七章 エンジェ

彼と出会った時、世界が晴れた気がした。ずっと目の前にあった暗い霧はなくなり、暖かい日差しが降り注ぐ。政治の道具として祀り上げるわけでもなく、媚び諂うわけでもなく、自分を対等に扱ってくれる人。自分の姿を見つけると笑ってくれて、会えて嬉しいって、居場所をくれる。やたら質の良い玉座よりも、組み敷いた家臣の背中よりも、彼の隣に座っている時が一番落ち着く。呼吸ができる。自国には流れていない、清純な空気。

 国と国の境で行われる密かな時間だけが、唯一自分が自分でいられる時間だったんだ。


「―――つまり、自分よりも平民を優先させたことが気に食わなかったわけじゃなくて、自分に何も言わず大きな決断をしようとしたのが気に喰わなかったってこと?」

 恐ろしい程にしょうもない。そんなことで戦争を起こされてたまるか。人の国に火を放るな。

 正面からそう言ってやりたかったけれど、隣国の王子は決して自国から出てこようとはしなかった。国境で合流したのも王子とルーヴだけ。来たら来たでどの面下げて来たんだと言ってやりたくなるが、来なかったら来なかったで腹が立つ。ちょっとは自分の手を汚したらどうだと言いたくなる。

 腹が立つのを隠さず、壁にどんと思い切り寄り掛かれば、隣にいる男が「まぁまぁ」と笑った。

 いつまでも国境にいるわけにはいかず、馬車に乗って生徒会長室に戻って来たのは三十分程前。主のいない部屋の留守を守っていたのはメカクレだった。今のようにへらへらと笑って、おかえりなさい、なんて私達を迎え入れる。国境へ向かった時も同じ態度で私達に魔法の馬車を貸してきた。

「たったひとりの友人ですからねぇ」

 その友人は、国境で話していた通り、学園へ戻ってすぐに王子は城へと向かって行った。ちょっとの名残惜しさも見せずに去って行ったのだ。これからの彼にはやらなければいけないことばかり。まぁ、まずは全身の傷についての質問攻めが始まるのだろうけれど。

 隣国の王子にとって彼はたったひとりの友人でも、王子には友人が沢山いる。同じ馬車に乗っていた三人がその代表格のようなものだ。いつか彼らに隣国からの殺意が向くのではと思ったが、隣国の王子と面識のあるメカクレがやんわりと否定する。もう大丈夫だろうと呑気なことを宣うのだ。

「元々、死ぬほど捻くれた人なんです。知りませんか、あそこの王の女遊びが酷かった話」

 それは、前の人生で聞いたことがあるから知っている。平民の間で浸透しているかはともかく、貴族の中では有名な話だ。前の父親は、隣国の王がいる場に決して私を連れていこうとしなかった。娘を守っていたのだろう。いくら有力な貴族とはいえ、他国の王には面と向かって逆らえない。

 実際、隣国の王子の母親が誰なのかはわかっていないらしい。隣国では一時、実子を王の子だと主張する女性が王宮に押し寄せたという。その中でいっとう見目麗しく、男子を産んだ女性を王妃として受け入れた。王子と王の血が繋がっているかさえ定かではない。

 王子の幼少期が明らかにされていないのも、王が王妃にかまけて放置していたせいだろう。色恋に溺れ、贅にかまけていたある日、王妃が事故で死に、隣国である私達の国が攻め入った。それから、平和条約を結ぶための準備期間だった数年間。その間に、私達の国の使いが王子の存在を見つけ出したのだ。それまで王は、条約を結ぶ話し合いの時でさえ、自身に子どもがいることを話さなかった。

 すまん、忘れていた。そう言ったらしい。惨い話だ。

「恋愛、とまではいかずとも。凄く大きな存在だったんですよ。そんな人に急に放って置かれて、自分の知らぬ間に伴侶を見つけ出そうとしている、とあれば……昔の傷が開いちゃったんでしょうね」

「王子はそのこと……知るわけないか。王も、結局我が子には甘いものね」

 政略結婚をしろと言う親に歯向かうのは相当大変なことなのだろう。だが、結局は折れる未来が私には見える。アンジェリカだった時、何回か行ったことのある王宮で見かけた王の息子へ向ける目は、厳しくも優しかった。前の父親と今の父親が私へ向ける目と一緒だ。親馬鹿の目だ。

 次期王妃は定位置らしい長椅子に座り、隣に腰掛けたアンジェリカと何かを話している。内容まで聞こえてはこないが、二人の顔は穏やか。王子のことでも話しているのだろうか。全然興味が湧かない。

「隣国の王は隣国の王、うちの王子は王子よ。無関係な人間を勝手に重ねる方が悪いじゃない」

「いやぁ、ごもっとも」

 だがそうやって冷静に判断できるのも、実質私達が第三者の立場にいるから。魔法使いはそう続けた。他人事だからなんとでも言えるのだ。当事者の視野の狭さは当事者にならないとわからない。一回目と二回目のアンジェリカがそれを物語っていた。

「全員が俯瞰的に見れて平等な判断ができていたら、そりゃあ戦争なんて起こりません。だけどそれが案外難しい。思わぬ所で綻びはでるし、改善をしてやった側からの不満は止まらない。人間の統治なんてその繰り返しでしょう」

「……振り回されるのは、民衆なのに?」

「仮にね、平民が王まで成り上がったとしても同じようなことが起こると思いますよ。結局世界は誰かの自分勝手で回って、それで出たミスを誰かが補って、ああ最終的には平和ですねっていう結果論で回ってますから。闇ある所に光あり。何かが起きた後じゃないと平和とは呼ばないのです」

 隣国からの襲撃を退けた今のこの国は、平和と呼べるのだろうか。平民達の多くは自分達が隣国に利用されていたことも知らず、今日も王への不満を募らせている。私達がやったのはひとつの決定事項を覆しただけだ。全てではない。今もこの国に広く蔓延っている闇は、これから王子とカルルが戦っていくことになるもの。

「はた迷惑な話だわ」

 完全に巻き込まれ事故である。王子が誰と恋しようが、隣国の王子が打ちひしがれようが、こっちの知ったことではないというのに。戻されたとはいえ、一回死んだ時の記憶はしっかり頭に刻み込まれている。時折夢に出る程だった。

 でも、迷惑だけではなかったでしょう。

 その言葉に言い返そうと横を向けば、長い前髪がすぐ近くにあった。層が厚すぎて、近くで見ても向こう側にある瞳は見えない。いつだったかデヴィに披露していた気がするけれど、興味が無さ過ぎて全く見ていなかった。人にあっさり見せる癖に、何故通常時は隠そうとするのか。魔法使いの思考回路はまったく理解できない。

「よかったですね」

「……何が」

「どんな自分でも、絶対一緒にいてくれる友達がいて」

「―――うるさい」


 けらけらと笑うメカクレを蹴飛ばせば、怖いからそろそろ帰ろうかな、と零す。さっさと帰ってしまえ。そもそも、何故わざわざ生徒会長室で待っていたというのか。元の体に戻りたがっていた頃の私の呼び出しにもすぐ来ていたし、確かアンジェリカを追った日も学園の近くをうろついていた。魔法使いって暇な仕事なのかもしれない。

 そうですよ、と、万能な力を持つ男が笑う。

「俺はね、あのお兄さんとお姉さんみたいな……これだけしか使えない人の方が楽しいと思うんですよね。人によって違いがあるとはいえ、大体の魔法は勉強すれば身に付くし、教会はそのための環境が揃ってるし。ここ数十年、数分で悩み事が解決しなかったことはありませんよ」

 あらゆる人が聞いてすぐに拳を握りそうな言葉だ。現に私は両拳に力を入れている。片足を退けば、あとは反動を利用して利き腕を前に出すだけだった。だがその前に、ふと気付く。

 数十年。メカクレの外見から勝手に年は近いだろうと思っていたが、彼は私達よりずっと年上だったのだろうか。言い間違えの可能性もあるが、喋ることを得意とするこの男がそんなことをするとも思えない。魔法には、老いを和らげる、もしくは遅れさせるものもあるらしい。

「魔法は万能です。―――故に、魔法使いの殆どは退屈している。沢山の困難に立ち塞がれてる貴方達が、俺は素直に羨ましいよ」


***


 一学年最後の登校日、教師からの呼び出しがあったせいで私は遅れてホールへと向かっていた。終業式があるというのに、何でわざわざ朝に呼び出すのかしら。内容が終業式後にやるパーティーに関わっているのもあるだろうが、タイミングは考えて欲しいものである。

 ホールの扉の前には警備員が立っている。下着泥棒が現れて以降、今日のように生徒が一同に集まる日の警備は固くなっていた。中庭の穴だってとっくに塞がれている。もう簡単に侵入することも、ついでに抜け出すことも出来ないだろう。そんな機会は暫く無いだろうが。

 警備員に近付くと、厚い扉越しに音が漏れ聞こえてくる。恐らく学園長あたりのスピーチだろう。案の定、式は始まってしまっているようだった。途中で入ったら注目を浴びる上に、式を中断させてしまうに違いない。それから後で担任に怒られていつものトイレ掃除コースなのは目に見えている。

 しかし今回に限ってはちゃんとした理由がある。呼び出し教師にどうにかしてもらおうと、他人頼りな気持ちのままに扉へ手を掛けた。

 コツ、コツ。ローファーが床を打つ靴音に、手を止める。

「……えっ、何で貴方が?」

「こっちの台詞よ」

 振り返ると、立っていたのはアンジェリカだった。優等生の癖に今ホールへ来たらしい。私よりも遅いなんてと言えば、すぐムキになる女は「私は呼び出されていたんです」と声を張る。私だって呼び出されていた。どうやら遅れた理由は同じではあるが、用件は別々のようだ。当然だ、私が呼び出された理由に彼女が当てはまるはずもない。その自信があった。

 いつもより余裕のある私は、ふんと笑った後、すぐに口論を切り上げる。それから扉に向き直れば、遅れてやって来た彼女も式が始まっていることに気付いた。そこで私も気付く。このまま行くと、この女と一緒に入場する事態になることに。注目されるのは嫌いではないが、アンジェリカと一緒なのは嫌だ。

 貴方は後から来いと手間の掛かることを言おうとして、振り返り、ぎょっとする。

 普段は誰に言われるでもなく気位の高い姿を保ち、こうと決めたことには頑なな女が、ぼろぼろと大粒の涙を零していた。壮絶な過去を明かした時でさえ、涙のひとつも見せなかったくせに。

「な、何で」

「…………私、終業式、初めてなんです」

 一年生なら誰だってそうだ。園で行われるイベントの殆どが初めてに当たる。私は、誰かさんのせいで前回の記憶があるから。定期試験なんかは初めてではなかったけれど。だからむかついたのだ。私と同じ状況であるはずの女が、試験の順位を落とし続けたことに。私達は確実に前回を上回れる環境を用意されているはずなのに。

 でも、あぁ、そうか。

 私も、これから経験していくことは本当に“初めて”になるのか。

「私、やり遂げたんですね」

「……貴方、そろそろ死ぬの?」

「失礼な!死にません、死んでられません、死ぬ気で生きます。やっとここまで来れたんですから」

 瞳に涙を溜めながらも言い切るアンジェリカは、悔しいけれど、やっぱり綺麗だった。


「ねぇ、アンジェリカ様って、何で終業式の時に泣いてたの?」

「初めての終業式が嬉しかったらしいわよ」

「えぇー、学園大好きなんだねぇ……」

 終業式が終わってすぐ、身支度を終えた生徒達は再びホールへ集まり始める。姿格好を、制服からドレスに変えて。終業式が終わった後にパーティーがあるのは学園の伝統行事であるらしい。レンタルドレスを着るのにもすっかり慣れてしまった。オーダーメイドじゃないのは気に喰わないが、それなりの店で購入しているようだったし。

 同じくレンタルドレスを身に着けたサフィは、私の横で男子からの誘いを笑顔で断っている。別に踊って来てもいいのに。殆どの男子は私の半径数メートルに入ろうとしない中、それでも彼女と踊るために勇気をだして近寄って来ているのだ。多少は答えてやればいいのに、「好きでもない男子に触られるの無理」らしい。その癖愛想はいいし、忘れたものや使わなくなった教材は遠慮なく貰っている。とうとう彼女は、次の学年で使う教材を貰い物で揃えてしまった。

 エンジェがどの授業を選択しても対応できるよ!と笑顔を向けられた時、私はこの子が大物になることを確信した。

「女子って残酷だ……」

 とぼとぼと去って行く男子の後ろ姿にデヴィが同情の目を向ける。こっちもこっちで踊る気はゼロだ。彼の場合は一曲踊り切る体力が無いのもあるが、そもそも私と同じで異性から誘われるタイプではない。結局パーティーでは、三輪の壁の花となっていた。まぁ、一輪よりかはいいだろう。

 不意にラッパが鳴る。パーティー中断の合図だった。

「え、何?」

「また下着泥棒かなぁ?」

 突然曲が止まったことで会場にざわめきが起きる。不安顔のサフィが縋りついてくるが、私は堂々としていた。何故なら、このラッパが吹くことはあらかじめ知っていたからである。それに、戸惑っているのは一学年だけ。先輩達は涼しい顔で、不安がる後輩を微笑ましそうに眺めている。

 壇上に登った教師が、生徒達の注目を浴びながら宣言してきた。

「各学年の最優秀生徒を発表します。呼ばれた生徒は、ホールの真ん中へ進むように」

 鼻高々になりそうな気分を抑える。まだだ、まだ早い。まず三学年の名前が呼ばれた。該当の生徒の周囲からわあっと歓声があがる。呼ばれた当人は戸惑いつつも、照れ臭そうにしながら前へ出た。拍手が起き、収まった頃に二学年の生徒の名が呼ばれる。また歓声。

 そして一学年。きっと、誰もがカルルの名を呼ばれると思ったに違いない。

 呼ばれたのは、私の名前。起きたのは歓声ではなくどよめきだった。

「え、エンジェ?呼ばれてるよっ?」

「知ってるわ」

「知ってたのか?他の人は、今初めて知ったみたいだったけど……」

 これこそ終業式の前に呼び出された理由である。

 私が最優秀生徒に選ばれることについて、教師達はそれはもう凄く悩んだらしい。当日まで結果が出なかった程に。だが、過程はいい。選ばれたのはカルルでも、アンジェリカでもない。私なのだから。

「あ、でも、そっか。なんかんだでエンゲ、ずっと学年一位だったもんね」

「あ、確かに!なんだかんだあって忘れてた!」

 そうだ。私は入学してからずっと学年一位を取り続けていたのだ。最後のテストにおいては半分以上で満点を取った。前回は最後の試験を受ける前に死んだのだから、紛れもなく私の実力である。

 加えて言うなら、最後の試験。アンジェリカとカルルは学年十位内からも外れている。片方は気が抜けてて、もう片方は王宮と学園を行き来するのに疲れてしまったのだろう。だが結果がすべて。勝者は私だ。

 今こそと鼻高々に歩き出した私を、離れた所に立つアンジェリカが驚いた表情で見ている。ふふん、悔しかろう、羨ましかろう。本当は今すぐ彼女の目の前に躍り出てもよかったのだが、教師達からパーティー中のアンジェリカへの接近禁止命令が出ていた。呼び出しの主な目的はそれである。

 彼女の隣に立つカルルは、のほほんとした笑顔で私に拍手を送っていた。


 さて、本番はここからだ。ホールの真ん中に集まる数名になった私は、教師の声を聞き流しながら私は会場を見回す。

 目当ての人物は、相変わらず壁の花になっていた。華麗に咲き誇る花は、いつもの無表情で会場を傍観している。護衛対象の王子が不在にしているからだろう。いつもよりも気だるげな表情だ。後頭部には寝癖まである。しかしそれすらも画になる。素敵。格好いい。

 わざわざ各学年の最優秀生徒が真ん中に集められたのには理由がある。パーティー再開の前に、ここでダンスを披露するからだ。各学年の代表として、一年の締めくくりの象徴をする曲と合わせて踊る。これも恒例のイベントだった。そして、踊る相手は生徒代表である生徒会長なのも毎年恒例である。

 けれど、生徒会長は長らく学園を不在にしている。カルルもやっぱりこのまま卒業することになりそうだと言っていた。そしてそんな不在を、卒業するまでの間からと説得されて埋めているのは―――ルーヴ様だ。生徒会長の代理を努めていらっしゃる。最近の学園は、とうとう話さざるをえなくなって口を開いた彼の話ばかりである。

 これはもう確定演出である。レッドカーペットは敷かれた。あとは、彼がやってくるのを待つだけ。

 壁に寄り掛かっている彼をじっと見つめる。そろそろ教師の長ったらしい説明も終わりそうだ。そしたら動くつもりなのだろう。ダンスの練習はばっちりだ。もし彼と踊る機会があった時に恥をかかぬよう、前回からずっとイメージトレーニングまで重ねている。あとは彼が動くのを待つだけ。教師の説明が終わる。拡声器の切れる音。さあ、動くぞ。


 ―――動かないんだけど。


 私の前に敷かれたレッドカーペットの前を歩いてきたのは、冷えた目をしたアンジェリカだった。

「ん何でよっ!?」

「話を聞いてなかったんですか……。先生が説明していたでしょう。生徒会長が不在のため、各学年で代理を立てたと」

 代理。周囲を見れば、他の学年の代表の前にも同じように別の生徒が立っている。照れ臭そうに笑う目前の相手に、ルーヴ様に頼まれたんだとちょっと誇らしげに語っていた。……へぇ、頼まれたと。ルーヴ様に。

「あの人、踊りなんて出来ないですよ。幼少期のダンスレッスンを全部森に充ててたような人です。だから、まぁ、代理の代理のようなものです」

「代理の、代理……」

「……そろそろ現実を受け入れてもらってもいいですか?」

 音楽が掛かる。周囲の生徒達はしっかり教師の話を聞いていたのだろう。スムーズに相手の手を取り、動き始める。私だけアンジェリカに引っ張られて始まった。衝撃がまだ抜けていなかったのである。

「ちょっと!ちゃんとやってもらえます?いつも壁際にいるけど、貴方が踊れるの知ってるんですからね?」

「何でよ……」

「……前回、一学年の最初はよく男子達に誘われてたでしょう。気分良さそうに踊ってたじゃないですか」

 そういえばそんなこともあったっけ。言われてみれば、最初の方は周りに男子がいた気もする。アンジェリカの外見に惹かれたのだろう。“私”を知った段々散っていったが、確かに一時だけ気分は良かった気もする。まぁ、ルーヴ様相手に実力を発揮できないなら意味ないが。

 大変不満だったが、この踊りを同じ会場で彼が見ていると思えば多少身も締まる。大人しく合わせてやれば、それでいいんですよ、なんて生意気な声。

「というか、何で貴方はリード側で踊れるのよ。いつもは私の方でしょう」

 言いながら気付いたが、そういえば周囲で踊っているペアはきちんと異性同士である。何故私達だけ同性なのか。きっと見ている側も抱いている疑問を問えば、アンジェリカはわかりやすく目を泳がせた。わかりやすい。何かを知っているということだ。

「何よ」

「……貴族の道楽、といいますか……」

 当初、私のペアは通常通り男性だったらしい。“私”というよりかは、私とカルルの、である。教師達はギリギリまで二択を選べずにいた。当然カルルを取りたいが、数値でいったら私なのである。順位表を貼り出している以上嘘をつくこともできない。しかし私は問題生徒であもる。

 頭を悩ませる教師達に進言したのは、生徒会長代理。彼は私を選ぶ代わりに、自身の代理まできちんと見繕って話を通しておくと宣言した。―――まさかその代理が接触禁止令を出した人物になるとは、教師達も思うまい。くるりとターンをした時、担任の教師の顔はまだ驚愕の表情で固まったままだった。

「っこの、馬鹿真面目!ちょっとは断るってことをしなさいよ!」

「馬鹿とは何ですか!私だって相手を知らされてなかったんです!」

 あ、だから呼ばれた時、あんなに驚いていたのか。


「素敵だったよ、二人共!」

「一曲の最初から最後までずっと睨み合うの、逆に体力使わない?」

「本当よくやるよねぇ。見てる分には面白いけど」

 いつの間にかお互いの戻る場所が合流していたので、渋々二人並んで手招きする方へと歩く。カルルはまだ小さく拍手を継続していた。

「途中からそうかなーって考えてたんだけど、これ、進んだのルーヴ様?」

「さすが鋭いですね、デヴィくん。ついでにこの人へ私に怒ることの無意味さを説いていただいでいいですか?」

「私がルーヴ様へ直接怒るわけないに決まってるでしょうが」

「堂々と八つ当たりしないでください!」

 完全に否定はできないが、彼女の何でも受け入れる癖への文句はあるだろう。本人にも言ったが、そろそろ断ることを覚えたほうが身のためだ。また勝手に重責を抱えて、私しかできないことだと追い込まれて、自らの生死を軽く扱う可能性がある。

 まぁ、でも、そういう運命なのだろう。私が認める程の美貌を持っている癖に、それに頼らず、何でも自力で解決しようとする。綺麗な外見で泥臭く生きることしかできないのだ。

 宝の持ち腐れね。はんっと笑えば、何かを感じ取ったのかアンジェリカは不満そうな顔を浮かべる。最近表情筋が緩やかになっているように感じる。

 だが、それは彼女だけに当て嵌まらない。

 てっきり私へ向けられていたと思っていたが、アンジェリカの表情は私の肩越しにいる人物へと向けられていた。デヴィがうわぁっと驚きの声をあげる。同じような声をあげたサフィが私に飛び付いてきて、だから気配を消すのやめてくださいと頬を膨らました。

「そう怒るな、アンジェリカ。楽しそうに踊ってるように見えたぞ」

「貴方はもう少し人の感情の機微を理解するべきです。あと関係性」

「考えたつもりだったのだが……」

 恐る恐る、振り返る。視界の端に黒色が映った。それだけで自身の顔がカッと燃えるように熱くなる。すると、すかさず両手を広げたデヴィが間に入ってきた。

「あ、すみませんね、僕越しにお願いします。僕ひとり分を挟めばなんとか意識を保ってられるみたいで……」

「そうか、迷惑を掛けるな」

 ぽよぽよとした頬越しに、安定の無表情で唇を動かす彼が見えた。遠くから眺めていた時の彼よりも、やっぱり近くで見る彼の方がずっと麗しい。きらきら輝いている気がする。これはきっと照明のせいではない。

「このまま話しても?」

「ええと、ちょっと待ってくださいね。……うん!この脈拍なら、あと数分は大丈夫そうです」

「貴方の友人達、どんどん優秀になってきていませんか?悪いことではないですが……」

 二人のおかげで、大分ルーヴ様といれる時間は延びてきたと思う。ばたばたとしていた時はともかく、改めて彼と一緒にいるのだと思うとそれだけで体内が沸騰してしまっていた。それをルーヴが壁となり、サフィが計測することで、なんとか回避している。

 それにしても、ルーヴ様が私に話なんて。私こそ、そろそろ死んでしまうんじゃないだろうか。折角長期休暇に帰省するための届けを出したばかりなのに。

「何でしょう、か……?」

「君は体が弱いのか、よく倒れたり気を失っているだろう。ゆっくり話すタイミングが作れなくて、ずっと言いそびれてしまったことがあってな。伝えに来た」

 これだけ人がいれば大丈夫だろうかと、私を気遣ってくれる優しい優しいルーヴ様。そんな彼をアンジェリカが信じられないという顔で見つめている。何が言いたいんだ。

 いやいや、今はアンジェリカなんていい。私を見て、私に話し掛けてくれているルーヴ様に集中しなくては。

「話、とは……?」

 自然といつもより高くなる声。おずおずと見上げれば、黒曜石を彷彿させる黒い瞳と視線が絡む。どきんと心臓が跳ねた。

 照明のせいだろうか。真っ黒な彼の瞳に、光が射し込んでいるように見えた。

「色々と手を貸してくれて感謝する。君の大胆な発言や動きのおかげで、多くの事が進んだ。……特に、アンジェリカにとっても君の存在は大きいようだ」

「勝手なことを言わないでください!」

 うるさいアンジェリカ。そう思うものの、こんなに彼の声を聞き続けたのは久しぶりだ。頭が沸騰しそうだったのだが、聞き慣れた声のおかげで温度が一気に下がっていく。萎えるとはこういうことを言うのだろう。気絶してる場合ではないから、今回ばかりは感謝しておく。

 彼女の声に反応して自然とジト目になる私に、ルーヴ様は表情を緩ませた。笑う、まではいかないが。最近の彼は、和やかな顔を浮かべるようになったのだ。破壊力が抜群だとくらくらしそうになる中、そろそろ限界だということを悟ったのか、彼はもっとも伝えたいらしい言葉を紡ぐ。

 それは、ずっと、ずっとずっと、望んでいたものだった。


「ありがとう、エンジェ」


 横から誰かの転ぶ音がした。視線を向ければ、サフィがドレスを捲れるのも気にせずに床へ倒れ込んでいる。カルルが慌てて怪我はないかと駆け寄るが、どうやら今の彼女には心配に答える余裕も無さそうだ。

「ちが、違っ……いや、間違いではない、けど……やっぱり違うかなぁ!?」

「落ち着きなさい」

 カルルの手を借りて起き上がった彼女が私に縋り付く。違うんだよぉ、そんなつもりはなかったんだよぉ、お願い嫌いにならないでぇ、と結構な本気泣きだった。だから落ち着きなさい。

 すっかり隣にいることが定位置になってしまった青色に、ぽんと手を乗せる。喚く声は止まったが、代わりにぐじゅりと鼻を啜る音。折角綺麗な格好をして、いつもより可愛くなるように化粧をしてやったのに、こんなに泣いたら台無しじゃないか。

 ふ、と。

 知らず知らずの内に零れた笑みを誤魔化すように顔を上げた私は、彼へと向き直る。不思議なことに昂ぶり続けていた熱は収まり、脈拍は正常なものへと戻っていた。

 そうよね、ダンスよりも何よりも、ずっとイメージトレーニングをし続けたことだもの。緊張で声が出ませんなんて勿体ないわ。

 たっぷりと息を吸い込み、口を開く。


「ルーヴ様、改めて名乗らせていただきます。私はーーー」


 


 長期休暇。

 沢山の荷物を手に持った私は、どうにか手を伸ばして家の扉を叩く。

「お父さん、お母さん、ただいま」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

炎上令嬢が名前を呼ばれるまで @imaki

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ