Episodium.11 舞台の開幕


「ふぅ……食べ過ぎた」


 私は少し膨れているお腹を満足そうにさすりながら、消化を助けるようにゆっくりと歩いていた。


 夜も既に更け、闇が深まってゆく中、暗がりに照らされるエーテルの光も相まって、雰囲気は抜群だ。


 アルコールでほてった肌を撫でるイリスティアの風は心地よくて、夜の静けさの中で聞こえる自分と隣のもう一つの足音が、どこか心を落ち着けるリズムとなっている。目を閉じても掴める距離に誰かがいると、安心感を感じる……のかも。


(気持ちいい……)


 ——食後の運動はダイエットにも良いって聞いたことあるけど、どうなんだろう?


 油断は大敵だ。…服のサイズが合わなくなったら買い直さなきゃいけないし、誰からとは言わないが、馬鹿にされるのが一番耐えられない。


 年齢が上がるにつれ、色々と…付きやすくなった気がする。身体が少し丸みを帯びて動かしづらく、自分がより女らしくなっていく感覚。時間には勝てないけど、抗うことは重要だと思う。


 ありのままに生きなさいって? ——だが断る。ヴィアールの口癖の一つ。


 エーテルによって簡単な体内水分の調整はできるが、成長ホルモンや栄養、血液の調整は複雑かつ難しい。


 色々とできなくはないが…一歩間違えば体内でエラーを起こし、大惨事になりかねないため、安易な近道は避けた方がいい。生き物というのはデリケートにつくられているのだ。


 ——はぁ


 食べ過ぎに幾ばくかの後悔が募り、朝の運動メニューを増やそうか迷っていると、


「いい店だったな」


 声の主の方を見ると、ヴィアールが満足げに頷いていた。


 ふむふむするその顔を見て…自分が脂肪のことで悩んでいたのが馬鹿みたいに思えてくるんですけど…。


 私は目を少し細めて、歩みを速めヴィアールの前に立ち塞がる。歩みを止めた彼に向けて、手のひらを上に向けてジェスチャーをする。まるで記者の取材のように。



「では、ヴィアール審査員。レビューするとしたらズバリ、星いくつでございましょうか?」


「え?」


 ヴィアールは急な私の行動に少し戸惑っているというより、呆けている。


「星いくつでございましょうか?」



 そう言って私は構わずぐいっと手をより近づける。私のしつこさが功を奏したのか、ヴィアールは徐々に合点がいったような顔に変わっていく。



「……そうですね。厳正な審査の結果、料理の味や品質、スタッフのサービス、店内の雰囲気を総合的に評価し……」


 彼は手のひらを大きく広げ、緊張感を演出するようにゆっくりと動かし始める。


 ドラムロールのような「ダダダダダ」という声が伴う。アルコールが入っているせいか、結構乗り気なヴィアールに私は小さく笑った。


 私も負けてられない。緊張している風に——ゴクリと喉を鳴らしてみる。


 ヴィアールは最後に少し大袈裟に「ジャカチャン!」と口で効果音を締めくくり、


「星3! 満点でございます」


 そう言ってふっと笑ってから、向けている私の手のひらを上から軽く叩いた。


 ——パチと叩かれたそれを瞳に映し、私は眉を少し上げ、ちょっと驚いた顔をした。


 星3は記憶の中を辿ってもほとんどない。今回が2回目……くらいじゃない?


(こいつの評価って意外とシビアなのに)



「……珍しい。気にいったんだ?」


「そういうラン……いや、ラン審査員はどうなんだ?」



 私の意外そうな顔に、ヴィアールは片目を閉じながら笑みを浮かべながら疑問を投げかけてくる。


(ウィンクじゃない。何で片目だけ器用に閉じてんの? イケメンだと様になる。ってお店の評価の話だった……うーん)


 腕を組み私は悩み出す。上質な油が乗った、噛めば跳ね返ってくるような弾力の肉……口の中に広がる炭火の香り、鳥の宿木で食べる焼き鳥は最高。


 アクセスポイントは微妙だけれど、それを補って余りある店内の神秘的なオリエンタルな雰囲気。


 むしろアクセスが良くない辺鄙なところだからこそ、違う世界に迷い込んだ雰囲気を味わえたまである。


 『提灯』なんかは特に良かったと思う。宿の部屋にちょっと飾りたいくらいだ。


 店は少し騒々しいようだけど、私はむしろそういう賑やかな雰囲気が好きで、何かの祭りをしているかのようだった。


 賑やかな場所で飲むエールは、使われたハーブやスパイスがバランス良く混じり合い、喉越しは抜群に良かった。


(本当に素敵なお店だったんだけどね…でも)


 ——違和感を感じた。上手くは説明できないんだけど……変なのだ。


 あのお店の客の半分以上が、何らかの目的……シナリオを持って動いている。例えるとお伽話や小説に書いてあるようなテンプレの話し方、動き、反応。


 その感覚は、まるで舞台の演者たちの中に迷い込んでしまったかのようで……いい気分がしなかった。

 

 その気持ちを……周りを少し気にしながら、私は真剣な顔をしてヴィアールに目で訴えた。


 第三者から見たら、恋人が見つめているようにしか見えないけど、そう勘違いさせておけばいい。


「……」



◇◇


 

 ———鳥の宿木


 ゴルドマン支部長の秘書、『フェデリタス』という男と後ろに控えた商人二人を立たせたままだった。店員に椅子を持って来てもらえるのかを確認しないと…。


「……お店の方に椅子を増やせるかを聞いてきますね」


 私が少し慌てたように席を立つと、


「お気遣いありがとうございます」


 秘書『フェデリタス』がそう言うと、二人組の商人たちもうんうんと頷いて、「気が利く子やでぇ」「すぐ動ける。今どきの子にしちゃ珍しい」とか言ってきた。


 結構普通のことを言ったつもりなんですけど……今どきの子を馬鹿にしすぎじゃない? 


 このおじさんたち「最近の若者は……」とか口癖のように言ってそう。


 私から見たらそういうのは、世代間の価値観の違いにバランスが取れなくなったようにしか思わないけど。頑固ジジイの入門みたいな。


(ていうかお二方はスケベなお店に行くんじゃなかったんですか?)


 この感じだと……ギルドで私たちが『手紙』を見るのかを見張ってたのかな。


 本当に油断も隙もない。気にしすぎだと思ってたけど、ヴィアールの予測は正しかったみたい。 


(はぁ……わざわざ隣に聞こえるように、あの店だのこの店だの、女の子の話をしなくても良かったんじゃないの?)


 この二人の印象は、残念ながら私にとってはよろしくない。ランちゃんのイリスティア好感度ランキングで、関門にいたあの中年黒騎士がワースト1位だとすると、彼らは同着で2位だ。


(まあ、どうでも良いんですけどね…店員さんはっと……いた)


 店員の方に向かうと、後ろの方からは、「あの、そのままだとエールが凍ってしまいますよ?」「あっ……」と聞こえた。



——シャカシャカ……。



 ヴィアールが無言でジョッキを軽く揺らすと鳴る軽快な氷の摩擦音。


 緑髪の背中は心なしか丸まっているように見え、寂寥感に溢れていた。頭をよしよしと撫でてあげたいけど……手を払われるよね絶対。


(クスクス……)


 少し間抜けたその様子が凄くおかしかったんだけど、表情にはださなかった。店に来る道で散々笑っておいてよかった。


 人の失敗を笑う嫌な女だって? そうだけど……ヴィアール限定だから許してね。



「それだと炭酸がほとんど抜けてしまっていますね」



 秘書の男は、眉を八の字にして申し訳なさそうな顔をする。


 ヴィアールは目を閉じて「ふぅぅぅ」と息をゆっくりと吐き出す。私はその様子を見たときに直ぐに気づいた。


(あ……これ…本気モードだ)


 スッと開けられた目からは闘志がみなぎっている。



「いえ……液体部分はまだ残っているので……こうすれば」



 そう言うと、ヴィアールの指先からオリバのエーテルが淡く光を放ちはじめた。エーテルはまるで生きているかのようにくるくると回転しながら、何かを精密に調整しているように見えた。


 最後にヴィアールが『シャーベットエール』のジョッキの上に手をかざすと、オリバ緑のエーテル…とキュアノス青のエーテルがゆっくりと中に流れ込み始めた。次第にジュワジュワという音が響き渡り、気体がエールと融合していくのがわかった。



「こうやってオリバ緑のエーテルを使い大気中の二酸化炭素を高圧化して、エールの液体部分にガスを溶かすと、シュワシュワの……炭酸シャーベットエールの完成ですね」


「「「お、おぉ……」」」



 三人は心底すごいというようにパチパチと拍手をする中、私は少し呆れた顔をしてしまった。

 

 額に少し汗を滲ませているところ見ると、よほど大変だったんだろうな。


(いや、普通にエールをまた注文すればいいじゃない……ほんとに)


 そう思ってハンカチを取り出して、そっと汗を拭いてあげた。

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