【010】アルマ爺さんの家。


 中へと促された俺達は、暖炉のある部屋へと通された。雪深い土地だが、魔石で暖炉を動かしているようだ。小屋――というよりは、三角屋根の一階建ての家という方が適切な広さだと思う。外観に反して奥に長いようだ。


「座るとよい」


 アルマ爺さんが横長のソファを手で示した。

 俺とリュークは並んで座る。それから俺は、宰相閣下から預かった手紙を、大切に荷物の中に入れていたので、取り出してアルマ爺さんへと差し出した。


「レイ・フルフィード宰相閣下から預かった手紙です」

「そうか、宰相閣下からか。どれ」


 しわしわの手を差し出したアルマ爺さんは、手紙を受け取ると、封筒を裏返して蝋印を見た。そこには俺も見たが、宰相閣下だけが使うことを許されている紋章が刻まれている。


 開封したアルマ爺さんは、一通の手紙を取り出すと、首を傾げて視線を動かした。文字を読んでいる様子だ。それから、正面のローテーブルの上にあった黒縁の眼鏡をもう一方の手で取る。


「何分、老眼でのう」


 そう言って笑い、眼鏡をかけた白髪のアルマ爺さんは、改めて手紙を見据えた。

 何が書いてあるのかは、俺も知らない。

 俺は緊張しながら見守っていた。リュークも一言も言葉を発しない。

 飲み物なども出されると言ったことはなく、俺は喉がカラカラになってしまった。

 山を登ってきた疲労もあり、緊張と相まって、頭痛がしてきた始末だ。


「して、ロイ殿下」

「!」


 不意に声をかけられて、俺は慌てて顔を上げた。ずっと身分を隠して旅をしてきたから、殿下と呼ばれて、ドキリとしてしまった。誰にも露見してはならないような気持ちだったからだ。俺が第一王子だということは、手紙に書かれていたのだろうか?


「率直に言うが、もう王太子になるのは難しいと儂は思う。第一王子としての王族の位は剥奪されたと考えるべきじゃな」


 それを聞き、俺は予想していた通りだったので、静佳に小さく頷いた。


「特に王太子になることや、王族として生きることに、こだわりはない。それよりも、宰相閣下やリュークが逃がして、生かしてくれたこの命を大切にしたいと思うんだ」

「そうか――では、一つ提案じゃが、山で暮らせるか?」

「匿ってくださると言うことか?」

「いいや。ここで、ただのロイとして、生きられるかと聞いておる。それが可能ならば、儂が保護……という名の監視をしていると、伝える事が可能だ。儂はこれでも、ツテやコネがあってのう。儂のところにいるとなれば、居場所が露見しても、ロイ殿下が連れ戻される確率は低くなるじゃろう」


 俺はその言葉に、小さく首を傾げた。


「アルマ爺さんは、何者なんだ?」

「ただの爺さんだ。ただ、長生きをしておると、色々なことがある。それだけじゃ」

「……そうですか」


 濁されたと感じたが、追求しても仕方ない気がした。結果はどうあれ、ここにやはり匿ってくれるのだと俺は思った。


「俺は、第一王子としてではなく、ロイという個人として、一般の民草の一人として、暮らすことに抵抗はない。山で暮らせというのなら、山で暮らす。それに――考えてみると、俺は楽しみだ。今まで、王宮と王立学院の他には、ほとんど行ったことがないんだ。だから、山というのがまだ想像がつかない。そういう未知の場所で、俺は過ごしてみたい」


 想像すると楽しくなってきた。気づくと頭痛も消えていた。


「そうか。山の暮らしは厳しいが、その決意はあるのか? 途中で逃げださぬか?」

「今、断言は出来ない。俺は何も知らないから」

「聡明な返答じゃな。では、少し山で暮らして、現実を見てみるがよい。儂はロイを歓迎しよう。この家に、居てもよい」

「ありがとうございます。ええと――……」


 それから俺は、リュークを見た。リュークもまた、俺を見ていた。


「……帰ってもいいんだぞ?」


 第一王子でなくなった俺に、リュークが付き従う理由は無い。それは旅の途中からずっと思っていたことだ。ついてきてくれるというが、俺は、目的地についたら、ずっとこの言葉を告げようと思っていた。


「いいえ、俺は生涯貴方の護衛騎士です。ロイ様が、こちらで暮らすとお決めになったのであれば、俺もここで暮らします。アルマさん、お願い致します」

「儂は構わぬが」


 きっぱりと断言したリュークに、アルマ爺さんが頷いた。

 アルマ爺さんは、それからやっと、目の前においてあったポットから、カップにお茶を注いでくれた。喉だけは本当に渇いていたので、受け取ってすぐ、俺は熱いにもかかわらずゴクゴクと飲み干した。




 ――こうして、俺とリュークは、アルマ爺さんの家にお世話になることになった。

 山暮らしが、始まったのである。


 その後、冬の間に、俺はアルマ爺さんから、基礎的な山での暮らしを教わった。春からの知識は、アルマ爺さんが温かい飲み物を手にしながら、語るように教えてくれた。それに並行して、現在の〝冬〟の所作を教わった。


「ふぅ……」


 俺は家の奥に隣接していた作業場で、積まれた薪を抱えて部屋に運ぶ作業をしている。暖炉にくべる量を、毎日運んでいる。暖炉と言えば、魔石で消えない火をおこす方法も既に習った。毎朝誰よりも早く起きて、各部屋を温かくするのが、ひとまずの俺の仕事となったのだが、いまだに俺よりも、アルマ爺さんとリュークの方が起きるのが早い。


「ロイ様、残りは俺が……」

「大丈夫だ、リューク。お前はお前の仕事があるだろ?」


 心配性のリュークは、俺の薪運びを必ず手伝おうとする。苦笑して断った俺は、これでもだいぶリュークはだいぶ口を挟まなくなったなと考える。当初は、『ロイ様がそのようなことを! 俺が代わります!』とばかり口にしていたリュークだが、『働きたいというのは、そしてここにいたいのは、俺の意思だ』としっかりと伝えたら、なるべく俺の意見を尊重してくれるように代わった。本当にありがたい事ではあるが、もう俺は第一王子とは名乗れないし、第一王子としては生きていかないととっくに決めている。だから、リュークとは対等でいたい。見下していたことはないが、ただの友人として過ごしたいというのが本音だ。


「……ええ。野菜の皮むきをして参ります」


 頷き、リュークが踵を返して出て行った。朝食の用意が、朝のリュークの仕事であることが多い。


 その後薪を運び終えて暖炉に火をいれた俺は、リュークが作った野菜のスープと、昨夜アルマ爺さんが焼いたパン、食料庫から取り出したチーズという朝食をとった。三人で食卓を囲むことにも慣れてきている。


 既に、ここへと来て、一ヵ月が経過している。

 窓の外を見ると、氷柱つららの先から、水滴が下へと落ちていく。本日は日射しが温かいので、融け始めているようだ。三角屋根からも、音を立てて雪が落ちていく。最初は地震でも起きているのかと思うほどの音だったが、今では違うと分かっている。


 食後は、作業場の脇の部屋に入り、俺はアルマ爺さんに蔓細工を習う。

 秋までに集めた蔓で、籠を編むのが、冬の生業なのだとアルマ爺さんは言っていた。


「う、うーん……」


 これが中々難しい。

三人で毛皮で出来たラグの上に座り、蔓を編み込んで籠を作っていくのだが、アルマ爺さんが一つ作る間に、俺は底の部分がやっと少し形になる程度の速度だ。


「ロイは丁寧すぎるのだな。しかしリュークは早すぎるが、いびつじゃ。もっとロイを見習うように。ロイもまたリュークのように、少しは速度に気を遣うように」


 そう指摘されて、俺とリュークは顔を見合わせ、どちらともなく笑ってしまった。


 そのように午前中を過ごし、午後は自由時間であることが多い。

 俺は主に、書庫でその時間を過ごしている。

 仕事上様々なものは読んできたが、考えてみると自分のための読書など、もう何年もしていなかった。だから様々な書籍が収納されている書架を見るのが物珍しい。


 古びた布の背表紙を見れば、金色の印字があり、今視界に入った本が魔術書だと分かる。

 魔術は限られた者しか使えないと言うし、俺も剣士の鍛錬しかしたことはない。

 俺にも使えるのだろうかと考えながら、一冊抜き取って活字を目で追えば、結界魔術の本だと分かった。入門書のようで、初級の理論が書かれている。使えるか使えないかは別として、理論を学ぶことは出来そうだと考えながら、この日はその本を読んだ。


 このように毎日を過ごしている俺の生活は、蓋を開けてみればとても楽しいものだった。


「なにより、毎日ぐっすり眠れるのがいいな……」


 夜。

 俺はベッドに入り、そう呟き微笑した。今も宰相閣下は仕事に追われているのだろうか? そのように考えてから、俺は微睡んだ。




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俺、追放されてスローライフを満喫中の第一王子だけど、まさか悪役令嬢と名高い婚約者がついてくるとは思わなかった。山暮らし、出来るのか? 水鳴諒 @mizunariryou

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