夢について4 好きな海と海の無い県
昔都合で郷里を離れて海の無い県に住んだことがある。
そこでの生活に慣れる日々、ある理由から帰省が出来なくなった。それが日を追うごとに俺を変えて行った。
海の無い県の生活に慣れるか慣れないかの頃、郷里を捨ててそこで人生を過ごし続けるものだと思った。そう郷里を完全に捨てるものだと。
それがそこでの生活が続くにつれ何の喜びも無くなってきた。いわゆる倦怠期と言うやつである。
これが俺を日に日に変えて行ったのだ。
それからネットが繋がり郷里の風景の写真が投稿してある画像を多く検索するようになり、プリンターを買ってからはその写真をプリントして部屋に貼り出したりもした。
その写真の風景が砂浜の広がる郷里の海岸である。
昔とあまり変わっていない風景と、そこに集う人々の少し変わった情景があった。
ここまで来ると、この倦怠期はホームシックと言うかたちで俺の精神をむしばんでいく。
そしてその風景が夢に現れはじめる。
写真で見てはいるが現場へ行くこと無くもう何十年と経っている。
現実の風景と夢の風景とでは大きなギャップがある。
海に向かって右側から砂浜に出るために、現実では車が普通に走ることの出来る舗装道路が通っているが、これが夢になるとなくなる。
夢ではこの右側から浜へ入るところに有料駐車場があってここに車を乗り入れあとは徒歩で浜へ向かうことになる。
そして実際(夢の話なんだが)に浜に降りようとすると浜全体が食品店などの巨大な店舗になってこの建物の陰になって海が見えない。
この店舗に入らないで建物の通用路を通って浜に下りるのだが、この建物のおかげで浜の面積は小さい。
この店舗のなくなるさらに右側奥へ浜は広がっているのだが、ここへ行くと砂浜に岩石が散らばる少々殺風景な佇まいになる。
浜の左側から入ろうとすると右側とはずいぶん違い、ここは町になっている。工場もあるし住宅も多い。
この町を抜けて浜に降りようとしても、ここは砂浜ではなく港湾にある船舶が停泊する人工の岸壁になっている。
これはホームシックの心に対して、そこまで行くには金額をかけて交通機関を利用して旅をしなければならないと言う障壁が夢の中の商用施設だったりするのだろうか。
夢の中で便意ある時トイレを探すが、誰カレがこのトイレに入るか使おうとすることへの妨害をすると言う象徴に似ている気がする。
大人になって夢の中でトイレうんぬんで寝小便をすることはないが、現実に行くことの難しい状況を夢の中で突き付けると言う現実主義の性格の表れの気がする。
これが常日頃個人では成し遂げることの出来ない物事の夢をその中で成功させる人の心情と言うのを表している気がする。
このような自信は時には必要になることもあるだろう。
しかし、これを現実の世界で何でもかんでも出来るものだと信じ込んで、努力もせずに実行しようとする。
長い時間自分のやりたいことを捨て切磋琢磨を繰り返して突き進んで行かなければならないと言うのが人生なのだ。
生活と人生すべてが自分を高めていくための努力を経ないで人はよほどの天才でも大成を成し遂げることは出来ない。
したことも無いくせにそれをすると俺の方が上手く出来るだとか言ったり行ったりする者が若い頃いた。
バイクに乗った事も無い者が自分で運転してコケてこのバイクを壊したりする。
プロ野球中継を毎日見て練習もせずいきなりあのようなプレイをしようとしている人もいた。
そこまでに至るプロセスを無視しては何も達成することは出来ないのだ。
そして俺はこの浜に現実に戻って来た。
電車、モノレール、飛行機、電車そして車と、これだけの旅をして何十年か振りに帰って来たのだ。
はじめは曇っていて荒涼としていたが、まさにあの浜だった。
ここにたどり着くまでの多くの労働の対価として戻ってこれたのだ。
しかし何度もこの海岸に足を運んだが、あの商用施設に邪魔される夢はなかなか消えなかった。
この自然の風景にしろそれは無料ではないのだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます