ある小説家の弟子

葱と落花生

ある小説家の弟子

 書斎の裏部屋


「音声を担当していたんですけど、同行取材した時に放送では聞き取れなかった微かな音を、壁の向こうに感じていたんです。

もちろん、ディレクターはそんなの気のせいだくらいにして、不思議な音については調べもしなかったんですけどね。 どうにも僕は気になってしまって。

 放送が終わってから解析して分かったんですけど、蚕が桑の葉を食べる時の音に酷似しているんですよ。

 ただ、速度にはかなりの違いがあって、蚕が噛む時の百倍から千倍程度だから、普通の人にはキーンっていう耳鳴りにしか聞こえないんです」

 こう語るのは、当時番組の音声スタッフとして取材に同行していたKH氏。


 といった書き出しで、当然の事に世間から批判の声すら上がらず、完全に無視された記事だった。

 週刊Bの普段が普段だから、結果として読者の期待は裏切っていない内容に仕上がっている。

 ただ一人、このスタッフに尋常ならぬ興味を示したのが、話題の中心となっていた人物。

 人気小説家ラノアヤエガキで、週刊Bが発売されたその日の夕方には編集部へ電話を入れ、是非とも情報提供者であるKH氏に会いたい。

 何とか仲立ちをしてくれと頼み込んでいる。


 数日後。

 すでに面識があるKHことヘコ・キタ・ロウは、ラノアヤエガキを特別な危険人物と思っていないから、この再会は簡単に実現した。


「君には、壁向うの微かな音が聞き取れるのかね」

「並の人間ではまったく無音の世界でしょうが、生れ付き聴力は極めて良い者でして、それで音声に抜擢されたんですけど、本当はディレクターになりたいんですよ」

「それは夢かね、それとも希望とか目標かね」

「目標です。夢はもっと遠くにあるし、希望は近くに沢山転がっていますから」

「なるほど。それならば、その何だ。失礼な言い方になるが、君はヘコキ・タロウというフザケタ名前を変えた方が良いように思うのだが、どうだろう」


 ヘコは、自分の名前についてとやかく言われるのが一番嫌いだった。

 人生の総てを否定されているような気がしてならないのだ。

「その、ヘコ・キタ・ロウのヘコキで切るのはやめてくれませんか。ヘコ・キタ・ロウですから」

「いやー、私のペンネームはカタカナだが、どこで切っても変じゃないだろう。それが、君のは本名がヘコキ・タロウなのだから笑えてしまうではないか」

「それを言うなら貴方も同じではないでしょうか。ヤエガキは本名でしょうが、自分が箱舟を作るノアのつもりで命名したのなら、定冠詞のラではノアが女性だという表現になってしまうのではないのですか?」

「その件に関しては世間でも色々と言われているがね、僕にも何かと言い難い事情があるんだよ。それより今は君のヘコキについて議論しているんだから、問題をすり替えないでくれたまえ」

「だーかーらー、ヘコで切ってその後にキタ・ロウなのだよ。ヘコキじゃないから」

「んー、理解に苦しむ名だね。ところでどうだい、君は僕の弟子になる気はないか。弟子と言いきってしまうと語弊があるね。後継者とすべきかなー」

「はい? 唐突ですね。僕は作家になりたいのではくて、ディレクターになりたいって言ったばかりですよね。貴方は人の話しを聞いていますか?」

「いや、君の意見はどうでもいいんだ。君はシュレッダーの向こうと同じ匂いがする。僕の後を継ぐべきなのは、きっと君なんだよ。だから君になる気がなくても、ここに住み込んでもらうのは既に決まっている事だ。遠慮はいらないよ。自分の家だと思って好きにしていてくれたまえ、そのうちに慣れるさ」

 そう言い終るやいなや、通路と玄関を仕切る扉がバタン・バタンと閉まる音が、二人だけの静まり返った屋敷に響き渡る。


「嫌な空気は感じていたけど、貴方は僕をこの屋敷に閉じ込めて、ゴーストライターに仕上げる気なのですね」

「ほー、この事態でも君はたいして慌てる様子がないね。予測して来たかい」

「そりゃそうさ。あの音を聞いたら誰だって、この屋敷に何者かが幽閉されていて、無理矢理書かされていると思うと思うのだけれど。そうは思わないかい」

「おや、さっきまで先生としてくれていたのに、正体見たりとでも言いたいのかな。ため口バンバンじゃないか」

 ヘコの豹変に些か困惑したのはラノアの方である。

 脅すつもりの発言が、相手を自分と同じ立場まで押し上げてしまったのだから当然であろう。


「そりゃそうさ、君は僕を随分と年下に見ているだろうがね。実際はたいして変わらない人生経験があるし、年輪も重ねて来ている者なのだよ。驚いて尻込みすべきは君の方なのだよ。だよ。だーよ。分かったかね。グフッ!」

 ヘコが薄っすらと笑みを浮かべ、わざとらしい咳払いをしてみせる。


「御前が何者で何歳だろうが、そんな事はどうでもいいんだ。どうせ一生この屋敷からは出られないんだから、ゆっくり隣の部屋で考える事だね。先行きは仲間とも相談してみるといい。僕の力に屈服して服従するしか御前に残された道はないんだよ」

 ラノアは相手が自分より大きく見えて、若干の恐怖を感じるのを抑え、勢いよく言い放つと書斎から出て強く扉を閉めた。


 ヘコが出されていた珈琲をゆっくり飲乾し、閉められた戸を開けようとするがびくともしない。

「なるほど、そういう魂胆か」

 素直に幽閉されると、気になっていたシュレッダーを撫でたり突いたりし始める。

「んー………、こいつじゃなさそうだなー」

 独り言はこの男の癖で、どこへ行っても周りに誰が居ようとも、夢中になると勝手に心の声が言葉になって出てしまう。

 書斎には他に誰もいないのが手伝って、今日は一際声が大きい。


「どこにいるんだ! いい加減に諦めて出てこいよ。ここで現れないなら、今までの利息を二倍にするぞ」

 シュレッダーの投入口に口を近づけ、大声で怒鳴り出す。 どのように観察しても独り言ではなく、事情を知った者が早くも監禁に耐えられなくなって、辺りかまわず喚き散らし始めたヘタレにしか見えない。

 すると「なんだよー、地獄の底まで追いかけて行くとは聞いていたけど、ここまで来るかなー」

 シュレッダーの向こうから声がする。

「どうやったらそっちに行けるんだ。教えなけりゃこいつをぶち壊すぞ」

「簡単だー。機械の脇にある戸を開ければいいだけだー。聞く前にやれよー」

「さっきから押しても引いても開かないんだよ」

 ヘコが怒ってその戸を蹴飛ばす。

「相変わらず乱暴だなー。開き戸じゃないよ、引き戸だよ。ドアノブを持って左にスライドすればいいだけだよー」


 建具屋が間違って取り付けたような戸を開けると、入って直ぐ。

「まったくー。取り立てやらせたら、あの世この世で一番だなー」

 ヘコの目線よりずっと下から声がする。


「とうとう捕まえた。ちっこいから探すのに苦労したのだよ。だーよ。さあ、貸した金を返してもらおうではないか」

 これ以上ないといった笑顔で見下ろす足元には、透き通った胴体をして、体半分をヒョイと起こした芋虫がヘコを見上げている。

 人の血を吸って、赤い繭玉を作る妖怪オカイコである。


「金ならないよー。あったら夜逃げなんかしていなーい」 

 借金を踏み倒しておきながら、堂々としたものである。 

「ゴーストライターでいくらかは稼いでいるのだろう。利息だけでもいいから払いたまえ。悪いようにはしないから」


「あっあああっ! ラノアヤエガキが、真面に給金を支払う人間に見えるか。あいつは悪魔より性質が悪いんだよ」

 薄暗い部屋の奥から別の声がする。

「やはり、君もここに来ていたかい。出来上がった原稿に使われている紙がやけに上等だったから、もしやと思っていたんだ。君には行方不明になった時から未払いのままになっている飯代のつけと、その利息を払ってもらわないといけないのだよ。だーよ」

「利息つけるのかよ」

「当然だろう。お金は日々利益を産む物なのに、そのお金を払っていないのだから、僕には利益分も請求する権利があるのだよ。分かってくれるかな」

「分かりたくないよ………」

 そう言うと、シュレッダーから出る紙屑から原稿用紙を作っている妖怪カミスキが、解けた紙の入った水槽の水面をチャプゝさせて悲しい顔をする。


「何かの事情があって消えたのだろうから、話によってはまけられない事もない。詳しく聞きたいところだけど、それより先に、さっきから僕の股間に視線を向けてニンマリしている二人の女性は何者なのか紹介してくれるかい。気になっていけない」

 自分の股間にへばり付いた物が、無責任にでかいのを棚に上げ、女達に見られるのが迷惑だといった風にしている。

 訝し気な顔をするヘコだが、内心はまんざらでもない。

 何とか話すきっかけを作ろうとしている助兵衛心が、いたる所から滲み出ている。


 そんな心中を見透かしたオカイコが、これまた上手い事、女達との仲を取り持ち借金をチャラにしてもらおうとする。 下心丸出しで語り出す。

「糸撒き器の前に座っているのが、俺の繭玉から糸を紡いでくれるイトマキでー、機織りの横に座っているのがカミスキがすいた原稿用紙にイトマキが紡いだ糸で小説を刺繍する役のハタオリだよー。なんだったら御前の嫁になるように説得してやってもいいぞー」


 期待していた模範解答に少しばかり気分を良くしたのか、ヘコが肩に掛けている頭陀袋から洋酒を一本出す。

「なるほど、とりあえず君達が誰で、この部屋で何をやっているかは分かった。それでだ、僕に金を返したくないばかりに夜逃げしたオカイコは別として、まずはお近付きの一杯をやりながら、どうしてここにいるのかとか、これからどうしたいのかとかについて語り合いたいのだよ。よろしいかな」

「いいけど、その酒に毒なんか入れてないだろうな」

 別としてと言われたオカイコが不機嫌に聞く。

「大丈夫だと思うよ。書斎に入る前に応接間に通されてね、そこにあった一番高そうなやつだから………」





 騙した奴が悪いのか、騙される奴が悪いのか


 なんやかんやとやりながらも、まんざら知らない仲ではない。

 飲んで和めば込み入った話しも、すんなり口から出てくる。

「ところでオカイコ、君は僕から借りた五千円を何に使ったのだい。飲み食いしか金の使い道を知らなかった三年前の君にとっての五千円だ、かなり不真面目な使い方をしたんだろうね」


 ヘコにとってはたいした金額ではないものの、人間と違って金に縁のない生活をしていたオカイコが、ある日突然、闇金屋に金を貸してくれと来ていた。

 使い道は聞かないで貸すのがヘコの闇金ルールで、何も聞けずに貸し出してやったものの、当時からこの疑問が頭の片隅にあった。

 今を逃しては他に聞ける機会がない。


「うるせえなー、何に使おうと俺の勝手だろー。飯代わりにラノアの血が入ったインクを食ってるから、衣食住には困ってないんだ。時々エージェントから貰う小遣いがあるから、金は返してやるよー。心配するなよー」

 オカイコはヘコのやっている闇金の恐ろしさも、人間界の闇ルールも知らないで、金利は真面な金融機関に預けている時と同じに、ないのも同然だと思い込んでいる。


「ほー、エージェントが付いているのかい、随分と強気だけど、返せるのかな? 元利含めて五千万円に膨れ上がっているのだよ。だよ。だーよ。両耳揃えて出してみたまえ。さあ、出してみたまえ」

「うっわー。そんなに利息が付くのかよ。俺も金貸しやろうかな………五千万円もあるわけねえだろ!」

 今更に驚いて見せたところで、勘弁してもらえる借金ではない。

 かといって、素直に支払うにはなおの事、理不尽この上ない金額となっている。


「どうだ、もう一度俺に五千円貸さないか、そうしたら一晩で返してやる」

 オカイコにはそれなりの考えがあっての提案だろうが、社会通念からすれば、追い銭をもらえる立場にないのは明らかである。

「地獄の一歩手前まで来てるってのに、物事の基本を理解できない芋虫だなー。君にはだね、もはや一銭も借りられる信用がないのだよ。何で稼ぐ気かは分からないがね、大威張りで返すとほざいたその金を使えばいいだろう」


「オカイコの持ち金はせいぜい二千円がいいところよ」

 側で聞いていたイトマキが、簡単にオカイコの虚偽を暴露する。

「そうそう、お小遣い貰っても全部久蔵に博打で吸い上げられちゃうんだもの、おまぬけよねー」

 ハタオリが、真新しい機織り機を薄布で拭きながら付け加える。


「もしかして君、僕から借りた五千円を、久蔵との人生ゲーム博打で使っちゃったのかな?」

 手に持ったコップに酒を注ぎながら質問しているが、呆れ返っているから、溢れてもまだ注ぎ続けるヘコ。

 零れる酒を、コップの下で大口を開けて飲みながら、カミスキがヘコの持つ酒瓶を縦にする。


「わたくしは、あのように低俗なお遊びはいたしませんのですけど、ここにいる他の皆様は、あのゲームにズッポリはまってますのよ。笑ってやってくださいましな」

 ハタオリが優越感に満ちた話しぶり。

 人生ゲーム博打にのめり込んだばかりに、飼い殺しにされている同室者の現状をチクチクする。


「あーら、そう言うあなただって、近代産業が進む方向に逆らった機械の月賦の為に、ここから出られないでいるじゃないの。そんな物、世界にも貴方にも無用じゃないかしらあー」

 酔いが回ったイトマキが食って掛かる。


「まあまあ、博打で負けて身動き取れないのは自業自得と言えるがね、似たり寄ったりだねー。その機織り機にいくら払ったんだね。どうせ久蔵が仕入れてきた物だろう。あいつに関わってしまったら骨の髄まで吸い尽くされて、灰になったら肥料にして売られる運命が君達を待っているんだ。今のうちは皆で仲良く暮らしなさいな」

 ヘコは、これから惨めに朽ち果てていくだろう予想をしておきながら、他人事とばかりに笑い顔でアドバイスをする。


「久蔵はこの仕事も紹介してくれたし、時々自分の店で作った御馳走を差し入れたりしてもくれる。そんなに悪い奴には思えないんだがねー」

 カミスキの疑問に間髪入れずヘコが答える。

「奴は人生ゲームのルーレットを、好きな数字で止められる能力を持っているのだよ。途中で人生の岐路も勝手に書き換えられるし、時間を止めて駒を動かす事だってできるのだよ。差し入れだって、店の残飯を業者に頼んで捨てると金がかかるから、恩着せがましくここに持ってきて処分しているだけなのだけどなー。いい加減なところで気づいてほしいのだーよー」


「ホッホッホー。やはり、そんなところだと思っていましたわ。わたくしは初めから胡散臭い男と言ってましたのよ」

「それなのに、なんで君までここにいるのだい」

 ハタオリの発言にヘコが問う。

「それはもう、皆様を少しでもお助けしてあげようと思っていましてよ」


「何言ってんだよ。元はといえば、二束三文の機織機に三百万のローン組んじまった御前さんを助けてやろうってんで、みんなで金を持ち寄って久蔵と博を打ったのが始まりじゃねえか。忘れたとは言わせねえよ」

 ふらつきながら、ハタオリに掴みかかろうとするカミスキを、止めに入るのはヘコである。

「なあるほどね。結局は、みんな久蔵の毒牙にかかった被害者ってところかな。なんとか事情は分かったよ。僕が助けてあげよう」


 闇金業界では、人間ばかりか妖怪にも一目置かれた男の意外な発言に、それまでまとまりなく飲んだくれていたのが一斉にヘコの前で正座する。

「よろしくお願いいたします」

 揃って床におでこを押し付けた後、体を起こすとパンパンと二拍し、両の手を合わせてスリスリ拝み始める。

「そんなに感謝感激してくれなくてもいよ。僕も君達に、ちょっとお願いしたい事があってね。久蔵の呪縛から君達を開放したらでいいのだけど、ゴーストライターが小説を書くのを手伝ってやってほしいのだよ」


「なんだよ、今度はゴーストライターのゴーストをやれってか、なんなんだいその話は」

 オカイコが、いくつも合わせていた芋虫の手を一つ二つと離していく。

「なんだったら君の借金も、利息込みでチャラにしてやってもいいのだよ。だよ。だーよー」

 オカイコが手と言わず足と言わず、全部いっぺんに合わせて「おありがとうございまーす」とやるものだから、背中が丸まって、立っていられずコロコロ部屋中転げまわる。

 それでも「おありがとうございまーす」と続けるので、他の連中からボールのように、あっちへこっちへ蹴り転がされる。


「ずるいわー。オカイコだけ借金チャラってー。助けてあげるって言うんだったら、私達のも清算してくれるのよね」

 しっかり借りた金の成り行きを、元金が一番大きなハタオリが気にして問いただす。

「あー、それね。久蔵に借りたのを僕が帳消しにはできないけど、肩代わりするって形でどうだい」


「それじゃあ、金利ゼロの久蔵の借金を、金利無限大のあんたの闇金に乗り換えるだけじゃないのー。嫌よ。もっとましな条件出せないの?」

 この中で一番しっかりしていて、一番はっきり物言うイトマキが詰め寄る。


「どうだい、麻雀でもやらないか。麻雀で君達の借り分を僕が負けてあげるよ。それなら貸し借りなしだろう。博打好きが集まっているんだ、麻雀くらいはできるのだろ。四人いるにはいるが、ハタオリはやらないみたいだから、今まで三人でやっていたのだろう、それ」

 ヘコが、部屋の真ん中にデンと設えられた麻雀卓を見る。


「あーら。わたくし、人生ゲーム博打といった、程度の低い物はやりませんが、麻雀はやります事よ。やらないのはオカイコですわ」

 ハタオリが、ヘコの誤解を正す。

 これに憤慨したのがオカイコである。

「俺が麻雀をやらないじゃねえだろう。お前らがやらせてくれないだけじゃねえかよー」


 起き上がったオカイコを、酔った勢いで軽く踏みつぶし、グニュっとやってからカミスキが言う。

「こいつは普段ちっこいが、人の血を食うとでかくなるだろ。それがグロくて好きになれねえんだ。だから繭玉作る時以外は、血混じりインクを食えなくしているもんだから牌が持てねえんだよ」

「言われてみれば、でっかい芋虫が麻雀をやっている姿はあまりぞっとしないね」


「見た目よりも悪いのが、こいつの手癖なのよー。いっぱいあるからイカサマやるのに都合がいいのよね。何度言ってもズルするから、仲間に入れてやらないの」

 イトマキが極細の糸を繰り出し、潰れたオカイコをぐるぐる巻きにして天井から吊るす。

 それをめがけてハタオリが、刺繍針をダーツの要領で飛ばす。

 オカイコは縛られた体を器用にくねらせ、飛んでくる針をよける。

 そこへ、ヘコが麻雀牌を投げつけると、見事に頭へ命中した。


「君達、いつもこんな遊びをやっているのかね」

「毎日じゃなくてよ。作家の先生が原稿をシュレッダーにかけると、オカイコは血混じりインクを食べるでしょ。珍クシャ芋虫が、真っ黒な怪獣の幼虫みたいになるから手出しできないの」 

 ハタオリが残念といった表情になる。


「でもね、繭玉になった後は、飛び切りの熱湯風呂で煮詰めてあげるのがー、楽しみの一つになってるのよー。キャハハハー」

 イトマキが、部屋の隅にある五右衛門風呂を指して笑いだす。


「そうだった、気になる事があるんだ。一つだけ聞いてもいいかな。オカイコはインクに混じった人の血が食えるから生きていけるだろうけど、一般的な妖怪の君達は、人の魂が変化した悪霊を食べなければ死んでしまうだろう。ここにいて、どうやって手に入れているのだい」

「久蔵が持ってきてくれるよ」

 ぶら下がったオカイコが、頭から黒い血を垂らしながら答える。


「死神がここ数年、捕まえた悪霊の数が合わないって悩んでたけど、そうだったのか。彼の病気が原因で勘定が違っているのではないと、主治医に伝えてあげるとしようかね。まったく、根が泥棒だからやるなとは言わないけど、よりによって仲間から大切な物を盗んでいるとはねー。本当に性根の腐った奴は、何処の世界に行ってもいるのだね。そうなのだよ。うん」

 納得して自問自答を始めたヘコを、麻雀卓へ他の三人が押していく。


 当然だが、オカイコは失血死寸前の状態で吊り下げられたままである。





 人生はゲームかゲームのような人生か


 飲んで酔ったあげくの麻雀である。

 誰もかれも支離滅裂が唯一のルールになっているから、負けると言ったヘコがダントツをキープし続けてゲームが折り返す。


「このままでは僕が勝ってしまうね」

 ヘコが余裕を見せると、カミスキきが食ってかかる。

「そうだな。てめえ、始める時には負けてやるとか言っておいて、結局俺達を食い物にする気が全身から漲ってるみてえだな!」


 猛抗議にも動じる事なく、冷静なへこ。

「いつもと違って、レートが幼稚園児以下なのでつい油断してしまったのだよ。君達の全財産って、合わせても七千円に満たないのだね」

 ハタオリが強く反論する。

「何をおっしゃいますの、私の機織り機は三百万円もしますのよ。他の方と一緒にしないでくださいましな」

 貧しい飼い殺し生活の根源となって久しいのに、機織り機に対する愛着だけは衰えていない。

 

「その機織り機はいい加減に売却して、皆でここから出て行くって気にはならないかい」

 ダメ元で言い返すヘコに、ぶら下がったままのオカイコが耳打ちする。

「いつか久蔵に下取り査定してもらったらよ『まだ売り時じゃないから、粗大ごみの処分費として三千円払えば捨ててやる』ってよー。零じゃねえぞー、三千円払えってよー。おまけにローンは残ったままーときた。笑えるだろー」


「はっきり言っちゃえば、つまらない詐欺商法に引っ掛かっちゃったってところかしらね」

 すでにここの生活に慣れてしまっていたイトマキ。

 今日になって、ヘコが助け出してやると言い出したので話しに乗っては見た物の、結果としていいカモにされている自分にがっかりした風。

 力なく、ため息交じりに白を棄てる。


「終盤に入ってそれ捨てちゃ駄目だよー。また僕の上がりじゃないか、棄て牌見れば分かるだろううにー、国士無双だよ。君達弱すぎるよ。これじゃいつになっても僕は負けないよ」

 いささかヘコは勝ち疲れ気味である。


「まあいいじゃねえか御遊びって事にして、ゴーストライターのゴーストって仕事はきっちりさせてもらうからよ。ここから出してくれよー」

 この空間で一番迫害されているのが確かなオカイコがヘコにせっつくと、他の者も一様にそうだそうだと言ってうなづく。


「ここより条件が良ければ、私はどこへでも行くわ」

 負けが込んでいた所にもってきて、役満を振り込んだばかりで消沈気味のイトマキが、少しでも生活環境をいい方に向けたくて必至の形相でいるにも関わらず、気取られたくないものだから落ち着いた口ぶりである。


「どうやったってここより悪い条件になんかしようがないのだけど、一応どんな生活ぶりかは聞いておいた方がいいのかな」

「そうだな、一応言ってやるが、土日祝祭日休みの、有給が年間五十二日有ってだな、月給は百万で」

「オカイコの話しは聞く気がないから、誰か黙らせてくれたまえ」

 ヘコの訴えに、すんなりカミスキが従い、オカイコをぶら下げた糸を持って巨釜の上に縛り直す。

 釜には水が張られていて、身体をくねらせる芋虫は、底に頭がくっ付く所まで沈められた。


「涼しくなってきたわね、ついでに火を点けましょ」

 イトマキが素早く動く。

 釜の底からプクプク二三個の気泡が上がってくると、オカイコは静かに成り、代わりにカミスキが続きを語り出す。


「休みは適当だがな、合計すれば年間のうち半分働いてあとの半分は遊んでるな。哲学者と同じだよ。金は御覧の通り、貰ってねえのと変わらねえ。飯は申し分なしって言っておくぞ。時々の差し入れは美味いし、イトマキには糸の長さと同じ、俺にはすいた紙と同じだけの悪霊が報酬として支払われるって仕組みになってるんだ。ハタオリは毎月のローンを免除されて、その上に原稿の数だけ悪霊がもらえる。ここに俺達を引き込んだ元凶だってのに、一番待遇はいいかな」


「引き込んだから、一番の好条件なんじゃないのかな」

 ヘコがハタオリと二人だけで話したいと言い出し、妖怪部屋から隣の書斎へと出て行く。


「二人で話すって、なんだかな」

 カミスキが、釜からオカイコを引上げて聞く。

「分かる訳ねえだろ」

 そう言い放つと、糸を持っていた者の心証を害したとみえて、再び沈められた。

「どうせ、助けてやるから一発抜いてくれ的な話しでしょ。あいつのスケベは、股間で脈打ってる一物で分かるでしょ」

 自分よりハタオリを選んだと思ったイトマキは、いささか気分が悪い様子である。


 書斎では背を向けたハタオリに、ヘコが優しい口調で訊ねている。

「君は、あの機織り機の本当の価格を知っているかい?」

 しかしながら、右の手で自分の股間をさすりながら、左の手でハタオリに気取られぬよう、着物の裾を捲って覗き込む動きは余計である。


「本当も嘘もありませんわ、三百万で買いましたの」

「いや、君が買ったのは久蔵からだから、べら棒な値になっているけど、実際に他で買ったらどれくらいか知っているのかという意味で聞いたのだよ」

「安いバッタ物ですと、二三万で買えるとか聞きましたわ。でも、あれは由緒正しき名工が、長い年月をかけて丹念に仕上げた逸品だから、近い将来は数千万の値打ちが出る物だと伺いましたわ。そうしたらあれを売って、御家を建てますの。今一緒している皆様の御部屋も作りますのよ。そうしたら、こんな苦労も笑い話になるに決まっていますわ」

 高価な物だと信じて買った代物を、その辺のまがい物と同じではないかと疑われている気がしたハタオリが、恐ろしい剣幕で振り返ると、足元で上を見上げていたヘコの頭を、勢いよく蹴り上げる結果となった。


「んーー、その名工だけどね、久蔵自身の事だよ。奴は贋作工としても一流の腕前でね、ばれなければ高く売れるけれども、良心が有る者にとって、あの機織り機はまったく価値がないのだよ、だーよ」

 瞬時に膨れ上がった頭のコブを押さえ乍ら、ハタオリには惨酷な事実を突きつける。

 膨れ上がった何を抑えているのではない。


「おい、久蔵! どうせこの家だって君が作ったのだろう。どこかで見ているのだろう。今日の所は大人しくしていてやるから、明日の昼にピザとフライドチキンとハンバーガーを持って来い。さもないと、この家そっくり木っ端にして焚き火で焼き芋やっちゃうぞー。あー、チョコレートシェイクも忘れるなよ」

 旧知の仲とあって怒っているふりはしているが、傍から見て怒りを感じない出前の注文になっている。


「明日は私の誕生日ですの、できればケーキが欲しいのですけれども。八号ホールを二つ」

 ハタオリが追加注文をする。

「持って来させるのは簡単だが、それは少し多過ぎないかい。僕と久蔵を入れても、五人と芋虫一匹なのだよ。だーよ」

 ヘコは久蔵を交えての会食を目論んでいた。


「イトマキも同じ誕生日ですの」

「いや、それは奇遇だね。だけども、多いって言っているのが分からないかな」

「双子ですから、当然ですわ」

「その事じゃなくて………まあいいか。聞いたかい。八号のホールケーキを二つ追加なのだよ。ついでに飲み物と甘党の仲間も呼んでくれるかね」

 怒鳴ってみるものの、返事はない。

 暫く静寂が続くと、今までなかった暖炉が書斎に突如現れ、ボッと音をたて炎が燃え上がる。


「さて、これで準備はできたね。誕生日なの、双子? 似てないよね」

「ええ、父親が違いますの」

「それでかね。あまり姉妹仲が良い様にはみえないのだよ。ところで、君達の繁殖は猫と同じかね」

「酷い言い方ですけど、私どもの事を化け猫などと称する方もいらっしゃいますわ」

「ああ、どうりで」


 機織り機の価格問題は解決したのかどうなったのか、話しがアヤフヤなまま、明日の誕生日は久蔵が御馳走と友達を呼んで盛大にやってくれると部屋の連中に伝わる。

 八割がた脅しに屈して嫌々承諾した誕生日会。

 本来感謝されるべきは脅迫犯のヘコなのだが、いかんせん普段の世話見をして信頼関係を築き上げているから、久蔵が増々良い人に成りあがって行く。


「やっぱり久蔵は良い奴じゃねえかよー。それに引き換えオメエはなんだよー、俺達からなけなしの金を如何様博打で巻き上げるんだから、ロクデナシだーよーなー」

 茹で釜から引上げられて幾分肌が煮えているオカイコが、皮肉たっぷりの表情で話すが、芋虫の顔は表情が乏しいのでたいして説得力がない。


「如何様はないのだよ。君達が弱すぎただけだ! 今のうちにほざいていればいいさ。明日には久蔵の本性をしっかり分からせてあげるよ。どうせ彼の事だから、出費の元を取り戻そうとして、僕に人生ゲーム博打を持ちかけてくるに違いないんだ。君達はその目でしっかり、奴の如何様を見るんだね。ちょっと熱くなれば、周りの事が見えなくなる性格だから、簡単に手の内を見せてくれるよ」

 二人が化け猫の類と知り、両の手で喉をスリスリしながら話すヘコの顔が、精気でてかっている。

 ゴロゴロと懐かれて、何がでっかくなっているのではない。



 



 勝負あり


 翌日、朝から連絡を受けて妖怪仲間が訪ねて来る。

 玄関ばかりか屋敷への出入り口は、ラノアヤエガキによって完全に封鎖されているものの、そこは作ったのが久蔵とあって入口を増やすのは造作ない。

 ラノアの知らぬ間に、屋敷は妖怪で溢れかえる事となった。

 やれ何十年ぶりだ、それ何百年ぶりだのとやっている。


 昼近くになると、久蔵が大荷物を抱えてやってきた。

「よう、相変わらずだな。いい加減に俺の商売を邪魔する趣味っての飽きてくれねえかな。やり辛くていけねえよ」

 ヘコが予想したとうり、大きな特製人生ゲームもある。

「君こそ、仲間を騙したり仲間の物を盗んだりするのはやめたまえ」

「まーた、正義漢ぶっちゃって。そう言うところが嫌いなんだよなー。オマエだって随分と図々しい生き方してるだろ。俺の事をとやかく言える立場じゃねえのは、周知の事実ってやつだぜ」

 悪態をつきながらも、久蔵はそそくさ人生ゲームの準備を始める。


 互いに手の内を知り尽くした上での一騎打ちである。

 このゲームに級段があるならば、名人戦といったところ。

 両者一歩も譲らず、延々と続けられる様相が濃くなってくると、ギャラリーは一人抜け二人抜け。

 終いには、自分達の将来がかかっている勝負だというのに、オカイコもカミスキも酒に走って酔いつぶれてしまった。

 イトマキにいたっては、滅多に食せないケーキを独り占めして、ひたすら食い続けている。

 最後まで観戦しようと陣取っているのは、ハタオリだけとなる。

 しかしこれも、飲んで食ってを繰り返しているもので、いくら頑張っても眠くてウツラゝ心もとない。


「おい、ところで今回は何を懸けて始めたんだっけかな?」

 周囲の無関心に自分の記憶が不安になった久蔵が、力なくルーレットを回しヘコに聞く。

「僕が勝ったら、この部屋で飼い殺しにされている連中を、自由にしてやるという条件で始めたゲームだと記憶しているが、僕としても、いささか自分の思考に何等かの問題が発生しているのではないかと、危惧していたところなのだよ」 

 他人の人生を賭けての縛にしては緊張感がないので、いささかやる気を逸し始めている。

 ヘコはろくにルーレットの目を見ていない。


「だよな、それはそれでいいとしてよ。お前が負けたら俺に何をくれるのか、まだ決めてなかった気がしてならないんだが、決まっていたなら、もう一度言ってくれねえかい」

 質問をしながら、止まったルーレットの玉を自分に都合の良い所に置き換える久蔵。


「始める前にきっちり言ったよね。僕が負けたら、この部屋に軟禁されている中途半端な文才を持った連中と、百年も前から文壇のトップに君臨したままで、後継にその地位を譲る気の全くない文豪達の幽霊を、入れ替えてあげると」

 実際にはそんな約束などしていないのに、はっきり書留にして署名捺印までしているのだと、偽の書面を顔面にちらつかせ、置き換えられた玉を元に戻すヘコ。


「そうだったかい。それならそれでいいがよ、勝っても負けても、俺の所には物書きが居るって賭けになってねえか? オメエはそれでいいのかよ」

 駒を進めようとする久蔵。

 ルーレットの目を見てギョッとするが、ヘコがしっかり見ているので数のまましか行けない。

 不服顔が極めて分かり易く表出している。


「そうなのだよ、僕もこの内容を確認してからしまったと思ったのだけど、約束は約束だから守らないわけにはいかないだろう。それとも、もう少し良い条件に書き換えてくれるとでも言うのかい」

「そんな訳ねえだろ。今更この勝負なかった事にはできねえなー」

 書いてもいない証文を無警戒に信じ、好条件と思い込んだ久蔵。

 どちらに転んでも、この部屋で都合良く使っている物書き連中を、ヘコに引き抜かれていく事に気づいていない。


 ぼんやりしていても、この約定の意味成すところを素早く理解したのは、さきほどから卓前で舟をこいでいたハタオリである。

「やったね」

 ヘコに耳打ちすると、小さなガッツポーズをしてから他の連中に、自由が確定したと報告する。


「急に外野が騒がしくなったけど、何かあったのかい」

「さあ、美味い酒の差し入れでもあったのではないのかい」

「おい! 美味い酒ならこっちにも回せよー」

 この期に及んでも、久蔵が事態の真実を知る気配はない。


「ところでよ、なんでまたここの連中を欲しがるんだよ。こいつらの妖力で小説が売れていると思ってるなら、勘違いも甚だしいってやつだぜ。ラノアは適当に字を書いてシュレッダーに入れているだけに見えるけどよ、頭の中にある小説を、自分の血に載せてから原稿用紙に字を書いてるのさ。それを、あいつらが人様に読める原稿に仕上げているだけだぜ。売れる売れないは、殆ど売り方で決まっちまうもんだ。そんくらいの事、おめえならとっくに承知しているだろ」

 久蔵は、ヘコがズルをしないか注意深くゲーム版を観察しているから、顔は下を向いたままである。


 ここへ、上機嫌のハタオリが毒入りの酒を持ってくると、クンクンと匂いを嗅いで一気に飲み干す久蔵。

「青酸カリ入れたよな。これに、致死量の百倍は入れたよな。嫌いじゃねえからいいけどよ。ヘコが飲んだら腹壊してぶっ倒れるぞ」

 しっかり人間離れした能力で、生きたままハタオリを睨み付けるが、口元は笑っている。


「君は、消費者の購買意欲を高めるのは小説の内容ではなくて、売り手の宣伝能力次第だと言いたいのだよね。それなら僕だって十分に理解しているよ」

 このすきを狙ったかのように、素早く自分の駒を三つ進め、大列車強盗に成功して大金を手に入れるの所で止めると、何事もなかった風にして返答をするヘコ。


「だったらなおさらだー。お前さんがあいつらを連れて行ったって、何の得もねえよ。真面目な話がよ、どうする気だい」

 青酸カリ酒のおかわりをもらうと、動かした駒を指さしながらヘコに勧める久蔵。


「君だから話してもいいだろう。実はね、僕が世話になっている温泉宿に、若女将の姪が引っ越してきてね。この娘と宿にとりついている夏目という幽霊が、共同で本を出そうって事になったのだよ」

 ヘコは勧められた酒を近くの植木にかけて捨てると、美味いといった顔でグラスを卓に置く。


「ふーん、夏目って、あの夏目かい」

「そう、猫の夏目」


 二人ともにいい加減疲れたとっいった顔で見合っていると「なんだよー、あいつの手伝いをさせようってのかい。そんなの自分で書かせりゃいいだろう。元々作家だろ」

 これからどこで何をやるのかについて興味があるから、他の連中も話しを聞きにと卓を囲んでいた中で、カミスキが嫌々とした表情で発言する。


「そうなんだけどね、色々と能力があるくせして筆を持って書くと、まったく理解できない文字ばかりを並べて喜んでいるのだよ。だーよー」

 ヘコの軽い話しぶりに「今時ー、実筆で書いてる作家なんてそうそういないぜー。パソコンでも教えてやればいいじゃねえかよー」とオカイコが言い返す。

 他の連中もこの意見には同感といった仕草をすると、ヘコもすっかりあきらめたという顔で実情を話し出す。


「いやね、宿の居候猫が提案してね、夏目が自分で書いて、若女将の姪が出版するっていう段取りだったのが、実際に筆を持たせたら、生前の悪筆に磨きがかかっていてね。全く読めない字しか書き出さないから、僕がキーボードでの執筆方法を教えているのだけれども、なにせ明治時代の機械しか知らない上に、幽霊になってからかなりの年月が経過しているから覚えが悪くて、全然使いこなしてくれないのだよ」

 説明している間にもズルをしようとするから、その手を久蔵がハタオリの刺繍針で突き刺す。


「ちょいと待ってくださいましな。確かに私達が集まれば、作者が適当に書いた文字から小説を作り出す事はできますけれどもですよー。夏目さんて、幽霊ですわよねー。始めでつまづいてますわよー、その計画ー」

 ケーキを肴にアブサンを飲んでいたイトマキが、完全に出来上がって虚ろな目になっている。

 焦点が合わないまま周囲を見回すと、パッタリ倒れて意識不明になった。


 あとにカミスキが続ける。

「そのとうりだ。作者の意図するところが分かれば、一冊作り上げるのは簡単なんだがよ。それは作者の血が混じったインクで書かれた文字を、オカイコが食っているからああなるだけで、血のねえ幽霊が相手じゃどうにもならねえよ」

「そこで相談なのだよ。若女将の姪が血液を提供して、そのインクで夏目がヘロヘロの字を書き出したら、完成する小説は二人の合作にならないかい」

 心持、ヘコの目が生き生きしている。


「やってみなけりゃ分からねえけどよー。まあ、なんとなく、そのなんだー、ごっちゃに混じった感じの小説になるとは思うよー」

 オカイコが盤の上に乗り、久蔵の駒を地獄の釜焚きで半年間の強制労働まで戻す。


 この会話を聞いてようやく、この博が著しく自分に不利な不均衡条件で成り立っていると久蔵は気づいた。

「おい! お前等の会話な。なんとなく俺も付いて行けちゃったんだけど。ふざけんじゃねえよ。どっち転んでもてめえら皆、ここから出て行く算段じゃねえか。おまけに、随分と売れた作家の台本で、新人女流作家を仕立てあげるとなったら、ぼろい儲け話に聞えるんだがよ。お前等がいなくなったら、ラノアはそこ等辺の木偶の棒とたいして変わらねえよ。俺っちの食い扶持どうしてくれんだよ。大幅な収入減ってやつだろー」


「今頃言ったって遅いよ。勝てば君の所には、明治の文豪達がこぞって執筆の為に集まってくれるのだから、それで良しとするべきではないのかい」

 こう言いながらも、心底湧き出る笑いを堪えきれず、ヘコの口調は終始笑い混じり。

 語り終るか終わらないうちに、腹を抱えて転げまわり出すと、久蔵は穏やかでいられない。


「てめえら、初手から俺をはめる気で呼びやがったな。こんなインチキに付き合ってられるかよ。止めた。止めだー」

 そう言い放つと、久蔵は目の前のゲーム版を蹴り飛ばしてふてくされる。

「なんだー、大人気ないね。この勝負、僕の勝ちとしてしまっていいのかな。そうしたら困るのは君の方ではないかい。もっと困るのはラノアヤエガキだろうけどね」

 ヘコがこう言って久蔵の顔を覗き込むと、自棄酒に走ろうと構えていた久蔵がいきり立ち大声になる。

「ここまでやらかしておいて、勝負の勝ち負けもねえだろう。明治の遺物だか幽霊だかで我慢してやるから、ここに連れてこいよー。そのうち何かに使えるだろう。へん! 随分としくじったもんだ、損したもんだ」


「まあそう怒らないでくれたまえ。事務所の力だけで売れっ子作家になっている今のラノアにとっても、将来いい結果をもたらしてくれると思うよ。作家としては世間に認知されているんだ、あとは実力のある文豪に取り囲まれた生活をしていれば、自然と力もついてくるものだよ。そうなのだーよ」

 ヘコが極めて希望的予測をぶち上げる。


「なーにをー、幼稚園児でもはばかる理想論ぶっこいてんじゃねえよ。ラノアにそんだけりの技量があったら、とっくに自力で小説の一本二本書き上げてるよ。やる気のねえグズだから、俺が仕込んで今日の稼ぎができるまでにしたんだ。その苦労も知らねえで、いい気なもんだぜ」

 久蔵が自棄酒のかけつけ三杯を、話している間に飲み切ってしまう。


「ところで、ここまでラノアを仕上げた君だからこそ、是非とも御願いしたい事があるのだがね。どうだい、聞いてくれるかね」

「これ以上、俺から何むしり取る気だよ」

「そうじゃないんだ、夏目も若女将の姪も、とんと金に無頓着な者でね。出版に際して、君に後見人として立ち会ってもらいたいのだよ。勿論、それなりの報酬は取ってもらってかまわないよ。僕は仕組みが出来あがったら、この件からは身を引くつもりだからね。宜しく御願いしたいのだよ。だーよ」


 久蔵が、この提案に無条件で賛同したのは当然である。



 ―――――― 了 ――――――

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