第3話 訪問者

「こんにちは!『那須華』です。コーヒーのお届けに参りました」

 月曜日は、4階フロアにある、タウン情報誌『街の灯り』の編集部に、出前をする。いつも、そのついでに、打ち合わせをすることになっている。


「ご苦労様。編集長、紫乃ちゃん、来ましたよ」

 コーヒーを受け取りながら、総務で経理全般と、時々ライターも兼ねる御堂さんが奥に声を掛ける。御堂さんは、3人の男の子のお母さんで、ここにパートで勤めている。

「あ、紫乃ちゃん、おはよう」

 手前の席から、声をかけてきたのは、北畑さん。営業担当で、時々ライターも兼ねる、独身40歳の社員さんだ。

「待ってたよ。大事な話があるんだ」

 奥の席から、姿を現したのは、ここの編集長、大垣悦郎さん。もちろん、ライターも兼ねる。37歳、奥様と隣のマンションに住んでいる。

 『街の灯り』の本社は、県庁所在地にある。ここはその『県南版』の編集部なのだ。言わば、下請け。

 ここは、この3人だけで、運営している。


 来客用のソファーに座るよう、促される。

「大事な話ってなんですか?連載打ち切りじゃないですよね」

 ここ何ヶ月か、コラムの連載を任されている。この間は、評判上々と聞いたはずだけど…はて?と考える。

「そうじゃない。むしろ逆かな。色々反響があった。実は、紫乃ちゃんのコラムを知って、詳しく話を聞きたいって奴がいてね。どうかな?」


 『街の灯り』の県南版で、今回、コラムの連載で取り上げたのは、この5年間、毎年お正月になると現れる、謎の人物についてだ。県南には、児童養護施設がある。そこに、『お年玉』が届くのだ。『お年玉』は、その年によって様々だ。ランドセルだったり、グローブだったり。5年目である今年は、図書券が届いた。この不思議な善意の人は誰なのか、ミステリー仕立てで、3回に渡ってコラムを書いた。


「どんな方なんです?」

 大垣は、名刺を見せながら言った。

「フリーのライター。俺の大学の後輩。なんと、もと県警の刑事。今は、東京にいる。紫乃ちゃんに会いに、こっちに来たいってさ」

 あんまり乗り気になれない。元刑事ってのが、胡散臭い。と言うのが、正直な気持ちだった。

「私に、何を聞きたいんですか?」

「さあ?分からん。会ってから、詳しく話すってことなんじゃない」


 編集長の後輩じゃ、無下に断れない。

(まあ、尋問されるわけじゃないだろうし、難しく考えることもないか…)

「いいですよ。いつでもOKです」


 この時、軽く受け合ったことを、後々後悔するハメになる。



伊庭奏士いばそうしです」

「伊庭ちゃん、こちらがウチのライターの、『雨宮忍あまみやしのぶ』さん」

 編集長が、紫乃の肩に手を置いて、紹介する。

 しかし、『伊庭ちゃん』と呼ばれた男は、怪訝な顔をした。

「…何か?」

 思わず、紫乃が問いかけると、

「いや、男性だと思ってたんで…」

と、不躾にジロジロと眺めた。

「『雨宮忍』は、ペンネームです。本名は『天海紫乃あまみしの』と言います」

「ペンネームねえ…」

 その男は、さも可笑しそうに、顔を歪めた。

(思いっきり、失礼なやつだな)

 内心、紫乃はムッとした。

「紫乃ちゃんは、小説を書いているんだよ。それで、そのペンネームをそのまま使ってるんだ」

 紫乃の様子に、慌てた編集長が、口を挟んだ。

「まっ、どうでもいいけどね」

と言いながら、自分の名刺を差し出した。

「今日は、よろしく」

(よろしく…するもんか!)

と、思ったが、編集長の手前、子供みたいに膨れてもいられない。

「バイトがあるので、1時間でお願いします」

と、宣言して、ソファーに腰を下ろした。

 相手も、向かいに座る。編集長は、席を外した。奥の方から、視線を送ってくる。


 真正面から、しげしげと相手を観察する。

 30代半ばといったところか。元刑事だと聞いた。道理で、目付きが悪い。それだけでなく、長身で筋肉質の体には威圧感があり、近寄り難い雰囲気を醸し出している。表情もいかめしい。この強面で、取材などこなせるのか、甚だ疑問である。

 相手も、自分を遠慮なく眺めて、値踏みしていることを紫乃は感じていた。


「…それで、何を聞きたいんですか?」

 紫乃が、名刺と相手を交互に見ながら言う。

「コラム、読んだよ。なかなか面白かった。あそこに書かれてたネタに興味を惹かれてね。できれば、自分でも取材して、記事を書こうと思ったんだ」

 紫乃は、少し不思議に思った。

「伊庭さんは、都内で仕事をしてるんですよね。こんな地方のネタが、使い物になるんですか?」

 鼻で笑われた。

「フリーのライターは、どんな所にでも取材に行くさ。都会にばかり事件があるわけないじゃないか。凶悪犯罪は、地方でも頻繁に起きてる。物騒なのは、日本国中どこでも同じだよ」

「このネタには、犯罪は関係ないと思います。そういうものを期待しているのなら、的外れもいいとこです」

と、キッパリ言った。

「人の善意だからってか?そういうネタもウケるかもな。この世知辛い世の中じゃな。…でも、何かある気がする。引っ掛かるものを感じる」

「刑事の勘ってヤツですか?」

 紫乃は、少し揶揄うように言う。相手は、ちょっと真顔になった。…怖い。

刑事な。…俺は、ここの県警にいたんだ。だから、気になったんだ。思い出したことがあって…」

 しばらく、沈黙が流れた。


「ともかく、明日、この施設に行ってみよう。連絡をつけといてくれ」

「何で、私?」

 伊庭が、何言ってんだ、こいつ!と言う顔をする。

「一緒に行くんだから、当然そうなるだろ。俺が、直接行ったら、警戒される。だから、わざわざ大垣さんに紹介してもらったんだから」

 パッと、編集長に顔を向け、睨む。

 編集長は、両手を合わせて拝んでいる。


 仕方ない。貴重な定休日。本来なら、次の小説の構想を練るのに、必要な時間なのだが、編集長の頼みは断れない。


「…分かりましたよ」

 ため息を吐きながら、返事をした。

  

 伊庭は、満足げに、ニヤッと笑った。


 コイツ、この強面で、笑うんだ…。と、変なところで、感心した。


 


 約束した通り、伊庭は次の日、紫乃を迎えに来た。自転車で駅に行き、駐輪場に置いて、伊庭が来るのを待った。

 電車を使うのかと思っていたのに、伊庭は車できた。年季の入ったセダンで、レンタカーではなさそうだ。

 助手席に乗ってから、聞いてみた。

「これ、自前ですか?」

「もちろん。こんなボロっちいレンタカーがあるもんか。都内から乗ってきた。全国どこにでも行けるからな」

 後部座席には、大きな荷物が積んであった。本当に、あちこち取材に行くんだ、と感心した。そうでなければ、フリーのライターとして、やっていけないのだろう。

「いつから、ライターをやってるんですか?」

「5年前から」

 自分の小説執筆歴の方が長い!と、心密かにマウントを取った。

「どこの誌に書いているんですか?」

「どこにでも、売り込みに行くさ。ネタによりけりだ」

 『週刊冬夏』にも、書いたことがあるのだろうか。聞きたかったけれど、なぜ聞くのか?と、問われた時に、あの編集者とのやり取りを、話す事態に陥りたくない、と思って止めた。


 隣県との境に、大きな川が流れている。その堤防からさほど離れていない、郊外の一画に『児童養護園 陽だまりの家』があった。

 園長先生とは、面識があったし、今回の訪問を事前にお願いしておいた。

 玄関で、ニコニコと出迎えてくれた。園長先生は、50代の女性である。他にも、数人のスタッフがいるはずだが、姿が見えなかった。

「こちらが、お話ししたライターの伊庭さんです」

 紫乃が紹介すると、伊庭は信じられないほど、穏やかな笑みを浮かべて挨拶した。

(コイツ、なんちゅう変わり身の速さだ)

 良識のある、落ち着いた大人に見えるから、不思議だ。

 一通りの世間話が終わる頃には、園長先生の警戒心は、淡雪のごとく消えて無くなっていた。


「…それで、送り主の心当たりは?」

「分かりません。送ってきた場所もバラバラで…。今年は、北海道の消印だったので、びっくりしました」

 例の、図書券だろう。

「そうそう、贈り物を全て、私のスマホで写真に撮ってあるので、お送りするわね」

 二人で、ちゃっかり連絡先を交換してた。

(私の時は、そこまでの情報はくれなかったのに…)

 恐るべし。マダムキラー。さすが、情報収集のプロだ。刑事の前歴は、伊達じゃない。


 帰り道の車の中では、また元の仏頂面に戻っていた。

「…凄腕ですね」

「ああ?取材費の節約になるなら、愛想よくするぐらい訳ないだろ。使えるものは、何だって使うさ」

 それって、どう言う意味だろ…と、考えた。

 体を張った取材も、厭わないってことか?…と言うことは、つまり…

 紫乃は、一人で赤くなっていた。


(何、考えてるんだろ、私。黒縁眼鏡に、言われてから、頭の中、そればっかりになってないか?)


 ハンドルを握る伊庭の手を、そっと見る。


 この手で、何人の女を抱いたのだろう。


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