Episodium.1 始まり


 陽光が雲に隠れ、時折影を落とす中、陽の光をたっぷりと浴びる場所もある。


 ランとヴィアールは城門前の長い列に並んでいた。魔族の脅威から逃げ、安住の地を求めて日銭を稼ぎながら旅をする二人。


 結わえた長い緑色の髪が風に揺れ、軽装鎧を身にまとい、腕を組んでいるヴィアール。

 朝に弱いためか、紫紅の目をしょぼつかせ、整いすぎている顔は気怠げで不機嫌そうだった。


 一方のランは、クリーミー色な髪を長く垂らし、腰の位置は高く、均整のとれた長く伸びる脚と艶やかな肌。


 鼻筋はまっすぐで美しく、目は大きくて輝き、長い睫毛に縁取られている。やや薄い唇は淡い桃色で艶やかに輝き、その形は完璧だ。


 ヴィアールの隣に並ぶと、ちょうど彼の鼻あたりに彼女の頭がきて、その金の瞳で隣の男を呆れた顔で眺めては、ため息をついていた。


 世界はカラフルなエーテルで彩られ、二人を優しく照らしている。



◇◇



 ——癒しの『サナティオ』。


 近年、戦況の影響を受けて急速にインフラが整えられている地域で、『テラ帝国』の中北部に位置している。【アルプス白のエーテル】が豊富であり、関連する産業が発達している。


 有名とされるのが建造物の原材料となる『白石はくせき』や、病気を治したり、傷などを癒す『回復薬ポーション』に使われる『白オリーブ』の二つだ。


 白のエーテル—— アルプスの特徴の一つはその極寒で、その白さが冷たさを物語っている。この冷気はキュアノスと似ているけれど、アルプスのそれはより強烈だ。


キュアノス】が水の清涼感に例えられるならば、【アルプス】は氷の冷涼感に近い。


「冬の寒いときに使ったら……想像はつくでしょ?」


「……」


 こういった知識とアルプスの使い方を私に教えてくれたのは、故郷の教会にいた『神官見習い』だったと覚えている。


 ……彼には良く怒られていたんだけど、それはまた別の機会に話そうと思う。


 ——確か、アルプス白エーテルの使い方を教わった私が最初に試したのは、水を凍らせ、それを粉々に砕いて食べることだった。ちょうど真夏の盛りだったので、その冷たさと美味しさは格別だった。


(食べ過ぎてお腹を壊したのはご愛嬌……今の私ならエールをキンキンに冷やすけどね)


 私の故郷は『西洋大陸』でも特に暑いと言われている場所で、アルプスを使うことは必須と言ってもいい。キュアノスでも良いんだけど、アルプスのあの冷っとした感じにはどうしても劣ってしまうのだ。


 気温が高い時はアルプスキュアノスの二種類のエーテルを使って上手く暑さをしのぐ、この世界では当たり前すぎる常識だ。


 人間を含む生き物全体に言えるが、エーテルのバランスを整えていかないと、快適な生活を送れなくなる。


 人間は恒温こうおん動物であるため、気温の変化に対応する機能を持っている。汗をかいたり、体を震わせたりすることで体温調整ができるが、それだと身体に大きな負担をかけてしまう。


 下手をすると風邪を引いたり熱中症になったりする恐れがあり、さらに酷い場合には命に関わることもある。



◇◇



「早朝だとやっぱり……ちょっと寒いね」


「……」


 白い息が空に描かれる中、私は目を凝らした。時期的にはまだ秋の始まりだったが、すでに冬の気配が漂っていた。


 サナティオは、その地形とアルプスの濃度のためか、隣接する地域に比べて格段に気温が低い。その隣接する地域の一つである『サイレントゥーム』はここからそう遠く離れていないのだけれど、そこでは半袖でも問題はなかった。


「それにしても……ヴィアール、列が進まないね……」


「……」


 うんともすんとも言わない隣の野郎に対して、別に何とも思わない。男の態度には慣れている。私がうんざりとした顔を向けるのは、一向に進まない城門前の長蛇の列に対してだ。


 よく思っていないのは私だけじゃないのは、並ぶ人たちの表情で明白だ。彼らのエーテルをわざわざ感知しなくともわかる。


 イリスティアの出入口は厳格に管理されており、人口の流動が制限されている。


 ——ヒョオオォォォ……


 一陣の風が後ろから突然吹き抜けた。まとまっていない髪がファサッと大きく揺れ、顔にかかって視界を遮る。その瞬間、風の冷たさと髪の感触が一気に押し寄せてきた。


 本能的に髪とスカートの裾を軽く抑える。少し傷んで、枝毛が増えているクリーム色のロングヘアが風に揺れる。


 手入れをサボっていたためだ。髪が長いと本当に管理に手間暇がかかる。


 魔族の攻勢が活発化しているため、私たちは一つの場所に留まれる時間が減っている。移動が続き、野宿が増えることで生活環境は悪化していく。


 ルーティン化された生活を送れないため、規則正しい生活を維持するのが難しくなり、自己管理も怠りがちになる。


 ——吹いた風に寒さを感じたのか、列の前に並んでいる大きなリュックを背負った男が両腕をさすっている。


(寒さが紛れているのはこの服のおかげかな?)


 前に並ぶ男の動作に少し苦笑しながら、自分が着ている服を見下ろす。


 白と赤のコントラストが鮮やかで、胸元の白い布は細やかな金の装飾で縁取られている。腰には実用的な黒いベルトを巻いていて、ナイフがぶら下がっている。


 スカートの丈が少し短いのが気になるけれど、構造的に動きやすいし、もされているから安心。


 長旅で感覚が麻痺してきているとはいえ……私にだって恥じらいくらいはある。


 自分の下着を好き好んで見せたい人なんていない……いないよね?


 ともかく……デザインは自分好みで、超がつく程のお気に入りだ。


 特殊な素材でつくられており、汚れ、寒さにも強いとされる、この冒険用の服。以前に何度か食べ物を服にこぼしたことがあるが、この通り新品同様である。


 服の生地の中には——


 黄のエーテル——金鉱の【フラウス】


 緑のエーテル——風と生命の【オリバ】


 赤のエーテル——火と熱の【ルージュ】


 ——この三種のエーテルがバランスよく織り込まれている。


 身体の代謝を良くしたり、熱を発する効能だけでなく、防風機能もついていて、余程の天候でなければ、冬はこれで過ごせる。


 高い伸縮性があって、運動に何の支障もない。衝撃耐性や斬撃耐性だけでなく、抗菌性まであり、病気に対しても【抵抗】がついている。


 エーテルの影響からなのか何なのか、着ているだけで、露出している自分の脚部も守ってくれる。この原理は私もよくわからないのだけれども……。


 守護神たる【ジーニアス】の加護が付いてるだそうだ。加護とはエーテルとはまた違う信仰の力とされる。


 ……あくまで店主が自分で言っていたことなので、眉唾まゆつばな話だと思っているけども。


 と、その話は置いておき、機能性を見ただけでも、まさに至れり尽くせりで、万能と言っても過言ではない逸品ではないだろうか。


(長々と……服のセールスをしているみたいだ)


 定番のセリフ——お高いんでしょう? 


 そんな高価そうな代物を、金欠逃亡娘たる私がどうやって買ったのか?


 ——値切って手に入れることができた……それだけ。


(本当だよ?)


 魔族との戦争が始まって以降、生活必需品の値段は跳ね上がっている。俗にいうインフレ。


 購買力の下がった人々は必要最低限のものしか買わなくなっていくし、こういった便利な機能が付いているとはいえ、洒落シャレた服にお金を使う人間が減っていく。


(……でも今思えば、特に嫌な顔をせずに嬉々として売っていたような気が。……店主も早く在庫を減らしたかったのかな?)

 

 もっと値切れたのかもしれない……と、そんなことばかりを考えていても仕方ない。


(無事だと……いいけど……)


 人の良さそうな恰幅然とした穏やかそうな人だった——店主の居た街は魔族の攻撃を受けて……壊滅したと聞いた。

 

 私たちは魔族から侵略を受けている。誰だって命を落とす危険と隣合わせの……そんな嫌な時代だ。


 そして人間側の戦況はかんばしくない。魔族の数は減るどころか、増加の一途をたどっている


 私がネズミのように逃げ回る生活を送っているのも、魔族に対する恐怖が身に染みているから……だけではない。


 強すぎる。やつらは強すぎるのだ。そして人間の……心の弱点を知り尽くしている。暗澹たる気持ちになって、視線を列に戻す。


(使い捨ての……魔族の協力者……どれくらいいるんだろう?)




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説明 :アルプス/Albus ラテン語の白  

   :フラウス/Flavus ラテン語の黄

   :オリバ/Oliva ラテン語のオリーブ

   

テラ帝国 『テラ』はラテン語で「大地」

サナティオ 『サナティオ』はラテン語で「癒し」

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