Episodium.14 イリスティア チュートリアル戦②

「幻覚……」


 私は驚愕に目を見開き、それを呟いた。その言葉を聞いただけで、気持ちが重くなる。


「そうだ。それなら記憶の齟齬に説明がつく。幻聴も含まれているかもしれないが……確信が持てない」


 ヴィアールは笑みを収めると、暗闇を見据える。不気味な声と音は止むことなく、私たちにその存在を主張し続けている。


 それが急かされているようで気持ちを焦らせるのだけれど、この追い詰めてくるような不快な音は幻聴なのだろうか……。


 ……冷静にならないと……幻聴のことは一旦置いておき、ヴィアールが言う幻覚に思考をまわす。全力疾走で乱れていた息と思考を整えていく。


 オリバの風で揺れる髪と服、フラウスの光で守られた躰が私たちを守る術。【ジーニアスの守護】の方は……役に立つのかはわからないけども。


(幻覚だとしたら……この記憶の中にある道と風景との微かな違い、違和感の説明がつくけれど……だとしたらいつから幻覚にかかったの? どうやってかかったの?)


 次まるで暗闇の中で次々と灯される電灯の光のように、頭の中で新たな考えが一つずつ浮かび上がる。


 幻覚だとしたら、どの種類の幻覚だろうか? 経験則に基づいてその可能性を並べていく。


 結界——ギルドにあったような大規模な結界の設置がされていたとしたら……その可能性は低い。人気のない辺境ならいざ知らず、イリスティアでキロ単位の結界を貼ることは現実的ではない。


 大規模展開されたエーテル術——これも可能性としてはかなり低い。これだけの規模のエーテル術を発生させれば、必ず大きなエーテルの波動が生じるため、私の感知に反応しないことは考えにくい。


 だとしたら、どうやって私たちに幻覚を見せているのか。脳を活性化させ、今日一日の出来事を慎重に思い返す。小さな手がかりが見逃されていないか、注意深く頭の中で再構築していく。


(きっかけ、必要な条件……どこで?)


 ——関門、通り、ギルド、宿屋……鳥の宿木。


(誰が……)


 ——会った人物、発した言葉、その時の表情。


(ああっもう! ……考えれば考えるほど、頭が割れそうだ。こういう思考ゲームは得意じゃないのにっ!)


 ——ああああっ……あぁぁああ……!


 ——カチッカチ、カチっ……!


(音が近づいているッ!)


 近づく音に恐れを抱き、私は一歩後ずさった。ヴィアールも距離を取りながら私に近づいてくる。平静を装っているが、その緊張は隠しきれていなかった。


 冷静に、平常心で……平常心で考えないと。


「……ヴィアールが残したエーテル痕には問題がなかったんだよね」


「俺のエーテル痕と一致していた」


 ヴィアールは私の確認に頷きながらそう言った。その反応から察するに、彼自身はもう答えがある程度見えているのだろう。


 エーテル痕は、探索などをする際、道に迷わないようにするために使われるマーキング手段の一つだ。これは他の目印や標識と違い、エーテル痕はその人物のエーテルと認識が連動しているため、偽造はほぼ不可能と言える。


「エーテル痕が一致……認識……! うっ!」


 瞬間、ピースが一つ繋がり——暗闇、咀嚼音がフラッシュバックする。


 キーンという音が頭に鳴り響く。


「しか…く……視覚認識に干渉、だからエーテル痕を認識したままに誘導でき……」


 それはノクティスを使った特殊エーテル術——【呪文】


 言葉が続かなくなり、私は俯いてしまう。襲ってきた冷えに耐えるように目を閉じて口を結ぶ。


「その通りだ……視覚認識を操作することでエーテル痕を認識させ続け、目的地へと誘導する。これはただの幻覚ではなく、極めて高度な視覚に対する干渉だ。……ラン、どうした?」


 ヴィアールが様子のおかしい私に気づき、心配そうに声をかけた。彼の視線は、突然俯いた私に向けられている。私がなぜ急に俯いたのか、不思議そうに眉をひそめているのがわかる。


 これは——ヴィアールに見せたくない……見せちゃだめなものだ。


(大丈夫……私は大丈夫)


「呪文【五感干渉イリューシオ】……視覚認識に直接干渉し、違和感を与えずに少しずつ誤認させて目的の場所に誘い込んでいた……私たちを罠にかけようとしていた、ということね」


 目を開き、私はなるべくはっきりとそれを告げた。私は冷静……なはずだ。


「【五感干渉イリューシオ】を知っていたのか……」


「……」


 こくりと頷く。


 私の話を聞いて、意外そうにするヴィアール。私が黙ったままでいると、話をそのまま続ける。


「……俺も直接目にしたことはないが、以前ギルドの……とある冒険者の、クエスト失敗報告書で読んだことがある。その中の一文を読み上げれば……【五感干渉イリューシオ】の術者は、現実の糸を操る」


 知っている。現実そのものを変えてしまう力であることを。その力の恐ろしさを、私はよく知っている。


「人の現実の出来事や行動をコントロールする力を持つという意味だ」


「私もその報告書を読んだことがあるわ」


 努めて冷静に答えた。


(嘘は言っていない)


 ヴィアールの反応を窺う。……過去の記憶が頭の中で鮮明に蘇る。


 結界や薬物によっても幻覚は作れるが、それでも認識の操作や干渉はできない。


 結界ならば空間全体を包み込み、見えない壁を作り出すことで、私たちを閉じ込めることができる。結界ではあくまで映像を対象者に見せるだけ。視覚や聴覚そのものに対しては、直接干渉することはできない。


 薬物の効果は限定的だ。摂取された体内で作用し、幻覚を引き起こすことは可能だが、薬物が持つ幻覚は混乱や錯覚を生むに過ぎない。幻覚が見えるとしても、それは一時的なものであり、具体的な認識操作、意図的誘導は不可能だ。意識の深部に入り込み、思考や判断を変えることはできない。


 ノクティスの術、そして【五感干渉イリューシオ】の呪文は、これらの手段とは一線を画している。この呪文はに干渉する。私たちの視覚に錯覚を起こし道筋を誤らせ、まるで糸を巧みに操る人形使いのように、思うがままに誘導する。操られた人間はほとんどそれに気付くことができない。


 そしてこの呪文を得意とするのが——魔族。ピースがもう一つ繋がる。


「そうか……それなら、俺たちは同じ情報を共有しているわけだ」

 

 ヴィアールは続ける。


「【五感干渉イリューシオ】には、発動させるためにいくつかの条件が必要とされる。五感それぞれに異なる発動条件があり、それらの条件は有機的に変動するが、トリガーとなる絶対条件が一つ存在する。それは——幻術の媒体となる呪文が近くに存在すること。……今日の出来事を振り返るに、身の回りで呪文となる可能性があるものはただ一つ……」


 ——ギルドで貰った手紙。この手紙に【五感干渉イリューシオ】を発動させるための呪文が隠されていた。


 私はゴルドマン支部長から、とされる手紙が入った封筒を取り出した。封筒はオリバの風でカサカサと音をたてている。


「中身は全部憶えたの?」


 私が手元で手紙を軽く揺らしながらそういうと、


「ああ…問題ない」


 ヴィアールは頷く。……了承を得た私は先ほど発動しては、ぶつけられなかった怒りのエーテルを顕現させた。


「そう? それじゃあ……」


——シュウシュウっ……


火焔弓イグニス!」


——メラメラメラっ


 先程発動できなかった技を発動して……爽快感が全身を走る。


 手紙は瞬く間に燃え上がり、「あぁぁぁあ……ああぁあ」という呻き声が手紙から漏れ出した。イグニスの火の勢いが強くなる度にその声は大きくなり、「あああああああ!!! あああああっ!」と響き渡った。


「消えなさい! 『呪いの手紙』」


 苛立ちを込め、火の勢いを強くする。呻き声は次第に弱まり、やがて手紙は灰となった。燃え尽きた手紙の燃えかすが躰に纏う風で舞い上がり、周囲に散らばっていく。


 瞬間——私たちを包んでいた不気味な気配が一気に消えさった。


 視界に映し出された画面は歪み……やがては本当の風景が私の瞳に映し出された。


 そこには、大通りに立ち、スラムに入りかけた私たちと、それを少し遠くから恨めしそうに睨む三人組の——子供連れの家族がいた。子供を間に挟んで手を繋ぐ二人の大人。


 デジャブ……ここで会うのは三度目——鳥の宿木に向かう時、そして店内でも見かけた人たち。


「正当防衛で…怪我をさせちゃうかも」


 ——キィン


 私の腰から抜かれたハンターナイフが鋭利に光る。


 ——シャキン


 隣で同時に抜かれた長剣を右手にヴィアールは、


「…怪我で済むのか?」


 強烈な殺意……ではなく闘志が二人を渦巻いた。

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