第2話 海の怪物との邂逅

「あれ、わたし……いきてる……?」


 リリーシアは意識を取り戻すや否や、身体を確認する。

 肌色は普段通り白く、髪色も鮮やかだ。


「ゆめだったのか……な……?」


 少女がゆっくり顔を上げた直後、視界に予想外の景色が映る。

 彼女の周りには際限ほど広い海が広がっていたのだ。


「うみのなかって、こんなかんじなんだぁ……!!」


 海が大好きな彼女は海中で呼吸できる理由や低体温症の恐怖を全く考えもせず、目を輝かせた。知的好奇心を思うがままに爆発させながら、彼女は藍色に染まる珊瑚やイソギンチャク・沈没船で構築された生態系を眺めていた。


 そんな時だ。


『ほぅ、夜の海に来たのは小娘じゃったかぁ』

「――えっ?」


 聞こえてきた人語の方に顔を向ける。

 そこには――化け物がいた。


 錆色の体表、うねうねと動く丸太のような八本の触手、鋭い刃のような吸盤、大きな黄金色の瞳を持っている規格外のタコだ。


 タコはカッカッカッと嬉しそうに笑い少女に話しかける。


『ほぅ、取り乱さないとはやるではないか』

「すごいおおきい……たこさんだぁっ!!」

『タコじゃないわぁっ!!!!』


 リリーシアが目を輝かせながら言葉を口にした途端、横を鋭い触手が通過する。

 衝撃音が響くと同時に、砂や海底ごみが辺りに飛散した。

 目を両腕で覆っていると、先ほど恐怖した感触が体に巻き付いた。


『あんな下等生物と同列呼ばわりとは、失礼なやっちゃのぅ……』


 リリーシアは目の前にいるオオダコが自身を海へ引きずり込んだと理解する。途端に湧き上がるのは、死にかけたときの恐怖心だ。


 少女はポロポロと泣きながら懇願する。


「こ、ころさないで……たべないで……くださいっ……」

『……なんじゃおぬし。もしやワシを知らんと申すか?』


 リリーシアが肩から上を縦に振ると、怪物は大きな顔を触手で数十秒間撫でた後、拘束を解いた。解放された彼女が胸を押さえながら過呼吸気味になっていると、タコが口をひらく。


「すまんかったの、お嬢ちゃん。名前を名乗ってなかったわな。ワシはクラーケンっていうんや。タコちゃうで、あんな馬鹿もんは喋れんからな」


 クラーケンは触手をうねうね動かしながら「カッカッカッ」と笑っている。そんな様子を眺めていたリリーシアはやはりタコではないかと推測を立てていた。


「いや……からだはおおきいけどやっぱりタコじゃないかって……」

『だからタコじゃないわぁっ! 次言ったら生贄認定するぞゴラァ!』


 クラーケンは大声を出しながら後ろの海底都市を攻撃する。飛び散った破片はあっという間に見えなくなっていった。少女は肩を震わせながら弱弱しく質問する。


「イケニエって……どういうことですか?」

『おぬし、本当にひとっっっつも知らんのかぁ!?』

「しらないです……おこらないでください……」

「あっ……おぅ、すまんかったな。ついつい声を荒げてもうたわ」


 クラーケンは落ち着きを取り戻してから間をあけた後、下卑た笑みを浮かべた。


「数年に一度な、悪いことをしている人間を夜海に連れていくんじゃ。ワシはそいつを弄び、恐怖させてから……捕食するんじゃ。四肢を捥ぎながら悲鳴を聞いて食べるのは、とても心地が良いんじゃよぉっ……カーッカッカッカッ!』


 邪悪すぎる恐ろしい思想を知ったリリーシアは恐怖に顔を歪めながら土下座した。節々に痛みを感じながら「た、たべないでくださいっ……」と懇願する。


 ラーケンは愉悦の表情を浮かべながら『カッカッカッ!』と下品に笑った。

 

『安心せぇ、ワシはお主を生贄とは思っとらん』

「ほ、ほんとうですか? たべない……ですよね?」

『おまえさんみたいな大きさだと腹が膨れないしのぅ。それにのぅ、海にい続けるのも飽きてきたんじゃ』


 クラーケンは触手をうねうね動かしながら話し始める。


「海の奴らは人間みたいに喋らんからのぅ。クジラやイルカはたまに喋っている所を見るが、ボケ老人みてぇに「今日はいい天気だな」とか「俺、帰ったらあの子に告白するんだ……」みてぇな発言しかしない。つまらなすぎるわっ! だからのぅ、約束してほしいんじゃ」

「やくそく……ですか?」

「あぁ、そうじゃ。お主を無事に返す代わりに、ワシのことを連れ出してくれないかの。なに、体内に住まわせてくれればいいだけの話じゃ。勿論、ただでとは言わん。ワシの魔力を分けてやってもよいぞ?」


 魔力、と聞いたリリーシアは目を丸くした。


「ほ……ほんとうに、よいんですか?」

「あぁ、住まわせてくれれば与えるぞ」

「じゃあ、お願いしますっ……」


 リリーシアは質問をせずに快諾する。どのような問題があるかを考えるよりも夢が叶うという考えに吊られてしまったのだ。クラーケンは秘密を口にしなかった。


「交渉成立じゃな。じゃあ……また後で会うとするかの」


 そういった直後――リリーシアの視界が切り替わる。眩しい日差しと海鳥の鳴き声が聞こえてくる世界へ変化していた。


「よかった! めをさましたのね!!」


 リリーシアが状況を把握しようとしている中、一人の女性が彼女を抱きしめた。母であるエオルカだ。それと同時に、父・アルバートも抱擁する。


「よかった……本当に良かった……っ!」


 泣きそうな二人の声を聞きながらリリーシアは周りを見る。昨日仕事を一緒にした人が自分たちを囲っていた。どうやらここで意識を失っていたということがわかる。

 不思議なのは、一切体が濡れていないということだ。


 リリーシアは先ほど経験したことがまぎれもない事実であると理解しつつ、両親に連れられて家に戻っていった。その後、一人で海に行くなとこっぴどく怒られると共に両親からとある提案を受ける。


 適正年齢になったときに、セアボトム海洋魔法科学学園の入学試験を受けるという話だった。一流の海洋魔法科学使いになれるカリキュラムがあるセアボトムは、他校と異なり特化入試というものがある。そこで一芸を披露できれば、入学できるチャンスが手に入るという話だった。


 魔法を使えない自分のために両親が動いていてくれたことを知ったリリーシアは心から反省したのだった。


「……よし! 今日から頑張るぞ!」


 リリーシアは小さく拳を突き上げながら自身に活を入れる。

 そんな時だった。


『おぬし……もしや夢とでも思っているのか?』


 少女の背筋から一体の生物が体を這い出した。股抜きしたそれは少女の前に現れる。そこに立っていたの人形サイズまで縮んだクラーケンだ。


『夢なんかじゃないぞ? ワシがお前と歩むことになったのは本当だからなぁ。これからも末永く頼むぞ、リリーシア・アルスリス』


 困惑しているリリーシアの前でカッカッカッと笑い声を響かせながら、クラーケンは腕をうねうねと動かしていたのだった。

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