カラフルランナウェイ 〜世界を駆け抜けて、拳を振り上げろ

レイシ

Episodium.0 プロローグ


 混然たる闇に街から上がる火の海の光が届き、怪しく輝きが増す中、私たちは街を抜け出そうと怒涛の如く走っていた。緑と黄の光を纏った閃光となって、炎に包まれた街を駆け抜ける。


「うっぅぁぁぁぁあ」


「あずぃぃよぉぉ……」


 風を切る音、光の残像が後に続く。


「クソがぁぁぁッ……クソがぁッ……!」


 一面に広がるのは悲痛と絶望の怒号。人々が逃げ惑う姿が脳裏に焼きつく。黒焦げた死体、四散した肢体と臓器が地面を覆い尽くす。死の前の最後の呻き声は、生き残った人々の叫び声と燃えさかる炎の轟に、無情にもかき消されていく。


 ——ここは煉獄。


「はぁッ……はぁッ……はぁッ」


 熱された空気が肺を出入りし、体内に酸素が急速に巡る。心拍数は急上昇し、血液が耳元で鳴るような轟音を立てる。汗が顔を伝い、服を湿らせる。その息苦しさは、まるで重い何かが胸を圧迫しているかのようだ。


 燃えた肉の臭い、煙の臭い、血の臭い、汚物の臭い。


 私は全力で走る――生き延びるために。


(もっと遠くに、あいつらが来ないところに逃げるべきだった……)


 人類を虐殺し続ける恐怖の権化たる『魔族』。


 その力は人間のそれとは比べ物にならないほど強大で、対峙すれば、まるで赤ん坊の手を捻るように軽々と屠られてしまう。


 魔族の中でも、さらに圧倒的な力を誇る——『魔王』。血と骸で作られた人間の防衛線を踏むつけるように軽々と超え、絶対的な力を持つ怪物として現れ、人間が築き上げたもの全てを蹂躙していく。


 面と向かうのは……まるで巨大な津波に立ち向かうような、噴火する火山に水をかけにいくような、無謀な行為だ。


 魔王たちに対抗するために、国の上層部は、『勇者』の計画を秘密裏に立てるが、計画に参加していた者は、そのほとんどが非業の死を遂げた。

 

 この時に亡くなった者は皆、皮を綺麗に剥がされ、正確にその関係家族が住んでいる家にシールのように貼られていたという。


 さながら、人を畜生、或いは玩具か何かだと思っているようだった。噂はすぐさま民間を駆け巡り、人々を恐怖に陥れた。やつらは狡猾で、宣伝プロパカンダの効果をよく知っている。心理的にも人間を追い詰めることに長けた怪物たちなのだ。



◇◇


 ——ヴォォォォォォォォ


 空から響く死神の重低音。その重低音は、空気を震わせ、身体の奥深くまで振動させる。


 ——ヒュュュューッ……


 落下音。空一面を覆い尽くす火の玉が次々と地上に降り注がれる。


 ——ドドドドドドドド……


 地鳴りのような轟音が連続して響き渡る。それは爆発による衝撃音であり、大地が上げる咆哮のようだ。


 ——ゴゴゴンッ


 突如、落雷音のような音が後方からした。


「うッ!」


 大きな音と共に熱風の衝撃波が背中を伝ってきて、それに思わず立ち止まるほどの衝撃だった。


焔天轟爆イグニス・テンペスタス


 風によって運ばれ、空から火の爆弾を無差別にばらまく恐ろしい攻撃。それは魔王の一人——『アザゼル』——が遠隔より放った、殺戮と破壊のエーテル術。


「ラン! 反応しなくていい。走れッ」


 深みのある声を持ち、緑の長髪を後ろで束ねた男、『ヴィアール』。縁あって一緒する旅の仲間。彼が私の手を引いていることに気がついた。


 火の高温で少し焦げたクリーム色の長い髪が乱舞し、金色の瞳が揺れ動いている。怯えた兎のような表情を浮かべるのは私、『ラン逃げる』である。


「わ、分かってるッ!」


 目に留まったのは走って揺れている緑の髪と背中——この背中には、何度も救われた。走る中、世界がゆっくりと動いているようだった。薄くなる酸素のせいだろうか……。



 ——むしゃりッ……むしゃ……


 ——白目をむく人間だったもの


 唇がわずかに震える。


 

 

「待て……前に何かがいるッ」


 声に意識が引き戻される。手はもう握られていない。


 ヴィアールの警戒する声に、私は気持ちを一転させ、急いで構えをとった。不安げに周囲に注意を向けていると、


 ──ガシャ——ガシャ——ガシャッ

 

 金属が擦れ合うという音が聞こえてきた。


 その音は遠くから近づき、徐々にその姿がはっきりとしてきた。青い光をまとった白銀の鎧を着た男。


 力強く伸びた顎鬚をたくわえた剛毅な面貌。両手に大きなバルハードを携えて走っているが、息を全く切らしていない。


 彼は、私たちの進行方向とは逆に、逃げる人々の流れに逆らっている──魔王に立ち向かおうとしているのだ。


「滅茶苦茶にしやがって! 滅茶苦茶にしやがって! 目にものを見せてやる…目にものを見せてやるッ!」


 猛々しく叫ぶその声は、豪放で力強く、荒々しさを感じさせるもの。慌てて止めようとして、その姿を見た時、私は手をゆっくりと降ろした。 


 血走った虎のように力強い目は、燃えるような闘志を宿し、決意を示す顔がそこにはある。自分が死ぬことがわかっている顔。


 躰から流れる青の光は、【エーテル】と呼ばれる奇跡の力。世界のどこにでも存在し、私たちの日常に当たり前のように溶け込む、無くてはならない存在。


 青く清涼に光るそれは、穏やかながら清流が川を巡るようでもあり、小さな波動を発している。地獄と化したこの街では、果ての無い砂漠に湧くオアシスのような癒しを孕んでいるようだった。

 

(キュアノスの光)


 人は生まれたその時から、エーテルの得意不得意の『属性』がはっきりと分かれる。そしてエーテルが発する属性でその人の内面が現れる。


(でも……)


 男から発せられる【キュアノス】の光に混じる【ルージュ】と【ノクティス】が見えた。それはまるで清水に血と泥が広がっているかのようだった。


 青のエーテル——水の【キュアノス】は慈愛、冷徹


 赤のエーテル——火の【ルージュ】は情熱、激情


 黒のエーテル——闇の【ノクティス】は混沌、絶望


(……深い悲しみ……絶望の中で燃える怒り、理不尽に対する咆哮)


 私はこの感情のことをよく知っている——憎悪だ。激情はなだめられても……憎悪は無理だ。相手を、魔族を許す必要があるからだ。


 男の感情を感じ取り、蓋をしていた感情が心から溢れ、頬を伝った。


 ——肩にヴィアールの手が置かれる。


 彼と視線が合う。その眼差しは、いつもと違っていて、すごく優しくて……。感情の昂ぶりを息と共に吐き出す。そして、目を閉じて祈りを捧げた。


(……あなたにご武運があらんことを)



◇◇



 遠くに燃え盛る街の景色広がり、夜空を焦がすような赤々とした炎の光が、二人が立ち尽くす丘の上までぼんやりと届いている。


 遠くで繰り広げられる壮絶な光景とは対照的に、ここだけが時間が止まったような静けさに包まれていた。


「さっきの人……」


「……恐らくな」


 私の問いに、ヴィアールは一瞬の静寂を挟んでそう応じた。言葉には厳しい現実がそこにあり、私の全身を冷たく襲う。


 魔王に単独で立ち向かおうだなんて馬鹿げている。まさに蟷螂とうろうの斧だ。それでもあの人は立ち向かった。


 勇者——恐怖と絶望に勇気をもって抗う者。そんなお伽話に登場する存在がいる。そう……この世界ではただのお伽話。


 対照的な私は臆病者だ。魔族から逃げている。


【He who fights and runs away lives to fight another day】


 ——戦って逃げる者は、また戦うために生き延びる。



—————————————————————

説明: キュアノス/Cyanos  古代ギリシア語で青


  : ルージュ/Rouge フランス語の赤


  : ノクティス/Noctis ラテン語の黒

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