三章 カルル
「代表者、前へ」
拡声器を通した声に顔を上げる。名前順で生徒が並ばされる中、あらかじめ最前列に用意された座席から腰を上げる。それだけで沢山の視線が集まるのがわかった。体が熱くなるのをどうにか誤魔化しながら、足を前に出す。やっぱり抜けない緊張のせいで足元がおぼつかず、ふわふわの地面を歩いている気がした。
元々、人前に立つことは得意ではない。というか、今迄そんな機会殆ど無かった。それなのに何で入学式の壇上に立っているのかといえば、試験で高得点を取ったから。それだけの理由だ。
元々両親が勉強好きで、本業である本屋の傍らによくちょっとしたテストを作ってくれていた。退屈な子ども時代、構ってくれない両親から提供されるそれは丁度いい遊び道具だったのだ。自分が勉強が出来る方なのだと知ったのも、両親に勧められた試験を受けた後、学園から呼び出されたタイミングである。天才だとか、才女だとか、教師達は色々と言うけれど、どれも私には不相応な表現だ。
この代表者だって、本当は断りたかった。平民にとっては入学するための試験であるが、これは貴族達も同様に受けることになっている。試験に合格しなければ入学できない、という規定が貴族には用意されていないだけだ。そのかわり貴族には奨学金制度がなく、期日までに多大な入学金を納めることになっている。今代の王は、そうして貴族も平民にもハンデを付けて平等を謳うのだ。
そんな平民も貴族も受ける試験で、私はトップの点数を取った。正確な点数は覚えていない。ただ合格ラインをクリアして、両親の望み通り入学できればよかっただけだし。それがどうしてこんなことになったのか。
王族が通うこともあり、王の思想を強く受ける学園。平等思考は別にいいと思う。でも物事には順序というものが必要なのだ。いきなり王が代わったので平等にしてください、貴族も平民も皆同じですよ、と言われた所ですぐに納得するわけがない。特に、この学園に通うような貴族達は。
これは平民の進出だと、興奮し、崇める教師達。彼らには、私に突き刺さる貴族達の視線の鋭さが見えていないのだろうか。
「暖かい春の陽射しが差し込み―――」
壇上にある拡声器の前、用意していた紙に書いてある文章を読む。本当は暗記してもよかったが、変に気合を入れていると誤解されそうでやめた。結局、暗記するべきだろうと言う人はいるのだろうけれど。
内容は当たり障りないものだ。自分が平民なことにも、貴族の方々にも触れない。要約すると、いち生徒として勉強頑張りますとか、そんな内容。このスピーチは録音されて王様にも伝えられますよと事前に言われたが、毎年のことなのだから王だっていちいち覚えていないはず。
そうして、後々教師から歴代最短だと教えられたスピーチは幕を閉じた。
よし、一大イベントは乗り越えたのだし、教室で説明が終わったら自由行動だと聞いた。校内を好きに回っていいと言っていたから図書館へ行こう。うちでも取り扱ってないような珍しい本が沢山あるはず。そう思うことで、帰り道も刺さる視線に見知らぬフリをすることが出来た。
校長の言葉や教師陣の挨拶の時よりも明らかに小さい拍手の音にも、知らんぷりをした。
これは、少し予想外だったかもしれない。
移動教室のために歩いてきた廊下。角を曲がったところで、人目が無いのを確認してから息を吐き出す。長く長く吐き出す。疲れた。ため息を吐くことさえ人の視線を気にしなければいけない程、常に気を張っているのである。
元より貴族と仲良くなれるとは思えていなかった。でも同じ平民の生徒なら、そう思ったものの、初日からずっと避けられている。理由は明確だ。私が、貴族達に酷く嫌われているからである。……何をしたわけでもない。ただ、平民の分際で入学試験で一位を取ったから。それだけの理由で貴族から嫌われ、巻き込まれたくないからという理由で平民からは距離を置かれていた。
貴族の近くを通り過ぎただけでこそこそと陰口を叩かれる。一応、学園内では平等に生徒だ。だから素通りをしたら挨拶もしないのかと囁かれたので、今度は会釈をするようにした。すると声を出さないなんて舐めているのかと囁かれたので、今度は聞こえるように声を出した。すると、貴族の仲間入りした気でいるのかしらと、笑われる。
入学して数日で気付いた。そうか、この人達は、私が何をしても意味がないのだ。だから早々に相手をしても無駄だと悟り、全て無視することにした。よっぽど失礼なことをしなかれば問題はないはずだ。何かあっても、教師達は私の味方をするはずだから。
疲れた。嫌われていてよかったことなんて、寮の同室に誰も手を挙げなかったことくらいだろう。お陰様で一人部屋を謳歌している。使う人がいないベッドは丁度いい荷物置きだし、広々部屋を使える。今日も帰宅時間までは図書館にいて、チャイムが鳴ったら速攻寮に帰ろう。そう言い聞かせながら教室の扉を開けた。
途端集まる視線も、入学式からとなればもう慣れたものである。この授業は席が決まっていないはずなので、最前列の端っこに座る。人気な最後列はもう埋まり始めてるし、ここだったら好んで座る人は少ない。誰の気分も害さないだろうと選択した数日前、やっぱり先生に媚を売りたいのねと囁かれた。だからもうどうでもいいのだ。どこに座っても言われるだろうから、ここなら大丈夫かなと考える時間も惜しくなった。
教材や筆記用具を置いて、手は膝の位置へ降ろす。勉強は寮に帰ってからするし、まだ授業まで時間もあるから、少しぼおっとしていよう。大きな窓から外の景色に目をやると、丁度中庭が見えた。中庭か。お昼休みに人が沢山いるイメージあるけど、雨の日とかなら空くのかな。あ、あそこら辺とか丁度木が屋根になってるし、濡れなさそう。
すっかり習慣になってしまった逃げ場所探しを緩やかに続けていたので、教室が騒がしくなっていることに気付くのが少し遅れた。
「いい加減にしなさいよ!!」
突然耳に入ってきた大声に肩が跳ねる。自分に言われたのかと心臓が小さくなったが、声は近くから聞こえてきたわけではない。窓を視線から声の方へと移動させた。
あ。
「子どもじゃあるまいし、話し掛けている相手を無視し続けるのはやめなさい!こっちを見なさい!」
もうすぐ十六歳になる年、よくあそこまで怒れるものだなと逆に感心してしまう。最初こそ驚いたし、怖いと思っていたものだが。彼女が怒っている姿を見るのは初めてではない。同じクラスで、もうひとりの同じクラスの子によく絡んでいるからだ。大体一方的に怒鳴っているだけだが、怒鳴られている方も怒鳴られている方で、よくもまぁ、ずっと無視し続けられるものである。
「ちょっと、貴方平民でしょ?アンジェリカ様が相手をするわけないじゃない」
ああ、そうだ、アンジェリカだ。怒鳴られている生徒の名前。生徒の中での差別思考が強い学園で、この二人は関係が逆転しているから珍しいと思っていた。怒鳴っている方が平民、怒鳴られている方が貴族なのだ。
「昨日も、一昨日も、呼び出した場所に来なかったわよね。貴方の耳は機能してないのかしら?」
「なんて言い方するのよ!」
言い返しているのは、アンジェリカに纏わりついている貴族達。彼女よりかは下級の家の者らしい。下級とはいえ、私よりかは財力も権力も勿論ある。すなわち怒鳴っている生徒よりも上位の者なのだが、怒る平民に相手をする余裕は無いようだ。
「三日前みたいに、ここで話してもいいのよ。困るのは貴方でしょう!?」
バンッと机が叩かれる。さすがの取り巻き達も肩を跳ねさせていたが、当のアンジェリカは微動だにしなかった。揺れたせいで位置がずれた筆記用具を元に戻す。そして、視線は再び前へ。ここまで一言も発そうとしない辺り、彼女も酷く頑固だ。
三日前、そういえば教室でも騒いでいたっけ。体を奪われたとか、魔法で元に戻しなさいとか、なんとか。内容はあまり覚えてない。だって、妄想だろうし。生まれつき適性が決まってる魔法が、ある日突然使えるようになる……みたいな妄想は私もしたことがある。もうとっくに卒業したが、彼女はきっとまだ抜け出せてないのだろう。
だが、私も、騒いでいる彼女も、アンジェリカも同じクラスだ。今は選択者だけが集まる授業だが、普段朝礼や終礼をする教室が一緒なのである。クラスは試験結果で振り分けられるはずだから、ああして騒いでいる彼女もそれなりに頭が良いということだ。他人の試験の点数が気になったの、初めてかも
そんなことを考えながらぼんやりと眺めていれば、教室の扉が開く。
「失礼しま―――ちょ、エンジェ!?また暴れてるの!?」
怒られるからやめなよ、と軽い口調で、入室してきた女生徒近寄ってくる。恐らく入学前からの友人なのだろう。エンジェと呼ばれた生徒は、彼女の言うことは比較的聞いていた。それでも止められない時もあるのか、たまに彼女が体当たりをしてる瞬間を見る。スカートだからやめた方がいいと思う。
エンジェ―――正しくは、エンゲという名前だったはず。中々衝撃的な人物だから彼女の名前は自主的に覚えていた。
「『授業終わったら待っててね』って言ったのに先に行っちゃうんだもん。その上、喧嘩して……また怒られちゃうよ?」
「喧嘩じゃないわ。会話よ」
「一方的なね」
話しながら、二人とも私の後ろの席に腰を降ろす。よっぽど仲が良かったのだろうか。結構ずけずけと言っている割りにエンゲは彼女には怒らない。きっと彼女も同じクラスなら平和だっただろうに、試験結果が悪かったのか、クラスは離れてしまっていた。よく遊びに来てはいるが、どこのクラスなのかは知らない。
「やっぱり頭の良いクラスは授業も早く終わるのかなぁ。私のクラス、さっきの授業五分くらいオーバーして……あ、大変、筆箱忘れちゃった。エンジェ、貸して?」
「一人分しかないから無理よ」
「筆箱の中身まで強気なの何……?」
席が近いだけで聞き耳を立てていたわけじゃないが、聞こえてしまった以上貸した方がいいのだろうか。でも、嫌われてる私の筆記用具を受け取ってくれるかしら。不安に思いながらも自身の物に手を伸ばそうとしたところで、誰かが彼女の名前を呼んだ。
「サフィちゃん、俺の貸してあげるよ。結構余分に持って来てるから」
「え、いいのっ?ありがとう」
彼女の名前は初めて聞いた気がする。サフィというのか。男子生徒から筆記用具を受け取った彼女は助かったよ~と安堵の声をあげ、それに男子が照れ臭そうに返していた。確かに、まじまじと見たことはないが、サフィは可愛い顔をしていた気がする。積極的に関わろうとするのはエンゲしかいないようだが、彼女が本気を出せば大抵の男子は言うことをきくのではないだろうか。
「アンジェリカ様、大丈夫ですか?お怪我はありませんか?」
「大丈夫ですよ」
聞こえてきた声に、背後の机ががたりと揺れるのがわかった。サフィが小さくどうどうと落ち着かせている。
アンジェリカの声は聞き取りやすいせいか、離れていてもよく通る。そのおかげで気付いたのだが、どうやら彼女が無視をするのはエンゲだけらしい。取り巻きとも普通に話すし、ついでに平民相手にもそれは変わらない。一度掃除当番を押し付けられた時、手伝いますよと声を掛けられたことがある。彼女の喋り方は敬語がデフォルトのようだ。
「いつも大変ですね。クラスも一緒なのでしょう?」
「クラス替えは一年に一回ですものね。心中お察ししますわ……」
「とんでもない。お気遣いありがとうございます」
がたがたと揺れが激しくなってくるのがわかる。サフィの声ではそろそろ落ち着かせなくなるのではないだろうか。
そうして俯瞰していると、たまに気付くことがあった。例えば、取り巻きの口調とエンゲの口調が似ていること。彼女が強気で見えるのは、貴族のお嬢様のような口調なのもあるかもしれない。
「アンジェリカ様、最近はお父様の仕事も手伝っていらっしゃると聞きましたわ」
「お忙しいのね。それじゃあ、あんな有象無象の相手をしている暇もないですわよね」
がたがたがた。揺れが激しくなっていく。
これもまた、気付いたことというか、ただの事実なのだが。
「……そうですね」
勢いよく椅子が引かれ、倒れた音が響く。
「言いたいことがあるなら、私の前に立って言いなさい!根暗達!」
「エンジェ、落ち着いて~!」
エンゲに対して頑ななアンジェリカに対して、エンゲは失礼な態度を取ってくる者達全てに容赦が無い。そして結構、アンジェリカも煽るところがある。
結局その場は、授業開始の時間が近付いてやって来た教師の鶴の一声により収まった。状況説明はその場にいた生徒達がしたものの、罰則はエンゲだけが食らうこととなった。内容は、一週間放課後のトイレ掃除をすること。ここでは掃除は生徒達で行わないから、本当にちゃんとした罰則である。エンゲは大変不満そうな、悔しそうな顔をしていた。
その顔に貴族も、ついでに平民の一部も笑っていたが―――そういう時、普段にこやかなアンジェリカは絶対に笑わない。彼女に絡まれてる時と同じ顔をしている。
「ねぇ、これ、貴方のじゃないかしら」
「え」
放課後。普段なら帰宅時間になってすぐに寮へ戻るが、その日は教師に呼びされて遅れていた。放課後は日中よりも無造作に生徒があちこちにいるから、学園に居辛い。急ぎ足で戻った教室で、机の中の物を鞄に移す。教室に残っていた生徒はもう少なかった。
話し掛けられたのは、そんな時だ。片手にトイレ掃除ようの水を弾く手袋を付けたエンゲが私の近くに立っていたのだ。話し掛けられたことよりもまず、彼女が持っていることに驚く。手袋を付けていない方の手の中に、私が普段使用している筆記用具が握られていた。
鉛筆が数本、消しゴムが一個。鉛筆の木の色が変わっているのは水分を含んだせいだろう。
「貴方のよね?」
「あ、うん。これ……どこに?」
言いながら、仕舞ったはずの筆箱を取り出す。急いでいたから気付かなかったけれど、言われてみれば布越しに感じる量が少ない。
「二階の女子トイレの床に転がってたわ。サフィも同じのを使っているの。で、貴方が使っているのも目に付いてて―――」
「そ、うんなんだ。わざわざ拾ってくれて洗ってくれてありがとう」
奪うように受け取った鉛筆を、筆箱に入れずに鞄へ仕舞う。まだ使える物達と一緒にしたくない故の行動だったのだが、教室のどこかから囁き声がした。
「えーっ、信じられない、捨てないんだ」
「トイレでしょ?私なら絶対無理」
その声の持ち主が誰なのか、わざわざ確認する気も起きない。同じクラスなのは確かか。でも試験上位の殆どが貴族だから、同じクラスの人に一番嫌われることになるのだ。同じクラスなら筆箱の中身だって弄りやすい。当然の結果とも言える。
当然の、結果?本当に?
「今気付いた。貴方の顔、どこかで見た気がするわ」
沈んでいた思考が一瞬浮上する。エンゲがまだいたのだ。トイレ掃除は終わっていないだろうに、いいのかな。不安から彼女の顔を見ると、じっとこちらを見ていたことに気付いた。
「ど、どこかって……同じクラスだし……」
「いや、それよりももっと前よ」
もっと前、つまり入学する前ということだろうか。私にはそんな記憶は無い。エンゲのような人物に会ったら絶対覚えているはずだ。それに人の顔を覚えるのも得意な方だ。本屋に来る人の顔と買っていった本は全て把握している。だからこそ、会うのは学園に入学してからだと自信を持って言えるのだが。彼女は納得がいかないようだ。
「多分、前の時……」
「前……?」
「貴方、名前は?」
今?と思うものの、私も人に言えたことではない。入学式の後の自己紹介も当たり障りなく終わらせることに集中して他人のものは全然聞いていなかったし、入学してからも生徒がいる場所は足早に通り過ぎるようにしている。お互い様かと思い、大人しく再び名乗ることにした。
「カルルだよ」
その瞬間、正面にある瞳が大きく開いた。
最初は、きっと、驚きだったのだと思う。やっぱり知り合いだったけっと心配になる程、驚いていた。だが次の瞬間に彼女の瞳に浮かんだのは―――間違いなく、怒りだった。何でかはわからない。わからないけれど、正面から見たその色に怯えた私は、気付けば教室を駆け出していた。
寮の自室に戻り、濡れそぼった筆記用具をゴミ箱に放り込んで、そこでやっと冷静になる。わけがわからなさ過ぎる。私は何もしてない。会ったのだって、間違いなく、初めてなはず。名前を伝えて怒られる道理はない。……怒られる前に、逃げたけれど。
「疲れた……」
不条理に怒る気力も湧かず、制服を雑に脱いでベッドに転がる。予習復習をする前に休憩をしよう。勉強をしていれば何も考えずに済むけれど、今日は疲れが勝ってしまった。怒るのも怒られるのも疲れる。
あの子は、どうしてあんなに躊躇なく怒れるのだろう。周りの視線とか考えないのかな。孤立して、笑われてしんどいとか―――あ、でも、そっか。あの子には、絶対傍にいてくれる友達がいるんだ。
いいなぁ。
普段から勉強をしていたから意識していなかったが、次の日から定期試験が始まった。いつの間にか、入学してから数カ月が過ぎていたらしい。毎日を乗り越えることに必死で気付かなかった。だが試験に影響は無いだろう。入学試験の時でさえ、普段の勉強の延長戦でいたのだし。
試験が終わってすぐ、採点結果が貼り出された。しかも順位までしっかりと付けられて。平等精神の割に順位はちゃんと付けるの、どうなんだろう。教師のひとりに言ってやりたいが、言ったら言ったで「革命的意見だ!」とか騒ぎ出すに決まっている。黙っておこう。
玄関の広間に貼りだされた結果をぼんやりと眺める。順位は一位だった。予想はしていたが、結果を見たであろう者達の視線が無遠慮に全身を刺してくる。毎日勉強した結果であり、別に睨んでも自身の順位が上がるわけではないのだから、勘弁してほしい。
さっさと教室に戻ろう。踵を返そうとした私の耳に、誰かの笑い声が届いた。
「見えるわよね、サフィ。私の順位、見えてるわよね……!ふふふ!」
「わあ、すっごい嬉しそう。ばっちり見えてるよ」
一位、すごいね。
その言葉に振り返る。一位なのは私だったはず。もしかして見間違えたのかと思って見返した。一位の文字。横には……やはり、私の名前だ。しかし自身の名前だけ見て、他を見ようとしていなかった。私の名前の下。
そこには、確かに“エンゲ”という言葉がある。
「これで有象無象とは言わせないわ。天才と崇めてもいいわよ」
「崇めないけど、本当すごいよ」
「―――あ、いた!そこの根暗達、結果は見たわね!?崇めなさい!」
「試験直前まで罰則期間だったのにさ、よくやったよねぇ」
独り言のように呟いた後、サフィは走り出した彼女を追い掛けていく。彼女達が見えなくなった方向からはちょっとした悲鳴のようなものがあがっていた。また罰則喰らうんじゃないかな。
彼女も、私も同じ一位。なのに、何でだろう。彼女が手にしたものの方が、ずっと価値があるように思える。
テストが張り出された日の放課後、雨が降った。それなりの大粒が窓を打ち、ざあざあと水が流れていく音がする。
「あ、やっぱり屋根になってる」
雨のおかげで誰もいない中庭。以前気付いて気になっていた、木が茂っている場所に出る。そこは普段ちょっとした休憩スペースになっているのか、ベンチがひとつ置かれていた。大きな木のおかげで濡れている気配もない。丁度いいので腰を降ろした。
静かだ。生徒達の殆どは寮か家に帰っているのだろう。仮に学園に残っていたとしても、この雨音では話し声はここまで届いてこない。寮の自室でも同じような静寂の時間はあるが、外にいることの開放感もあってか、心穏やかになる。ずっとこの時間であればいいのに。
木々に囲まれて、自然の音だけがして、人がいなくて、ああでも勉強はしたいから、勉強の時間だけ教室に行って……あれ、そしたら学園である必要は無いのか。勉強なんて、教えてくれる人と教材があれば、学園という場所に拘る必要はないのだし。
そうなんだ。別に、学園なんて、無くても問題無い。
「明日、学園爆発したりしないかな……」
雨音に耳を澄ましているとなんだか眠たくなってきて、自分の願望が口から出たことにさえ気付いていなかった。それに発言とは反対に心は穏やかで、意識が現実と夢の境を彷徨い始めてる。入学してから、学園の敷地内で舟を漕いだことなんてあっただろうか。初めてな気がする。
「爆発はひどいな。被害が甚大過ぎる」
聞こえてきたツッコミに、ふ、と笑いを零す。確かに、我ながら過激な発言をしてしまった。でも思ってしまったものは仕方ない。いきなり学園が消えるのは無理なんだし、だったらもう、爆発しかないだろう。
「沢山の人が巻き込まれる」
別にいいのではないだろうか。
「いいのか」
いいよ。だって私、ここの人達嫌いだから。
勉強は好き。だけど、本屋の片隅で、お父さんの作ったテストを解いているだけでも十分楽しかった。今みたいに誰かに悪く言われたり、生まれだけで嫌われたりしなかった。良い点を取れば褒めてもらえる。それが私の勉強のモチベーションだった。
でも、今は何もない。勉強したらした分だけ、睨まれる。居場所がなくなる。そこにいるだけで、嫌な顔をされる。物だってトイレに投げられる。勉強しただけ、良い点を取っただけ、それなのに馬鹿みたい。そんな時間があれば勉強すればいいじゃん。だから悪い点を取るんだよ。
「もっともだな」
生徒も、先生と、学園も……もっと言うなら薄っぺらい平等を謳う王様も大嫌い。
「お、大きく出たな」
出来もしない理想を語って現実を見ていない。少数の偉い人に好かれたところで、周りにいる大人数が私を嫌いなら意味なんて無い。今は我慢の時だって、この先役に立つからって、“今”をどうにかしたいから相談してるのに。皆、馬鹿だよね。何もわかってない。
私は、私がわかってほしいのは、求めてるのは、そんなことじゃなくて。言葉じゃなくて。
―――頑張ったね、よくやったねって、頭を撫でてほしいだけなのに。
「……あぁ、勉強のモチベーションなんて、そんなもんだよなぁ」
相槌はそこで途切れた。代わるように、頭の上へ何か暖かい物が乗せられた。ぼんやりとした頭で、あ、誰かが撫でてくれるな、と悟る。父のものよりは小さいけれど、そうだ、これが欲しかったんだ。これよ、これこれ……………え、誰の手、これ。
「え!?」
「あ、すまない。さすがに触れば目も覚めるよな」
飛び起きて、勢いよくベンチから離れる。夢見心地のせいで自問自答している気でいたが、どうやら私はしっかり誰かと話していたらしい。しかも、結構な本音を。本当に、しっかりと、自分の本音だった。
「だ、だだだ、誰!?」
「あまり後ろに行かない方がいい。濡れるぞ」
慌てる私に対して、相手は冷静だ。いつからいたのだろう。少なくとも最初に来た時は、誰もいなかったはず。足音だって……いや、うとうとしていたから曖昧だ。私が座った後に来たのだろうか。だとしたら、やっぱりいつから……というか、どこから声に出てしまったいたのだろう。
「ひゃあ!」
「だから言ったのに」
考えていたら、屋根代わりになっていた木の範囲を出てしまっていたらしい。突然頭に大粒の雫が降って来て、冷たさで反射的に声が出る。いくら夏前とはいえ冷たいものは冷たいし、液体が滴っていく感触は気持ち悪い。慌てて戻れば、ベンチの横に立っている人物が喉奥でくつくつと笑った。
「忙しいな。新入生代表の生徒は大人しいと聞いていたが、そうでもないようだ。ハンカチ使うか?」
差し出されたのはあからさまに上質な物だった。その品を見て、この人は貴族だとすぐに察する。体中から血の気が引いた。
「すみませ、あ、ちが、も、申し訳ございません!」
「え、何がだ?まだハンカチ使ってないだろう」
「つ、使えません!使えません!」
「それなりに濡れてるから使った方がいいと思うが……」
少々強引に伸ばされた手に対して、やはり恐怖が勝つ。ここまででもかなりの無礼を働いてきた。その上、貴族のハンカチを借りたら。万が一この人は良くても、このことが他の貴族達に知られたとしたら。明日から、私の居場所はどうなるの。元々無いようなものだったのに、更に居辛くなったら。
「あ、そうか」
手は、突然ぴたりと止まった。
「貴族達から嫌な目に遭わされてるんだもんな。……俺も貴族にあたる。君にとっては同じものだよな」
失礼した。そう一言告げて、彼はハンカチを胸ポケットに仕舞う。そこに刻まれている線の色を見て気付いた。藍色。三年生の学年カラーだ。
先輩、だったのか。確かに全体的に落ち着いた雰囲気で、身長も高い。大人みたいだと素直な感想を抱いた。
「だが拭いた方がいい状況に変わりはないぞ。自分のハンカチは持ってるか?」
「持ってます……」
「よかった。毛先まで雫が来てるから、早く吹いた方がいい」
先程までの時間の延長線上のような、穏やかな人だ。話していて心が静かになっていく。この人も貴族なのだろうか。とてもそうには見えない。……あ、でも、アンジェリカも基本的に穏やかだった。私にも、敬語だし。貴族を一括りで悪く思うのは安直だったかもしれない。
言われた通り、鞄からハンカチを取り出す。今日も逃げるように準備して教室を出たから、中で荷物が混在していたのだろう。ハンカチを出したのと同時に、中で引っ掛かっていた物も一緒に外へ出てしまった。形的にベンチへの着地が難しかったそれは、あっという間に地面へ放り出される。
ころころと転がっていったのは鉛筆だった。何で鉛筆?と考えたところで、すぐに思い出す。いつも筆箱に入っている物と別にした筆記用具は、あの日、トイレに転がされていた物達だ。乱暴に鞄に入れたせいでまだ残っていたらしい。顔がカッと熱くなった。
「何だそれ、鉛筆か……?あ、おい!」
本当は何かばれる前に拾い上げたかったが、時すでに遅し。水たまりで動きを止めた鉛筆は泥だらけだ。だがそのままにしておくわけにも、見せびらかすわけにもいかず、拾ったそれを折角出したハンカチで包む。
「これは、その、違くて!」
「あー……。そのハンカチ、まだ使えるか?泥だらけじゃないか?」
「つ、使えます使えます!」
「使うな使うな!鉛筆入ってるし!あとそこ雨に当たるから!」
そのまま使おうとしたが止められ、ハンカチはベンチへ放り投げられる。鉛筆が入ってるせいで、トン、とハンカチらしからぬ着地音。もうなんか、全てが恥ずかしい。居たたまれない。寮に帰りたい。いつもなら逃げて帰るところだが、生憎の雨のせいで、靴と靴下を泥だらけにしながら走る気は起きなかった。
「少しは落ち着け」
「……はい、お陰様で落ち着いてきました」
「……落ち着くどころか沈んでないか?」
何だかなぁ。そう零したのは、目の前にいる人だ。やりにくそうにしている。きっと優しい人だろうに、私のせいでそんな思いをさせているのが申し訳なかった。やっぱり走って帰ろうかな。
どんどん沈み始める思考だったが、相手の次の言葉で吹っ飛んだ。
「俺は、今から、君に触ります」
「へっ?」
「聞け。いいから聞け。埒が明かないからそうするだけで、やましい気持ちとかは一切無い。こう……横から、君の髪を拭くから!前にも後ろにも逃げれるようにするから!君はその間、ゆっくり深呼吸をしてなさい」
「……ええと」
「いいな?」
咄嗟にこくこくと頷く。殆ど反射だった。基本的に優しい人なのは変わらないが、オーラがそうするのだろうか、彼には無意識に人を頷かせざるを得ないような圧があった。しかし、嫌ではない。やんわりとした圧だ。
現に、私の髪を拭く取っていたこの人は、出来るだけ触れないように心掛けているのかぽんぽんと優しく叩くように水分を拭っている。宣言通り、横から。嫌なら私がすぐ距離を取れるように。
呆気に取られていれば小さく「呼吸」と言われ、私はすうと息を吸い込んだ。
「さっきの鉛筆は、トイレに投げられたと言っていた物か?」
「……私、それも声に出てたんですか」
「まぁ、この際そこはいいだろう」
質問に答えてもらえるかと先を促され、段々正気を取り戻してきた私は頷く。この人は無闇に言いふらしたりしないだろうという確信もあった。
「……そうか。そりゃあ、爆発させたくもなるよな」
「そこから……?え、嘘でしょ……」
「まぁまぁ」
拭き切ったのだろうか。彼の手が離れる。
「教師陣にも相談して、我慢しろと言われた、か……。しんどかったな。だが、大人に相談しようとした姿勢は偉い」
「ありがとう、ございます……?」
「教師も所詮人間だから、すぐに解決策に繋がらないのが辛いな」
ああ、私、全部言ったんだなー……。もういいけどさ。諦めを象徴するように力無くベンチへ腰掛ければ、立ったままの彼が首を傾けた。
「隣、座っても?」
「あ、どうぞ」
私から鞄を挟んで彼が座る。小さくベンチが軋んだ。
「で、どうする?」
「……どうするとは……?」
「俺の考えた解決策は『家に圧を掛ける』『教師陣に圧を掛ける』『後ろ盾を強くする』くらいなんだが、どれがいい?」
「全体的に圧が……」
家とか教師陣とかが選択肢が出るってことは、この人、凄くお金持ちだったりするのだろうか。しかし率直に問いかけてみても、彼は「うーん……」と曖昧に笑って濁す。あまり家の話はしたくないようだ。
「で、どうする?どれにする?」
「あ、いや、特には。大丈夫です」
「え!いいのか?」
「はい」
「爆発させたいくらい鬱憤溜まってたのに?」
「そこピックアップしないでもらえます……?」
意外そうな顔で驚いている彼に、ふ、と笑いが零れた。この学園に入ってから初めて笑った気がする。この数時間だけで初めてのことが沢山起きていた。
「今、凄くすっきりしてます。何も気にせず言葉にして、それを拒絶もせずに聞いてくれたからだと思います。結局、愚痴を吐き出せる相手が欲しかっただけだったみたいです」
単純な話だったのだ。勝手にひとりで抱えて悶々としていただけ。よくよく考えていれば、クラスの中だけでも私を拒絶しない人間はいたのだ。嫌いな人物を避けようとばかりせず、好意的な相手と友人になれるよう頑張っていればよかったのかもしれない。
「君が、いいなら、いいのだが……」
「はい、いいです。ありがとうございました」
何故かしどろもどろになっているその人は、少し視線を彷徨わせた後、何かを決意したようにこちらを見た。ちょっと苦しそうにしながら、指を一本立てる。
「せめて、ひとつだけ手助けをしたいのだが……」
「本当にいいのに。何ですか?」
「友人を作る、手助けを……」
丁度同じクラスに知り合いがいるのだと、彼が語った。彼の知り合いということは貴族なのだが、とても出来た人なのだと言う。年下相手に素直にそう言える彼も、そんな風に言わせる相手も凄いと思った。
「いや、それよりも君が好む相手との仲を縮めた方がいいか……?誰か、『これだ!』という者はいるか?出来れば貴族だと有難いんだが……俺のコネクション的に」
そう言ってくれるのは有難いが、これまでずっと貴族を遠ざけて来た。同じクラスと言われてぱっと思い付いたのはエンゲだ。だが彼女は平民だし、この前怒らせたばかりだし、何よりサフィという友人がいる。完成された関係の中に飛び込むのは結構勇気がいるものだ。
貴族で、あまり友人がいなさそうな人物なんて―――。
「あ」
「いたかっ?」
ぱっと彼の顔が華やぐ。さっきから思ってたが、感情が全部顔に出る人のようだ。そんな彼の顔を陰らせることにならないといいのだが。不安を抱きながら、ひとりの名前を伝える。次の瞬間、彼の顔は発光してるのかと疑うくらい明るくなった。
「感覚が一緒のようで嬉しいよ。真っ先に紹介しようと思っていた人物だ」
***
「貴方の置かれている環境に気付かず、ごめんなさい。言い訳にしかなりませんが、気にしてはいたのです。ただいつも足早に帰られるので、中々話し掛ける機会が無くて……」
「あ、あー……。こちらこそごめんなさい……」
翌日の放課後。昨日と同じく中庭のベンチに私はいた。雨は昨日中にあがり、今日一日晴れだったのですっかり雨の気配は消えてしまっている。まさか絶好の待ち合せスポットである中庭に、誰かと並んで座る日が来るとは。ちょっぴり嬉しい私に対して、隣に座っているアンジェリカは眉を下げていた。
「そうした“小さい”ことをする子達って、皆狡賢いのです。私が気付いたら注意する人間だと本能的にわかっているのでしょう。だから陰でこそこそと……」
「そうですよね……。堂々と真正面から来る人もいますもんね……」
「アレの話はいいです」
やけにばっさりと切られた後、慌てて気分を害さないでくださいねとフォローが入る。この人もこの人で気遣いが凄い。昨日の彼と目の前にいる彼女が知り合いというのは凄く納得がいった。やっぱり似た性質の人は惹かれ合うのだろうか。
「貴方さえ良ければ、どうぞ私を後ろ盾として使ってください。貴方のような秀才が居場所のない教育機関など間違っています。私が貴方を守ります」
「あ、ありがとうございます……」
話したことは、今日で三回目くらいのはず。それにしては情熱的だ。ぎゅっと手が握られ、仕切りに安心するように伝えられる。アンジェリカは帰宅組なので寮までは共に出来ないが、それ以外の人物は一緒にいるように向こうから進言してきた。選択授業も大体被っているので、そうしてくれると私も助かる。
「それでは、これからよろしくお願いしますね。カルルさん」
「こちらこそ。……というか、同い年なんだし、呼び捨てでいいですよ?」
「えっ」
「何なら、敬語も外していただいて大丈夫ですし……」
でも、これが彼女のデフォルトなのだろうか。それならば無理強いは出来ないと伝えれば、彼女は首を振った。貴族社会においては距離感のある喋り方の方が生きやすいから使っているだけらしい。貴族は貴族で色々大変なようだ。
「じゃあ、まぁ、私は貴族じゃないですし。どうぞ呼びやすいように」
「え、それならカルルさん、いや……カ、カルルも……」
「え、いいの?」
それは好都合とすかさず変えれば、アンジェリカは大きな瞳をぱちぱちと瞬かせた。私にとっては同い年相手に敬語を使う方が慣れていないから、しなくていいに越したことはない。だが変わり身が早すぎただろうか。ちょっと不安になったものの、アンジェリカは顔を綻ばせた。
美人の笑顔、眩しい。放課後なのに彼女がいる方向から日が登ったりしてやいないだろうか。
「じゃあ、改めて―――よろしくね、カルル」
「こちらこそよろしく、アンジェリカ」
ふふ、と笑い、それはもう可愛らしい笑顔でアンジェリカは続けた。
「縁を結んでくれた王子に感謝しないと」
「本当にそうだね」
……あれ?
「お、お、おう、王子様だったんですか」
「そうだぞ。ネタバラシが早いなぁ、アンジェリカ」
「隠してたことすら知らなかったですし……。というかカルルも、この方入学式で壇上あがってましたよ?」
「スピーチを……終わらせることに、必死で……」
同じクラスの貴族がわからないどころの話ではない。ひとつ前の代から生徒会長に就任したのが王子なことは学園外でも知れ渡っている話だ。私も知ってはいた。でも顔は知らなかったし、関わることなんてそう無いと思っていたから、すっかり抜けてしまっていた。
アンジェリカに連れられた生徒会長室で、私はぷるぷると体を震わせる。これ、実刑判決くだるレベルなのでは。だって私、昨日、色々とやったし。アンジェリカと対等になったことで切り替わった思考が、段々と昨日の自分の言動へ戻っていく。
「わ、私王様のことも色々と言って……」
「言ってたな。薄っぺらい平等とか何とか」
「カルル、貴方中々凄いことしますね……」
「死刑!?私、死刑かな!?」
「しないしない。貴重な当事者意見として、俺の中でだけ仕舞っておくよ」
背もたれに体を預けながら、王子は軽快に笑い飛ばす。揶揄いすぎたかな、なんて言いながら。その様子はやっぱり雨の中のベンチで並んだあの人で、本当にあの人だと我に返る。敬語に戻ったアンジェリカのように、きっと貴族―――ましてや王族なら色々あるだろうに、この人は私の発言を笑い飛ばすことが出来るのか。
素直に畏敬の念を抱いていれば、口角を上げたままの王子がこちらを見る。
「それにしても、カルル、か。やはり同性相手は仲良くなるスピードが早いな。お前が呼び捨てにする相手なんて二人目じゃないか?アンジェリカ」
「……えっ、そうなの?」
「……私も交友関係は狭い方なんです。気にしないでください」
そういえば王子は王子だし、長い付き合い同士のように見えるけど、案外見えない距離があったりするのだろうか。何で私はすぐに呼び捨てしてくれたのだろう。王子の言う通り同性だからというのもあるのだろうか。
「友人少ない者同士で丁度いいな。良い縁を結べたようで、俺は嬉しい」
「そこには感謝しますけれど、自分の位を忘れないでください。呼び出された時、昨日カルルと二人で話してて……と始まった時は本当に焦ったんですから」
「え、ごめんなさい……」
「あ、ち、違いますカルル!悪いのは王子なんです。貴方は何もやっていなくて……」
「王子に向かって真っ向から悪いと言うかね、普通」
アンジェリカ曰く、今王宮ではとある話題が活発らしい。所謂後継ぎ問題である。現在の王と妃は政略結婚であるように、王子にもそれが求められている。学園は絶好の場だ。あちこちから王国の貴族が集合する。だから丁度いい相手を見繕って来いと、それはもう顔を合わせる度に言われているらしい。
確かに、そんな中で平民の私と一緒にいる所が見られたりしたら。勘違いする人がいてもおかしくない。
「もうなぁ、俺はこの嫁探しをしろと言われるのが鬱陶しすぎて……。それこそアンジェリカでいいと言ってるんだがな」
「えっ!?」
「“でいい”と言われて喜ぶ女性はいません。そもそも私の両親は恋愛結婚推奨派です。しかし私は生涯恋愛する気はありません。一生独身を貫きます」
「これなんだよ。十代にしては冷め過ぎだと思うだろう、カルルさん」
一瞬、王子とアンジェリカはそういう仲なのかと思ったが、どうやら違うらしい。嫁探しの催促が面倒な王子が、なら形だけでもどうかとアンジェリカを誘っているだけのようだ。だがアンジェリカは王宮で嘘を貫き通せるはずはないと断固拒否。正直私もそう思う。
「何で独身……?アンジェリカ、凄く綺麗なのに……」
「ありがとうございます。でも私には、自身の幸せよりももっとやりたいことがあるのです」
「やりたいこと?」
「直にわかりますよ」
「無駄だよ、カルルさん。こいつ、昔から同じことを言い続けてるんだ」
綺麗な笑顔ではぐらかされた後、アンジェリカは私の方にだけ申し訳なさそうな顔をしてみせた。きっと角度的に王子は見えなかったのだろう。わざとらしくため息をつき、あーあと声を上げる。
「俺の周りは頑なな奴ばかりでいかんな……」
そう呟いた彼が体を伸ばした直後、背後にあった扉が開いた。すかさず王子が「ノック!」と叱る。確かに、生徒会長室というかなり入りづらい場所にも関わらず、いきなり開いた。
そのやり取りにアンジェリカが眉を顰める。新しく入室してきた人物を彼女も知っているらしい。
「まったく、三年間一切扉を叩かずに過ごすつもりか?……だが、丁度いい。カルルさん、そいつが二人目だ」
「二人目……?」
「アンジェリカが呼び捨てする人物だよ」
振り返ると、思ったよりも近くに黒い影があって息が止まる。私が驚きの声を出すよりも早く、王子が「距離感!」と叱った。どういう関係なのだろう。驚きながらも声を出すタイミングを逃した私は、そっと距離を取る。
離れてみると、来訪者の大きさがよくわかった。今まで見て来た人の中で一番大きい人なのではないだろうか。見上げるのにかなり首を逸らせることになる。そうしてやっと視認出来た顔は、無言で私を見降ろしていた。
無。とことん、無。
誰だろうとか、何でここにいるんだろうとか、そんな疑問もない。あからさまに平民な私に対する嫌悪感もない。何も無い。ただただ見降ろしている。一応私の存在は認識してくれているみたいだが、私のことを知ろうとする気配が一切無い。なんて遠い目をしてる人なのだろう。まるで現実に全く興味が無いみたいだ。
アンジェリカが呆れ顔でため息を吐く。
「自己紹介くらい自分からしたらどうですか、ルーヴ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます