第5話 仕事場の人、酒狂いにつき
「ふんふんふふ~~ん、ふふんふふん、ふふ~~ん」
波風と波音が響く港にある壁にもたれながら、リリーシアは鼻歌を歌っていた。最近暗かった彼女の表情は、ヒマワリのように明るくなっている。
『えらくごきげんだな、くそぼけおんな』
そんな少女の水を差すように、クラーケンが憎たらしい声を出す。ワシという表現方法すら忘れるほど、彼は憎しみを抱いているように感じられた。
「しお、かけられたいの?」
『いえ、けっこうです』
リズム感の良いやり取りをしていると、一人の女性がリリーシアに近づいてきた。
白衣をまとった女性だ。
その女性の名は、ナタリー・ロングフォードという。
マリーハイツ海洋科学院で海洋工学を専攻している彼女は、現在科学ベースの技術者として仕事に従事している。
そんな彼女には、一つの悪癖があった。
酒乱である。
「うぃ~~ひっく……」
猫背で千鳥足に歩く彼女の顔は、真っ赤に染まっていた。
右手に握られた空の
『なんだこいつ!? 変質者か!?』
「……きょういっしょにしごとするかただよ」
「シアちゃんよろしくぅ……っう"う"っつ!!」
ナタリーは挨拶を打ち切り、海の方向へ走っていく。
――嘔吐した。
口から吐瀉物を放つ女性に哀れむ視線が集まるなか、リリーシアは優しく擦る。
段々と吐き気が収まってきた彼女は立ち上がりお礼を告げた。
「……ほんとぅに、ごめぇ~~ん。ありがとぉ~~!」
酒飲み特有の声が大きくなる現象を生じさせながら、彼女は嬉しさを行動で示す。わしゃわしゃと酒の匂いが付いた手で頭を触られる彼女は少しばかり笑みを崩しそうになる。それでも、相手のことを考えて一線は超えなかった。
「だいじょうぶですよ! ナタリーさん!」
「ありがとぉ~~マジで天使みたいだなぁ。キスしたいぐらい……」
「ごめんなさい、キスはいらないです」
『マジで酒カス女だな……』
クラーケンが呆れていると、ナタリーがゆっくり立ち上がる。
「よ~~し、今日のお仕事へ取り組みますかぁ……うえっぷ……」
リリーシアは酒気を帯びたナタリー先導の下、倉庫へ向かう。
鉄鍵で開錠し鉄扉を開くと、下に降りる階段やいくつかの扉が見える。
ナタリーは扉の一つに歩を進め、入っていった。
ワンルームの部屋に、空の酒瓶や複数の作業モニターが所狭しと置かれていた。
モニターには海域映像やマップ情報が表示されている。
「ウィック……システム正常、障害物なし、と……」
彼女は木椅子に腰かけながら画面を視認する。
顔色は真っ赤だが、手の動きは機敏だ。
「シアちゃん、海域情報の記録任せた。問題発生したら逐次報告して」
「わかりました!」
リリーシアは眼前で流れる記録を紙へ記入し始めた。
筆記具とタイピングによる音だけが響く中、クラーケンが口を開く。
『……なんというか、地味だなぁ』
「……でも、たいせつだよ」
ナタリーの仕事は魔法を使わない前時代的な手法だ。
第三者から見れば、クラーケンの様に地味という印象を抱かせる。
『魔法でぱ~~っと終わらせられないのか?』
クラーケンの疑問にリリーシアは首を横に振る。
魔法ベースはシステムを高速化出来る一方、個人魔力により速度が異なる。
力の無い者が扱うと科学ベースよりも使用速度が劣るのだ。
人命と直結する技術は速度が何よりも重要となる。故にインフラは安定した速度を誰でも出せる科学ベース、それ以外は魔法ベースという基盤になっているのである。
『暇じゃし……眠ってるかのぅ』
クラーケンは退屈そうに眠りについた。
そのまま会話はほとんどなく、三時間経過する。
「シアちゃん、まとめた紙をちょうだい」
「はい! どうぞっ!」
リリーシアは元気に返事しながら紙を手渡す。
ゆっくり目を通していったあと、机に置いた。
「よっし! 午前の仕事終わり! ありがとう、シアちゃん!」
「いえいえ、おつかれさまでした!」
お互いに頭を下げた後、仕事場を後にする。
酒に酔ったナタリーが嬉しそうに財布を取り出した。
「リリーシアちゃん! 食べたいものとかある? 奢るよ!」
それを聞いたリリーシアがしばし考えた後、「やすいところで!」と提案する。
「ありがとぉ~~ほんとうにてん……し……」
ナタリーが涙交じりに感情を爆発させた直後、顔色が青ざめる。
何事かと思いながら視線のほうに顔を向ける。
一人の男が立っていると、リリーシアは理解できた。
「ミツビさん……! 一体どうしてここへ!?」
「とぼけんなって。酒飲んでんだろ?」
ミツビが白髪交じりの髪を整えながら質問する。
それと同時に、表情が険しくなった。
「それによぉ、少女連れ込んでるなんてどういうこったよ。まさか……誘拐か!?」
ミツビが動揺しながら後ずさりしていると、隣にいたリリーシアがミツビの発言を大声で否定する。
「わたしがおしごとしたいっていったんです!」
「本当に? 嬢ちゃんが仕事したいって?」
「はい! じっせんてきにまなびたくて!」
ミツビは弱った顔を一瞬浮かべてからしばらく考え込んだ後、はぁと息を吐く。
「……まぁいいや。ナタリー。次から気をつけろよ」
「うぃっすっ! 気を付けやすぅ~~」
「はぁ……駄目だこいつ。お嬢さん、こっちに来て」
ミツビに手招きされたリリーシアは首をかしげながら近づく。
「うちの馬鹿の仕事を手伝った礼としてこれを貰ってくれ」
ミツビは自身の財布に入っているお金を手渡す。
リリーシアが目を大きく開いていると、ミツビがしゃがむ。
「勉強として仕事に励むのは大変素晴らしい。けどお金を貰わないってのは違うからね。今度は要求したほうがいいよ」
「……わかりました! ありがとうございます!」
その言葉を聞いたリリーシアは元気よく頭を下げた。
思わぬ副産物を得たことに驚いている中、クラーケンが口を開く。
『お前、お金貰ってなかったの?』
「むりにようきゅうしようとおもわないからね」
リリーシアの発言を聞いたクラーケンが『マジかお前』とドン引きしていた時だった。港の空気を切り裂く大声が、あたりに響き渡った。
「何!? 船に乗っていた子供が海に落ちただと!?」
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