カラフルランナウェイ

レイシ

Episodium.0 臆病者

 混然こんぜんたる闇に街から上がる火の海の光が届き、怪しく輝きが増す中、私たちは街を抜け出そうと怒涛の如く走っていた。



「あぁぁぁぁぁぁッ!」


「助けて……だずげてぇ!」


「逃げろッ! 逃げるんだぁッ!」


「うっぅぁぁぁぁあ!」


「熱……あずぃぃよぉぉ……」


「くそがぁぁぁッ! あいつらぶっ殺してやるッ!」



 辺り一面からは悲痛と絶望の怒号が上がっており、人々が逃げ惑う姿が容易に想像できるが、今振り向いてはならない。



「はぁッ! ……はぁッ! ……はぁッ!」



 熱された空気が肺を出入りし、体に酸素が急ピッチで巡る。心拍数は急速に上昇し、血液が耳元で鳴るような轟音を立てる。


 汗が顔を流れ落ち、服を湿らせる。その息苦しさは、まるで重い何かが胸を圧迫しているかのようだ。


 それでも私は全力で走る――生き延びるために。


 束の間の平和を享受したことによる、緩み、油断が、私を窮地に陥らせた。

 その証拠が——目の前に広がる煉獄だ。


 もっと遠くに、が来れない、来ないところに逃げるべきだった。


 この景色をつくったのは『魔王』たち。


 何という不運だろうか。


 人類の虐殺を続ける恐怖の権化たる魔族。その個の力は人のそれとは比較にならない程に強大で、対峙すれば、赤ん坊の手をひねるように軽々と屠られる。


 その魔族の中でも更に圧倒的な力を持つとされる魔王』という集団。前線を超え、人類の領域奥深くまで急襲を行い、その一人ひとりが一騎当千の強者ばかり。


 数人そこにいるだけで、人間の『軍団レギオン』を牽制する程の強さを持っているのだ。


 面と向かえば、腕が立つ者であろうと、たちまち殺される。


 魔王たちに対抗するため人類は『勇者』の計画を秘密裏に立てたが、それに参加していた軍人達のほとんどが非業ひごうの死を遂げた。

 

 この時に亡くなった者は皆、皮を綺麗に剥がされ、正確にその関係家族が住んでいる家にシールのように貼られていたらしい。


 それはまるで、人を畜生、或いは玩具か何かだと思っているようだった。


 この噂はすぐさま民間を駆け巡り、人々を恐怖に陥れた。


 やつらは狡猾で、宣伝プロパカンダの効果をよく知っている。


 でも、魔族は知らないのだろうか?

 

 それに憤りを感じる人々も多くいることを、勇気の讃美歌を歌いながら、自分の命を顧みずに挑む者がいることを。



◇◇



——ゴゴンッ!


突如、爆発音、落雷音のような音が後方からした。



「うッ!」



 大きな音と共に衝撃波が背中を伝ってきた。それに思わず立ち止まるほどの衝撃だった。


 ——【イグニス・テンペスタス火の嵐


 それは魔族側が遠隔から放った『エーテル術』の一つで、空から火の爆弾を無差別にばらまく恐ろしい攻撃だった。


 この術でどれほどの命が奪われたのか。あいつらは徹底的にここを燃やし尽くすつもりだ



「ラン、反応しなくていい! 走れ!」



 深みのある声を持ち、緑の長髪を後ろで束ねた男、『ヴィアール』。縁あって一緒する仲間だ。彼が私の手を引いていることに気がついた。


 火の高温で少し焦げたクリーム色の長い髪が乱舞し、金色の瞳が揺れ動いている。怯えた兎のような表情を浮かべるのは私、『ラン逃げる』である。



「わ、分かってる!」



 目に留まったのは走って揺れている緑の髪と背中——この背中には、何度も救われた。走る中、世界がゆっくりと動いているようだった。薄くなる酸素のせいだろうか。

 

 逃亡を決意してから月日が経った。


 私の故郷はここのように激しく燃え上がっているわけではなかった。視覚が消えた闇の中、一人ずつが食事になっていったんだ。それは耳に残った記憶。


 意図をせずに唇がわずかに震えた。深遠なる淵より響いたような音は、心の奥底に刻まれ、決して忘れることができない。

 


「待て! 前に何かがいる!」



 声に意識が引き戻される。

 ヴィアールが突然停止したので、私も急いで身構える。

 

 不安げに周囲を見回すと、金属が擦れ合うガシャガシャという音が聞こえてきた。前方からは、青い光をまとった鎧を着た男が、私たちの進行方向とは逆に向かって走っているのが見える。


 流れに逆らっている──彼は魔王たちに立ち向かおうとしているのだ。



「目にものを見せてやるッ!」



 猛々しく叫んでいるが、ただの血気盛んな者ではない。


 慌てて止めようとして、その姿を見た時、私は手をゆっくりと降ろした。 


 その目に燃えるような闘志を宿し、決意を示す勇者の顔がそこにはある。


 躰に流れる青の光は、【エーテル】と呼ばれる奇跡の力だ。世界のどこにでも存在し、私たちの日常に当たり前のように溶け込む、無くてはならない存在。


 青く清涼に光るそれは、穏やかながら清流が川を巡るようでもあり、小さな波動を発している。


 地獄と化したこの街では、果ての無い砂漠に湧くオアシスのような癒しを孕んでいるみたいだ。

 

(キュアノスの光)


 人は生まれたその時から、エーテルの得意不得意の『属性』がはっきりと分かれる。そしてエーテルが発する属性でその人の内面性がある程度わかると言われている。


(でも……)


 男から発せられる【キュアノス】の光に混じる【ルージュ】と【ノクティス】が見えた。それはまるで清水に血と泥が広がっているかのようだった。


 人の身をまとうエーテルは、先天的なもの以外に、精神性やその時のも大きな影響を受けるとされる。


 青のエーテル——水の【キュアノス】は慈愛、冷徹


 赤のエーテル——火の【ルージュ】は情熱、激情


 黒のエーテル——闇の【ノクティス】は混沌、絶望


 

 (深い悲しみ、そして絶望の中で燃える怒り)


 私はこの感情のことをよく知っている——憎悪だ。


 激情は宥められても…憎悪は、無理だ。


 相手を、魔族を許す必要があるからだ。


 男の感情を感じ取り、昔の感情が心を駆け巡り、私の頬に涙が伝った。


 辛くて、虚しかった。


 ——肩にヴィアールの手が置かれる。


 彼と視線が合う。その眼差しは、いつもと違っていて、すごく優しくて…


 感情の昂ぶりを息と共に吐き出す。そして、目を閉じて祈りを捧げた。


(…あなたにご武運があらんことを)


 鼻を小さくすすり、涙を拭い、私は、私たちは再び走りだした。


 立ち止まってはいられない。



◇◇



 遠くに燃え盛る街の景色が広がっていた。


 夜空を焦がすような赤々とした炎の光が、二人が立ち尽くす丘の上までぼんやりと届いている。


 周りは静まり返っており、遠くで繰り広げられる壮絶な光景とは対照的に、ここだけが時間が止まったような静けさに包まれていた。


「止めても、無駄だったよね……」


「……恐らくな」


 私の問いに、ヴィアールは一瞬の静寂を挟んでそう応じた。


 彼の言葉にはどうしようもない無力感が漂い、私の全身を冷たく襲う。


 残酷な事実だけど、あの戦士に勝ち目がないことは明白だし、私たちが加わっても瞬きをする間に切り捨てられるだろう。


 それでもなお、あの者は立ち向かった。


 勇者——恐怖と絶望に抗う者。


 対照的な私は臆病者だ。

 立ち向いなどせず、恥ずかしげもなく、ただ生き延びるために、魔族から逃げ続ける者。


 ——だから生きている。



—————————————————————

説明: キュアノス/Cyanos  古代ギリシア語で青


  : ルージュ/Rouge フランス語の赤


  : ノクティス/Noctis ラテン語の黒

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