SCP-040-JP はどんな存在なのか

昼行灯

ねこですよろしくおねがいします

 日本のどこかの県にある、限界集落の村に放置された井戸小屋があった。

 小屋は木造で建築された平屋だ。

 この小屋には石で作られた井戸がある。水はない。底もない。ないない尽くしの深い井戸である。

 だが、何もないわけではない。


 「ねこがいる」


 井戸小屋を覗くと「ねこが居た」と思わずにはいられなくなってしまう。この幸せな思考は、写真や映像を見ても発症しない。視認した時のみ訪れる。いつでもねこを感じられるとは、なんてハッピーな人生の幕開けだろうか。と、思うことなかれ。


 曝露してしまうと、普通のイエネコに対しての認識も歪んでしまうのだ。イエネコが毛もない造作もない顔に人間の目が二つついた動物に見えてしまう。


 つまり、猫好きにとって、可愛いとは言いづらい生物として見なければいけなくなってしまう。もし猫を飼っていたら、愛らしさが欠如した謎の生物を飼い続けなければいけなくなるアンハッピーな人生の幕開けになってしまうのだ。


 さらにこの「ねこ」が暗闇のどこにでもいるように感じるようになってしまう。夜道を歩いていても部屋で電気を消して寝ようとしても「ねこがいる」


 観察するどころか観察される日々の始まりである。


 日常的に観察され、あまつさえ吸われることもある猫の気持ちを理解するには、最適な曝露かもしれないがあまり体験したいと思えないのが人間の身勝手なところだろう。


 さらにさらに暴露すると他人にも「ここにねこがいるよ」と伝えたくなってしまうのが困るところである。いや、ちょっと立ち止まって考えてみよう。


 ねこがいればねこがいることを伝えたくなるのは、猫飼いのありふれた日常ではないだろうか。ねこがいます。これを書いている当方もSNSや会話で猫の話をする。なぜならそこにねこはいるのだから。困ることではない。


 あえて補足情報を付け加えるのならば、この伝えたい気持ちは発話・文章・映像・絵画などのあらゆる媒体で行われる。やはり猫飼い、猫好きにとって当たり前の行動だ。ねこがいます。仕方がない。


 さらにさらにさらに、この猫がいることを聞いた人も「ねこがいる」ことを伝えたくなってしまう。曝露にはミーム的効果(伝播性)もあるのだ。しかし、ねこを見たら話したくなるのは当然の帰結と言えよう。そこにねこがいるのだから。

 

 このねこの存在は財団では、SCP-040-JPにナンバリングされている。

 クラスはSafe。Safeというのは財団がちゃんと管理してるよという意味である。

 財団にとっては異常な存在という認識なわけだ。


 ねこがいることを伝えたくなる現象が異常な存在による影響だとしたら、世界中の猫飼いは既に影響下にあるのではないだろうか。ねこがいるのに。


 ついでに言うと、財団の調べでは極めて自然な感じで伝達するために、異常な存在に曝露しているのかどうかの判断は困難だそうだ。

 つまり知らず知らずのうちに、SCP-040-JPの影響の拡散に加担している可能性があることになる。ねこがいますのに拡散してはいけないのは不思議な話だ。

 

 さて。これを読んでいる諸君に問おう。 


 貴殿はSCP-040-JPに曝露していないと、言い切れるかね?


 ねこでした。よろしくおねがいします。

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SCP-040-JP はどんな存在なのか 昼行灯 @hiruandon_01

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