【002】緊急事態の発生。
その後俺はメアリベルを城の外、馬車に乗り込むまで見送りに出た。
先程贈ると述べたドレスは、既に手配済みだったので、彼女は帰宅したら受け取ることだろう。
いくつかの難題が片づいた事を、俺は竜魔の間に戻って、宰相閣下に伝えた。
「よくやった! さすがです!」
宰相閣下は、いつになくハイテンションで、満面の笑みを浮かべていた。
その姿に安堵してから、俺は余計な仕事を押しつけられないよう、早々にその場を後にした。
それから向かったのは、王宮の私室である。
他に執務室もあるが、今回は私室を選んだ。少し休息したかったからだ。
中に入ると、無人だった。
本来であれば侍従が控えているのだが、俺がそれを取りやめるように頼んだ。
また扉の外には護衛騎士が立つのが通例だが、俺はそれも断っている。
理由は簡単で、俺は独りになる時間を欲していたからだ。
護衛騎士のリュークには素直にそれを伝えたし、侍従や侍女達には、やんわりと遠回しに話した。
なにより俺は王族であるから、俺の望みには誰も異を唱えることはできない。
「はぁ……」
一人きりの室内で、俺は長椅子に座した。正面のテーブルには、魔力のこもった陶器で出来たティーポットがあって、ここからは夏は冷たいお茶、冬は温かいお茶が出てくる。茶菓子は、痛まないクッキーなどが、いつも用意されている。
手を伸ばして、アイスボックスクッキーを一枚手に取り、俺は口に運んだ。
カップに冷たいお茶を注いで、静かに喉を癒やす。
それから天井を見上げた。そこには升目上の模様がある。
「ええと、明日の朝は、朝一で父上に挨拶をして……それからメアリベルを出迎えて、次に祝いにくる貴族を一人一人相手にして声をかけて……昼食会だろ? お茶会だろ? それで夜が本番の夜会か……休む時間は無いな」
予定を思い出し、俺は今度は俯いた。
多忙。その一言に尽きる。
俺は望んで王族に生まれたわけではないが、次期国王として、父王陛下を安心させるという意味でも、全てをこなしていかなければならないと考えている。
ノックの音がしたのは、その時のことだった。
いつも、俺が一人を好むと知っているから、誰も来ないのだが――……来る場合は、緊急事態が多い。
「入れ」
俺が声をかけると、すぐに扉が開き、宰相閣下が険しい表情で入ってきた。
「殿下、大変です。屍竜が生じたのを、国境沿いに展開している銀狼騎士団が発見しました」
「なに!?」
屍竜とは、死した竜が甦った存在だ。
この国は元々竜被害が多いが、それは生きている竜が相手だ。
しかし数百年に一度出現するという屍竜は、伝承だと――聖女しか倒せないと言われている。
「クェクス大神殿にも連絡が行き、聖女マリエルを国境沿いに派遣すると申しております」
「聖女がいるのか?」
それ自体を俺は知らなかった。
「そのようだ。大神殿が秘匿していた聖女が、代々いるらしい。聖女の子が聖女となり、不思議な力を受け継いでいるのだとか。それで屍竜に対応するそうだ」
「そうか……対応策があるのはなによりだ。応援に他の騎士団も派遣しよう、宰相閣下」
「ああ、我輩もそれがよいと考えている」
「では――その指揮もあるし、明日の生誕祭は中止とするか」
俺がそう述べると、険しい顔で宰相閣下が首を振った。
「それはなりません」
「何故? 民が大変な目に遭うかもしれないんだぞ? 平和に夜会などしている場合じゃ――」
「屍竜の存在を他国に知られ、騎士団が王都からも増援に行くと知られれば、攻め入られる可能性もある。第一、ロイ殿下の生誕祭は、国内外に次期国王、王太子になる者のお披露目の意味も込められている。それを取りやめるわけにはいかない」
宰相閣下の指摘に、俺は胸が苦しくなったが頷くしかなかった。
「聖女が無事に力を発揮できるといいが……」
俺が呟いた時、宰相閣下が閉めた扉が勢いよく開いた。
ノックもなかったが、そちらを見て、俺は納得した。そこに立っていたのは、第二王子、即ち俺の弟のルクスだったからだ。ルクスは唇を尖らせてから、キッと俺を睨んだ。
「兄上、屍竜が出たのだとか」
「ああ、今宰相閣下からその話を――」
「王族が何もしないなど、恥だ。僕は現地に行く」
「えっ?」
「そして騎士団を指揮し、聖女様に力を貸す。どうせ兄上は明日の夜会を抜けられないんだろう? この大変な時に宴か」
ルクスは嫌みったらしくニヤニヤと笑っている。
そちらを見て宰相閣下が目を眇めた。
「ルクス殿下。まさか生誕祭に出席なさらないおつもりで?」
「無論、僕は民を守るという使命がある」
「それでは兄弟間が不仲だと国内外に、勘ぐられます」
「それがなんだ? 僕は兄上の誕生日に興味なんてない」
ルクスが口角を持ち上げて、大げさに手首を動かした。
「……チ。これだから子供は。書類仕事の一つもろくに出来ないくせに、威勢だけはいい」
すると俺にしか聞こえない声量で、ぼそっと宰相閣下が呟いた。
俺は溜息を押し殺し、ルクスを見る。
「ルクスの決意は立派だと俺は思う。ルクスに指揮は任せる。そして、聖女様の音からにもなって欲しい。なにより、民を守るために」
「――兄上は、何もしないのにきれい事を述べるのはお得意ですね」
ルクスはそう述べてから、腕を組んだ。
「まぁいい。僕が確かに兄上からも頼まれたのだし、今から向かう事とする」
そう言って、ルクスは部屋を出て行った。
見送っていた俺の隣で、宰相閣下が咳払いをする。
「我々は、明日に備え、そちらを乗り切ってからまた検討するとしよう」
「そうだな。それが最善だろう」
このようにして、生誕祭の前日の刻は流れていった。
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