Episodium.13 イリスティア チュートリアル戦①

 ——スッスッスッ


 衣服が空気に擦れる音。


 躰からエーテルが放たれ、黄と緑の光を纏った光の矢のように夜の街を駆け抜ける。


 走るたびに鮮やかなエーテルの残像が後に続き、闇夜に光の筋が軌跡となって浮かんでは消えてゆく。


「ふぅッ……ふぅッ……ふぅッ」


 息遣いをコントロールしながら、ヴィアールのエーテル術【疾風加速ヴェントゥス・アクセラ】を使って走ること約5分ほど。距離にして5キロ以上を走っている気がする。


(道は合っているはずなのに)


 宿屋からここまで、頭の中の記憶とは重なるのだが、どこか違う気がする。どこかと言われると答えられないけれど。


 少しずつ少しずつ道が変化していっているような感覚が私を包み込んでいた。


 私の記憶が曖昧なのか、それともこの世界が変わってしまったのか。頭の中の地図と現実の風景が微妙に食い違い、まるで異世界に迷い込んだような気持ちになる。


「ヴィアール……っこの道であってるの?」


 私は疑問を顔に浮かべて尋ねた。今までの経験や実績から彼を全面的に信用しているが、どうも違和感が拭えない。


(私の錯覚だといいのだけれど)


「ふぅッ……ふぅッ……間違いないはずだ…」


 ヴィアールはどこか得心がいかない顔をしながらその走りを止めることはない。


「はぁッ……さっきから誰も見ないんだけど……ふぅッ……遅い時間だからって、そういうことあるの?」


 遅い時間だとはいえ、未だに走る街並みからは誰一人として遭遇していない。そして重要拠点であるはずのイリスティアで衛兵の見回りすら見当たらないのだ。どう考えてもおかしすぎる。止まってじっくり考えたいのだが……。


——あああぁぁぁああッ……


 その余裕は与えてくれなさそうだ。


 呻くような声が少しずつ近づいてきて、その音が私の心に小さな焦燥感を与える。背中からじんわりと汗が滲むが、エーテルの風に包まれてすぐに乾いていく。


——あぁあああぁぁぁ……あああぁ……


——カチっ、カチっ、カチっ、カチっ


 声とともに響く不規則な歯が重なる音は、時計の振り子の音の様にも聞こえ、タイムリミットが迫っている感覚を私に抱かせた。拭えない不安が全身を撫で回すようで気持ち悪い。


「鳥の宿木に行く途中……ふぅッ……目印になるエーテルの痕跡を残した……はぁッ」


「ふぅッ……じゃあこの道で合っているってこと?」


 だとしたらこの状況はなんなのだ。走っても走っても人気のない道を進むばかりで、迷宮の中をくるくると廻っているみたいだ。


「はぁッ……いや、少しずつだが記憶と……道が変わっている……だとしたら俺がつけたエーテル痕があるのは何故だ?」


 自問自答するように私に答えるヴィアール。


「どういうことなのよ……」


 道が変わった? 時速60キロで走る私たちの速度に合わせてそんなことが可能なのだろうか? もし可能だとしたら……それは人ではなく——


 ——魔族。


 血の気がサーっと引いていく感覚。だとしたらこの呻き声とカチカチという歯が重なる音は……その想像でドワっと脂汗が湧いてくる。


「はぁッ……はぁッ……っ魔族」


 呟きと同時にズーンと不安に心臓が鈍く震える。ヴィアールも私と同じ考えに至ったようで、コクリと頷いた。


「こんな芸当ができるのはやつらしかいない……いや、待てよ」


 ヴィアールは突然、鋭い閃きが彼の瞳に宿ると同時に、まるで見えない壁にぶつかったかのように、走りを止めた。


「……えッ?」


 その急停止に私は対応しきれず、足がもつれてバランスを崩しそうになるが、なんとか踏み止まる。お尻を突き出しているようなみっともない格好になっているけど、そんなことを気にしている余裕はない。


「……ッ!」


 すぐに体勢を直し、振り返ってヴィアールを見たが、彼は何かに取り憑かれたようにその場に立ち尽くしていた。眉間には深い皺が寄り、鋭く光る紫紅の目は何かを掴みかけているようだった。


「……」


———あぁあああぁぁぁ……あああぁ……


——カチっ、カチっ、カチっ、カチっ


「ヴィアール何してるの! 逃げないとッ!」


 動かないヴィアールを見て、私は火で焼かれるような焦燥感に襲われた。


(何もたついているのよこいつッ!)



———スっ、スっ、ススっ



 後ろから何かを引きずるような音が静寂の中に響き渡り、私の心臓が胸の中で激しく脈打った。


 振り返らずにダッシュで逃げたいが、ヴィアールがここに留まっている限り、それはあり得ない。


プラエシディウム防御系統の術は消耗が激しいから……イグニス火焔弓を数発ぶちこんでやる方が効率がいいわね。何だか知らないけど、こっちが逃げていると思って調子に乗るんじゃないわよ!)


 背後の気配を察知し、私は決断を下すと同時に急いで手のひらを広げる。エーテルが手のひらに集まり、赤い光が次第に強く輝き始めた。


 ——シュウシュウシュウ……


 手のひらに高熱が伝わるのを感じる。コントロールを間違えると、下手したら手が炭化するほどのエネルギーだ。消し炭にしてやるという強い殺意が私の中に渦巻いた。


(5……4……3……2)


「ラン、撃つな」


「えっ?」


 落ち着かせるような静かな声が私の耳の中に心地よく響いた。

 

 声を聞いた私は一瞬逡巡したが、「ふぅっ」と息をゆっくりと吐き出して、手のひらに集まったエーテルを離散させた。感情の爆発を発散できなかったフラストレーションが胸に広がる。


「……何かわかったの?」


「完全にはわかっていないが……」


——あぁあああぁぁぁ…あああぁ…


——カチっ、カチっ、カチっ、カチっ


 ヴィアールは音のする暗闇を真っ直ぐに見据える。得意げな顔でこう言った。


「俺たちが見ているのは幻覚で……これは——誘導だ」

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