Episodium.7 二人だけ Two of Us
ギルド内の賑やかな喧騒から少し離れた木製のブース席に、私とヴィアールは腰を下ろしていた。
古びたテーブルの表面には細かい小さな傷が無数に刻まれており、その年季が窺えた。
壁際には古時計が時間の歩みを止めずに進んでおり、それは私が限られた時間の中で生きていることを実感させる。
私は秒針の刻む音に合わせて、規則的に指でテーブルを叩く。
——トンッ、トンッ、トンッ
そのリズミカルな音は、周囲のざわめきに紛れつつも、私たちだけの静かな時間を刻んでいるようだった。
ギルドに入った時に漂っていたピアノの音色はいつの間にか消え、弾いていた人の姿も見当たらなかった。その代わりに、二人の耳を襲ったのは下品で邪な声だった。
隣の方からは、契約がまとまったのか、満面の笑みを浮かべた商人たちの下世話な話が聞こえてくる。「今日はどこの夜の店に行こうか」「あの娘がおすすめだ」などと、声を少し抑えながら愉快に話し合っている。
(……席間違えた)
二人ともどこかの商会の会長同士らしく、「会長、会長」と時折お互いの肩を小突いており、その様子はまた何ともコミカルなものだった。
「おっほッ……そんなことまで……それはいただけませんなぁ……」
バシと肩を叩く音。
「また……またぁ……会長はそっちの方も…結構いけると聞きましたぞぉ?」
バシと肩を叩く音。
「ぐほほほッ……どうでしょうな」
二人は握手を交わしながら、この世の春の到来と言わんばかりに笑いあった。
「「わっはっはっは!」」
(……白昼堂々、楽しそうで何より)
これが俗にいう『羽目を外す』というやつなのだろうか。露骨過ぎて何か違和感を感じるのだけれど。
私とヴィアールはというと——呪いの装備を身につけてしまった初心者冒険者のようなしかめっ面を浮かべながら、手元のテーブルに置かれた封筒を眺めていた。
「二人を応援するゴルドマンより♡」
「「……」」
この封筒は、先ほど管理登録の手続きを終えた際に受付嬢の『ドレミ』さんから「これは支部長からです」と自然な流れで渡されたものだ。
私とヴィアールはその封筒を見てしばし固まり、互いに顔を見合わせた。彼の表情も、私の顔も、眉間にしわが寄っていた。
『ドレミ』さんに疑問を投げかけようとしたが、「申し訳ないのですが、次の方がいらっしゃいますので……本日はお越しいただきありがとうございました」と丁寧にお辞儀をされ、こちらに話す隙を与えなかった。どうやら突っ込んで欲しくないようだった。
——商人たちが和気藹々とギルドを後にする姿を目にして、タイミングを見計らったように言った。
「ヴィアール……遮断をお願い」
私がそう言うと、ヴィアールは静かに頷き、瞬間、オリバのエーテルが彼の体内を静かに駆け巡り始めた。ギルドの入口で見た時と同じ、淡いオリバの光が彼の周囲を僅かに纏う。
「【
彼の低い呟きと共に、薄い緑光が微かに瞬き、ほとんど気付かれないほどの小さな風が私たちの周囲に静かに渦巻いた。
風のカーテンが音もなく形成され、外部からの視線や音を巧みに遮断する。ギルド内の喧騒に紛れながら、私たちだけの静かな空間が生み出される。
ヴィアールの術の精妙さには、いつも思わず感嘆してしまう。
(…こいつのエーテル制御は本当に凄いわね…)
エーテル制御に関しては、私が知っている中でもヴィアールの右に出る者はいない気がする。そう、凄いんだけれども……。
(……ちかい)
風の声が静かに囁く中、私はヴィアールに密着する形になっていた。ほとんど鼻先が触れそうな距離だ。
これ……外部に情報が漏れないようにするためなんだけど、もうちょっと空間を拡張できないかな……近すぎるでしょ。
——トクン、トクン、トクン
「この技、いつも思うのだけれど、もうちょっとだけ広くできないかしら……なんというか動きづらいっていうか」
「……これは元々一人用に開発されたものだ。不満ならお前もオリバの適性を上げろ」
……少し拗ねた感じなのは、この技に対して不満を持っているとでも思ったのだろうか。
私はオリバの適性が低いためか、オリバ系統の術はほとんど使えない。特にこういった精緻なコントロールを必要とする技を使いこなすことはほぼほぼ不可能だ。
「あ、ごめん。そういうつもりで言ったんじゃないんだけど」
「……ふん」
「ごめんって……本当に違うんだってば」
「……」
(こいつ、拗ねてるな)
ヴィアールはエーテルに関することをバカにされたりすると、滅茶苦茶不機嫌になるのだ。他は何を言われてもほとんど動じないくせに、これだけは許せないみたいで。
私はヴィアールの技が完全に展開されたことを確認した後、渡された封筒をもう一度確認した。
「二人を応援するゴルドマンより♡」
……ゴルドマン支部長は多分親しみやすいようにこう書いたんだろうけど、逆効果としか言いようがない。
会ったこともない支部長との心の距離が広がったことを確認すると、封蝋が押されている封筒の封を切る。
心なしかギルドシンボルたる女神リベリタスの封蝋印が泣き笑いを浮かべているようだった。
封筒から何枚かの手紙を取り出すと、折り畳まれていたそれらを丁寧に広げていく。
エーテル術の影響で、微風に揺れる紙が、カサカサと控えめな音を立てている。紙の端を二人で押さえてから、私たちは黙読を始めた。
時折する瞬き、微かに漏れる息遣い、そしてページをめくるささやかな音が、静寂の中に溶け込んでいた。
紙が擦れる音は心地よいリズムとなり、二人の集中をさらに深めていく。
周囲の喧騒は遠のき、私たちの世界にはただ手紙とその内容だけが存在しているかのようだった。
◇◇
そこに書かれている内容をまとめると、「ようこそイリスティアへ」という歓迎の意を示す言葉から始まり、特産品やお店の紹介、街の構造の説明、それぞれの地区の分類から特徴、治安状況まで、事細かに記されていた。
これから街の情報を手にしようと考えていた私たちからしたら、正に必要とする情報であった。
最後の一枚には、丁寧に描かれたイリスティアの地図が添付されており、手紙と地図を照らし合わせて確認するとより分かり易い。
(一部機密情報も入ってるわね…これ)
文章の中には、ただただイリスティアに対する情報を列ねるだけでなく、この街に対する熱や愛が感じられる、丁寧に描かれた暖かみのある文面だった。
その文面で少なくとも私は、支部長との広がっていた心の距離は縮まった…気がする。
マイナスから元のゼロに戻っただけだけど。
「色々と……助かるね」
「……そうだな」
口では同意するヴィアールだが、どこか懸念があるようだ。私も違和感を節々に感じている。
——都合が良すぎる話には裏がある
「今まさに俺たちに必要な情報だった」
「そうね」
「この手紙はかなり意図的に作られている。こちらの過去だけではなく、やろうとしていることすら事前に知っていた……ということを伝えたいんだろう」
「でも冒険者が街に訪れたら、まず情報収集するのは普通のことじゃない?」
私がそう言うと、ヴィアールは手紙にある一文を指差した。
「ここの、『既にお腹が減っているだろうけど、3時間くらいは我慢して、夕ご飯はここをお勧めするよ。空腹こそが最高のスパイスだからね』のところだが……今何時だ?」
時刻はちょうど3時を20分程過ぎていた。
「手紙を読む時間帯まで、予測していたってこと?」
「単純な予測だけじゃなくて、ある程度コントロールできるんだろう。例えば並ぶ列の人数の調整をしたりな」
「……うわぁ」
首を縦に揺らしていた人たちを思い出す。
「あるいは、ランがギルドに来ることを選ばずに食事をとることにしても、または気が変わってどこかの店で買い物を始めたとしても、何かしらの出来事が起きて、ここに来るように誘導されるかもしれない」
「……」
「これは……もっと簡単だ。封筒と手紙を複数用意して、手続きが終わった時間帯に合わせてあの受付嬢が中身の違うものを渡してくる…手紙の中には『2時間後』とか、『1時間後』とそれぞれに書かれている」
そのためにゴルドマン支部長が複数枚の手紙を書いたことを想像してみる。
「それは……ちょっとダサいかも」
まぁ……どれも可能性の一つでしかない。分かることは、どれであったとしても、イリスティアのギルドは私たちの動きを追っていた、監視していたということ。
(誰? どこで?)
考えれば考えるほどに、全てが疑わしく感じる。
今は余計なことは考えないようにした方が心理的には健全なのかもしれない。
(こっちは普通に生活がしたいだけなんだけどな)
向こうは何か目的があるんだろうけど、今の時点では見当がつかない。私の中の経験が告げているのだけれど、こういう時はろくなことがあった試しがない。
今の冒険者ランクも、いつも何かに巻き込まれて解決するか、手に負えないと逃げている内に昇格したものだ。
「……城門で黒騎士たちが突然私たちを通過させたのも、やっぱりギルドが裏で手を回したのかな?」
「手紙を見る限り、その可能性は高いが…そうとも言い切れない部分がある。とりあえず俺たちが注目を浴びていることなのは確かだ」
イリスティアでの生活は……平和でいきたいんだけどな。……また何かに巻き込まれそう。
それと——
「えっと……もうそろそろ離れてもいいかしら」
周りからは見えずらくなってるけど、私の方からベッタリとくっついているようにしか見えないと思うんだよね……これ。
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