Episodium.2 ヴィアール

 旅はお金が湯水のように流れていく。旅をはじめてからというもの、財布が重くなった試しがない。物価高騰も追い打ちをかけている。


 路銀を稼ぐために短期の仕事や『クエスト』をこなさなければならない。得た収入も、高額な手数料と税金が引かれ、手元に残るのはわずかな額だ。


(魔族との戦争になってから特にね。それでも財政は火の車って聞くけど……)


 本当はすぐにでも平和な『中洋』に引っ越し、魔族に怯えない夢の暮らしをしたい。


 したいのだけれども——


(中洋の言葉の勉強も全然進んでないし)


 勉強してない、お金がない、とない尽くし。新天地で暮らすのは夢のまた夢の話。


 遠のく中洋生活。


 視線を感じる。


(うん?)


 ふとヴィアールを見やると、目が合った。気怠そうな顔でじっとこちらを見ている。


「……」


「……」


 ……いつから見てたの? もしかして、考えごとをしていた時の顔を見られたのだろうか。


 何それ……恥ずかしいんですけど。


(はぁ? てか何見てんのよ、こいつ)


 さっきはこっちの言葉を無視してたくせに。


 私が軽く睨んでも、目を逸らさずにいるヴィアール。人の顔を勝手に見てきて、この態度である。


 面白い顔でもしてやろうかと思ったけど、思いとどまる。普通にバカにされそうだからだ。


 代わりに目だけで色々と気持ちを伝えよう。


(こっち見んなヴィアールのあほッ……マヌケっ)


「……」


「……」


 長い列は全く動かず、痺れを切らしたのか、周りからも愚痴のような言葉がちらほらと耳に入ってくる。


「門の方で何かあったのかな」


「寒いから早くしてくれよ」


「チッ、何手間取ってるんだ」


「あ、馬鹿野郎ッ! キュアノスを出してどうするんだよッ」


「うっせーなッ、だったら自分でやれッ」


「まだ時間はかかりそうだし、ケースから服を出しとくか」


 周りの喧騒を尻目に、私と彼の視線の応酬は続く。


 冷たい風が吹き抜け、髪を軽く揺らし、待ち行列にいる人々の衣服をはためかせる。


 やがて風が静まり、空が晴れ渡ると、暖かい陽光が突如雲の間から差し込み、地面を照らし、顔を金色に染め上げた。


 ——列がようやくゆっくりと動き始めた。


(……これいつまで続ければいいのかしら……早く降参しなさいよ!)


「……動いたぞ」


 そう言ってヴィアールは小さく息を吐きながら私から視線を外すと、空いた列を詰めた。


(よしッ 勝った)


 勝利の女神は私に微笑んだようだ。


 後ろから詰めている人に小言を言われないようにするためなのか、はたまた、私の眼力に恐れを抱いたからなのか。

 

(ふふん……敗北を知りたい)


 勝利の余韻を味わいながら、私は得意げに鼻を鳴らした。


 ヴィアールは時々、静かにずっと私を見ることがある。


 知り合って間もない頃はそうした視線に、思わず照れて、すぐに逸らしたりうつむいたりしたものだ。その時はいつも悔しい気持ちになった。

 

 ——何であなたが見てきたのに、私の方から目を逸らさなきゃいけないのか。


 彼の瞳は、大袈裟に聞こえるかもしれないけど——燦爛たる星々が宇宙で飛び交っているように見えて……強い引力に引き寄せられそうになり……逃げ出したい気分に襲われる。


(ってなに恥ずかしいことを考えているんだ私は)


「あの、前、空いてるんだけど……」


 列の後ろに並んでいる人の圧、戸惑いを感じた。考え込んでいたから、私は動くことを忘れてしまっていたようだ。これは申し訳ない。


「あ、ごめんなさい……」


 後ろの人に迷惑をかけたと思い、振り向きざまに会釈をして謝り、顔をスッと上げる。


「あっ……いや……その……」


 その人は私の顔を見ると、少しポカンとしてから、赤みがかった茶髪を揺らしながら、しどろもどろし始めた。20代の青年で、顎に髭が少し蓄えてある。身長はヴィアールと同じくらいの大きさに見えた。


——さささ


 並んでいる人にこれ以上迷惑がかからないよう、前の人との距離を詰めた。ちょうどヴィアールの背中を追いかける感じになる。


 緑の長髪をポニーテールに束ねている、会ったばかりの時より少し逞しくなった背中、落ち着いた色を基調とする軽装鎧ライトアーマー。脚の長さや身体の大きさのバランスから見て、俗にいうスタイル抜群。


 隣に並んで歩調を止める。彼にわからないようにチラリと視線を向けてみる——本当に綺麗な横顔だ。


 顔は男性のそれと比べると控えめに言っても小さく、顎はシュッとしまっていて線は細い。きりりとした程よく手入れされている太さの眉に、羽かと思うような密度のある長いまつ毛、綺麗で細い鼻筋。


(さっきは瞳のことばかりを気にしていたけど……全部が全部イケメンすぎるでしょ、こいつ。これは女が放ってはおかないだろうなぁ。ヴィアールの場合……男もそうかもしれない)


 邪悪な考えに染まりそうになる。自分から【ノクティス《黒》】が出てきていないか心配だ。


(ふ腐っ)


 邪念を込めて観察していると、ヴィアールは寒さからなのか、少し震えて腕をさすった。


 その様子がおかしくて、笑いそうになるけど、我慢をして観察を続ける。よく見ないと気づかないが、疲れが溜まっているのか、目にクマができている。


(あ、珍しい)


 上手く剃れなかったのか、ポツポツと髭が見えた。

 その完璧な容姿にそぐわない間抜けな髭だ。


(見た目で時々忘れそうになるけど、やっぱり男性おとこなんだな……)


 ほんの数本、まばらに生えているせいなのか、それを抜きたい衝動が湧いてくる。なくなるとスッキリするのに。


 綺麗に手入れされた庭園に、中途半端に生えている雑草があるようでイライラする。


(ピンセットはベルトのポーチに入っているけど…)


 毛を抜くと毛根が傷つくらしいから、それは辞めとくか。 


「髭をちゃんと剃ったら?」


 我慢できず言ってしまう。


 距離を詰めて、彼の口元と鼻の下あたりをぐっと見つめる。私は今きっと、またたびを見た猫のような顔をしている気がする。


 近づいた私の顔に気づいているはずだけど、ヴィアールは此方を見ないで、咳払いを軽くした。近いぞと言っているようだった。


「え? 無視?」


「……」


「ふーん……無視するんですか?」


 私がわざとらしく話していると、彼はまた咳払いをした。しつこいぞと言っているようだった。


 咳で話をするってどういうこと?


「へぇ……」


 なんか……からかいたくなる。


 私は腕をスッと上げて髭の生えているあたりを指で小突いた。肌はスベスベ、髭はちょっとジョリっとする。口元が私の指で少し歪んで見えて面白い。


 ヴィアールは私を軽く睨んできた。


(あらま怖い)


 意に介さず続けていると、ヴィアールはとうとう我慢ならなかったのか、その形のいい眉を少ししかめて、私の手を払う。

 

 気を使ったのか、私が痛くならないギリギリの強さだ。私は手を払われた事を気にせず、自分の鼻の下をツンツンと触れた。


 ここに髭がありますぜ、と気持ちを込めて見ていると、それが伝わったのか、ヴィアールはため息をついた。


「……わかった、処理をする」


 そう言ってヴィアールは自分の鼻の下と唇あたりに触れる。ふと、彼のエーテルの波動動きが少し大きくなるのを感じた。


(うん?)

 

 まあ……何だかわからないが、良しとしよう。


 嫌な女だけど、ヴィアールが言うことを聞いてくれた時、愉悦ゆえつを感じちゃうよね。


 普段上から、色々と言ってくるから、こう、軽く仕返しできたような気分だ。

 


◇◇



 色々と時間を紛らわしていると、時間が飛ぶように過ぎ去っていき——私たちはついに『城塞都市イリスティア』の関門に到達した。


(列長かったなぁ……)


 厳重な門は、都市への入り口を守る要塞であり、訪れる者たちを厳しく検査していることだろう。


 普通の旅人ならまだいいけど、私たちはハイ『ランク』の冒険者だ。警戒されるだろうし、チェックは厳しくなる。


(はぁ……)



 ところで……長い時間トイレとか行かなくていいの? と思った人もいるだろうから、説明するね。


 簡単にいうと、それはエーテルの使い方次第だってこと。不純物を出さないのは身体に悪いのだけれど、【キュアノス】を上手く使えば体内の水分をコントロールして、膀胱に尿が貯まらないようにだって出来るの。


 この世界では少し大きくなった子供でも出来ること。状況によってはトイレにすら行けない時だってあるから、その時は凄く助かる力だと思わない?


 これがないとそこら中で……の垂れ流しになっちゃうからね。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る