【009】宰相閣下とリュークの厚意。

 ――牢獄は、上部に鉄格子がはまった小さく四角い窓がある。

 しとしとと先程まで雨が降っているようだったが、今はその気配がない。


 本来、罪人にも、食事が振る舞われる。

 俺は罪人では無いし、当然食べる権利はあると考えていた。

 だがベルトに金の鎖をつけて普段はポケットにいれている懐中時計を見てみると、既に夜中の十二時だ。夕食が運ばれてくる気配は無い。地下に囚われているのは、現在俺だけだ。忘れられているのだろうか? それとも、嫌がらせだろうか?


 その時、非常に小さいが、聞き慣れた声がした。

 窓を見ていた俺が振り返り立ち上がると、いつの間にか足音もなく、黒いローブのフードを目深に被った人物が立っていた。俺は声を聞いたから、それが誰なのか、すぐに分かった。


「宰相閣下?」

「静かに」


 宰相閣下の声は相変わらず小さかったが、非常に鋭かった。

 見ていると、宰相閣下の声が鍵束を取り出し、俺の牢の扉を開けた。驚いて、俺は目を見開く。思わず扉の前に立った。


「解放されるのか?」

「残念だが、違う。明日、ロイ殿下は処刑されると決まった」

「なっ」


 驚いて俺は瞠目した。すると宰相閣下が、牢の中にいた俺の腕を引く。


「脱獄しろ」

「っ……」

「手伝う」

「で、でも……処刑? 何故だ?」

「――分からないが、恐らく聖女になんらかの力がある。その調査を、今後我輩は行うつもりだ。だが、今すぐにそれを解明できるわけではない。このままここにいて、ロイ殿下が処刑されるなど、我輩は許容できない。王太子たる人間は、ルクス殿下ではない。貴方だ。ロイ殿下。だから、今は命を優先し、逃げろ。皆のために」


 俺は腕を引かれるがままに、牢獄から外に出た。

 すると階段とは逆の、突き当たりが壁の方に、宰相閣下が歩きはじめた。俺はその後を追いかける。宰相閣下が早足だから、俺が歩く速度も自然と速くなった。


「ここに、宰相のみに伝わる出入り口がある」


 宰相閣下はそう言うと、ルビーの指輪を嵌めた、右手の人差し指で、壁に触れた。

 直後、壁に影のようなものがあられ、それが消失すると、通路が現れた。


「行くぞ」

「あ、ああ……」


 まだ信じられない思いだったが、俺は素直に従った。

 そうして先に進むと、扉があった。宰相閣下がそれを開けると、城の馬車小屋の前に出た。馬車小屋の、灰色の壁の前には、リュークの姿があった。


「殿下、お供させてください。参りましょう」

「リューク……?」

「俺は、宰相閣下と話をして、殿下を逃がすために、ここにいるのです」


 それを聞いて、俺は二人を交互に見た。

 すると小雨で濡れたフードを取り、宰相閣下が頷く。その表情は、闇夜の中でも険しいと分かる。


「お早く」


 リュークの声も厳しい。


「ロイ殿下。我輩は無事を祈る。そして行き先だが、この手紙をルシェル山のアルマ翁に渡せば、きっと助けてくれるだろう」

「……分かった。そこまで旅をしろということだな?」

「ああ、そうだ」

「だが、俺が脱獄し、リュークがいなくなったとなれば、追っ手もかかるんじゃないか? 俺は冤罪で捉えられたけど……」

「城のことは任せろ。気にするな。我輩が片付ける」


 俺達の会話を、リュークは静佳に見守っていた。俺は改めてリュークを見る。


「本当に、俺と一緒に行くのか?」

「ええ。どこまでも、お供致します」


 その力強い声を聞いていると、彼の同行を断れる雰囲気ではなかった。


「参りましょう」


 リュークが俺を促す。ちらりと宰相閣下を見れば、微苦笑していた。どこか悲しそうなのだが、優しい笑顔でもある。宰相閣下はすぐに踵を返し、俺達とは逆の方向に歩き去った。だから俺も、前を見て、リュークの背に従うことにした。


 これが、俺の旅路の始まりとなった。


 ――リュークに私された駱駝色の外套を着て、大きなフードを目深にかぶって顔が見えないようにしながら、雨で濡れた道を歩いている。幸い雨は上がったが、月も星も見えない。


 城から続く細い坂道を降りていくと、少しして王都の外れに出た。

 そこに、馬車が一台停まっていた。


「殿下。今から従僕のフリをお願い致します。恐れ多いことですが」

「分かった」


 俺が頷くと、リュークが馬車の御者に声をかけた。俺は馬車に入る紋章を見る。どうやら、街の商人がレンタルしているものらしい。


「隣街まで」


 紙幣を渡したリュークが述べる。この国の通貨は、皆紙幣だ。三十万アークスはあっただろう。一万アークス紙幣の束だ。俺は王都の物価が分からないので、それが高いのか安いのかは判断がつかなかった。


「さぁ、中へ」

「ああ……えっと、はい」


 俺が言い直すと、リュークが苦笑した。

 こうして、二人で乗り込むとすぐ、馬車が走り出した。王都の隣街は、リガースという街で、王都直轄の街だ。様々な地域への連絡口でもある。


「どうぞお休みください」

「ん? ああ」


 リュークの言葉に、俺は腕を組んだ。確かに時間が時間だから、若干眠い。というか、ここに来るまで緊張していたこともあり、無事に馬車に乗った瞬間その糸が切れて脱力してしまったから、その結果睡魔に少し襲われたとも言える。


 俺は有難くリュークの配慮に従うこととし、腕を組んで瞼を閉じた。



「か、殿下。ロイ殿下」


 俺の感覚では、一瞬の後、リュークに揺り起こされた。

 見ればもう、馬車の外の日は高い。本日は晴れている。


「到着しましたよ」

「あ、ああ」


 慌てて目を開けた俺を見て、リュークが柔らかく笑った。それから俺達は馬車を降り、戻っていく馬車を見送った。リュークはそれが済むと、俺を見た。


「まずは宿を取りましょう」

「わかった」


 そうは答えたが、俺は自分で宿を取ったことなど一度も無い。歩き出したリュークについていくので必死だった。リュークは真っ直ぐに街角にあった宿屋街に行き、その一角の宿の扉を開ける。俺が着いて入った時には、既に受付を終えていた。


 鍵を受け取ったリュークに促されて、俺は軋む階段を上る。

 俺達の部屋は二階の左側の角にあった。中に入るとベッドが二つとテーブルが一つ見えた。


「食事は一階の酒場でとるそうです」

「分かった」

「毒味は俺が」

「いや、平気だ。普通の街の食堂で、毒など入らないだろう? 寧ろ俺は、王宮の方が危険だと思うぞ」


 俺が苦笑すると、リュークが複雑そうな顔で頷いた。



 ――このようにして、俺達の旅が本格的に始まった。

 幸い追っ手は来ず、俺はすぐに旅自体を暢気かもしれないが楽しめるようになった。


 様々な土地、様々な特産品、料理、そういったものに触れる度に、俺は考えた。いずれも名称や、生産数、交易数などは、王宮の執務で書類で見ていた。たとえば、林檎がどのくらい採れたのかと言うことや、どんな品種があるのか、それらを俺は知っていた。だが、実際に見ると違った。手に取った林檎の色、香り、味。俺は知った気になって、本当は何も知らなかったのだと、すぐに理解させられた。


 自分の国だというのに、俺は知らないことだらけだったのだ。書類を倒していても、本物を知ることは出来なかったのだと、よく理解した。果たして宰相閣下は、この事実を知っているのだろうか。時折俺は、助けてくれた宰相閣下が、もしも今、それが露見し囚われているようなことがあったらどうしようかと不安に駆られている。


 その考えを振り払い、俺は新しい街につく度に、新たな驚きを覚えながら、リュークと共に旅を続けた。すると次第に、雪深い土地を進むようになり――目的地である、ルシェル山の麓までたどり着いた。


 正面にある険しい雪山を、俺は見上げた。麓の村で聞いたのだが、こちらから登るルートが非常に険しく、逆側はなだらかで、逆側には村もあるそうだった。ただ、迂回するルートはないので、ここを登るしかない。


 俺とリュークは顔を見合わせ、気合いを入れた。そして雪が踏み固められた道を進み始めた。少しずつ坂道になり、それは急になっていく。時に滑り、時に足を取られ、時に吹雪に見舞われながら、俺達は時折ある山小屋で夜を過ごしながら、山の頂を目指した。


 一日、二日、三日――そして、五日目の事だった。


「あ!」


 俺達は頂上に到着し、そこから少ししたに、それまでの山小屋とは異なる家を見つけた。それに安堵し、リュークと共に、雪道を少し降りる。家の正面に回ると、扉の脇に、表札が出ていた。『アルマ』と書かれている。宰相閣下に手紙を渡すように言われた相手だ。


「ここみたいだな」

「ですね……! 俺達、やりきりましたね!」


 リュークが嬉しそうな声を上げた。リュークがこのように声を上げるのは、とても珍しい。俺も思わず、口元を綻ばせた。


 こうして俺は、扉の前に改めて立ち、深呼吸をする。

 深く息を吐いてから、じっと扉を見据えて、俺は右手を持ち上げノックした。


 すると少しして、扉が軋んだ音を立てた。


「誰じゃ?」

「っ、あ、ええと……レイ・フルフィード宰相閣下から手紙を預かっていて……」

「なるほど。しかし儂が聞いたのは、名前じゃ」

「……ロイです」

「リュークです」


 俺は、念のため、フルネームは名乗らなかった。

 だがアルマというなの老人は、頷いた。


「そうかそうか。儂はアルマ。アルマ爺さんとでも呼んでくれ。中に入るがよい」


 そう言ってアルマ爺さんが踵を返したので、俺とリュークは顔を見合わせてから、その後に続いた。




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