【005】聖女。
そのようなやりとりをしながら玄関を出て、俺達は迎賓宮へと向かい、建物を見上げてから、中へと入った。そして真っ直ぐに謁見の間へと向かい、用意されているテーブルと椅子を確認してから、それぞれ玉座の左右に立った。宰相閣下も、王族ではないが、王宮の要人として、国王陛下がいる場合も、いない場合も、玉座の横に立つと決まっている。
俺達がそうして姿勢を正し、侍従や侍女、護衛騎士のリュークなどが壁際に立った時、扉の外にいた侍従二名が、扉を開けた。俺と宰相閣下は横の通路から入ったので、その扉は使っていない。今、派手に軋んだ音を立てて左右に開いた扉は、正式な客人が入る時に用いるものだ。
「聖女様とルクス第二王子殿下の入場です」
侍従の声がしてから、まずはルクス、その後ろに一人の女性がゆったりとした歩幅でついて入ってきた。宰相閣下の予測は外れ、柔らかい線の女性だ。年齢は、俺と同じくらいだろうか。
二人は玉座の前に立つと、俺と宰相閣下を交互に見た。
この場合は、ルクスが聖女様を紹介するのが、一般的だ。ルクスは、その作法を守った。
「ロイ兄上、宰相閣下。ご紹介致します。聖女マリエル様です」
ルクスが微笑した。俺にそういった柔らかな表情が向くのは非常に珍しい。
マリエルという名前らしい聖女様は、その隣で頭を下げ、そしてゆっくりと顔を上げた。
「お初にお目にかかります。マリエルと申します。恐れ多くも、クェクス大神殿にて、聖女に任命された者です」
穏やかな声音で、聖女様が挨拶をした。これといった特徴のない顔立ちで、しいていえばうっすらとそばかすがある。髪はくせ毛のようで、薄い赤毛をセミロングにしている。服装は、神官と同じ白い外套を羽織り、内側は私服のようだ。王都で平民の間で流行していると噂で聞いた、スカートを穿いている。
「王宮への旅路、お疲れかと思いますが、ご挨拶させていただきます。第一王子のロイと申します。隣に立っているのは、この国の宰相であるレイ・フルフィード閣下です」
「フルフィールド侯爵位も賜っております。本日は宰相として、聖女様をお迎えでき、本当恐れ多くも嬉しいと感じております。どうぞおかけ下さい」
俺が紹介した宰相閣下が、流れるように着席を促す。全て予定通りだ。
ルクスと聖女様が座ってから、俺と宰相閣下もテーブルを囲むように座す。
そこへ侍女が歩みよってきて、ポットからカップに紅茶を注いで、さがっていった。
「兄上、聖女様がこのように神々しい美貌をお持ちだからといって、不埒な行為に及んだならば、僕は容赦しない」
冷たい声で、ルクスが述べた。俺は首を傾げそうになった。繰り返すが、聖女様は特徴の無い顔立ちだ。美醜観念は人それぞれだと思うし、比較するものではないと思うが、俺は正直な話、メアリベルの方が神々しい美貌の持ち主だと思う。尤も、だからといってどうということもないが。美醜で俺は、相手を好いたり嫌ったりはしない。
「マリエルは、本当に愛らし、そして優しいんだ。まさに聖女――いいや、天使だ」
天使というのは、この国の国教である聖クェクス教に出てくる、天空に住まう羽の生えた神の遣いだ。美しく、善良な性格だとされている。
「まぁ、ルクス様。そんな」
聖女様が照れたような声を発した。その後もルクスは、いかに聖女様が素晴らしい女性かを熱心に語り続けた。俺と宰相閣下は呆然としてから、チラリと視線を交わし、またルクスを見た。すると再び、聖女様が赤面しながら、ルクスの声を遮ろうとした。確かにここまで言われたら、照れるのも分かる。照れると言うより、俺ならば羞恥に駆られる。それくらいルクスは大げさだ。
ルクスの目を見ると、完全に恋い焦がれているように思えた。熱のこもった視線を、聖女様に熱心に向けている。たったの数日で、このように惚れ込んだ様子になるのは、俺には意外だった。俗に言う一目惚れでもしたのだろうか? ルクスには天使のような美貌に感じるようなのだし。
――その時だった。
聖女様が真っ直ぐに俺を見据えた。そして、口角を持ち上げ、それまでとは異なるニヤリとした笑みを浮かべた。その瞬間、俺の体を、正面から膜のようなものが通り抜けた。非常に嫌な感じがする気配だった。明らかに、聖女様から放たれた、なんらかの力だ。
俺は率直に尋ねることにした。
「今の嫌な力は、聖女の使うという秘技の力ですか? 本当に気分が悪くなる膜というか、風と申しますか……気持ちが悪い。やはり屍竜を屠るだけある力ですね。とても禍々しい気配だった」
筋骨隆々とした外見ではないが、力自体は、宰相閣下の推測は当たっていたようだ。そう考えて俺が素直に述べると、何故なのか聖女様が息を呑んだ。そして目を見開き、驚愕したような顔をしてから――眉間に皺を寄せ、顔を歪めた。非常に不機嫌そうに見える。
「どうしてなのよ」
「なにがです?」
「……別に、なんでもございません」
俺の問いに、仏頂面で聖女様が、刺々しい声で答えた。
彼女の態度の急変に、俺は戸惑う。
すると隣で、宰相閣下が咳払いをした。
「そろそろ次の予定が迫っておりますゆえ、我輩とロイ殿下は退出させて頂きます。どうぞマリエル様はこちらで、ルクス殿下とご歓談下さい。」
宰相閣下はそう言ってから、ルクスを見た。
「ルクス殿下。王家の者として、聖女様をおもてなし願います」
「ああ、心得ている。だが、俺は王族だからではなく、一人の男として、マリエルのそばにいる」
それを聞くと、宰相閣下が目を据わらせた。俺もまた複雑な心境だったが、そのまま立ち上がり、二人で横の通路から、謁見の間を後にした。
そして少し歩いてから、俺は宰相閣下に話しかけた。
「ルクスは、非常に聖女様に執着……いいや、溺愛? なんと言えばいいのか、惚れているようだった」
「いかにも。我輩も目を疑いました」
「ルクスは年上が好きだったのか」
ルクスは現在十六歳で、学年で言うと俺の二つ下だ。俺は王立学院の三年生で、ルクスは一年生である。
「ルクス殿下が婚姻なさるとなれば、ロイ殿下とメアリベル様のご成婚を急がなければなりません。順序として、これは決まりだ」
「……そうだな」
俺は俯き、呟いた。完全なる政略結婚だが、俺は王位を継ぐ者なのだから、時には我慢も必要だと考えている。お互いに愛のない結婚は空しいかもしれないが、今のところメアリベルが破談と言い出すこともない。俺が婚約破棄することもない。
「しかし相手は、聖女様ですから、果たしてクェクス大神殿がなんといってくるか。了承するかもわからんな」
俺とは異なり、愛があるのに結婚できない可能性があるルクスを、少々哀れに思った。
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