら魔法陣を見つめ、ITスキルで青いウインドウを開いた。
「感謝せえよ! くふふふ」
「感謝、感謝! 大感謝だよ! で、ついでにさ、ゴーレムを送り込むのと、採った魔石の輸送についても知恵貸してよ」
「え……、また面倒くさいことを……」
「いいじゃん! 乗り掛かった舟だしさ! 美味しいもの奢ってあげるからさ」
腕を組んで渋るネヴィアの肩をタケルはポンポンと叩く。
「……。じゃあ
ネヴィアは街一番の高級焼き肉屋を指定した。
「良く知ってるなぁ、あそこが一番うまいんだよ。いいよ、行こうよ」
「うむ。それじゃ、まず、ゴーレム送るのは空間つなげて我が送ってやろう」
「お、やったぁ!」
「で、採掘した魔石じゃが……うむ、どうしたものか……。
ネヴィアはもう我慢ができない様子でタケルの背中をバンバンと叩いた。
「え? もう行くの?」
「飲まねば案など出んよ。くははは!」
タケルは肩をすくめてジト目でネヴィアをにらみ、渋々
39. 揺れる緊急会議
結局、採掘した魔石はネヴィアに借りたマジックバッグに詰めておき、ネヴィアが暇な時に金貨一枚の手間賃で空間をつなげて回収することにした。マジックバッグは小さなカバンだが中身は小屋くらいの容量のある異次元空間になっており、そこに詰めておけば、時間かからずに回収が可能なのだ。
タケルは洞窟のデータセンターと、魔石の貯蔵倉庫に採掘した魔石を供給し、違和感なく魔石の供給問題を解決していく。フォンゲート用に売れていく魔石の大半がゴーレムの採掘したものへと変わっていったが、誰も気づくものはいない程だった。魔石を買い占めて高値を要求していたアントニオ陣営側の業者たちは、いつまでたっても価格交渉で折れてこないアバロン商会に根負けし、だぶついた在庫を安値で吐き出し始めるまでになる。これで、懸案の一つは完全に解決されたのだった。
アントニオ陣営側最大の切り札が無くなってしまったことは、陣営内に深刻な動揺をもたらす。最後は魔石価格を釣り上げてジェラルド陣営側の利益を吸い上げようという計画だったのだが、それが失敗となるともはや経済的には対抗手段がないのだ。
アントニオ陣営側の魔導士たちはフォンゲートの魔法陣を解析して弱点を探そうとしたものの、魔法陣には一ミリに満たない幾何学模様がそれこそ万単位でぐるぐると回っている。このあまりに複雑な魔法陣はとても人間の読めるものではない。タケルの書いたソースコードは数十万行に及んでおり、コードを読むのすら難しいのに、魔法陣になった後ではとてもリバースエンジニアリングは不可能だった。
弱点が見つからず、経済的にも劣勢となったアントニオ陣営。最初に音を上げたのは商会たちだった。利権で押さえている商流があるからすぐには倒産とはならないものの、遅い、高い、不明瞭な取引に取引先たちが難色を示しだしてしまっている。事業はじり貧だし、何しろ働く社員たちが仕事に疑問を感じだして、次々と辞めていくのを止められない。
やがて一社、また一社と、巧妙な理由をつけながらアントニオ陣営から逃げ出し始めた。
こうなると瓦解は時間の問題だった。アントニオ陣営は急遽公爵の屋敷に集合し、緊急会議が開かれることとなる。
会議室には公爵だけでなく侯爵を始め、そうそうたるメンバーが十数人集まったものの、いつもより少ない人数に皆一様に硬い表情をしていた。
「状況の報告をしろ!」
アントニオ王子は不機嫌を隠すことなく、事務方の担当者を怒鳴った。
「は、はい! 陣営所属の貴族ですが、ヴィンダム伯爵、アッシュウッド子爵、アルテンブルク男爵、グレーヴェン男爵より脱退依頼が来ています。それぞれ健康がすぐれないためしばらく王都を離れるそうです」
アントニオのこぶしが力任せにテーブルを激しく打ち鳴らし、部屋に緊張が走る。
「何が健康だ!! 嘘つきやがって、一体どうなっているんだ!」
ふぅふぅという荒い息遣いが静まり返った室内に響いた。
「よ、よろしいでしょうか……?」
羽つき帽子をかぶった白髪の侯爵がおずおずと手を挙げる。
「侯爵殿、何かね?」
不機嫌そうにアントニオは侯爵をにらんだ。
「うちに秘密裏に『陣営を抜けないか』という打診が来ておってですな……」
「な、なんだとぉぉ!」
ガン! と、アントニオはテーブルにこぶしを叩きつける。
「そう興奮召さるな!」
立派なひげを蓄えた公爵がアントニオをたしなめる。金のエレガントな刺繍をあしらった黒いジャケットに身を包み、現国王の叔父でもある公爵にはアントニオも頭が上がらない。
「も、もちろん断ってますよ? 断ってますが、先方の出した条件は『陣営を抜けたら金貨十万枚を出す』というもので……」
気弱な侯爵はしどろもどろに説明をする。
「じゅ、十万枚!?」
アントニオは絶句し、参加者たちは無言で周りの者と顔を見合わせた。
金貨十万枚というのは日本円にして百億円。アントニオ陣営が勝利したとして得られる利権が年間数億円だとすれば数十年分もの利益をポンと出すというのだ。これは利益だけを考えるなら即決すべきレベルの大金と言える。
「これは実にまずいと思い、ご報告した次第で……」
「一体どれだけ儲けとるのか、あのOrangeという会社は!!」
公爵はダン! と、テーブルを叩くとギリッと奥歯をきしませた。
「Orange社はフォンゲートという信じがたい魔道具で儲けておりまして、代表はグレイピース男爵……」
「奴の名前を出すのはやめろ! 気分悪い!」
アントニオは事務方を怒鳴りつける。
事務方の眼鏡の青年はビクッと身体を震わせ、口をつぐんだ。
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