六章 ルーヴ


「私が集めた証拠は、民衆達を手引きしたのは“隣国の王子”だということ。そして、隣国は既に大量の武器を保有していることです。恐らく現王達にも明かしていない量を、彼らは抱えています」

 現王と平和条約を結ぶまで、隣国が武力国家だったのは有名な話だ。武器の流通に詳しくてもおかしな話ではない。だが、戦う必要を失った今、何故武器を集めているのか。もっと前から戦争をする気だったのだろうか。

「隣国の…王子?え、王ではなくてですか?」

「はい。民衆の怒りを煽り、襲撃の指揮をとっているのは王子だそうです」

 ふくよかな男子の疑問も尤もだ。普通王子と言われれば、まだ実権を握っていない印象を抱く。現に、今代の王子も学生として生活しているのだ。時折王宮に呼び出されることはあるが、大体は挨拶の場だったり後学として連れて行かれる場合が多い。

 隣国の王子、か。

「それなら王子が関わっているかもしれないな」

「はい!その“王子”は、うちの王子ですか?」

 こんな場でもずっと明るい女子の質問に頷く。

 十年程前だっただろうか。戦争はしてなかったが、平和条約もまだ結ばれていなかったため、『敵国同士』とされていた頃。幼い王子と、隣国の王子は、国境の境でよく遊んでいた。アンジェリカの話では、丁度王族の首が並べられていた辺りだろうか。彼らの中が今も続いているかはわからないが、十年前の時点では、王子同士に繋がりがあったはず。

「へぇ、よく知ってますね。さすが従兄弟」

「直接教えられたわけじゃない。見掛けただけだ」

 同じ頃、俺は今よりもずっと、狼姿でいる時が多かった。帰巣本能が強い時だったのだと思う。俺の帰る場所は大きな屋敷ではなく、かつて母が暮らしていた森だと、本能が強く訴えてきていた。しかし森へ入れば連れ戻すことに苦労するので、親から禁止令が出ることもあった。当然、大人しく言うことをきく子どもなどいるはずもない。

 彼らだって同じようなものだ。森まで駆ける時にたまたま見掛けた、敵同士の子ども達。整備されてない荒野の中、小さい体を活かして岩陰や木陰に隠れて彼らは密会を重ねていた。あれが認められていないものくらい当時の俺でもわかる。でも、楽しそうだった。それだけははっきりと覚えている。


***


 決断の時が迫っていた。薄々勘付いてはいたけれど、とうとうしっかりとした輪郭を帯びてきたのだ。私と彼の、差。貴族と平民の間に引かれた、深い深い溝。真っ直ぐな道を歩いていく彼の邪魔をしてはいけない。結果なんて、最初からわかりきっていたことなのに。

 離れるべきか。―――離れるべきだ。王子と平民の恋なんて、叶うわけがないのだから。

「カルルさん!……あれ、ひとりか?」

 中庭のベンチへ腰掛ける私に、笑顔の王子は笑顔で近寄ってくる。

 いつも一緒にいるアンジェリカは、今日は用があるからと言って何処かへ行ってしまっていた。そうして彼女がいなくなった時でも、もう私に対して悪さをする人はいない。長い間彼女達が守ってくれたからだ。完全に根絶することはできなくても、かつて私の頭を悩ませるような事態は起きないはず。確信できた。

 私がひとりなことを確認した彼は、困ったような顔を浮かべているけれど、嬉しさが隠し切れていない。その表情を見るのが照れ臭くいけど、好きだった。きっと同じ気持ちを抱いてくれているのだろうと浮かれていた。彼は、この国を背負うことになる王子なのに。

 王子が平民に懸想している。

 その噂が王宮で広まっているから気を付けた方がいいと、教えてくれたのは父親からの手紙だった。父はその平民の正体には気付いていない。ただ王宮は怖い所だと、暗殺する危険性だってあるのだから、王族に気に入られるようなことはしないように、と。お前は可愛いから心配だ、なんて親馬鹿な台詞が添えられていた。

 ここは現実で、夢じゃない。妄想の世界でもない。私は彼から離れなくてはいけない。

「カルルさん、どうした?気分でも悪いのか?」

 優しい彼が顔色を確認しようと覗き込んできたので、思い切り顔を逸らす。え、と困惑の声があがった。当然である。つい昨日までは、普通に話していたのだから。情緒不安定な女だと思われただろうか。だが、却って丁度いいのかもしれない。自分から離れるよりも、変な女だなと愛想を尽かされる方が、気持ちの整理がつきやすい。

 王子は戸惑いながらも、どうにか私の顔を覗き込もうとする。左に回ったり、右に回ったり。私は失礼な程に頑なで、座ったまま、彼から顔を逸らし続けた。「困ったな、壊れた玩具みたいだ」と彼が眉を下げる。もっと困って、呆れて、放って置いてくれればいい。入学当時の私に向けられた、沢山の視線。あれが貴方に向かうくらいなら、私はどう思われてもいいのだ。

 もう十分すぎる程のものを与えてもらった。かけがえのない友人達と、学園へ通うことの楽しさと、初恋。平民の私には分不相応な、素敵な時間だった。……王子から一緒にいることを勧められたあの子は、王子と離れた後も、私と一緒にいてくれるだろうか。なんて、いつの間にか欲深くなってしまったようだ。

 元の自分に戻るだけ。過ぎた夢だった。

「なぁ、カルルさん。俺の気のせいじゃなければ……君、泣いてるんじゃないか?」

 泣いてはいない。だって頬に伝う感覚は何もない。だが、視界が潤み始めていることは確かだった。だから顔を見られたくなかったのに。滲む視界を払うように、首を左右に振った。しかしぶんぶんと振っても、視界は滲み続けるばかりで、水分は飛んでいかない。

「追い込まれた時の君って面白いよなぁ。普段の賢い君は何処へ行ってしまったんだろう」

 顔は見えないけれど、そう私に話し掛ける王子の声音はとことん優しくて。声音から愛おしく思ってくれていることが伝わってくる。ああ、やっぱりこの人は私のことが好きなんだ。一緒になれないのに、一緒の気持ちを抱いてしまった。

 緩やかになっていく首の動きに気付いた王子が私へ手を伸ばす。涙を拭おうとしてくれているのだろう。異性のため過度な接触こそ無いが、前みたいに、彼は「触れるぞ」と確認してくることは無くなった。私が拒否をしないとわかっているのだろう。拒否なんてしないよ、できるわけがない。

 パーティーで一緒に踊ったあの時で、時間が止まればよかったのに。

「二人とも、少しいいか?」

 その声に、王子がぴたりと動きを止める。彼の指はもう目前まで迫って来ていた。

 音の発生源に目を向ければ、普段通り気だるげな様子のルーヴが立っている。いつからいたのだろう。相変わらず気配が無いから全然気付かなかった。それに、今、聞こえてきた声って。

「ルーヴ、お前、自分から喋ったよな……!?」

「話し掛けてくださったんですか……!呼んでくださったんですか……!」

「……今はそれはいい」


***


 生徒会長室に集めた面々を見た時、王子の第一声は「どんな集まりだ?」だった。無断で生徒会長室を使っていたことへの苦言は無いようだ。予想していたとはいえ、相変わらず権威というものにとことん興味が無い奴だと思う。そんな彼に対して説明役を申し出たのはアンジェリカだった。内容は覚えているから俺がすると言ったのだが、頑なに拒否されたのだ。

 普段はどちらかと言えば人の意見に合わせる彼女の姿勢に、“今回”は本気なのだということが伝わってくる。これは大人しく譲うしかない。カルルも王子も彼女の眼光に気圧されたのか、到底すぐには信じられない話だろうに、アンジェリカの話が終わるまで静かに話を聞いていた。

「隣国の……あいつ、が……?」

 話が終わってすぐ、顔の下半分を覆った手の中で王子が呟く。アンジェリカの話を疑っているわけではない。信じたからこそ、衝撃に震えていたのだ。

 俺が彼らのことを見ていたのと同じように、王子もこっそり森へ向かう俺に気付いていたらしい。俺が密会について言及しても驚くことは無かった。だが最近はどうなのかと聞いた瞬間、彼は表情を固まらせる。明朗快活な王子にしては珍しい表情だった。

「暫く会ってはない、な。以前が会い過ぎていたんだ。平和条約を結んだとはいえ国は別なのだし、当然のことだが」

「どれくらいの間隔で会っていたのですか?その言い方だと、かなりの頻度の印象になりますが」

「多い時だと……一週間に一回とか……」

「はぁ!?」

 隣に座ったアンジェリカだけでなく、予備の椅子に座った者達からも同じような声があがる。彼らの反応が早かったのでタイミングを逃したが、俺も同じ思いだ。会い過ぎだろう。恋人同士か。

「会い過ぎてた自覚はあるよ。ただ立場上、何でも吐き出せる相手は貴重なんだ」

「俺がいるだろうが」

「自ら申し出てきてくれて有難いがな。お前はちょっとずれてるんだよ、ルーヴ」

 どうやら俺では役不足のようだ。そこそこ長い付き合いだというのにつれない奴である。しかし、王子という立場にストレスが付き物なのは本当の話だ。ここ数年は特に、嫁取りの話で頭を悩ませていることは多いようだった。それ以外あってもおかしくはない。彼には兄弟もいないし、対等の立場の友人は大事なのだろう。

 その友人に寝首を搔かれたら世話ないが。

「で、それだけの頻度で会ってた方といつから会ってないですか?なんだかぎくりとされてましたよね」

「目敏いな、アンジェリカ。……いや何と言うか、俺も全然意識してなくてな。話しながら、そういやいつからだったかと考えていて……」

「長ったらしい前置きはいいです。いつからなんですかっ?」

「春」

 今年のかと問えば、こくりと頷かれた。もうじき冬に突入しそうになるから、半年以上、いや一年近く会っていないことになるはずだ。

 つまり、カルルが入学した時期からずっと会っていないのか。


 段々アンジェリカの顔が険しいものになっていくのを横目に、俺はカルルの方を見る。先程からずっと彼女の声を聞いていない。彼女は完全に巻き込まれ事故だ。彼女自身には何の非も無いのだから気にしないでいいといいのだが、そう思って視線を動かした俺は目を開く。

 カルルが泣いていた。ボロボロと、大粒の涙を零しながら。

「げ」

「どうしました、ルーヴ―――って、カルル!?ど、どど、どうしたの!?」

 険しい顔から一転。勢いよく立ち上がったアンジェリカは向かいの席に座るカルルへ駆け寄る。綺麗に畳まれたハンカチの角で涙を掬いながら、あわあわと顔色を窺っている。途中過程で突き飛ばされた王子がゆっくりとソファからずり落ちた。

「王子に呆れた?それとも話が怖かった?いきなり聞かせるにはショッキングな話だったね。びっくしたよね、怖がらせてごめんね……?」

「……なるほど、あのアンジェリカも、カルルと二人の時は敬語が外れるんだな。新たな面が見れて俺は嬉しい」

「ソファから落ちた甲斐があったな」

 当然、俺達の声は聞こえていない。アンジェリカは懸命に涙を拭い続け、しかしハンカチでは吸い切れなさそうな程の量がカルルの瞳から零れ落ちている。アンジェリカの言う通り、相当怖い想いをさせてしまったようだ。感受性が強そうな子だし、鮮明な映像でも思い浮かべていたのかもしれない。

 理由としてはその辺りを想像していたのだが、実際は少し違ったようだ。顔の上を動き回っている手をカルルがおもむろに掴む。うぅ、と苦しそうな声も添えて。

「や、焼かれるとか……お腹刺されたとか……っな、何で、アンジェリカばかりが、そんな……」

「ご、ごめんね?びっくりしたよね?」

「びっくりもしたよ、した、けど……何で、そんな、忘れたくなるようなことばっかぁ……!」

 嗚咽交じりの声を聞きながら、納得する。それもそうだ。彼女が聞かされたことを要約すると、友人が二回も殺される話である。驚きもするし、憤慨したくもなるだろう。

「痛かったよね。苦しかったよねぇ……ッ」

 その言葉はきっと、一回目と二回目のアンジェリカへ向けられている。とうとう最後は鼻水まで垂れてきて、ずびずびになりながらも「頑張った、ねぇ」と彼女は言った。アンジェリカの腕を、ぎゅっと掴みながら。真っ直ぐな言葉の数々に黙ったままのアンジェリカであったが、ふと下唇が内側に織り込まれる。

 きゅっと、何かを我慢するような顔だったが―――誰よりも真っ直ぐな言葉で称えられたことを、噛み締めているのだと思う。

「いいんだよ。私はちゃんと、自分のこれまでの死を受け入れてる。それよりも、カルルには感謝を伝えたいんだ」

「……何の……?」

「前回も、今回も、私と友達になってくれてありがとう」


 息を殺し、気配を消し、無機物になることを徹底していれば、離れた場所からこいこいと手招きをされる。ふくよかな男子からの合図だった。王子の肩をつんつんと突き、なるべく二人の邪魔をしないようにしながら移動する。予備の椅子に腰かけている彼らは、そーっと歩いてきた俺達を苦笑いで受け入れた。

「ああいう女子だけのヒーリングタイムはね、そっと離れるのに限りますよ。俺は学びました」

「経験者は語るというやつか……」

 彼も普段は女子生徒と一緒にいるようだし間違いないだろう。丁度空いていた予備の椅子二つに腰を降ろし、少し離れた所から彼女達の様子を窺う。もう少し掛かりそうだ。

「ひとつ、引っ掛かっていることがあるのだが……」

 王子が切り出す。一旦彼女達を抜きにして話を続けることにしたらしい。その方がいいだろうと思い耳を傾けると、彼はアンジェリカの話した襲撃について触れた。襲撃の段取りが良すぎではないか、という点について。民衆の怒りを煽り、その隙に王都まで侵入した兵士が王を襲う。実際に起きたこととはいえ、実践するには少々無理がある。

 というより、こちらの内部事情に詳しすぎるのだ。隣国の王子に、何故民衆の心情まで伝わっているのか。考えられる可能性を口に出そうとしたところで、扉が勢いよく開いた。室内の空気が一瞬止まる。

「連れて来たわよ、スパイ」

 そんなこと気にせずにあっさりと“可能性”を口にしたのは、前回アンジェリカの体に入っていた女子生徒。彼女の後ろには見知らぬ魔法使いがいて、やたら長い前髪の下にある唇が引き攣るのがわかった。ん”!?と、驚きの声をあげている。


 女子生徒と魔法使いには半年程縁があったらしい。定期的に会ってたのだという。自身の体を取り戻すために。昨日の動揺した様子はなく、元アンジェリカは冷静に、堂々と語る。確かに彼女から発せられるオーラは平民というよりも貴族に近いのかもしれない。それは前回を経験しているからか、それとも元の性格によるものなのか。

 だがその口実も、学園に来るための口実なのだろうと彼女は語った。頻繁に学園付近をうろついていたのも、彼女に興味があるふりをして王子達の様子を見守っていたに違いない。

 襲撃の時の火の周りの早さ。あれはきっと、魔法教会が関係している。元々金さえ積めば動く集団なのだ。国への忠誠心も無いだろうし、多額の金で買収されたと考えてもおかしい話ではない。

 周りの生徒からメカクレと呼ばれている魔法使いは、騙されてこの部屋に連れてきて突然糾弾されたにも関わらず、俺達の推測をあっさりと受け入れた。思ったよりも早くばれたなぁ、なんて呑気に笑う。

「でもですね―――」

 へらへらと笑う男が何かを話そうとした前に、元アンジェリカが素早く動く。ガチャン、と何かが嵌まった金属音。何の音かと目を瞬かせたものの、魔法使いの両手が後ろに回っていることで気付いた。手錠を掛けたのだ。一体どこから持ってきたのだろう。驚く俺の横で、王子が付け足す。生徒会長室に隠している、不審者用の手錠のようだった。漁るなよ。

「魔法は封じたわ。あとは肉弾戦よ、デヴィ!」

「おうよ!」

「いやあの……、ぎゃあ!重い!」

 待ってましたと言わんばかりに駆け出したふくよか男子が、体制を崩した魔法使いの上に圧し掛かる。ぐぇっと苦しそうな声があがったが、死にはしないだろう。それにしても魔法使いに手錠や重りなどの拘束は意味があるのかと思ったが、どうやら、この魔法使いは対象に触れることが魔法発動の条件らしい。なるほど、それなら今の状況は正解だ。

「く、くそぅ。魔法使いの、魔法に頼って疎かにしがちな筋力が仇になりました……」

「貴方が言ってた、魔法使いは短命なんだって話。あれ絶対生活習慣病のせいよね」

「体内の環境を整える魔法を開発するのが俺の夢です」

「その前に研究に没頭して睡眠不足と栄養不足で死ぬでしょう」

「当然のように僕の下で会話続けないでもらえる……?」

 こんな状況ではあるが、魔法使いと彼女の関係性が構築されていたことがわかる。彼女は体を取り戻すため、魔法使いは王子達の近況を探るため。違った目的とはいえ、それなりに長い付き合いではあったのだろう。その割に、関係が壊れることへの躊躇を一切感じないのが不思議だった。

 魔法使いも魔法使いで、馬鹿ではないらしい。この状況で抵抗する気はないと宣言する。どこまで信じていいのかはわからないが、彼に話を続けさせた方がいいだろう。そう、状況は俺達が有利のはず。それにも関わらず、追い詰められているはずの魔法使いは口角を上げた。

「俺を防いだところでね、展開は変わらないと思いますよ」

 展開。そのワードに、アンジェリカの体が固まるのが後ろからでもわかった。俺達とそう年齢の変わらない魔法使いだ。アンジェリカが使える魔法や、彼女の経緯を知っているはずもない。だが見透かしたように、あいつは笑う。その視線は王子に向けられていた。

 あの王子の危うさは貴方も知っているはずだと、魔法使いは語る。王子は黙っていた。所詮王子の従兄弟でしかない俺は、隣国の王子について詳細は知らない。しかし王子が否定をしないということは、隣国の王子はかなり不安定な心を抱えた人物らしい。

 そうわかっていながら、王子は恋心を優先させた。意識してのものではないだろう。王子にとっても、カルルは初恋だったのだから。

「こうなること、薄々は想像ついていたのでは?」

「……国を巻き込む程、とは」

 んふ、と。魔法使いは笑う。

「貴方が平民と浮かれている間も、彼はひとり、あの国で下剋上をし続けた。王子という枠に収まってますが、もう実質王のようなものですよ。王は隠れ蓑でしかありません」

 まだ魔法教会の全てが隣国の王子に加担したわけではないが、時間の問題だろうと言う。彼はそれだけの財源も着実に確保を進めている。用意周到なのだ。戦争をする準備はいつでも出来ている。

「俺もね、声掛けられた時は断る気満々だったんですよ。一応今は、この国の所属組織なわけだし。でも行ったらすぐにわかりましたよ、ああこれ俺の国負けるわーって。ガッチガチの武力国家なんですもん」

 現王が教育体制などを変え、平等にすべきだと訴える中。隣国では、平和条約を結んでも尚、武力の色は消えなかったらしい。血の匂いは体から消えにくい。慣れ親しんだことからは、人は中々離れられないものなのだろうか。

「……けど、冷徹な彼も、暖かい過去は捨てられなかった。その絆で保たれていた均衡を崩したのは貴方ですよ、王子」

 俺の隣にいる王子が苦虫を嚙み潰したような表情を浮かべる。言いがかりかとも思ったが、どうやら彼の言い分に納得がいってしまっているらしい。幼少期、遠目から眺めた隣国の王子は笑顔だった。王子と共に遊び、笑い、健康的な子どもに見えた。そんな彼を変えたのは環境のせいか。

 それとも、王子への依存心か。

「―――過去とか温情とか、そんな形無いもので一国の均衡を保つ方が馬鹿じゃないですか」

 王子を見つめる俺の視界の端で、ゆらりと何かが動く。静かに立ち上がる彼女の姿は、髪色も相まって、炎を彷彿させた。

「そんなに嫌なら、俺のこと忘れたら戦争って契約書でも交わしておけばよかったじゃない!嫉妬心で国を巻き込むなんてどうかしてます!頭おかしいんじゃないのっ?」

「あ、アンジェリカ様ぁ!?……でも言いたいことはわかる!」

 明るい声の女子生徒はこんな時も同じテンションだ。カルルの横で怒り立つアンジェリカの姿にうんうんと頷いている。この子もこの子で肝が据わっているようだ。

「当事者同士で話すのが早いかしら」

「えぇ、直談判が一番です。王子、忍び込みますよ」

「えっ?」

「あ、やばい人達の足並みが揃い始めちゃった」


 トントン拍子と言うべきなのか、当事者を置いて進んでいく話を王子が止める。戸惑ってばかりかのように思われた彼の表情は引き締まり、彼女達が怒りに磨きをかけている間に、彼は彼で考えをまとめていたらしい。

 隣国の王子とは自分で話すからひとりで行かせてくれと、彼は告げた。


 正門から出て、国境線の近く。大勢の生徒の外出も王子の鶴の一声があればどうにかなるものだ。この国は、結局権力に弱い。欠点ではあるが、今の状況においては利用できる手段だ。目を塞いでおくとしよう。

「本当に馬車使わなくていいのですか?隣国までの距離、まだありますよね」

 ここまで来るのに使った、魔法で動く馬車から降りて、アンジェリカが王子に問い掛ける。国境線までは馬車で行くが、あとはひとりで向かうと言ったのは彼だ。馬車で行けば目立つからという理由だが、では隣国まで何で向かうというのか。王子の視線はちらりと俺へ向く。

「俺が運ぶ。王子ひとりなら大丈夫だ」

「それって―――」

 言葉は紡がれず、アンジェリカの視線が少し下に落ちる。いつもは見下ろすのが殆どだから、下から見る彼女は視線だった。……と言っても、俺の狼姿は通常の個体より一回りは大きい。魔力がある故だろう。母もそうだった。狼の群れに紛れても大きさで判別することができる。

 事実を伝えた時は驚いていたアンジェリカも、さすがに目の前で変身すれば納得するのだろう。一瞬呆然とした後、確かに大丈夫そうですねと頷いた。

 王子を乗せるのは初めてではない。慣れた手つきで俺に跨った王子は、少しだけ、先程まで乗っていた馬車の方を見た。四人乗りの馬車が二つ。片方の馬車では、カルルがひとりで待っている。国境線に着いてすぐ俺達に彼女は続かなかった。そういえば、生徒会長室の時から王子とカルルが話しているのを見た覚えが無いことに気付く。

 彼女は巻き込まれただけ。俺はそう思っているけど、本人は別の捉え方をしているのかもしれない。

「―――行ってくる」

「はい、お気を付けて」

 王子を乗せて、走り去ろうとした時。背後から「エンジェっ?」と慌てる声。ふくよかな男子達は別の馬車へ乗っていたはずだ。何か起きたのか、少し気になったが、足を止めることはなかった。


***


 全て、思い出した。

 凄まじいスピードで小さくなっていく黒い影を呆然と見送る。


 まだ学園へ通い始める前。村にいた頃。サフィと待ち合わせしている広場へ向かう途中、喉が渇いて湧き水を飲みに来た。手で透明な水を掬っていると、不意に視界の端に何かが映ったのだ。正確な姿は捉えられなかったが、人の姿のように見えた。それは森の方向へ進んだようにも見えて、水から手を離す。

 立ち入り禁止の森だ。中には危険が沢山ある。小さな子どもには見えなかったが、間違えて入ってしまったのだろうか。止めないと。濡れた手を服で拭いて、私はすぐに駆け出した。

 人影の背中には追いつかないまま、森の入り口まで辿り着く。そこまで来てやっと、大人を呼ぶべきだったとか、もしかしたら見間違いだったのかなとか不安が浮かんだ。そんなものを振り払うように、がさがさと、草を掻き分けていくような音がする。やっぱり誰かいるんだ。今ならまだ追い付けるだろうか。それなら村に戻って大人を呼ぶ時間は無い。意を決した私は、今迄立ち入ったことのない森へと立ち入った。

「お、」

 声を出そうとしてして、すぐ口元を抑える。森にいるのは迷い込んだ人間だけではない。怖い動物や植物もいるのだ。無闇に声を発するのは危険だろう。あまり音を立てないよう気を付けながら、足音のする方へと進んでいく。慎重に進む私に対して向こうは大胆だ。森を歩くことに慣れているか、引き離されないように耳を澄ませる。

 だからだろうか、小さな小さな音が、私の耳に届いた。

 ―――母上。そう呟いた声には、涙が滲んでいる気がした。

 男の声だ。聞いた覚えはないからやっぱり村の子ではないのだろう。母親とはぐれてでもしたのだろうか。それにしては声変わりをしていて、幼いようには聞こえなかったが。段々湧いてくる好奇心は、私の周囲への警戒心を緩ませた。

 気付くと、私の視界はぐるりと変わっていた。

 吊るされている。そう認識出来たのは、先程まで確かに踏み締めていた地面が目の前にあったからだ。声に集中していた私に目を付けたのは、魔法植物。一見普通の木にしか見えなかったそれは、擬態能力を持っていたらしい。見た目は枝なのにしっとりとした触手が足に絡み、そのまま持ち上げられている。

 どこが顔で、どんな感情で私を捕らえているのか。咄嗟に情報を読み取ろうとしたが、相手は植物だ。こちらの声も道理も通じるはずがない。まだそこまでの高さはないが、このまま下ろされたら。振り上げて、落とされでもしたら。ただの人間の私はひとたまりもないだろう。

 くそ、迷子を追い掛けたせいで。身に危険が降りかかってすぐに思い浮かんだのは、顔も名前も知らぬ相手への文句だった。

 アォォ―――ン……。

 聞こえてきたのは、狼の遠吠え。まさかこの魔法植物のものだろうか。そんなことを思ってしまったが、声の持ち主はすぐに現れた。恐怖のせいで声もでない私の存在に、気付いてくれたのだ。

 勢いよく草叢から現れた狼が、木の幹に噛み付く。鋭い牙が食い込んだところから緑色の液体が噴き出した。勝手に動くとはいえ植物ではあるらしい。葉っぱを磨り潰した時の汁と似ているな、なんて呑気に考えている私の足に回っている枝が外れる。噛まれた衝撃で力が緩まったのだろう。

「うわっ!」

 それならもう落ちるだけだ。しかも、頭から。相応の衝撃を覚悟してぎゅっと目を瞑る。最終的には死ななければいい、命があればいい。そう願って落ちた私の体へ、痛みはすぐにやってこなかった。放り出された感覚はあったのに、衝撃もない。不思議に思って目を開けると、視界が真っ黒だった。

 真っ黒だが、闇ではない。―――これは動物の毛だ。

 あの狼が助けてくれたのだ、すぐにわかった。礼を言わなくては。そう思ったのに、私の体は突如とてつもない吐き気に襲われた。

 頭がぐらぐらする。体の至る所から脂汗が浮かぶ。気持ち悪い。頭が痛い。皮肉なことに、優しい狼の体へ身を寄せる程に症状は強くなっていった。このままじゃあ狼の背中に吐瀉物をぶちまけることになってしまう。それはなんとか回避しないと。上手く動かせない体に鞭を打とうとすれば、遠くで名前を呼ぶ声が聞こえた。

 エンゲ、エンゲ、と誰かが呼んでいる。きっと村の大人達だ。森に向かっている所を誰かに見られていたのだろう。だが返事をする余裕はこちらにもない。

 気持ち悪い。気持ち悪くて仕方ない。吐き気により方向感覚も曖昧になったせいで、地面にそっと降ろされたこともわからなかった。

 幾ばくか呼吸ができるようになり、そこで頬に感じていた毛並みが空気へ変わっていることに気付く。同時に、遠くなっていく足音。代わりに大人達の声は近付いてきている。

 まだ、お礼も言えていないのに。

 ぐらぐらとする頭のまま、私はそっと瞼を閉じた。


 ーーーあの狼、ルーブ様だったんだ。

 酷い魔法酔いで曖昧になっていた記憶が、やっとはっきりとした輪郭を取り戻す。母の姿を求めていた男の子と、黒い狼。あれは同一人物だったのだ。学園に入学する前に、私達は出会っていた。

 ああ、だから、だったのか。初めて学園ですれ違った時、彼をひと目見た瞬間に、どうしよもうなく惹かれた。心の奥底からこの人だと叫んでいた。その理由を明確にしないまま追い続けてきたけれど、始まりはきっと、あの森での出来事だった。

 だから、だろうか。

 アンジェリカが語った、三回目の世界。今の世界で、大人達によってあの森から助け出された私が、“アンジェリカ”だった記憶を思い出したのは。


 用水路の中、口に水が入るのも構わず、私は叫んでいた。音は全て水の中に消える。息だって余計苦しくなるし、ただ気泡を生み出す行為でしかないのに、叫び続けていた。

 ふざけるな!

 酩酊状態から脱した私がもがこうと、服の裾が壁に引っ掛かっているのか、体が浮かび上がることはない。足掻けば足掻くほど沈んていく。それでも私は叫び続けた。こんな所で、こんな形で、死ぬなんて。

 夜の水面は月の光さえぼんやりとしか通さず、目前の曇の理由が死への手招きを表しているのかもわからない。それでも光の方へと、手足を動かし、藻掻いて、伸ばす。

 その先に、あの人がいる気がした。

 真っ黒い瞳。何の感情も映さず、ただ出来事を傍観するだけの瞳。その場所に存在を刻み付けることが出来たらどれだけいいだろうと、ずっと思っていた。ずっと、願っていた。

 死ぬものか。死んでやるものか。私は生きる。生きて、生きて、またあの人の傍にいくんだ。こんな所で死んでなどいられないんだ。


 一度でもいいから、貴方に名前を呼ばれてみたかった。


***


 王子を背に乗せ、道を引き返していく。首に回った腕の力が行きよりも弱くなっているので、振り落とさないよう、なるべく慎重に走った。

 国の境目。帰っていろと言ったはずなのに、そこには馬車が二つ並んでいる。予想通りではあった。俺の上にいる王子にそれを伝えると、彼は「……あぁ」とか細く答える。だが、やはり王子。馬車から俺達の姿が確認できる位置に差し掛かると、ぐっと腕に力を入れ、上体を起き上がらせた。背中の感覚が彼の動きを鮮明に伝えてくる。

 解決してきたぞ。

 腕を振り上げ、笑った彼の顔には無数の傷があり、口から覗く歯は欠けていた。


 赤黒く腫れた瞼だったり不揃いになってしまった前歯だったり、目立つ点は色々とあるが、一番人目を引くのは頬に刻まれた紅葉だろう。真っ赤な五本指が彼の右頬に沿っている。なるほど、隣国の王子は左利きか。

 綺麗な顔に傷がついたと青髪の女子生徒が騒ぐ一方で、もう一方では「わざとらしい傷ね」「隣国の王子ってやることあざといですよね」と冷えた目。解決してきたことを褒め称えてやらないのかと思ったが、よく考えてみれば王子達の自業自得とも言える。それに、一番被害者のアンジェリカが受け入れているのなら、俺達は黙るしかない。

 男の勲章ですねと、ふくよかな男子が苦笑いする。そうして皆が好き勝手言う中、彼女は頑なに降りて来ようとしなかった。王子を見送る時もそうだった。きっと、この中にいる者達の中で一番顔を見たがってるだろうに。罪悪感か、それとも拒絶なのか。会話が終わりに差し掛かれば、皆の視線は段々と馬車へ集まっていく。

 閉ざされたままの扉。王子は、容赦なくそこを開けた。しかも、指が折れている方の手で。両腕のどこかしらが折れているので仕方ないとも言えるが、随分激しい喧嘩である。

 馬車の中でカルルは目を丸くしていた。膝は手の上に乗せられ、祈るようにぎゅっと握られている。その体制のまま、躊躇無く近寄ってくる王子を呆然と眺めていた。

「カルル」

 王子に名前を呼ばれた彼女の表情が変わる。酷く苦しそうだった。

 馬車に乗り込んだ王子がカルルの前に膝をつく。俺よりも小さいが、彼も十分高身長の分類だ。狭っ苦しそうであったが気にする様子はない。それよりも目前にある苦しみを取り払うことの方が重要なのだろう。

「全部片付けてきた。隣国からの襲撃は起こらない。君も、……君の友人達も、家族も、誰も傷つかない」

 俺達の目的は達成された。襲撃の回避。

 隣国の王子は襲撃を予想していたことに驚かなかったそうだ。思えば、種はしっかりとわかりやすく蒔かれていたのである。アンジェリカの記憶ではビラがばら撒かれた描写もあった。構ってほしい子どもが玩具を壊したり、壁に落書きしたりするようなことと同じだ。学園に籠もってばかりいたから、壊れた玩具にも落書きにも気付かなかっただけ。

 気の引き方が国際規模なのはいかがなものか。自身の構ってほしい衝動に国民を巻き込まないで欲しい。

 だが、この国の貴族と平民の差についてはいつしか触れなかったいけない問題。今回、隣国の王子が煽ったことでより明るみになったとも言えるだろう。元々深く広く蔓延った問題だった。王も、自分の感覚が甘いことに気付くに違いない。

 結局貴族思考な王には、自身の高貴な血引く、実の息子の言葉が一番響くのである。集団の平民が騒いだところで最初のアンジェリカのような思想で終わるだけだ。恵まれているのに、それが何故わからないのだろう、と。

「やらなければいけないことばかりだ。父上を納得させたら平民達との交流の場も作らなくてはいけないし、小さな国である学園も、並行して意識改革をしていかなくてはいけない。……俺は恥ずかしい奴でな、ひとりを救って大勢を救った気になっていた」

 彼の努力や気遣いを無駄なものだとは思わない。カルルの支えになっていたことに変わりはないからだ。顔と名前を覚え始めた頃よりも、彼女はずっと明るくなったし、よく笑うようになった。

 王子と、彼が縁を結び合わせたアンジェリカのおかげだ。

「まずはこのまま王宮へ向かう!あいつには誓約書を書かせたが、所詮ただの紙だからな。すぐ父上と政策を練らねば」

 口の端が切れてるというのによく喋るものだ。殴られた時にでも歯が当たったのか、唇の延長線のように小さな線が刻まれている。案の定、話している途中で開いた傷から血が溢れた。大して気にする様子もなく、親指で血が拭われる。

 カルルは彼の話を押し黙って聞いていたが、視線は傷のひとつひとつを追っていた。小さな傷も逃すまいと見つめている。

「学園には、しばらく戻れないだろう。……こんな時期だからな。このまま卒業を迎えるかもしれない」

 それは、二人が会うことのできる時間の終わりを示していた。

 王子とカルルは、学園で出逢ったから知り合うことが出来たのだ。本来であれば話す機会などないまま一生を終えてもおかしくない。だが、彼らは近い時期に学園へ入学し、生徒として出逢った。

 生徒でなくなった後の彼らは、もう会うことはない。ひとりの平民のために時間を割けば、周囲は王子を痛く責めるだろう。他にも平民は沢山いるのに、ひとりに構っている場合なのかと。そして彼女も似たようなことを言われる。平民の癖に、この国でたったひとりの王子の時間を奪うなと。

 王子よ、どう乗り越える。

「卒業をした後も君に会う口実が欲しい」

 跪いた体制ののまま王子は彼女を見上げる。彼女も、黙ったままではあるが、彼の傷口ではなく瞳を捉えていた。

「ーーーカルル。君に、次期王妃となる覚悟はあるか?」

 二人が堂々と一緒にいるには、その方法しか無かった。


「いやしかし、この場で覚悟を決めろというのも無理な話だよな」

 しんとした空気を取っ払うように王子が笑う。顔のあちこちに傷があるのと歯に隙間があるせいで若干間抜けではあるが、彼らしい普段通りの笑顔だった。ついさっきまで国を背負って隣国へ行った者とは思えない。

「すぐに答えなくていい、卒業までの時間が完全になくなったわけではないからな。ただ、俺はもう学園に行けそうにもないし、好感度アップに努める事もできないからーーー最後の足掻きだった。聞き届けてくれてありがとう」

 その言葉に、カルルはゆっくりとだが頷く。先程の質問に頷き返すことは難しくても、彼と話す余裕はでてきたのだろう。もう少し呆けていても大丈夫なのに、彼女も彼女で意外と図太い。

 王子は満足そうだった。馬車に乗って国へ戻れば忙殺される。その前に気持ちを伝えることができたからだろう。やれるだけのことはやった。あとは、彼女の決断を待つだけだ。生まれた時から王族としての道が決まっていた彼に対し、彼女は色々な物と決別して歩き始めなくてはいけない。覚悟にはそれなりの時間を要するだろう。

 この後の王子は待つだけだ。ーーのはずだったのに。

 いつまでたっても子ども臭さの抜けない男は、やはり後ろ髪が引かれたのか。満足そうな顔を崩し、血がにじむ人差し指で頬を掻いた。俺は知っている。多分アンジェリカも知っている。

 あれは、あいつが何かを強請る時の動作だ。

「その、な……。カルルさん、俺達、しばらく会わなくなるだろ……?しかも、俺は凄まじく忙しくなる……」

「……はい……?」

 ようやく発せられた声がとどめだったのだろう。ぱっと顔を輝かせた王子は、あの笑顔で「俺は君が好きなんだ」とあっさり告げる。カルルの顔が一瞬で赤く染まった。

 俺の背後で、きゃあ、と高い声があがる。ふくよかな男子と青髪の女子のものだった。

「我儘なのはわかってるが、乗り越えるためのパワーを蓄えたくてな?最後に、別れる前に、これだけ聞かせてほしい」

 ちらりと後ろを振り返ると、身を寄せた二人はそれぞれ顔の前で両手を結んでいる。仲の良いことだ。 

「君は、俺のことをどう思ってる?」

 訊ねながら、彼は片手を彼女へ伸ばす。跪く王子に手を差し出されている姿は、未来の王妃を見ているようだった。答えは出ているようなものである。

 頬を赤く染めた少女は、差し出された手の上に、そっと自身の手を重ねた。

「貴方が好きです。ーーー初めて会った時から、ずっと」


 歯抜け姿でごめんな。格好つかないだろ。

 そんなの……。私、歯が生え揃ってるから貴方を好きになったんじゃないです。

 はは、そっか。ありがとう。

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