Episodium.8 揺れる影


 イリスティアを照らしていた太陽が沈み、夕暮れが迫る。空はゆっくりと暗く染まり、黄昏と夜の狭間には紫の霞が漂う。


 街は夜の到来を待っていたかのように、エーテルの街灯がぽつり、ぽつりと灯りはじめる。それはまるで空の下に現れた星々のようで、昼間には太陽光を反射していた白石の城壁と街並みも、今はエーテルの柔らかな光を受けて、神秘的に輝いている。


「宿屋のチェックイン完了……ようやく食事がとれるね!」


「大分遅くなったな」


 とヴィアールは空を見上げ、私もそれにつられる。


 ——キュルル


 …そのタイミングでお腹が鳴り……思わず赤面してしまう。


「……早速だけどレストランに行きましょう!」


 誤魔化しを含めた空元気。ジト目のヴィアール。


「テンション高いな……」


「ノリ…悪」


 私が「キッ」と睨むと、ごほんと咳払いが返ってくる。ふん。


「……では、話してた店に…うん、たらふく食べるとしよう。た、楽しみだ」


 それでよし。私はそれに頷きながら、


「では改めまして、レストランに行きましょう」


「お、おーう……」


 明るく声を出すと、腕を振り上げて応じるヴィアール。


 二人のやりとりは、まるで場違いな演劇の一場面のようだ。まあ、片方は嫌々合わせているようにも見えるが……。


 街灯に照らされた二つの影が通りに伸び、その歩調に合わせて、観客のいない舞台での踊りのようにゆらゆらと揺れている。


「あんたさ。朝に関門前で並んでた時のあのテンションどうにかならないの? ……じっと見てきたりとか」


「あぁ……色々と考えごとをしていたんだ。悪かった……善処はする」


「…ふーん」


 私たちは手紙に書かれたお勧めの場所に向かっている。


 手紙でのなら、ご厚意に甘えるを演じるのも悪くない。


(……ちょっと相手を気にしすぎなのかもしれないけれど)


(直感でしかないけど、黒鉄のことを含めて、イリスティアには色々とありそう。【Se jeter dans la狼の口に gueule du loup飛び込む】にならなければ良いけど)


「ちなみに【狼の口に飛び込む】はガリア王国フランスのことわざだ。東洋風に言えば、飛んで火に入る夏の虫というニュアンスに近いな」


「……心を読んでの解説ありがとう、ヴィアール」


「ふむ」


 満更でもなさそうな顔をするヴィアール。なんかちょっと可愛い……。


「……それにしても部屋がとれてよかったわ」


「……」


 その話はさっきしたと言わんばかりに、少しうんざりとした顔をするヴィアール。私は構わずに続ける。


「都合よくツインの部屋が空いてたわね」


「まぁイリスティアで一番混むといわれている宿屋なのに、不思議だな」


「不思議よねー」


 いうまでもなく、宿屋はほぼ確実にギルドから手配されたもの。至れり尽くせりだ。高ランクとは言っても、『Ⅴ』冒険者に対し、普通はここまでの歓待をすることはまずない。私たちが会ったこともない支部長の弱みを握っていると、言われかねないレベルだ。


(正直恐縮しているのよね)


 かまわないでくれ、とは言わないけれど、ここまで用意周到だと警戒してしまう。


(見返りに難しいクエスト依頼とかだと…嫌だな)


 クエストも討伐、調査、護衛みたいな危険をともなうような、いかにも「冒険者です」というのではなく、鍛冶場、工事現場や、農園といったものがいい。


 こういった仕事はちまたの冒険小説みたいに華やかな活躍はないし、目立たないのかも知れない。でも、私はその方がずっといい。


 ——血を流す仕事より、汗だけを流す仕事がしたい。戦争をしている世界では贅沢なお願いだけどね。


 ちなみに、フラウス黄エーテルルージュ赤エーテルが得意な私は建設や鍛治といった仕事に向いていて、ヴィアールの場合はオリバ緑エーテルキュアノス青エーテルが得意で、農園や水周りの仕事に向いている。


 だから旅の仲間とはいっても、別々に仕事をすることが多いのだけれど。ヴィアールは何かと同じ職場で働きたがる。


(私も……うん、仲間だし色々と近くにいた方がやりやすいけど)


 エーテル適正は遺伝的特性と似ており、持って生まれたもの、こればかりはどうしようもないのだ。


 ギルドののことを茶化しつつ、ヴィアールと私は歩いている。


 ふと——


幸運ラッキーだったわね」


幸運ラッキーだったな」


 とタイミング良く声が重なった。


「……」


「……」


 それでなんで二人とも黙ってしまったのか。変だなとヴィアールを見れば、向こうもこちらを見ていて、お互いに視線が合う。


 ——スッ


 すぐに互いにあさっての方向に逸らした。


(あれ? 急になんか……)


 二人を取り巻く空気が急変したような……。


 その時、ちょうど子供を連れた夫婦が、固まった私たちの様子を見て、何かの危機を察知したのかのように顔を逸らし、そっと距離を取った。「変な人たち」とかボソリと呟かれる。


 …………。


(あ、これやばいかも)


 突然、お腹を撫でられたような、じわじわと少しずつ沸騰していくような感覚。急に降って湧いてきた『笑い』の衝動。


 口角が上がってきて、それをまたなんとか下ろそうとする。何度もそれを繰り返していくうちに、段々と下ろす頬の筋肉が疲れてきて小さく痙攣していく。


「……」


「……」


 はたから見れば変なやりとりにしか見えない。……言い訳をさせてほしい。人というのは不思議なもので、場を支配する空気が突然変わると、それにつられてしまうことがある。


 …何を言いたいのかというと——私は笑いたくて仕方がない。


 この空気が伝播したのか、プルプルと震える姿が隣に見える。


「…ッ」


「ッ…」


 これも不思議なことだけれど、湧き上がった感情は抑えようとすればするほど……逆に抑えきれなくなる。


 例えれば——暗い夜道を歩いていて、突然背筋が凍るような恐怖が襲ってきて、「怖がっちゃだめだ」と自分に言い聞かせても、暗闇を見ては勝手に想像してしまい、恐怖に囚われてしまう時。


 または——「笑っちゃだめだ」と思えば思うほど、……無性に笑いたくなって、それが堪えられなくなる時。


 笑いたい。周りの目を気にせずに哄笑したい。


 ヴィアールが頬をピクピクさせて何かを堪えている様子が何ともおかしい。我慢できずに噴き出しそうになり、口元をギュッと結ぶ。それを見たヴィアールがまた……と負の連鎖だ。


「くッく……」


「うッく……」


 ヴィアールも私もプルプルと身体を震わせている。


(ぶっ! やばいっ!)


 堤防を前にして、その決壊の寸前を見届けているようだった。ああ……私は笑いの波に飲まれた。堰を切ったように、笑いの洪水が止まらずに口から出てくる。


(あーあ……周りの人にすごく見られてる)


 それでもお構いなし。涙まで浮かべて、凄い顔になってるんだろうな。傍目から見ると、うるさくて周りに迷惑だけど……でも気持ちがすごく楽になるんだよね。


 「「ゲーラゲラゲラゲラゲラ!」」 


 ——うるさいだけなので、時を流そう。あなたは……ドン引きはしないで欲しいな。


 

 ◇◇



「……でも、なんか笑ったら気分が楽になったね」


「……あぁ、なんか色々とどうでも良くなった」


 ヴィアールは笑みを小さく浮かべていて、どこかスッキリとした顔をしていた。


(これが同性だったら肩でも一緒に組んでいるのかな? ……ないない)


「ところで、あの歩いてる連中からたまに発せられる…生暖かい視線…あれはなんだ?」


「うん? うーん……なんだろうね?」


 多分恋人同士で大声ではしゃいでいるとでも思われたのだろうけど、言ったら絶対気まずくなるからとぼけることにした。


 釈然としないヴィアールを一旦置いておき、私は目を閉じて深呼吸をした。


「すぅ…ふぅ…」


 息大きく吸って吐きだすと、感情の波がスーッと引いていく。先ほどの笑いがまるで嘘だったかのように冷静になっていく。


 こうなると、水の入っていない空っぽの容器のようで、暫くは感情の波紋が生まれない。


(愛とかもこういう風に冷めたりするのかな? 熱して冷めていくみたいな?) 

 

 誰かを愛したことなんてないから…分からないけれど。

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