五章 アンジェリカ

私の国は、私の目の前で燃えた。やめてくれと泣き叫んでも止まらない炎は、みるみるうちに王国を包み、全てを灰に化した。家族も、友人も、私自身も。 

 炎に包まれ、痛覚さえ失っていき、薄れてゆく意識の中。脳裏に過ったのは、友人とも言えぬひとりの同級生の姿。あの子は無事だろうか。上手くやれたのだろうか。望みは薄いけど、彼女なら何とか逃げ切っている気がする。きっと、あの子なら―――。

 もし私が、あの子だったら―――。


***


 パーティー開始の音楽で、はっと意識を戻す。ついぼおっとしていたらしい。周りにばれないようし息を吐いて、しっかりしろと自身に言い聞かせる。いくら三回目とはいえ、全てがシナリオ通りにいくとは限らない。少なくとも“今回”は、彼女がいるのだから。

「ああ、緊張するなぁ。上手く踊れるかな」

「沢山練習したから大丈夫。昨日も十分上手に踊れてたよ」

 このパーティー自体が大きな練習の場ではあるのだが、平民の立場からすれば着飾った人間が集まるだけで異様な雰囲気を感じるのだろう。レンタルの水色のドレスを身に着けたカルルは胸に手を置き、深呼吸を繰り返している。緊張しいではあるが、器用な子だ。今日も上手くやるだろう。

 前回も、前々回も問題無く踊れていたのだから。

「ドレス似合ってるね、カルル。王子にはもう見せた?」

「い、いや、まだ……。というか、似合ってるのはアンジェリカだよっ?私、どこのお姫様かと思ったもん」

「ありがとう」

 本当はレンタルで済ませるつもりであったが、家を出る時に使用人達に泣きつかれたのである。お願いだから、借り物のドレスではなく用意したものを着て欲しい、と。この日のために使用人一同で選んだのですと言われれば着ないわけにもいかない。渋々袖を通したドレスは、覚えのあるものだった。

「学年混同のパーティーだし、王子が後で合流しようって。頷いちゃったけど、よかったよね?」

「……も、勿論」

 相変わらず手の位置は変わらないが、今度は違う意味で心臓が脈打ってるのを感じてるに違いない。前回よりも噂が出回るのが早くて少し焦ったが、本人達の耳にはまだ入っていない。お互いの立場上、交友関係が広いわけでもないのが功を奏した。王子の耳に、いやそれよりも王族の誰かの耳に届けば、二人が穏やかに学園生活を過ごすのは難しくなるだろう。王は政略結婚を強く望んでいらっしゃるから。

「でも……合流するのは、もう少し時間が掛かりそうだね?」

「……あぁ、そうね」

 眉を下げてこちらを覗き込む顔に頷く。それから視線を前に向けた。

 パーティー開始から数分経ち、会場の真ん中では多くの生徒達が踊り始めている。色とりどりのドレスがくるくると回っていた。その殆どが貴族の子どもであるが、ダンスの練習は平民達にも行われている。それでもやはり気後れするのか、レンタルドレスらしきものを身に着けてる者はいなかった。

 気後れの理由はもうひとつあるのかもしれない。人混みの中、ひとりを取り囲むように波が出来ている。引いては寄せて、寄せては引いてを繰り返した。皆、中心にいる王子と踊りたいのである。パーティーでは恒例の光景だった。王子も出来た人だから、ひとりに掛ける時間は少ないものの伸ばされた手を順々に取っている。

 学園とはいえ王子を人混みの中に入れるのは抵抗があるのだが、今のところ害を及ぼしそうな人物はいない。それに、私よりも近くの壁面にルーヴがいるのを確認する。相変わらずぬぼーっとしているが、人の気配には怖い程敏感な男だ。彼がいれば最悪な事態は起きないだろう。

 “最悪”が起きるまで、まだ時間はあるはずなのだから。

 そう自身を説得し、ルーヴから王子へと視線を移そうとした瞬間だった。人に囲まれた王子ではなく、ただ壁に寄り掛かっているだけのルーヴに近寄る影を、横目で捉える。近寄りがたい雰囲気から遠巻きに見られることが多い人物のため、勇気がある者もいるのだなと首の向きを元に戻した。

 あの子は……確か、サフィ。頭の高い位置で綺麗に結われている髪の色に見覚えがある。あの村にいた子のはずだ。前回、この学園にはいなかった。だが今回は入学している。同じ村出身の、“あの子”と共に。……それにしても、あんなに男性にぐいぐいと話し掛けられる子だっただろうか。周囲の女子生徒の突き刺す視線を気にする様子もない。今回の彼女は随分図太い精神を持っているようだ。

 そして彼女がいるということは―――当然、エンゲもいる。サフィに半ば強引に引っ張られて現れた彼女は、あの日同様、緑色のドレスを身に着けている。鮮やかな色をしているから髪の色に合わせるのは無難だろう。彼女のことだからレンタルドレスに文句のひとつでも言うと思ったが、問題無く事は進んだのだろうか。そもそも、今回はドレスを買えるようなお金もないのだから当然の結果だが。

 サフィが何かを言って、彼女が慌てているのがわかる。さすがに声までは聞こえないが、サフィが腕を引っ張り続けているあたり、彼女とルーヴを躍らせようとしているのだろう。幼馴染の粋な計らいのつもりだろうか。しかし中々進まない彼女の背中を、別の人物の腕が押す。パンパンに膨らんだ腕を見て、ああ、と名前を思い出した。

 デヴィ。同じクラスの男子だ。今回は違うのかと思っていたが……へぇ、結局彼女の元に集まったのか。そういう星の下に集まるように出来ているのか、あの体の時に集まる人はに変化は見られないようだ。仲の良いことねと、冷めた目で眺めていれば、状況に変化が起きた。

 エンゲが倒れたのである。サフィが引っ張った手の指先が、ルーヴにちょこんと触れた瞬間の出来事だった。

「え!?あれ、同じクラスのエンゲさんだよねっ?」

「そう、ね。……そうね……」

「な、何でそんな噛み締めるみたいに……?」

 突然の体調不良者に会場は騒然となる。沢山の人に囲まれていた王子さえ事態に気付き、ダンスが止まっていた。皆の足並みが揃い始める。ああ、これはいけない。万が一中止になってしまったら、王子とカルルが堂々と踊るタイミングを逃してしまう。仕方がないと腹を括った私は、壁から背中を離した。

「しっかりして、エンジェ~!ごめんね、ここまでガチと思ってなくてぇ~!」

「烏滸がましいどころじゃないじゃん!息しろ、エンゲ~!」

 エンゲ~!だのエンジェ~!だの、ぴぃぴぃと騒いでいる集団の元へ近付く。私が離れたことを確認すると、呆けた顔をしていたルーヴは入れ替わるようにカルルの元へ歩いていった。カルルには混乱させて悪いが、まずは場所を整えることを優先させてもらおう。ルーヴがいれば誰も彼女に手を出そうとはしないはずだ。

 ただ慌てふためているだけの二人を退かし、ひとまず目を白黒させている彼女の前に立つ。中々焦点が定まるのに時間は掛かったものの、目前に立つのが私だと気付くと、意識は戻ってこようとするようだった。その根性だけは評価しよう。どうやら完全に気絶状態ではない彼女の腕を掴んで立たせると、そのまま会場の外へ連れ出した。

「すっっっごい冷めた目をしてたけど、助けてくれた……んだよね?着いて行った方がいいのかな……?」

「……やめておこっか」


 意識が曖昧の彼女を中庭まで連れ出し、適当なベンチに転がす。ドレスが乱れることが気になったが、レンタルドレスは学園がきっちりクリーニングに出してくれるはずだ。甘えさせてもらおう。

 中庭は静かだ。皆会場にいるので、人の気配が無い。さわさわと、木々が夜風で揺れている。

 これだけ落ち着いた状況にいれば、さすがの彼女も正気を取り戻すだろう。どうやら頭の血が沸騰し過ぎて一時的に爆発していただけのようだし。どうせまた私の顔を見れば怒鳴り始めるので、その状態で会場に行けばデヴィかサフィが引き取ってくれるはず。前回はいなかった彼女のストッパー役。重要な役割だ。

 ベンチに転がる彼女を見降ろして、数分経った。静かなものだと木々の動きに耳を澄ましていた私の耳が、草を掻き分けるような音を捉えたのだ。頬に感じる優しい風では起こらないはずの、がさがさという音。猫でも紛れ込んだのかと思ったが、聞こえてくる音の間隔は開いている。猫ならもっと細かく進むはずだ。

 人間の足音だ。

 がさがさと聞こえる音は、中庭にある壁に反射して方向が掴みにくい。だが学園内で草木があるのは中庭くらいだ。かなり近距離にいることは間違いない。生徒ならパーティー会場から来るはず。同様に、教師ならこの時点で声を掛けてくるはず。

 誰だ。敵意、もしくは悪意がある人間なのか。

 彼女の顔を見ながら耳の間隔を研ぎ澄ませて―――ぱちりと、緑色の瞳と視線が絡まった。瞼はしっかりと上がっていた。

「な、っんで貴方に止められなきゃいけないのよ!?」

「ぅお!?」

 彼女が飛び起きるのとがさがさ音が止まる。同時に聞こえてきたのは、知らない男の人の声だった。反射的に首の裏がざわつく。やっぱり人間。しかも、恐らく知らない人。

 ―――不審者!

 そう叫びたいのに、声は出ず。数秒遅れて、思い出したように再び音が聞こえ始める。がさがさと草を掻き分ける音は、段々遠ざかっていった。

「……え、今、誰かいたわよね?」

 きょとんとした顔の彼女の前で、私は立ち尽くす。教師に報告しなければ。そう思うのに、中々足が動かない。

 声が出なかった。怖かった。どうすればいいのかわからなかった。彼女がたまたま寝ぼけながら起きてくれたから、向こうも驚いて逃げたようだけれど。もしあのまま、草影から人が飛び出していたら。

 また私は、何も出来ないのか。


 パーティーが終わって数日後、玄関前に試験の順位が張り出された。試験自体はもう少し前に行われ、実質パーティーはご褒美のような扱いだった。華やかに遊んだことで記憶が薄れているのか、どこか他人事のような顔で数字を追う生徒が多い。しかしその顔も引き締まる効果があるのは、順位表の横に貼りだされたもう一枚の紙の存在だろう。

「下着泥棒……?やだ……」

 先日学園に忍び込んで来た不審者の目的は女子生徒の下着だった。学園に出入りしている選定業者のひとりで、女子寮があることに目を付けたらしい。私が教師へ報告した後すぐ確保されたが、念のため寮の施錠は徹底するようにと注意事項が記載されている。確保が早かったため、楽しんでいる生徒達に水を差す必要は無いだろうと教師達が判断したため、このタイミングでの情報開示となった。

 あの時の自分の不甲斐なさを思うと情けなくなるが、俯きたくなるのを堪えて顔を上げ、順位表から自分の名前を探す。

 三十位。

 一番最初の試験は十位以内だった。試験結果はずっと、下がり続けている。


「逃げたぞ!追い掛けろ!」

 背後から男性の怒声が聞こえてくる。カチャンカチャンという金属音は銃だろうか。撃つ気でいるのだろうか。銃刀法により、銃や剣を持っていいのは王国の警備兵か許可を受けた者達だけになっているが、きっと彼らは該当者では無いだろう。

 怪しそうだったから聞き耳を立てたものの、ただのならず者の集まりだったみたいだ。外してしまった。今度こそ、隣国に繋がる情報かと思っていたのに。

 考えながらも足音はまだ聞こえてくるので、懸命に足を動かし続ける。すっぽりと頭を覆っている黒いフードが邪魔だったが、顔を見られると面倒だから我慢するしかない。とりあえず人混みに紛れよう。そこの角を曲がれば、大通りに出るはず。

 そう思って踏み出した一歩は、空を切った。

「捕らえた!」

 勢いよく後ろに引かれ、バランスを崩したところをそのまま上から覆い被される。お腹が圧迫されて、口から呻き声と空気が漏れた。今回において、初めて出す声だった。

「最近、裏通りをうろついているガキがいるって聞いたが……お前か?思ったよりも細っこいな」

 私を追ってきた男のひとりのようだ。早く逃げないと、更に追っ手が来る。複数名相手は本当にどうしようもならない。焦って手を動かすが、すかさず足で肩を押さえ付けられ、爪は石畳を引っ掻いた。その際にローブから腕がはみ出てしまったらしい。

 肌が空気に触れたことに気付くのと同時に、ひゅう、と口笛。

「なんだ、女か」

 まただ。首の後ろがざわつく。これから自分の身に降りかかることを警鐘するように、全身に鳥肌が走る。

 駄目、まだ駄目。何もわかってないのに。何も防げてないのに。こんな所で死ぬわけにはいかない。―――またこの国を、炎の中に追いやるわけには、いかない。

「メカクレ!」

 ポンッ、と。瓶からコルクが抜けたような、間抜けな音がした。

 次の瞬間、上から感じていた重みが無くなる。一体何が起きたのかと思っていたら、ごつ、ごつ、と足音。酔っ払いの足音を彷彿させるようなたどたどしさがあったが、先程まで私を追い掛けて来た男の革靴で間違いない。起き上がり、辺りを見回す。

 男は、うつろな瞳で、後ろ向きに歩いていた。ふらふらと体を揺らしながら来た道を戻っている。

「巻き戻しの魔法ですよ。俺が掛ける魔法って、魔力が強すぎるのか、皆ああやって酔っちゃうんですよね」

 その声には聞き覚えがあった。大分前、魔法適正検査の時にやって来た魔法使いだ。私も担当された。長い前髪に、やたらお喋りだったことを覚えている。あの時とまったく同じ姿で現れた彼は、呆然と座り込んでいる私に手を差し出した。

「いやあ、間に合ってよかった。お怪我はないですか」

 相変わらず前髪のせいで表情はわからないが、口元で笑っていることがわかる。前髪を伸ばしている理由も喋っていた気がするけれど、もう忘れてしまった。

「何で、貴方がここに……?」

「あ、それは―――」

「私が頼んだからよ」

 ぼんやりとしていた思考が晴れる。今の声は……聞き覚えがある、なんてものではない。

「何で、貴方がここに……」

「最近の貴方がおかしかったからに決まってるでしょう!やっと会話らしい会話になったわねっ?」

「エンジェ、落ち着いて~」

 同じ会話を繰り返せば、魔法使いの後ろから現れたエンゲがふんぞり返った。そんな彼女と共にいつもの二人組も現れて、更に目を開く。魔法使いの登場だけでも驚いたのに、何で彼らまで。学園からここまで、誰にも気付かれずに来たはずだ。家にだって、今日は平民の気持ちを学ぶために寮の空き室を借りるのだと言っている。

 それに、彼ら寮生は外出を禁じられているはずだ。教師の許可が無いと門に近付くことすら許されないはず。

「あぁ!この前の泥棒さんの抜け道を使ったんですよ、アンジェリカ様」

 私の疑問に気付いたらしいサフィが答える。

 泥棒とは、先日逮捕された下着泥棒のことだ。会場に戻ってすぐ、教師に不審者がいると密告して寮の前で捕まった男。私はあの時気が動転していて、とにかく生徒達にばれまいと必死だった。そのせいで教師には『学園内に不審者がいる』としか伝えていなかったのだ。それでも経験値的に女子寮が怪しいとなった教師達のお陰で、女子寮へ侵入する前に捕らえられたわけなのだが。

 そうだ、彼が『中庭』から現れたことを知っていたのは、私だけではなかった。

「デヴィがよく隠れている草叢を思い切って掻き分けたら、こーんなでっかい穴が開いてて!おかげで三人全員通れました」

「……即埋めるように報告してください」

「今日戻ったら伝えますね」

 にっこりと笑うサフィ。なんだか頭が痛くなってきて眉間を揉む。最近こうして頭を悩ませることが多いばかりに、周囲への注意を怠っていたのかもしれない。まさか彼女に動向を掴まれてしまうとは。

 大体三人の経緯がわかってきた私の視線は、口角を上げて見守っている人物へと向く。命の恩人ではあるが、彼は何故ここにいるのだろう。まだ彼の口からは魔法のことしか聞けていない。視線に気付いた彼は、ああ!と手を叩く。

「俺はですね、たまたま学園の近くを歩いてたら三人に捕まったんですよ。貴方を見失ったのと、やばいことに首を突っ込んでそうな気配があるからどうにかしてくれ~ってね。要求滅茶苦茶だし、ぶっちゃけエンゲさんの気迫に呑まれる形だったんですが、今は来れてよかったと思ってますよ」

「それは……ありがとう、ございます。お手数お掛けしました」

「いえいえ、国民を守るのも魔法使いの義務ですから」

 ひらりと手を振る男の言い分に、少し引っかかりを覚える。エンゲさん、と言った。魔法使いと生徒の繋がりなんて検査のタイミングしか無いはず。確かにこの魔法使いは馴れ馴れしい態度ではあったが、彼女があの場でノリに合わせるとも思えない。

 訝し気な顔で彼女を見ると、珍しく視線を逸らされた。いつもなら無視を決め込むこちらの顔を意地でも見つめてくる癖に。だがそのおかげで、あることを悟る。

 彼女は本気で体を取り戻そうとしてるのだ。


***


 初めて死んだ日のことは、今でも明確に覚えている。二回目を挟んで尚、最初の記憶が薄れることはなかった。それほどに衝撃的で、後悔の尽きない最期だった。

 

 私は恵まれている。それは物心がつく頃から薄ぼんやりと察してはいた。父と母が、家柄に甘えてはいけないと、他人への感謝を忘れてはいけないと繰り返していたからかもしれない。使用人達にも恵まれていたし、貴族も平民も関係無く、人間が大好きだと思った。そのまま、頭お花畑で育ってしまった。

 エンゲという生徒の存在は知っていた。平民ながら学園に入学できて凄いとも思っていたし、よく教師や生徒に噛みつく子として有名だったから。ただ、周りの友人達にあまり近付かない方がいいと言われて、直接話す機会はなかった。けれど、彼女が怒っている場面に遭遇した時。

 貴方達の謳う平等なんて糞食らえだと、聞いたこともない暴言を吐いていた。

 信じられないと思った。近くにいた子に経緯を聞けば、彼女の言動を先輩が注意したらしい。その言い方が気に食わなくて、前述のようなこと叫んだのだそうだ。人の親切を何だと思っているのだろう。愚鈍な私は、彼女を始めとする平民がどんな扱いをされているのかを理解していなかった。貴族も平民も大好きだと言いながら、周囲には貴族の友人しかいなかった癖に。

 そういえば、友人、という点でも彼女が羨ましかったのを覚えている。

 彼女が怒鳴ることはよくあったけれど、よく止められている場面もあった。同じ学年の女の子と、男の子。彼らといる時の彼女は比較的怒鳴ることもなく、楽しそうだったので、ずっとあの顔をしていればいいのにと思ったことがある。同時に、あんな子でも友人が出来るんだなと思った。貴族は他人に本音を伝えてはいけない。そう言い付けられていたけれど、人に本音をぶつけて、その上で友人が出来ている彼女は素直にすごいと思った。

 そうして、ふわふわとした気持ちで学園生活を過ごしていた日。あれは冬の長期休暇の時だったと思う。

 目が覚めると、真っ暗な部屋にいた。両手は縛られ、口は塞がれ、解放されていた目からの情報は暗闇だけだった。もうひとつ解放されている耳に、人の叫び声と破壊音が飛び込んでくる。突然の出来事だった。

 ぐるぐると目を回し、声も出せない中、こちらに近寄ってくる話し声を聞いて、ようやく思い至る。誘拐。捕まったのだ。助けを呼ぶべきかと思ったが、くぐもった声しか出ないし、そもそもここは家ではない。何処かもわからない。……何も、出来ない。

 絶望し、打ちひしがれる私の前に誘拐犯が現れたのは、それから一時間後の出来事だった。外から聞こえてくる音はどんどん激しさを増している。私だけじゃない。もっと広い範囲で、何かが起きていることがわかった。

「お、目を覚ましてるじゃないか」

 現れたのは、見覚えの無い人物。よれよれのシャツに丈が揃っていないズボン。素直にだらしない恰好だと思った。酒を飲んだのか、顔が赤い。絶対に関わりたくないタイプの人物だが、扉を開けて入って来た彼はにやにやと下卑た笑いで私に近付く。本当に美人だなァ、と。しみじみと呟かれて、頬に触れられた。

 手汗なのか、じっとりと湿っている。息も酒臭い。至近距離にいるこちらまで酔ってしまいそうだった。そのままそこで呼吸を繰り返されて、鼻息が頬に当たる。気持ち悪い。離してほしい。でも口布のせいで拒絶は全てくぐもった声に変わる。

「んー。色っぽい声だなぁ……」

 うっとりとした顔で男が瞳を閉じる。嫌悪感が止まらない。

「こんな美人、すぐに殺すには勿体なさ過ぎる。……なぁ、ちょっとだけならいいかな?いいよな?」

 彼の発した言葉の意味がわからず、ただただ自分の身に良くないことが起きようとしていることだけはわかった。抵抗の声をあげる。馬鹿な私は、それが更に男の欲を刺激することに気付かない。

 すぐに殺す。そんな物騒の発言にも、自分の身を守ることに必死で気付かなかった。

 バコンッ、と。固いもの同士がぶつかったような音がして、私は無意識に閉じていた目を開く。

 するとすぐに目の前が黒くなった。また暗闇に連れられたのかと思ったが、遅れて痛みが走る。瞳の中に何かが入ったのだ。何だろう、これ。液体だろうか。反射的に溢れ出す涙のおかげで、段々と視界がクリアになっていく。

 明瞭になった世界の中、一番に目が合ったのは死体だった。

「あれ、誰かいた」

 先程の男だ。頭がぱっくりと割れて、血が滴っている。先程の液体の正体に気付いた私は頭を振り乱した。嫌、嫌嫌嫌!拒絶したところで状況は変わらないのに、子どものような態度を取ることしか出来ない。そんな私を見て、きっと男を殺したであろう人物はどうしたものかとため息を吐く。彼の手にはしっかりと血が滴る斧が握られていた。

 次は私だろうか。怯えていると、こちらに向かって駆けてくる足音。

「デヴィ!いた!?」

「いなかった。……でもエンゲ、別の捕まった人ならいてさ。どうしたらいい?」

 エンゲ。知った名前に顔を上げる。廊下から中を覗き込んでいるのは、間違いなく同じ学園に通うあの子だった。彼女がデヴィと呼んだ人物も、同じく学園の生徒だったはず。彼女と一緒にいるのを見たことがある。

 くぐもっていながらも精一杯声を上げる。私よ、アンジェリカよ。貴方と同じ学園に通う生徒。助けて、解放して。少なくとも彼女達は敵ではないはずだ。だって、私を襲おうとした男性を倒し―――違う、殺して、いた。私と同じ、生徒のはずなのに。人を殺した。よくよく見れば、彼女の手には銃が握られている。服には血も付いていた。別段痛がる様子も無いということは、返り血。

「どうも何も……あの人じゃないならいいよ。直に火の手が来るし、置いておこう」

「わかった」

 待って!

 呆けていれば放置されそうだったので、体をのたうち回らせる。殺された男性の血で服が汚れようとも、今は気にしている場合じゃなかった。そうして全身を使った甲斐もあり、一度は出て行こうとしたデヴィが私の口布を下げる。ようやく解放された口で息を吸い込むと、埃っぽい空気が入ってきた。

「私、貴方達と同じ学園の生徒です!教えてください!何が起きてるんですか!?」

「えっ、学園の……あ、本当だ!アンジェリカ様だ!」

 ようやく気付いてくれたデヴィがエンゲに呼びかける。しかし彼女は眉一つ動かさなかった。

「知ってる。『平民にも敬語を使われる、寛容な心をお持ちのアンジェリカ様』でしょ。その様子だと、反乱が起きてすぐ捕まったみたいね。……捕まえやすそうだもんね」

 饒舌に喋る彼女の声を聞いていて、途中で気付いた。私、この子に嫌われてるんだ。何をしたわけでも、されたわけでもない。だが彼女は私のことを拒絶している。きっと助けてくれない。

 瞳から光を失う私に気遣ってか、デヴィが手足の縄を解いてくれた。長いこと縛られていたせいで鬱血跡が刻まれている。人生で初めての体験だった。縛られたのも、襲われそうになるのも、人の死体を見るのも、全部初めてだ。

「ちょっとだけ教えるとね、アンジェリカ様。今、この国は隣国から襲われてるんですよ。外は火の海です」

「隣国……?どうして……」

「さぁ、あっという間の出来事でしたから。気付いたら国の色々な所が燃えてて、国境を越えようとしたら待ち構えた兵士に撃たれて、逃げ場所は殆ど無いみたいです」

 隣国との仲は良好だったはず。つい昨年も、王子が隣国の王子と会ったことを話していたはずだ。一緒に両国の行く末を語ったのだと、そう言っていた。何で急に攻めて来ることになるのか。混乱する私は、無意識に王子の名を呟いていたらしい。するとデヴィが「もう亡くなりました」と告げる。

「王宮にいた王族は、とっくのとうに殺されたんです。首は国境線に並べられてます」

「そ、そん、そんな―――」

 王子からは古くからの付き合いだった。王宮主催のパーティーで私を気に入ってくれて、有意義な意見を交換ができると評価してくれた。生徒会長室にだってよく呼んでくれて、それに、王子には恋人が。

 貴族と平民の境目を無くす象徴の如く、平民の恋人が出来たばかりなのに。

「隣国を誘導したのは平民よ」

 頭の横を、誰かに殴られたようだった。それくらいの衝撃だった。誰に叩かれたわけでもないのに、頭がじんじんと痺れて、耳がキーンと高い音を捉える。

 やたら隣国の進軍が早いのも、内部で暴動が起こったのも、平民が隣国を手引きしたから。彼女はそう語った。長期休暇も学園に留まっていた彼女達は知らなかったが、火の手から逃れるために町へ出てすぐ、平民のひとりからビラを渡されたらしい。これは下剋上だ。平民を馬鹿にし、税を搾り取る王族をぶっ潰そう。そうビラの内容を叫んだ男は、隣国の銃に撃たれて口を閉ざした。

 利用した隣国が悪いのか、利用された平民が悪いのか。今の私には判断出来そうもない。

「隣国の兵士も、隣国に利用されてることに気付かない国民も、今の僕達にとっては敵。身を守るために武器を取ったんだ」

「エンゲ、デヴィ!ここにはいないみたいだよ~!」

 場違いな明るい声がした。まだ仲間がいたのかと顎を持ち上げ、新しい人物が現れる前に思い出す。そうだ、彼らは三人組だった。青い髪の所々に血の塊を付けたサフィは、私を見ると「あれ、アンジェリカ様だ」と目を丸くする。その瞳に同情の色が浮かぶが、話し込む前にとエンゲが動き出した。

「僕達もう行くね。アンジェリカ様、逃げ切れるといいね」

「貴方達は逃げないってこと……?」

「ぶっちゃけ逃げ場所もないもんねぇ」

 折角のデヴィの発言をすかさずサフィに否定される。だが本当に外の世界が彼らの言う通りなら、確かにどこにも逃げ場所は無いのだろう。撃たれて死ぬか、焼け死ぬかのどちらかだ。

 しかし私がここに捕まっているということは、家族もここに捕まっているのだろうか。期待を込めて両親の名を呼んだが、返事は無い。とどめのように、サフィが「もう生きてる人はいなかったよ」と冷静に告げた。

「でも新しい武器は見つけた!見て、なんか長い銃!」

「暴発させないでよ……?」

 何で彼らは明るくいれるんだろう。沢山人が死んで、国すらも無くなり始めているというのに。

「どうして、貴方達は人を殺せるの……?そんなの学園で習ってなかったじゃないですか……!」

 その疑問は内心だけで留まってくれなかった。

「そこは、まぁ、本能的に……?」

「自分がやられたら死ぬだろうなってことをするとね、結構簡単に人は死にますよぉ。最悪気絶に追い込めれば、この後焼けちゃうし」

「そ、そういうことじゃなくて……!」

「あ、倫理的な問題?」

 遠くから、二人を急かす声がする。エンゲはもう大分離れた位置にいるらしい。体の位置をいよいよ部屋の外へと変えたデヴィとサフィは、大きな声で返事をした後、一度だけこちらを振り返った。

「僕らだって好きで殺してるわけじゃない。でも―――エンゲが、僕らを守るために先陣を切った。手を汚してくれた」

「何より私達、エンゲを追っかけるのが大好きなんです」

 私の返事も待たずに、彼らは同じタイミングで走り出す。叫び声と銃声が飛び交う外へと、迷わずに飛び出して行く。遅い!という声に、ごめんごめん!と答える声。場違いな明るい会話達は、やがて破壊音に掻き消されていく。

 しかし、最後にこれだけは聞こえた。

「どこですか、ルーヴ様―――!!」

 エンゲの声だった。必死そうな声音から発せられたのは、知っている人物の名前。


 一回目の私の最期は、その後すぐに迎えた。今にも倒壊しそうなみしみしという音に慌てて建物の外へ出る。何とか潰されはしなかったものの、丁度外壁と倒れた建物に挟まる形になった。正面には火が移ったよく燃える木材達、背後には熱を伝える石材の外壁。やがて左右も火の手が回り、どこに逃げることも出来ないまま、真っ赤な炎に焼かれて終わった。


***


 仕事に戻りますね、と去って行った魔法使いを見送った後、私達の間には妙な時間が訪れる。あからさまに苛々している彼女、そんな彼女を宥めるサフィ、困った顔のデヴィ。前々回の人殺しをしていたとは思えない程、今の彼らから流れる空気は平和だ。出来得ることなら、このまま時が流れていってほしいと思う。

「問い質したいことがありすぎて言葉が出て来ないわ。どうしてやろうかしらね、本当……」

「とりあえず移動しようよ。アンジェリカ様も今日はお家帰れないんでしょ?一緒に学園戻りましょう」

「……いえ、私は」

「この期に及んでまだ逃げようって言うの!?」

「こらエンジェ、あんまり大声出さないのっ」

 サフィの指摘は合っていた。しーっと言いながら指が一本立てられ、つられるように全員が黙った瞬間。ごつりと、聞き覚えのある音がしたのである。―――革靴の音だ。

「て、めぇ、ら……」

 まだ酔いが残っているのか、ふらりふらりと横に揺れながら歩いてきたのは、先程追い払ったはずの男である。手には明らかに違法な銃が握られていて、朧げな手付きながらもカチリと引き金が引かれるのがわかった。緩んでいた空気が締まり、その場に緊張感が走った。

「あのポンコツ魔法使い……!解除時間くらい伝えてから帰りなさいよ……!」

「まぁ、くっちゃべってた俺らも悪いよねぇ……!」

「だってアンジェリカ様がさ、なんか浸ってたからさッ」

「す、すみません」

 いまいち締まりはしないが、あちこちに揺れる銃口が危険なことは確かだ。距離を取った方がいいだろうか。いや、それよりも走り去る背中に銃弾が撃ち込まれる方が早い。進むことも退くことも出来ず、ふらふらと揺れる銃口と睨み合う時間が流れていく。恐怖から、サフィの瞳には涙が滲み始めた。私のせいだ。私ひとりの問題だったのに、彼らを巻き込んでしまった。

 一か八か、男の前に飛び込み私の体に銃弾が入れば、彼らが逃げる隙を作れるだろうか。成功の保証は無いが、もう、それしかない。拳を握り、後ろ脚に力を入れた。

 アォォ―――ン……。

 狼の遠吠えが響く。学園の周りには街しかなく、自然もないのに、建物の間を美しい遠吠えが駆け抜ける。

 呆ける私達の前で、銃を持つ男の顔が引き攣った。ヒッと短く息を吸い込み、嘘だろ、と零す。急に震え始めた男は上下の歯をガタガタとぶつけ合わせ、終いには魔法を掛けられた時と同じ方向へ走り出した。しかも、情けない叫び声をあげながら。

「なに、が……」

 デヴィの声に、視線を落とす。足元の影を見た。月明かりに照らされた石畳に凹凸で歪んだ影が浮かぶ。

 かろうじて形が分かるそれは、狼のように見えた。

「仲間を呼ばれたら面倒だ。馬車を用意してるから早く来い」

 全員ほぼ同時に振り返る。しかし声から予想がついていた私以外の者達は、先程の男のように驚きからヒッと息を吐いた。―――ことひとりに関しては、その場で気絶する。

 そこそこ固い石畳へと倒れ込むエンゲ。いつしかの時と重なる光景であったが、ぴんと来ないのだろう、現れた人物は不思議そうに首を傾ける。彼が頭を動かしたことで、肩辺りまで伸びた黒髪がさらりと揺れた。

「エンゲ―!お前、気絶してる場合じゃないだろ!絶対後悔するぞ!」

「わあ……。ルーヴ様の声、初めて聞いたぁ……!」


 残念ながら一度も目を覚まさなかった彼女が意識を戻したのは、生徒会長室に運び込まれてからだった。この部屋なら中庭からも近い。寮に戻るのも人目が付くし、何より生徒会長は王宮に戻っているので邪魔が入ることもない。落ち着くには最適な場所だ。彼女を運ぶ役はルーヴがやると言い出したものの、彼女の生死に関わることからだとデヴィが進み出た。不思議そうに「生死……?」と呟くルーヴの横で私とサフィが頷く。間違いないだろう。

 来客が多い生徒会長室には予備の椅子が仕舞われていることは知っている。さすがに生徒会長室の椅子を使うことは引けたので、三人分の椅子を用意した。私とルーヴは、いつも生徒会長室にいる時に座ってる長椅子に並んで腰を降ろす。もうひとつある長椅子に彼女を寝かせたところ、丁度よく目が覚めたのだった。

 すかさず私はルーヴに告げる。立って壁側を向いていろ、と。

「何故……」

「いちいち救助をやってられないからです。そのまま喋ってください」

 案の定起きてすぐに意識を失いそうになったものの、後ろ姿ならまだ大丈夫らしい。何とか持ち直し、胸を押さえる彼女の背中をサフィが支えている。病気なの?……病気みたいなものか。

「あの―……色々気になることはあるんですけど、とりあえず僕が一番気になることを聞いてもいいですか?」

「どうぞ」

「ルーヴ様、何であそこにいたんですか?」

 デヴィの問いに私も内心で頷く。現れたタイミングも馬車を用意してくれたいたことも有難かったが、何故ぼうっとした男にあんな芸当が出来たのか。私も気になっているところだった。

「最近、アンジェリカの様子がおかしかった」

 私の肩が跳ねるのと同時に、サフィの手が添えてある彼女の肩が跳ねるのがわかった。その理由は一旦置いておいて、私は自分の浅はかさに公開する。彼女だけじゃなく、ルーヴにまでばれていたなんて。私の態度はそんなにわかりやすかったのか。

 ルーヴが現れたのも同じ理由だ。いつも通り校門が出た私が馬車に乗らないのに気づいていた。何処から見ていたのかはわからないが、この男は目立つ容貌の割に気配を隠すのが上手い。だから私の後を尾行していたのだそうだ。しかし私が入り組んだ道を進むので見失い―――その間に私は三人と合流し―――ようやく見つけたのが、男に銃口を向けられた場面だったらしい。途中見失ったのはともかく、救いの一手だった。

「あのあの、私も気になってること聞いていいですかっ?」

「どうぞ」

「ルーヴ様って、確かすっごい無口でしたよね?結構普通に喋るんですねぇ」

「今そこ?」

「自分以外に喋る人がいなければ喋りますよ。いつもは一緒にいる王子がお喋りだから―――要は、甘えてるだけです」

「へぇー。じゃあ、名前を覚えれないっていうのは?」

「……事実だ。申し訳ないが、生まれつき人間の顔の区別がつかない。名前も同じような理由だな。頭に馴染まない」

「でも、アンジェリカ様とか」

「長い付き合いだし、こいつは俺が覚えるまで会う度に名乗り続けた。繰り返されれば、さすがに覚える」

「なるほど。……攻略法はありそうだよ、エンジェ!」

「……動悸が……」

「今以上だと、ルーヴ様、部屋の外に出ることになるだろ。耐えろ」

 一回目の時も思ったが、どうにもこの三人が揃うと空気が緩んでいけない。私が話を回した方がいいかと思案したが、意外にも次の話題を切り出したのはルーヴだった。

「アンジェリカ、全てを話せ。この部屋に連れて来たのは、何かを抱え込んでいるお前の荷を降ろすためだ」

 直球過ぎる。思わず顔を覆えば、デヴィが気まずそうに手を挙げる。

「あの、それ、僕らが聞いてていいんですか?大事な話なんですよね……?」

「君達も俺と同じことに気付いてアンジェリカを追っていたのだろう。聞く権利はあるし……何より、関係なければこの部屋に来た時点で寮へ帰されるはずだ。彼女が椅子を用意した時点で、俺は君達を関係者と見做している」

「おぉ……。真のイイ男は背中で語る……」

「ルーヴ様、好きで背中向けてるわけじゃないけどね……」

 サフィとデヴィはともかく、ルーヴと彼女は何故そんなにも自信満々なのか。何か根拠でもあるのだろうか。小さく問えば、聴覚の良い男はきちんと拾っていく。

「今のお前からは、亡くなる直前の母と同じ匂いがする」


*** 


 焼かれて死んだ。その意識を持ったまま目覚めた私の目に最初に映ったのは、見知らぬ人達の顔だった。

 状況がわからず、死んだショックだけが残った私は酷く憔悴していたと思う、あからさまに平民の恰好をしている彼らが怖かった。殺されると思った。だが、彼らは私を殺すことはしなかった。殺すはずないだろう、と私を強く抱きしめて語る。

「お前は俺の娘なんだぞ、エンゲ」

 呼びかけられた名前に目を開き、そこでようやく、私は自身の体が少し縮んでいることに気付いた。


 過去の時間への移動と、精神の入れ替え。そんなこと可能なわけないと、普通の人間ならば思うだろう。父親の腕の中の私もそうだった。混乱し、大きな体を抱き返しながらも考える。父親はまだ私が不安を感じていると勘違いして、安心するように背中を叩いてくれていた。その穏やかさと優しさに、私は前回の記憶と現状を繋げた。

 生まれてすぐに行われる、魔力適正検査。私は微弱であるが魔力を持ち、魔法の“使える”適性がある人間だった。

 しかし適性がある人間は教会に行かなければならない。私の―――アンジェリカの両親は、それを強く拒否した。どうか娘を取り上げないでくれと懇願した。中々子宝に恵まれなかった二人にとって、私は奇跡の子だったのだ。そして、異例の事態ではあるが、教会へ多額な寄付をすることで私の検査結果は隠されることとなった。

 その事実は私が十歳の時に知らされたものだ。両親が伝えてもいいと判断し、誰にも言いふらさないことを誓わせられた。私と、両親と、一部の教会の人間だけが知っている事実。それに魔力は微弱なもので、これまでも普通の人間と変わらずに過ごしてきた。魔法を使おうとも思わないし、そもそも使える魔法すらもわからない。だからすっかり忘れていたのだ。

 死の間際、私は自身の体に魔法を掛けたのか。発動条件もわからない。名前もわからない魔法を。


 最初は戸惑ったものの、二回目の私はこの状況を好都合と考えた。未来に控えている隣国からの襲撃。そのきっかけは、隣国が平民の怒りを煽ったことが原因だった。正直、前回は平民が何故怒るのかが理解出来なかった。これは良い機会である。

 しばらく村で過ごしていると、父親と一緒に街へ行く機会があった。連れられて行った広場の掲示板で、学園の入学試験の紙を見る。その瞬間に思い出す。そうだ、学園に行けば、“あの子”にも会えるはず。アンジェリカの体の中にいるはずの、あの子に。 

 そう信じて受けた試験。一回目の知識もあったから、特に苦労せずにクリアすることが出来た。だがこのレベルでも平民が苦労することはよくわかった。村の子ども達と話していて、かなり知識の差があることに気付いたのだ。幼馴染と紹介された子は、私が話すとずっときょとんとしている。

 あの子は大丈夫だろうか。貴族は入学試験は受けるだけだし、同じクラスになれるといいな。―――その願いは叶い、彼女とは同じクラスになった。クラス表に名前を見つけた時は嬉しくて飛び上がりそうになった。まずは彼女と今の状況を共有しよう。平民から貴族になったんだもの、きっと余裕だってあるはず。二人で知恵を出せ合えば、きっと襲撃に対して何か―――。

 短い夢だった。私と入れ替わった彼女は、前の記憶も無かったし、余裕さえもなかったのである。

 炎上令嬢。自慢の髪が因縁の炎に例えられる日がくるなんて、思ってもいなかった。


 それでも、一度死んだ私の切り替えは早い。元々彼女だけに頼ろうとも思っていなかったのだ。将来的に王国に反旗を翻すことになる、平民を味方に付ければいい。だがしかし、これが一番上手くいかなかった。貴族は才能が突出した平民を嫌う。二回目の私が学んだ、大きな事柄だ。そんなわけない。才能がある人は素晴らしい。そう思っている癖に、前回の自分を思い出す。

 私は、カルルと話したことがなかった。彼女と王子が結ばれたことを聞いた時、それは素晴らしいことねと喜んだのに、彼女に直接祝いの言葉を伝えることもなかった。無意識に避けていた。本当に貴族と平民の境を無くしたいのなら自分から話し掛ければいいのに、それすらしないまま、平等は素晴らしいとか宣っていた。

 同じクラスで、私よりも不躾な扱いをされていた彼女。何で以前の私は彼女の背中が小さく震えていることに気付いてやれなかったのだろう。二回目の人生で話し掛けた時、私を見た彼女はとても驚いた顔をした後、花が咲くような笑顔を浮かべた。

 そして二回目の人生でも、彼女と王子は惹かれ合う。きっと二人はそういう運命にあるのだろう。黒い木偶の坊の横で、私は二人を見守っていた。 


 平民の立場になったところで平民の意識を変えることは難しい。これは王国に根付いた大きな問題なのだ。それならばせめて、王国に危機感を持たせることは出来ないだろうか。幸い私はカルルと仲が良い。王子も私のことを嫌ってはいないだろう。そして王子が私のことを信じてくれれば、王宮にだって声が届くはず。

 寮を抜け出すのは難しいので、長期休みの時、親には帰らないと嘘を付いた。そして学園には帰省をすると嘘をつき、私は各地の街を渡り歩いた。幸いにも彼女の両親と良好な関係を築いてきたおかげで、仕送りはたんまりと溜めている。長期休暇の間だけならば宿代と食事代は足りるだろう。一人旅だというと怪しまれるので、商談している親の代わりだと嘘をついて二人分借りなければいけないのは痛手だったが。


 そうして長期休暇の終わりが近づき、王子へと提出できそうな証拠が集まり始めた頃。宿へ戻ろうとした夜道に、私は背後から腹を刺された。一瞬の出来事だ。何が起きたかもわからぬまま、口から堪え切れない液体を吐き出す。赤黒い血だった。

「邪魔しないでよね」

 誰かがそう言っていた。高くもなく、低くもなく、聞き取りやすい声だった。

 軽い足音がどこかへ消えて行って、辺り一面静かになる。刺されたものの、私はまだ意識を保っていた。ぎりぎり急所を外れたのだろうか。しかし出血多量で死ぬのは時間の問題だ。早く傷口を抑えなくてはいけないのに、手足が中々動かない。

 トッ。そんな軽い音と共に、顔の傍に影が落ちる。どこからやって来たのか。この辺りには街しかないはずなのに、黒い毛皮の狼が立っていた。私の顔を覗き込む、黒い瞳。何の感情も映さない瞳は、なんだか覚えがあった。一回目でも、二回目でも知り合った男。口下手で、甘えたで、でも王子のことを大事にしていることだけは伝わってきたんだ。

 背後にある夜空を彷彿させる毛皮に手を伸ばそうとした、その時。ぺたぺたという足音と共に、ある人物が現れる。

 あの子だった。

 自慢の赤い髪は乱れていて、パジャマ姿で、何故か裸足。ここまで走って来たのだろうか。息が乱れている。ああそういえば、ここは元々私が住んでいた屋敷がある街か。証拠集めに必死で気付かなかった。ごぷりと口から血が溢れる。これだけ悲惨な状態の人間が転がっているのに、丁度建物の影に隠れてしまったのか、彼女に気付く様子は無い。彼女が見据えるのは、私の傍に立つ狼だった。

「……ルーヴ、様?」

 あろうことか、彼女は狼を木偶の坊の名前で呼んだ。気付いていないから仕方ないとはいえ、こんな時も恋愛なのかと腹が立つ。彼女の恋愛脳っぷりは学園内では有名なことだ。未だに名前と顔さえ覚えられていないのに、まだ追い続けているのか。そんな暇があるなら勉強してよ。平民と貴族の境をなくしてよ。

 このままじゃあ、皆死んじゃうのに。助けてよ。

 そう念じた直後、彼女の体が揺らいだ。ふらりふらりと急に不安定になる。何が起きたのかはわからないが、いきなり酔っぱらい出したのだ。まだ酒になんて手を伸ばせる年齢でもないし、先程までの彼女は正常だった。何で、どうして、いきなり。前後に左右にと頭が揺れて、振り子のように遅れて彼女の体が動く。ゆらゆら、ゆらゆら。


 揺れに逆らうこともなく、彼女の体は、そのまま背後にある用水路へと消えた。


 大きめな水音はここまで聞こえてきて、私の体の温度が急激に下がる。元々死へ向かっていたのもあるだろう。だけど、彼女まで死なせるつもりはなかった。私のせいなのだろうか。何かしたのだろうか。それよりも、用水路の深さは。足は付くのだろうか。彼女は泳げるのだろうか。ああいや、彼女は意識が無いのも同じだった。

 焦る一方で、視界はいよいよ掠れていく。死期が近い。二回目ともなればすぐに悟ることができた。……でも待って、私の死体はいつ見つかるのだろうか。夜明けまでこのままなのだろうか。鞄の中には、ここまで頑張って集めた証拠があるのに。私を刺したのが隣国の手先なら、もう襲撃の日は近いはずだ。

 早く、誰か、証拠を王子の元へ。

 霧がかった視界の中、黒い人影が映る。幻だろうか。よく見えないけれど、真っ黒なあの姿には覚えがあった。

「るー……、ぶ」

 掠れてはいたし、声もガラガラだったが、あの男の聴覚が優れていることは知っている。振り返った彼は、私にすぐ駆け寄ることはせず、一瞬逡巡しているように見えた。感情の無い人間が珍しい。だが私が血を吐くと、彼は駆け寄ってきた。膝を付いて、私の顔に耳を寄せる。状況判断が早いな。

 たった今来て、私が死ぬことを悟ったから、遺言を聞き届けようとしてくれてるのか。

 最後の力を振り絞り、私は彼に鞄の中の物のことを伝えた。そして、今すぐに王子へ渡してほしいと。もう殆ど何も見えなくなり、本当に影だけになったルーヴの首の動きが、力強く頷くところを見届ける。それから私は意識を手放した。


 でも、少し、引っ掛かったのだ。

 私に声を掛けられて、振り返ったルーヴ。それまで彼の正面にあったのは、彼女が落ちたはずの用水路。

 私が声を掛けなければ、私がすぐに王子の元へ行けと言わなければ―――ルーヴは、彼女を助けようとしてたのではないだろうか。


***


 全てを詳細に語るには時間が足りなくて、なるべく要点だけに絞る。ただ、私が魔法を使えること、既に二回繰り返している、この二つは間違いなくわかるように伝えた。

「待って……。待ちなさいよ……」

 彼女のためにも。

「それなら、私は―――今の体が、正しい状態、ってこと?」

「―――はい」

 先程までの、ルーヴがどうこうと騒いでいた彼女はいない。驚愕に目を開き、受け入れられないと体を震わせる姿は、私まで居たたまれなさを覚えてしまった。だけど、これが事実。今の私達の体は、全てが元に戻った状態なのだ。

「原因はわかりませんが、入れ替わりが元に戻る時、前回の記憶だけが貴方の中に残ったみたいなんです。そのせいで混乱させてしまった」

「証明するものがないわ!」

「……私の記憶が証明している、としか。でも嘘を言っているようには見えなかったはずです……」

 全て私が経験したこと。私の目の前で起きた出来事だ。私は自分が焼かれた感覚も、腹を刺された時の痛みだって覚えている。忘れたくても忘れられない。魘される夜を何度も超えてきた。

「そん、な……。だって……」

 打ちひしがれている彼女。一回目、二回目と、様々な姿の彼女を見てきた。貴族の彼女も、平民の彼女も。

 でも、泣きそうな顔の彼女を見たのは初めてだ。


「証明、できるかもしれないな」

 一同が黙り込む中、空気の読めない木偶の坊が口を開いた。証明などせずとも彼女なら理解してくれているはずだ。必要ない。そう反論しようとしたのに、言いつけを破って振り返る彼は、いつになく真剣そうな表情をしていた。

「今の話と、先程の状況で察しはついてる思うが―――俺もアンジェリカと同じく、教会から存在を隠している人間。魔力を持っている」

 もう彼女が反応することは無いと踏んだのだろう、入室した時の長椅子に腰掛ける。

「俺の魔法は、動物化。狼になることが出来る。母が狼の魔物だったからだ」

 俺の鼻は、死期が近い者の匂いに特に敏感なんだ。遠く離れた街の匂いでさえ、俺の鼻は反応する。街では俺の狼姿を『死神』と呼ぶものもいるくらいだ。だから二回目のアンジェリカが死ぬ時、俺が現れたのにも納得がいく。

 そう饒舌に語られた事実に、私は今日一番の驚きを見せた。

「―――え!?狼!?魔法!?え!?」

「……お前、本当に俺のことただの木偶の坊だとしか思ってなかったんだな」

「この面子で一番成績悪い私でもわかりましたよっ、アンジェリカ様」

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